15年前のクルマって、やっぱ旧いのかしら・・・。
今日の写真は連休前にエアコンホース交換修理を施した222SEの納車の図なんですが、いかにもウチのお客さんらしく神経質(失礼)なまでにキレイに乗っておられるので(まあ、そういうふうになるように仕上げて納めてるウチにも問題あり:笑:なんですが)、とても15年を経過したクルマとは思えません。修理などで数日の間お預かりするのも、ホント、気を遣います。この連休中に我が家にお客さんが集まって「酒飲みながら飛行機などのプラモを作ったりバーベキューをやったりする会(通称:ダメ男の集い)」を毎度のように開催したのですが、その折にあるお客さんから頂いた「貢物(笑:いつも有難うございます)」の中に1968年〜71年くらいに発行された「月刊自動車」という表題の雑誌がありまして、これが紙質や印刷が非常に悪くて、当時の読者にも、その読者投稿欄において「毎月買ってるが、この紙質・印刷の悪さと誤植・乱丁の多さはなんとかならんか(要旨抜粋)」と指摘されてるシロものなので、本の製品としてのデキは「そういうこと」なのですが、内容は「プアマンズ・カーグラ(笑)」とでもいった感じで海外のニューモデルやモータースポーツ関連もキッチリ抑えてるし、国内の話題のニューモデルもインプレやってたり、ストップウオッチ持って各種性能データーも「だいたい(笑)」とってるんです。巻末には既存のクルマの室内パッケージングを検討するための1/20平面検討用模型が厚紙で設えてあったり、3級整備士の模擬試験の予想問題集が付いてたりと、いったい誰のための本なのか首を傾げるようなことにもなっていて非常に微笑ましい。技術相談のコーナーなどは、簡単なことを尋ねても、回答者が「理系バリバリ」のメーカー開発担当者だったりするので「いきなり数式の雨あられ攻撃」にあうので素人はスグ撃沈したことでしょう(笑)。さて、そんな「ディープな」クルマ本の中で、あるコラムが私の目に留まりました。その内容はふだんなにげなく「旧いクルマ(しかもイタ車)」を扱う私の目からウロコを落としたのです。あるオーナーさんが、(当時)11年落ちの「トヨエース(注:かつてトヨタから売られていた1000CC級のライトトラック、出現当時、その抜群のデキの良さと価格の安さから、それまで権勢を誇っていたオート3輪トラックを市場より駆逐したとされる名車)」をしかもエンジンを4回載せ替えながら24万キロ走破した上にまだディーラーのトヨペット店にて車検を受けて、納車時に全従業員の拍手を浴びながら送られましたというハナシなんです。今から35年以上も前の今よりも遥かに「モノに価値のあった時代」ですら、たかだか11年前の大衆トラックが車検をとっただけでニュースになったんですね。もっとも1950〜60年代の日本の道路事情と云えば、「国道は酷道」「市道は死道」と揶揄されるほど、なにしろ道が未舗装で悪かったので、この24万キロは現在の100万キロ以上に相当するのかもしれませんね。翻って考えれば国策とはいえ、もうずいぶんとムカシから「使い捨て文化」があったんだなあと思うと、この日本で「旧車を愛でる」という行為を平成の世で送ろうとするのは「周囲の無理解」との闘いになっちゃうんだなあと思いました。旧いクルマを大事に使っていくのも「エコ」の一環ではなかろうかとは思いますけどねえ。しかしながら旧いクルマで商売をしていくのは、まったく「逆風の中を行くジャンヌダルク」の心境かな(そんなにカッコよくない?)と。イタ車に限らず、旧いクルマって皆さんにとってこれからも本当に必要なものですか?ご意見お待ち申し上げております(が個々のコメントに意見するのはやめておこうと思います:真面目なご意見をそのまま載せておきます)。
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コメント
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自動車に限らず、昔の機械や道具には、造った人や、直した人、そして使っている人がこめた“魂”を感じます。
マセラティには、とくにこの“魂”を強く感じ、乗るたびに心揺さぶられます。
カーナビがなくて道に迷っても、エンジンのノイズが恥ずかしいほどうるさくても、腕が折れるほどドアが重くても、サイドブレーキが甘くても、いいんです。これが。
投稿: 旧車のよろこび | 2006年5月13日 (土) 16時21分
万物には精霊が宿ります。それが長いあいだ大切にされてきたマセラティならば、眩いオーラとなって見る者を魅了します。
高度経済成長時代に使い捨て分化が生まれましたが、最近はエコロジーが注目されるようになりました。
マセラティはイタリア文化の象徴ですが、古いものを大切にする・・・これは日本人的な価値観ではないでしょうか?
長年、大切にされてきたマセラティを発掘し完璧に仕上げるマイクロ・デポのお仕事はまさに、イタリアと日本の文化の融合です。
投稿: Ryo | 2006年5月17日 (水) 20時02分
『物』は人が『想う』ことから生まれます。
役に立つことから楽しむことまで様々な想いによって存在します。
その中でロングセラーやベストセラーは創造した人の想いが判り易くしかも熱く、尚且つその時代時代での共感者が多かった故の結果であります。
また良い物、長く使いたい物とはあらゆる知恵と職人達の手によって時間を掛けて作られた物が多くそのため価格も高価になるようです。
買い手、使い手もその過程、想いが理解できれば、若しくは理解する気持ちがあればもっと大事に使うのではと考えます。
昔の職人達はその時代の最高技術や人知英知を駆使し最終的には職人による最終兵器『カン』により今の技術をもってしても成し難い造作をしてこられました。
現在ではコストリスク等によりこの『カン』や昔の人々の『知恵』を生すことが難しい時代となっています。
そのため性能、品質は格段に良くはなってきていますが、美しくなくまた心の底から胸踊るような楽しいものは少なくなってきてはいないでしょうか。
人の想いは正しく且つ幸せになるのであればいつの時代でも必要なはずです。
古き良き車達もそうではないかと思います。
そのなかでもマセラティはその昔、純粋な想いからレースに没頭し困難な道のりを幾重にも乗り越えてきたメーカーです。
その結果、その熱い熱い想いが連綿と受け継がれ人々を魅了する形となってきたのではないでしょうか。
新しい物も必要ですが、古い物も必要です。
現在だけではなく過去の人々の想いも受け継ぐことが未来を明るくするのだと信じます。
人がやらない、できないことをやり遂げることは困難を極めます。
ですが、あきらめなければその強い想いが人に伝わり理解する人が増えるはずです。
今現在古い車にはまっている人もいれば、この瞬間古い車の価値を理解するに至った人もいるはずです。 遠い将来、近い将来にこの想いを好きになる人もきっと出てきます。
いつもマイクロ・デポさんは大変ご苦労されています。
ですがその想いを伝えようと必死で頑張るマイクロ.デポさんはかっこいいし、そのお陰で幸せになる人も多いはずです。
頑張ってください!! 古い車は絶対に必要です!!
(疲れたらプラモデルを作ろう!!)
投稿: ひこうき班長 | 2006年5月18日 (木) 21時25分
確かにマセは趣味性高い車ですもん。
壊れますけど.......
工業製品としては失格の部類ですな。
これは紛れもない事実。
うちのテーマ君も同じです。
それに見合う満足を与えてくれる。
一般人には理解できないのだろうなあ。
嫌、スノッブってわけじゃないんです。
性格最悪の女に惚れた男ってとこですか。
そんな車を何とか日常使用に耐える様に
改善、販売される貴社には頭が下がります。
デポ物マセはそれだけで価格上乗せっていうし....
投稿: テーマ乗り | 2007年6月 6日 (水) 21時53分