ガンディーニのクアトロポルテ(その21:エンジンの⑪)
実は、今日のこのブログ、実は書くの3回目なんですよねー、7割方完成すると、用事が入ってパソコンから目を離してるスキに、ぶっとんじゃってるんです(泣)ヨ。うー、結局きょうもザンギョーして更新だあ!
さてさて、ガンディーニのクアトロポルテのエンジンレイアウト、「V型90度」というシリンダー配列が、「エンジンレイアウト技術史」的に、どのような位置づけになってるかといったハナシを、ものすごーく「回りくどく」外堀を埋めながら解説する、このコーナー。今日もなぜだか、国内に現存するヒコーキ屋出身メーカーの解説の続きからです。
昨日は、旧中島飛行機たる富士重工(スバル)のハナシでしたが、本日は、やはり「西の横綱」三菱重工業のお話をしていきたいと思っております。
前回触れているように、三菱は戦前のかなり早い時期には、イスパノスイザエンジンのライセンス生産を手がけ、戦中には、あの「零戦」を設計・製造したことで、勇名を馳せましたが、戦後「GHQ(ダグラス・マッカーサーですね)」の行なった民主化施策の一つ、「財閥解体令(正式な名称は忘れた)」により、東日本重工業・中日本重工業・西日本重工業といった、0.2秒で決めたような、そのまんまネーミングの3社に分割されました。その後1964年に再合併、1970年には三菱自動車工業として、自動車部門を独立させました。この辺までのハナシをより深く突っ込んで知りたい方や、再合併後の歴史、H2ロケットについて調べたい方は、勝手に「ググッて」検索してみてください。必ず、「三菱おたく」みたいな方が、どっかでサイト運営してると思いますんで。
戦後スグには、やはりヒコーキの尾輪をその車輪に見立てた「シルバーピジョン」スクーターを売ってたところまで、スバルとそっくり。
たまたま、昨日、某国営放送にて「終戦ネタ」の番組を我が岳母と一緒に見てましたら、「わたしが女学生の頃には、学校行かずに、勤労奉仕に行ってたのよー」と申しますので、「どこ行ってたの」と水を向けますと、ママちゃん(あっ、ウチでは岳母をこう呼んでルンです:齢80だけど:笑)曰く、「川崎(神奈川県)の工場に麹町から毎日通ったのよー」「ソレ給料とか出るの」極めて打算的な質問をするワタシ。「確か女学校の月謝くらいはもらってたから、3円とか3円50銭くらいかなあ」「で、その工場でなにやってたの?」「気化器よー」と半笑いで申します。「キャブレター!?」「そーよ!キャブレターよ!」そのうち、作業工程のハナシになり、「中身のベンチュリーがどーの、バルブがこーの」と相当専門的(しゃべってるのは80のばーさまですよ!)。「その会社、なんつー会社?」って尋ねますと、「東京機器」と。ワタシのアタマの中{「東京機器工業→トキコ(現在は日立製作所の一部門)」??うー、こりゃ、ホンモノだあ!}「その気化器は、何のヒコーキ用だったの?」と尋ねれば、30秒ほど考えてその口から飛び出したのは「火星」。「火星!そりゃエンジンの名前だ、三菱の」というやりとりがありまして、まさに今日「三菱ネタ」で書こうと思っていたワタシにうってつけのやりとりだったわけです。この「三菱火星空冷複列エンジン」、キャブレター付きなら「11型」ということになりますが、これは、「一式陸上攻撃機(一式陸攻:山本五十六元帥戦死時の乗機としても有名)」や「局地戦闘機:雷電」の搭載エンジンとして知られる、有名なモノなんです。
「火星11型」のより詳しい解説は、当ブログの「準常打ちメンバー」のお一人「ひこうき班長」さんのコメントを待つことにいたしましょう(あとは宜しく:笑)。
皆さんが男の子であれば、こどもの頃、一度ならず「ゼロ戦プラモ」を作ったコトがあると思いますが、
「ちょっと高級なクルマプラモ」のボンネットの中に入ってる「四角いエンジン(多くの場合、直列型を模してある)」と較べて、「E.T」や「溶解人間ベム(が帽子を取ったとき:ネタが旧い旧い:笑)」の頭部みたいな「ハート型」を伸ばした形状のシリンダーと思しき部品(表面にはフィンを模したモールドがされている)を環形に接着していくのが「エンジンのくみたて」工程とされている「ゼロ戦のエンジン」は、「なんか変なの」と思ったことと思います。これが「空冷星型エンジン」だったんです。で、この工程を2回やって、殆ど同じよーなー「ハート型が繋がったワッカ」を2個作り、その2つを後ろ側のハートが、手前のハート⇔ハート間に顔を覗かせるよう、ズラして接着する工程がつづきます。これで、「複列」です。このハートの一つ一つが実はシリンダーを模したものであったなんて、わたしゃ高校生になるまでよく分からんかった(アホ:笑)。
内燃機関の開発初期の時代、切削工作技術の未熟や熱処理技術の未進化により、精度は出ないわ、熱処理で歪むわで、長いクランクシャフトを量産することは困難を極めていました。しかれども、直列多気筒エンジンやV型多気筒エンジンには、その構造上、長大なクランクシャフトが不可欠。よって、その製造はとっても難しいものとされていました。そんな中で、いっけん、その外見が物凄く複雑怪奇なモノにみえる「星型」は、クランクシャフトが「単気筒」分の長さだけあればいい(要はもっとも短くていい)ので、シャフト造りがラクだったんですよねー。さっきの「ゼロ戦プラモ」のように、「複列」になっても、「直列2気筒」分の長さで良いわけです。航空機の場合、なんせパワーが必要ですから、当然の如く大排気量エンジンが必要ですが、そんなの「単気筒」でつくったら、エンジン回した途端に、振動で機体が折れちゃいます(笑)。星型エンジンのおかげで、当時の貧弱な技術でも「14気筒」とか、「20気筒」の超多気筒、大排気量エンジンが量産可能であったというわけです。
1960年代に入っても、なお、ナガーいクランクシャフトを必要とする、直列6気筒とか、V型12気筒などの自動車用エンジンは超高級品扱いでして、おまけに長大なカムシャフトが4本も必要なV型12気筒のDOHCV12なんて、もう「論外」だったわけですね。
フェラーリでもランボルギーニでも、シャフト5本作ったら、3本は不良といった有様だったらしいです。
だから、マセラティはついにロードカー用の12気筒は作らなかったのでしょう。ちなみに、60年代の末期には、「クーパーマセラティF1」というフォーミュラー1マシンがありまして、ジョン・クーパー(初代ミニクーパーを造ったヒトです)率いるクーパーF1チームにV12エンジンを供給していました。一応造れたのよV12、マセラティも(笑)。しかし、このマシン、当シーズン中に現れたすべてのF1中、最も「醜く」「大きく」「重い」と評判は「絶好調(笑)」であったコトも付け加えておきましょう。
やっと、マセラティねたに戻ったところで、今日の講義はおしまい!
次回を鶴首して待て(もうちょっと回りくどくしてやろーっと:笑)。
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» 998cc MINI COOPER(ミニクーパー) [ミニの魅力]
1964年、MINI COOPER(ミニクーパー)は大きなモデルチェンジを受けます。それまでの9F型エンジンに代わって9FA型と呼ばれる排気量998ccのエンジンを搭載し、さらなるパワーを得ることになったわけです。このエンジンの特徴は、9F型と比べてピストンのストロークがかなり短くなっていることで、圧縮比や燃料供給装置は変わらないものの、低い回転域で最高出力(55ps)、最大トルク(7.88kg-m)を発揮する設計になっていたこと。このエンジン特性のおかげでMINI COOP... [続きを読む]
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いつもご苦労様です。
ありがとうございます。ひこうき班長でございます。
早速、火星エンジンの話です。
このエンジンを使用した有名な機体は山本五十六海軍大将が
搭乗、P-38に撃墜された一式陸上攻撃機(三菱製)であります。
また、本土防衛に活躍した雷電(火星23型甲)局地戦闘機(三菱製)
が有名であります(紫電改とタッグを組んでB-29を撃墜)。
さらに中島飛行機(現スバル)製艦上攻撃機:天山にも(火星25型)
搭載しております。
当時大型機用の金星エンジン(やはり三菱製)がおもいのほか
出力が出ず開発されたのが火星エンジンです。
金星はというと九六/九七艦上攻撃機以外にも零戦、彗星、
五式戦闘機などに搭載され活躍しました。
彗星の初期はダイムラーベンツ製DB601Aをライセンス生産した
液冷V12エンジンでその名もアツタ発動機 を搭載、しかしこの
エンジンの生産、メンテナンス部品の供給がおいつかず、また
B-29の空襲により生産拠点のひとつ愛知航空機:船方工場が
壊滅などでほぼ供給見通し困難、やむなく彗星や
三式戦闘機:飛燕などは液冷エンジンから空冷星型の金星に
載せ変えを行いました。
(三式戦闘機はその時五式戦闘機に型式を変えました)
このエンジンをライセンス生産をしていたのが川崎航空機
(現川崎重工)と愛知航空機(現愛知機械工業)です。
さらにこのドイツ製エンジンはイタリア戦闘機マッキC202、
フィアットG55などにも搭載されアルファロメオでライセンス生産
され(型式はRA1000RC41)活躍しました。
当のドイツではバイエルン航空機製造(後のメッサーシュミット)製
戦闘機Bf109に搭載し活躍しました。
このように飛行機で空を飛ぶこと100年余り、スピードレーサーや
戦争等で飛躍的にレシプロエンジンの技術が向上し、その技術展開
が車でした。 星型にしてもV型にしてもはたまた昔は
トリプルV型もあり、その高性能エンジンの技術が車のエンジンの
技術を持ち上げたわけですし先のことからもわかるように飛行機の
エンジンは大げさですが国境なく色々な国で使用、技術の共有化を
しております。
余談ですがスピードレーサーが盛んな時代(紅の豚の時代背景で
第二次大戦前)のフォーミラカーのコックピットの雰囲気は
飛行機のコックピットそのものでした。
他にもバルジの形状、ボディー板金の曲面性状など当時は盛んに
飛行機の製造理念を車にも展開していました。
その後、コストや車本来のあるべき姿が見直され車は飛行機とは
違う技術向上を成し遂げてきました。
昔は今よりも空を飛ぶことについてものすごく畏怖や尊敬の念があり
その技術開発の凄さといったらもう大変なもので、工作機械の
精度がイマイチだった昔は確かに長物の精度を出すことは大変で
星型エンジンの再開発は必然となりました。
しかーし、星型エンジンの設計理念は複雑怪奇でしかも相当な
情熱や命にかかわるような大事がなければたどり着かないもの
でした。(クランクやコンロッド、リンクの考え方が凄い!!)
でも設計さえ乗り越えれば工作、組み立て、メンテナンスなど
に利点がありさらに強制冷却装置も潤滑油関係のみで可と戦時中
には多くの利点がありました。
また、今やV型エンジンは高性能と思われるかもしれませんがこの
星型エンジンの270°分のピストンを取り払った考えでV型が生まれ
た(本当はそんな単純ではないが)のでして星型なくしてV型は
語れません。
この星型、飛行機の空力抵抗や船舶にのせるためにV型にしました。
そこで自己冷却が乏しいので強制冷却します。とのことです。
その考えが車にも転用できたわけで、そのころには工作機械の
精度云々は格段に良くなってきてもう星型無くていいよね の
時代に移り変わったのであります。
(しまった、誉エンジンの話するの忘れた)
以上、長々とすみませんでしたが車と飛行機はものすごく密接
に関係していたと伝えたかったわけです。
内容に不備ある場合はどうかご容赦の程お願い申し上げます。
投稿: ひこうき班長 | 2008年9月 5日 (金) 09時44分
うーむ、あらぬ方向に展開してるな〜。
しかしプラモネタも嫌いではないのでついていけるか。
因みに、ウチの親父は一式水艇だかに、載っておったそうな…(齢80半ばなんです)
三菱ネタ繋がり(笑)
だが、私自身はミリタリーものでも、タミ○の1/35スケール
ドイツ機甲師団ものにハマッテいて、ジオラマなんか造りまくりでした。
懐かしいですな。シュビームワーゲン、キューベルワーゲン。
やっぱり当時から変なのが好きで、エレファントタイガーとか。(知ってます?)
キングタイガーなんかあたりまえで、実戦には出ずじまいだった
ウルトラタイガーなんてのもあります。
特に凝ったのが、歩兵とか将校の人形ですな。
国防軍と親衛隊の襟章なんかの階級の違いは熟知しておりました。
ドイツ一辺倒だったのですが、今やドイツ車は好んでは乗りませんが(笑)
なんかイタリアの陸軍なんて、あんまりやる気のなさそうなデザインだったし…
当時は、タミ○の塗料では飽き足らず、イギリス(だったか?)のハンブロール社の
塗料をわざわざ池袋のパルコ(ポストホビー)に買いに行ったもんです。
ところでトキコってあのサスなんかのTOKICO??
昔サバンナRX-7(SA22C)にトキコプロドラGなんていう
とんでもねー硬いの着けて走り回ってた時代もありました。(恥)
本日、雑談づくし。
投稿: 松戸のS | 2008年9月 5日 (金) 10時24分
変態は変態を呼ぶ。
投稿: りゅたろう | 2008年9月 5日 (金) 12時09分