ガンディーニのクアトロポルテ(その30:エンジンの⑳)
本日二回目の投稿(あしたの分:笑)
このガンディーニクアトロポルテねたも、きょうで30回目。いやー、ここまで長かったですね。そのうち、20回もエンジンの基本的な説明と由来に費やしてしまいました。しかし、ビトルボマセラティのV型エンジンについて、マクロな視点から周辺をも眺め、重箱のスミをつつくミクロの視点まで、初めてマセラティを知るヒトにも興味をもって頂けますように、頑張って書いてまいりました。ここで一旦、おヒマな方は、このシリーズの始めから読み返して頂きますと、ガンディーニのクアトロポルテについての理解がより一層深まると思いますので、お試しくださいね。
さて、本日はエンジンスペックを基にした説明も大詰め、「インタークーラーツインターボ」、いってみましょう。
現在、俗に「ターボ」と呼ばれているものは、日本語でいうところの「過給機」の一種で、内燃機関(エンジンなど)がその着火爆発工程の次で必ず発する「排気」を再利用して、エンジンそれ自体の基本的構造にはそれほど大きく手を加えずに出力を増大させるメカです。
これは、基本原理自体はそうとう旧いものなのですが、自動車用というよりは、むしろ航空機用として、高高度上昇用の大馬力エンジンを手っ取り早く作るための方法論の一つとして、航空技術の世界では「排気タービン式過給機」と呼ばれ、早くから発展してまいりました。
ガンディーニのクアトロポルテはもちろん、ビトルボマセラティに代々採用されてきたタービンユニットは、石川島播磨重工業製、現在の株式会社IHIが供給しておりました。このIHIという会社、幕末以来の歴史(150年以上!)を誇る、まあ、とってもリッパな会社なんですが、その前身たる、東京石川島造船時代は、ちょうど第二次大戦中にあたり、国産初のジェットエンジンの製作(これは極めて高度なタービン製造技術を要する)を、当時の海軍航空技術廠(空技廠)の依頼に基づき成功させた実績があり、そのタービン製造と整備の技術は現在でも、ボーイングその他のジェット旅客機に搭載されている、エンジン重整備の委託事業などに引き継がれております。
その国産初のジェットエンジン誕生の経緯は、つとに有名ですが、ご存じない方のために、ここに簡単に御紹介いたしましょう。
第二次大戦も後半に差し掛かり、同盟国たるドイツ軍はヨーロッパ戦線のあちこちで連合国より補給路を絶たれ、最前線で物資が枯渇する事案が逼迫しておりました。一方、我が国の方も、度重なる南方戦線での敗退により、本土空襲も時間の問題となり、高高度を飛来する連合国軍の爆撃機に備え、高性能の迎撃機を早期に完成させる必要が生まれました。ここに日独双方の思惑は一致し、すでに制空権も制海権も奪われた状態の中、両軍の隠密潜水艦行動作戦により、日本からは、ドイツへの物資を運び、ドイツからは、現地日本人駐在員の撤収や新型高性能エンジンの技術資料などを受け取りに行きました。日本側の潜水艦による、この一連の作戦行動は、「遣独潜水艦作戦(けんどくせんすいかんさくせん)」と呼ばれ、全部で5回行なわれました。不幸なことにそのうち完全に成功したのは一回だけ。ここに取り上げるのはその成功した作戦ではなくて、ほとんど失敗だった「第四次遣独船(帝国海軍潜水艦イ−29号による)」のハナシです。この時期、すでにドイツには、世界初の実用ジェット戦闘機:メッサーシュミットMe262シュヴァルベ(つばめの意)が存在し、連合国軍の脅威になりかけておりましたので、何とか日本でもジェット戦闘機の国産化をと願い、この搭載エンジンたるユンカース社製Jumo004エンジンとともに、写真や図面その他の技術資料を取り寄せるために潜水艦を派遣しました。しかし、連合国軍に計画は粉砕され、水没飛散したものの中から、かろうじてかき集められた資料のみで、ジェットエンジンとジェット戦闘機を作るハメになりました。この時同時に日本海軍はジェットも通り越してロケット技術さえ試そうとしていましたので、やはりドイツでほぼ実用化されていたロケット機:メッサーシュミットMe163コメートの資料も搭載しておりましたが、こちらもほぼ散逸してしまったため、日本における開発は困難を極めました。
ジェットエンジンを積んだ方は「試製橘花(きっか)」、ロケットエンジンを積んだ方は「試製秋水(しゅうすい)」と呼ばれ、終戦ギリギリまで開発は続けられました。「皇国二号兵器」の別称も与えられたジェット機「橘花」は、その開発の最終局面では、本土を空襲しにくる連合国軍のB−29爆撃機に追いつき体当たり攻撃をしかける特別攻撃機の位置づけを与えられそうになっており、原型初飛行が1945年8月7日と終戦間際であったことが幸いして、悲しい歴史を背負わずにすみました。その「橘花」に積まれた国産初の実用ジェットエンジン「ネ20型」こそ、東京石川島造船、現在のIHIが開発製造したものです。
とにもかくにも、戦時中にジェット機、ロケット機を曲がりなりにも飛ばすことが出来た、当時のドイツと日本の航空技術はたいしたものではありませんか。
そんな歴史あるタービン製造技術が数十年のちに、旧同盟国の同志イタリア人の製造する世界初のツインターボ市販車に生かされていると思うと歴史の不思議さを感じずにはおれません。
来週はターボチャージャーの説明の続きからお届けいたします。お楽しみに。
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車が先か?ヒコーキが先か?
NAVIの連載みたくなってきました・・・
読み応えのあるブログです。
さあ来週も頑張りましょうね。
投稿: だんちょ | 2008年9月20日 (土) 23時50分
ドイツからの帰り、フィリピンあたりでアメリカ潜水艦の雷撃により撃沈されたんでしたっけ?
あのアメリカ重巡インディアナポリスを撃沈したイ58潜の橋本艦長の著書を読みましたが、当時の日本潜水艦隊の戦いは壮絶なものだったのですね。
電探などは卑怯者の使うもの、大和魂で戦え! などと平気でのたまうアホな軍幹部のもと、絶望的な戦いを続けていた日本軍。
わがスパイダーザガートのターボユニットにもそのような魂が脈々と受け継がれていると思うと、非常に感慨深いものがあります。
またいろいろ教えてください!
投稿: glyco | 2008年9月21日 (日) 02時10分
マセラティでターボユニットそのもののトラブルは
あまり聞きませんね〜。
まぁ知らないところであるのかもしれませんが、
私はほとんど聞いたことが無いです。
日本製だからでしょうか〜?
いよいよ、マセラティエンジンの核心部へ迫る次回以降に期待!
しかし、あのエンジンNAだったらどんな感じなんでしょう?
気になります。
投稿: 松戸のS | 2008年9月21日 (日) 17時16分
ターボって何となく非力なエンジンを無理矢理働かしているようなSなイメージがありましたが、マセラッティによってこれほど甘美なものだと思い知らされました。Sなツインターボに犯されたドMな僕ちゃん・・・ある意味理想な生活です。
投稿: りゅたろう | 2008年9月25日 (木) 02時26分