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2011年2月23日 (水)

幼児期のうらみは、百までも

 ワタシの実家(現在の弊社春日町作業場)の前に面する私道は、高校生になる頃まで未舗装なうえ、下水道は来てないわ(だから普通にドブがあった)、都市ガスも引いてないわでとても23区内とは思えぬ状態でした。ですから、学齢に達する前は、「キコキコ」と足で漕ぐ「四輪車」を上手に走らせることが出来ない、このガタガタの未舗装路がなんとも恨めしくてなりませんでした。もちろん、古式ゆかしい三輪車なんて1ミリも前に進んではくれません。せいぜい、ひっくり返して「焼きイモ屋さん(この遊びの由来を知ってるヒトいます?)」とか云いながら、なぜか前輪ホイール部分に砂利だの砂だのをじゃーじゃーと入れながら、クランクペダルをぐるぐると回すという遊びをするくらいでした。

 幼稚園の年長組(我が母校いや、母幼稚園である練馬幼稚園では、「まつ」組という。ちなみに年少組が「すぎ」年中組が「ひのき」)の頃に、姫路の親戚の家に行ったら、帰りのおみやげにと戴いて帰ってきたのが、「サンヨーカドニカレーサー」というシロモノ(のちにカドニカミニレーサーというのもあったみたいですが、それよりでかくて立派)。知ってます?同年代の方々。コレは画期的かつ1960年代の水準ではいかなる基準をもってしても「ゴージャス」な物品。なにしろ、アクセルペダルを踏むと電動で幼児を乗せて走るんですから(しかも、結構速い)。ホーンも鳴るし、ウインカーだか、ヘッドライトだかも点灯するし、カドニカというだけあって、シートをパカッとはずすと、そのしたには結構リッパなバッテリーがあり、これをはずして、100Vコンセントに差し込んでおいて充電するというものでした。ワタシはコレで屋外を気持ちよく疾走したかったのですが、未舗装路で試したところ、やはり車輪に砂利が引っ掛かり、すぐに走行不能に(泣)。親からはこっ酷く叱られるし、もう、ジャリ道のばかたれ!

 ちなみに、北名古屋市(旧愛知県師勝町)にある、歴史民俗資料館(昭和のB級文化博物館)に行ったら、コレの現物(しかもパッケージのダンボールまで付いてるデッドストック品)が所蔵、展示してあり、ひっくり返るほどビックリしました。前にも書いたような気がしますが、この博物館はホントいいわ。学芸員さんエライ。

 ともあれ、こんな幼児期の鬱屈した経験も、長じてからの「クルマやメカを変質的に愛でる(笑)」姿勢の源泉ではなかろうかと思ったりしているのです。

 初めて、このブログをお読みになり、マセラティ車とマセラティ専門店のマイクロ・デポにご興味を持ったあなたは、こちらから、本家ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」http://www.microdepot.co.jp/に行ってみてください。

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コメント

年代的には少しずれているはずですが、カドニカレーサー、何となく記憶に残っています。
我が家では足漕ぎですら四輪車は買ってもらえず羨ましがりながら三輪車で疾走していたのですが、「おみやげ」に電動とは羨ましい限りです。
ちなみに私の実家も行き止まりにありましたが丁度一周150m程度の周回路に面していたため、よくぐるぐると近所の子供達と競走しておりました。それが自動車競技への源泉であったかどうかは…、さてよくわかりませんが。

子供の頃から優柔不断で目的の為の努力を怠るのが常。お小遣いは直ぐに使っちゃう子供でした。一方、兄はお小遣いを貯めてリール付の釣竿やラジコンを買って遊び、弟の私には触らせてくれません。30代半ばでビトルボを手に入れたのはその反動でしょうか。

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