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2011年5月の28件の記事

2011年5月31日 (火)

懐かしのコマーシャル談義②+おまけ

 昨日のブログへのコメントに「りゅたろう」さんが寄せてくれましたように、ユーチューブのコメンテーターは異常。ホントにどういうソースから、情報を仕入れてくるんでしょうね。

 ともあれ、ああいったムカシの「ハーフの人」は、現代の目で見ると「ビミョー(笑)な感じ」ですね。「キャロラ○ン洋子http://www.youtube.com/watch?v=ITnTZNJUY5E」とか「高見エ○リーhttp://www.youtube.com/watch?v=IEKT7KMs13A」とか、ゴールデ○ハーフの「エ○ちゃんhttp://www.youtube.com/watch?v=vNNpIzqNTO0」とか、「秋川○サhttp://www.youtube.com/watch?v=MtT94PlzMRk」とか・・・。「小川○ーザhttp://www.youtube.com/watch?v=3Mnaoa7Mgew&feature=related」、「小山○ミhttp://www.youtube.com/watch?v=sXv5xa5jMiM」、「松尾ジーナhttp://www.youtube.com/watch?v=7O3i3WdgQjY&playnext=1&list=PL6E6D24840565D7FA」・・・色々思い浮かびますね。ああ、なんか今日は、クアトロポルテにダッシュボードを載せて、無数にあるハーネスのそれぞれをカプラーにより結合しているときに、カプラーは見た目「クリック感」があってキチンとハマっているフリをするも、裏を覗くとカプラー本体からギボシが出てきちゃって(よってこのままでは結合不良により、接触不良になる)るのを見ながら、そのギボシを後ろ側から、全数チェックしながらギボシを押しこみつつ、つついていたのですが、その時アタマの中で掛かっていた曲が山本リ○ダの「ううっわさをしんじちゃいけないよ・・・http://www.youtube.com/watch?v=xUkN-BuyPoo」という歌の替え歌で「イタ車を信じちゃイケナイヨ(笑)」というもので、これがエンドレスでぐるぐると回るので、半ばニヤニヤしながら真剣にヤッてました。ホントにマセラティさんったら。その「リ○ダさん」はハーフっぽいけど違うのかなあ。

 20代の頃、ベタですがこのヒトに入れ込んでましたhttp://www.youtube.com/watch?v=8wy-LI6heJg。・・・こんなに可愛らしい子供だったのに、今では・・・(以下自主規制:笑)。やっぱ、ふっくらしてる方が可愛いですよね。女性の方は無理なダイエットをしないように!おやすみなさーい!

 

2011年5月30日 (月)

懐かしのコマーシャル談義①

 今日の東京練馬は、「ツユで、台風で、ボーン!!(笑)」といった天気。それでも、11時くらいから雨がかろうじてあがったスキをみて、クアトロポルテのブロアー修理のためにダッシュボードを降ろし、引き続いてヒーターケースを降ろしたところで、またも「ポツポツ」と・・・。

 ・・・ああ、ツユになると本当に段取りが難しいですね。それでもなんとか「匍匐」でも作業は進めなきゃ。でも、風は余計だろ(泣)。なんか、コブシを挙げてファイティングポーズを取りながら、ズルズルとあとずさりさせられてるような感じがいたしますよ。

 そんな気分のときは、まっすぐに家に帰って、懐かしのCM映像でも見ながら和みましょう。で、今日はこんなの如何でしょうhttp://www.youtube.com/watch?v=9LyyPGgE5Gk。特に2本目がお薦め。Nコロ、2000GT、コスモ、フェアレディ、クラウンパトカーと旧いクルマ好きには堪えられないラインナップの走行シーンを見ることが出来ます。出演する2000GTとコスモスポーツが前期型であり、かつフェアレディZがニューカーくさいところから勘案すると、1969年か1970年製のCMであろうと思います。ホンワカとしたBGMもいい味出してます。オチも笑える。皆さんも癒されてくださいまし。今日はここまで、おやすみなさーい!

 

2011年5月28日 (土)

こうなったら、「ツユ」を楽しもう!

 関東地方は、昨日より恒例の「梅雨」に入ってしまったようです。なんか、スゴク早くないか?と思いますがどんなものでしょ。昨日、一緒に行動していた鈑金塗装業者のフロント氏と会話を交わしておりましたら、「でも、梅雨入りが早いっていうことは、明けるのも早いってことですよねえー、で明けたらいきなり暑くなる」と仰るのを聞いていて・・・「おお、そうだよ、ツユが明けると暑くなるんだった。スッカリ忘れてた!!」とアホなワタシ。思い出すのは(いや、思い出したくない:笑泣)昨年夏の「超猛暑」であります。アレは本当にキツかった。朝の5時から仕事を始め、8時半頃にはアセだくになり、10時半には、やけどするのでボディがサワれないくらいにアツくなり、その車内に寝っ転がって作業を続けるんですから、真昼を迎える頃にはグロッキー寸前で、最後は気力のみの勝負となります。

 そんな地獄の日々を思えば、「小ぬか雨」のそぼ降る今日などは、ウットーしい天気ではありますが、風情を感じる余裕がまだありますからマシ。こどもの頃は、長靴履いて、バシャバシャと歩くのも楽しみであったものですね。何時の頃からか、日本では(特に首都圏では)長靴を履いて行動するということがほとんどなくなり・・・まあ、お洒落じゃないというのがその理由なんでしょうが、とにかくゴム長を履いて学校に行こうものなら「カッチョ悪るー」とか云われてハヤしたてられたりしたものです。ワタシは中学、高校と雨の日はゴム長履いて通学していました。だって、無理にかっこつけてスニーカーなんか履いていっても、あっと云う間に靴下までビショ濡れでしょ。一日中鬱陶しい思いで学校にいなくちゃならないなんてイヤでしたから。

 「紫陽花にかたつむり」という光景も見ることが難しくなりました。なんか、わざわざでも見に行きたいような気がします。どこに行けば見られるんだろなー。明日あたり「絶好のかたつむり日和」だったりしたら、紫陽花求めて、ゴム長履いて出かけてみますか。でも・・・今日はとことん一週間の疲れが出てるなあ、節々がイタい。アパートのベランダにでも、カタツムリさん遊びに来てくれないかなあ。では、おやすみなさーい!

2011年5月27日 (金)

登米と石巻で石ノ森章太郎を堪能した夏(その5)

201105271

 石巻のマンガロードと呼ばれる旧い市街地を、JR石巻駅からスタンプラリーを楽しみつつ、まさにブラブラと歩いてまいりました。そうとう歩いたな(スタンプラリーと、全フィギィアとの記念撮影のため、街中をジグザグに歩くから一層ですね)。もう、目の前です。

201105272

 橋をわたると、石ノ森萬画館の忽然と聳える威容に出会いました。数隻のヨットなど、小型船舶も停泊地であるらしく、いつも萬画館の横にいます。

 初めて訪れた時には相当感動しました。写真ではわかりにくいですが、結構でかいです。

201105273

 水辺に降り立つ宇宙船のイメージなのでしょうか。とにかく、町のはずれとは云え、異彩を放っております。ところが残念なことに、津波による被害で現在はこうなっているらしいです。

公式サイトよりhttp://www.man-bow.com/manga/

・・・さらにパワーアップして復旧されるのを心待ちにしております。また、きっと訪れたいと思っておりますゆえ。

201105274 隣の芝生は中瀬公園といいます。海に近い川の河口にある、まさに中州状の土地に立っているのがわかります。御弁当持って散策がてらに入館するのも、楽しい休日の過ごし方になりうるので、石巻の方々がちょっぴり羨ましく思えたものです。

201105275

 石巻(だけ?:笑)を守る正義のご当地ヒーロー「シージェッター海斗」くんの立像です。アトラク用の着ぐるみはもっとメタリックな色目で、イナズマンとロボット刑事Kを混ぜたものにショッカーライダー(いわゆる、悪の仮面ライダー)のフレーバーを振りかけたようなヤツ(おなじみの分かりにくい説明:笑)ですが、かなり完成度が高く、カッチョいいです。なんか、こう、「スゴク石ノ森製な造形」のヒーローです。ある意味あたりまえだけど。

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 メイン玄関前で、看板とともに。来訪はこれで2度目ですから、ワタシも少々リラックスしています。

201105277

 いそいそとエントランスに入ります。この画像を拡大すると、カベに貼ってあるポスターはシージェッター海斗のアトラクションショーの告知であることがわかります。

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 ・・・と、外から侵入しようとしている人物発見!あきらかに、あやしいぞコイツ!

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 館内側に廻るとこの通り。カベ抜けをしかかってるのを表現しているわけですね。このヒトは、仮面ライダーの原典と云われている「スカルマン」さんです。

2011052710 このエントランスで愛嬌をふりまいていたロボコンも、大津波の直後の画像で首から上がどこかに行ってしまったようです。画像のある公式ブログへはこちらからどうぞ。http://mangakan.weblogs.jp/manga/2011/03/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95%E3%81%AF%E7%9A%86%E7%84%A1%E4%BA%8B%E3%81%A7%E3%81%99.html 館内はすべて撮影禁止なので、ここから先はぜひ復興のあかつきに訪ねてみてください。

2011052711 この石巻の穏やかな眺めが一日もはやく戻ってきますように・・・。このシリーズは今日で「完」です。有難うございました。       

2011年5月26日 (木)

登米と石巻で石ノ森章太郎を堪能した夏(その4)

201105261  愛嬌の溢れるロボコン(原作版)の後ろ姿。三等身の体躯が素敵です。実写版の着ぐるみはいささかスマートですね。しかしながら、当時は圧倒的にテレビの実写をご覧になっていた方が多いと思います。大変な人気シリーズでした。

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 ポスト(本物!)の上にもロボコンが。妙に造りこまれている感じがいたします。

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 で、その拡大写真。手にする手紙には「ロビンちゃん」とある。きっとラブレターを出そうとしているのでしょう。

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 ロボコンはベンチにもなってました。有名人気キャラは、マンガロードでの扱いもまた、別格なのでしょう。

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 そうかと思うと、星の子チョビンは「ママ上さま(劇中で彼は母親のことをそう呼ぶ:まあ、星の王子様という設定ですから、言葉遣いが丁寧なわけです)」とともに、ベンチの中にいたりします。それにしても、親子なのにどうしてここまで見た目が違うのでしょう(宇宙人だからしょうがないけど、カエルの変態みたいなモンか:笑)

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 その他の石ノ森キャラたちと云えば、この2人にも出会いました。「佐武と市」。ワタシが子供の頃、夜の10時とかにアニメ放映されていました。モノクロ作品で、これは「大人のもの」と理解していましたね。実写版もかなり後年になってつくられました。

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 他には当然、キカイダー(原作版)もいますし・・・、

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 さるとびエッちゃんもいます。となりの灰皿が超愛煙家のワタシには嬉しい装備です。エッちゃんが乗っかってるワン公は名前をど忘れして思い出せませんが、なんとも可愛らしいです。

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 1970年代風味の薬屋さん。この旧市街地の中心部に聳えています。大好きな建物です。

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 これまた1960年代テイストが薫りたつ、おもちゃと楽器のお店。前回来た時も写真を撮りまくりましたが・・・。ここも結構水害の影響を心配しておりました。

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 ちょっと路地に入ると、ムカシからの街並みがちょっと寂しい感じで散見されました。

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 もともと、「船具屋さん」だったものが、プラモ屋になっているところがスゴイ。漁業の町の面目というものです。Vベルトとプラホビー工作が並び称されているのは初めて見ました。

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 くすり屋の看板が、すでにV3!これも石巻マンガロードならでは。

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 瀬戸物屋さんであったと記憶しております。中瀬のごく近くですから、水は流れてきたと思いますが、ご無事であったのをお祈りいたしております。

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 今回の震災報道では、水害でも流されなかったという、この「ライダー像」がたびたび画面に映されておりました。「ライダーファイト!」の掛け声とともに怪人を前にした戦闘ポーズがキマっております。石巻復興のシンボルです。

2011052616 ヒーロー、仮面ライダー1号の見つめる先には、石巻を始めとする被災地すべてに明るい復興の道すじがあるということを信じましょう。 

 明日こそ、石ノ森萬画館に着きます(いやホント、駅から歩くと結構遠いのヨ:笑泣)。          

2011年5月25日 (水)

登米と石巻で石ノ森章太郎を堪能した夏(その3)

201105251  さあ、ようやく石巻に着きました。ここは、JR仙石線の石巻駅前です。一見なんてーこたあない地方都市の駅前ロータリーですが・・・。

201105252  いきなりバス乗り場の看板がコレ、このヒトは石巻限定ヒーロー「シージェッター海斗(かいと)」さんです。もちろん石森プロの作品です。

201105253 JR仙石線には、この石ノ森キャラで覆われたラッピング列車が走っております。原作版ロボコンがキャワいいですね。

 蚊取り線香みたいな頭部アンテナがおしゃれです。

201105254 駅前の商工会に行き、まずはお約束のスタンプラリー用ノートを購入します。この手の町おこしスポットには、必ずこのスタンプラリーがあります。ここの場合、すべてのスタンプ集めを達成すると、石ノ森キャラのキーホルダーが貰えるそうなので、張りきってイッてみようと思います。・・・けど、途方に暮れるくらいに数があるなあ。

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 一方、ワタシはスタンプ集めをヨメさんに任せ、駅から、石ノ森萬画館を目指す道すがらに立っているすべてのキャラクター立像との記念撮影に挑戦!まずは、ゼロゼロサイボーグの「紅一点」、003さんとともに。こういうのは、探しやすいんだけど・・・。

201105256 こういうところに居たり・・・(駅玄関の鴨居の上)。

201105257  駅の連絡橋を渡って反対側まで行ってみたけど、見つけられないヤツらがいます。この日はとてつもない猛暑日でクラクラしてきましたが、走り回って頑張りました。のっけから有名キャラクター3名が行方不明。

 

201105258  で、ようやくこんなところに居やがりました(笑)。なにも、駅構内にかくすこたあないのに。手前からライダー1号、007、003(なんでこのヒトはいっぱい居るのだろう?)。この旅ではクルマで行っていたので、ホームには降り立っていなかったので分かりませんでした。

201105259 実は、昨夏の石巻行は2度目でして、前に来た時には「ジャスコ」であったはずの建物が、まるごと「石巻市役所」に変身してました。ピンクの外装がなんかジャスコっぽいですよね。

 いやー、しかし全国ひろしと云っても、市役所前にV3(原作版)の立像が立ってるような町はここだけでしょうね。なんか、この顔見てると、カルビーV3スナックの袋を思い出すなあ・・・(カードだけ取って、中身を捨ててはイケませんヨ:笑)。

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 そのブイスリャー(笑)の哀愁漂う後ろ姿。震災による津波もおそらくこの駅前、市役所前までは来ていないと思いますが如何だったんでしょうか。無事であったことを祈ります。

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 で、町の中を歩きながら、次々とキャラクター記念撮影。ゼロゼロサイボーグの二人と。赤ちゃんの方は001だったよな、たしか、このジェロニモさんはゼロゼロナンバーいくつだったっけ?子供の頃、「サイボーグ009」はまったく見ていなかったもんで、すみません。

2011052512  で、ヨメさんは、とにかくスタンプを押す。

2011052513  でまた、ワタシは記念撮影に勤しむと。あかれんじゃー(原作版:ブッとい脚が懐かしい雰囲気ですね)!

2011052514  でまた、スタンプを押すと。この繰り返し。このスタンプ押しスポットが、わざとなのか、めちゃくちゃ分かりにくいところに置いてあったりします。

2011052515  下をみれば、マンホールもこんな具合でロボコン仕様。萬画館はまだまだ遠いです。というわけで、明日に続くのであった。

2011年5月24日 (火)

登米と石巻で石ノ森章太郎を堪能した夏(その2)

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 石ノ森章太郎先生の生まれたお家だそうです。震災で被害があった模様で、現在は公開をしていないようですが、ワタシたちが来訪した折は自由に観覧出来ました。

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 その「生家」のおとなりの電気屋さんは、おそらくご親戚の経営されているお店と思われますが、店頭には003フランソワーズちゃんが立っております。

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 「生家」の玄関からの眺め。古式ゆかしい御座敷といった感じです。

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 その2階は、それなりにアップトゥデートされておりましたが、この勉強机は石ノ森先生が使用されていたものだそうです。「ビミョー」なライダー人形はちょっと・・・。

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 お庭は美しく剪定されており、ムカシの学校や病院の中庭然としています。

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 かつては、小川が流れていたらしいです。庭から出てすぐに小川なんて、なんだか夢のよう。メルヘンの世界ですね。説明看板には、ロボコンが。

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 「生家」の玄関の展示物は、有志の方々からの寄贈品。中には「強レアのお宝」も散見されますが、ライダーたちも、ゴレンジャーたちも、キカイダー関係者たちも、魂の故郷に帰って生き生きとしているようです。

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 懐かしいソフビ人形たち。左からロボガリ(がんばれ!ロボコン)、1号ライダー、イビル(アクマイザー3)、ライダーV3(その後ろは見えにくいですが、アマゾンライダー)、スカイライダー(村上弘明)、2号ライダー(再改造時)の面々。

・・・って、こういうの書くから「深すぎてついていけない」とか「オタク」とか云われてしまうんですね(りゅたろう様、だんちょ様、お電話有難うございましたっ!)。

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 章太郎先生の生家には、「説明係」の上品な老齢のご婦人がいらっしゃいまして、おそらくは御近所にお住まいのボランティアの方だと思いますが、我がヨメさんには、なぜか、老齢の方々から男女を問わずにすぐに慕われてしまうという特技がありまして、このご婦人を独り占めで有意義な説明を多々受けたようです。「このあたりで、何かおいしいモノが食べられるところはありませんか」と尋ねたところ、「はっと、食べねば」と仰る。で、地元でもっとも有名で人気のあるお店を道案内して頂き、到着したのがこちらのお店。

2011052321 「はっと」とは、うどんのぶっといのをギタギタにちぎったような、ある種パスタみたいなモノ。向って左側は関西風うどんつゆ味、で、右側はぜんざいに餅や白玉の代わりに「はっと」が入っているという、今風に云えば「和風スイーツ(笑)」というヤツです。そういえば、テレビの震災被災地報道でも、避難所でこの「はっと」が振舞われているという映像がありました。粉モノ好きなわれらは、すっかり感動しながら食しました。「おばあちゃん有難う、おいしかった!」ハラも満腹。明日は石巻へ、いざ。

       

2011年5月23日 (月)

登米と石巻で石ノ森章太郎を堪能した夏(その1)

201105231_2 3月の大震災では、地震の被害が大きかったと報道されていた「登米」ですが、実はワタシ、昨年の夏休みに訪れておりまして、その時に撮影していた写真の中から、「石ノ森章太郎ふるさと記念館http://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/」に行った時のものを公開してみようと思います。震災直後は、やはりショックでちょっと往時の風景を写真で見るのがツラかったのですが、ようやく落ち着いて見られるようになってきました。

201105232 例によってナビを持たないワタシたちは、案内看板だけが頼りの綱。・・・いやー、極めてわかりやすいぞ!田んぼの中にいきなりのサイクロン号。

 ふむふむ、ここを左折っと。5キロないのね。期待に胸はふくらみます。「いけー!サイクロン、とおー!!」

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 その途中で発見した、ふっるーいガソリンスタンド跡。ミュージアムによく置いてある、昔の計量タンクが野ざらし状態でブン投げてある。今どきこういうのがフツーに街の中にあるから地方都市巡りはヤメられないのよねー。

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 これも、そのもう半分。昔の「シェル」ロゴマークがいい感じに色褪せて、えも云われぬ風情があります。時代の合わないクルマが気分をブチ壊してはいますが(笑)。

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 ようやく到着!東京からは、ずーっと「した道」で行きましたので、相当遠かったです。なんか、御団子屋さんみたい。和風なのね。

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 で、いきなりの記念撮影は島村ジョー(009)君と。

 近頃この手のミュージアムは、内部が写真撮影禁止になっているので、あとは「行ってみてね!」というしかないのが、ブログネタ的には困りますね。

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 たまたま、昨夏来訪時の特別企画展示は「ヒロイン展」でした。あこがれの「ミレーヌ・ホフマン」ちゃん(009-1)の等身大人形に逢えるかもと期待は高まりましたが・・・居なかった(笑)。でも、原画で逢うことが出来ました。もっとも、こっち(原画)の方が貴重に決まっていますが。モモレンジャー、フランソワーズ(003)、月ひかる先生、エッちゃん、ロビンちゃん&ロビーナちゃん・・・ヒロインだけでも御大の幅の広さを感じます。やっぱ、天才ってスゴいな。

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 中庭では偉大な「萬画家」がほほえみます。それを見つめるように立つ「ジュン」さんの像。

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 庭園も美しく整備されていました。弁当持って一日ぼーっとしに行きたいですね。このスポットが石神井公園あたりにでも有ってくれればいいのに。

201105239  記念館前の自治会のお知らせ板も「ライダー」だったりする。町全体が、瓦屋根ばかりのゆったりしたいいところでしたが、地震の被害でどこまで残っているのかなあと思うと、いささかの寂しさを禁じえません。なんとか、復旧・復興をと願います。この続き、明日もヤリます。      

2011年5月21日 (土)

土曜日の夜はやっぱりいいな、昔も今も。

 先ほど帰宅しまして、シャワーを浴びて、パジャマを着て・・・ホッとひと息です。今週は最終仕上げ中のクアトロポルテV8のオーディオ&ナビ配線作業と内装組み立て、カリフのヒーターケースリビルド、222SEの天井降ろしとウインドーレギュレータ脱着分解調整などなど、一日中お相撲でいう「ソンキョの姿勢」での作業が連日続き、もう体中「乳酸」が溜まってる感じ(泣笑)。毎日の朝起きると「運動会の次の日」みたいに全身のシビレと筋肉痛&神経痛。有機溶剤で手先はバサバサ。老眼も進んで近頃ホントに目も見えないし・・・今年48歳、頑張っております(笑)。

 土曜日の夜はイイですね、やっぱり。ヨメさんが貰ってきた、「グラン・パ・クラシックス」とかいう高尚で軽やかなバレエ曲を聴きながら今コレを書いていますが、「ああ、明日はヤスめるんだ」と思うと、気持ちも晴れやかになるというモノです。

 小学校四年生の頃(昭和48年)、土曜日の午後には「ピアノ教室」に通うというミッションがありまして、せっかく、大キライな学校は「半ドン」なのに、なんでまた、よりによって土曜の午後にまで、こんなのに通わなきゃいけないのよと、あの時「ピアノやりたい」なんて云うんじゃなかった(顛末http://microdepot.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-cb04.htmlは今週月曜日の当ブログ参照)と悔いるばかり。

 その「ケロヨンパブリカ」の居たアットホームなピアノ教室は一年程で引っ越してしまい、仕方が無いので幼稚園のクラスメートである「優美子ちゃん」が通う、大手楽器メーカー系の教室を紹介してもらい、ソチラにすでに鞍替えしてしまっていたのですが、なんか、血が通ってない感じで、つまんないお稽古になってしまっていました。

 なんといっても、ご無体なのは、ムカシの歯医者さんみたいに「時間予約制ではない」というところが大いなる欠点。PM12:30から、「来た者順」にレッスンを受けるシステム。「掃除当番」なんかその週に入ってたら、もう最悪のシナリオ。家に帰って、「ケンちゃんシリーズ」の再放送(ヤマサ味噌提供:6チャン)を横目で見ながら、「明星ちびろく」を「ちびさん」分掻き込んで、必死に自転車漕いで、はあはあ到着すると、すでに「11人待ち(大泣)」とかになってるもんで、土曜の午後は台無しとなるわけです。夕方の4時半くらいになると、バットとグローブを持った悪友どもが、「おかもとーお、まあーだあー?」とか階下で叫んでいたりして、もうレッスンどころではありませんね。

 今思うと、周りがオンナの子ばかりであったのも(今だったら嬉しいケド:笑)、ハナシが合わなくて待ち時間の退屈さに拍車をかけてました。・・・でもなんだか、今日はその頃の土曜日の事が妙に懐かしく感じられます。退屈な教室から解放され家に帰ると、「奥さまは魔女」の再放送(昭和物産提供:6チャン)を見ながら、「今日の全員集合はどんなかな」とか思いつつ、明日は学校に行かなくていいし、ホンワカしあわせな気持ちになったものでした(反面、日曜夜のサ○エさんのエンディングは観るだけで具合が悪くなったりして:笑)。

2011年5月20日 (金)

マセラティの若い職人はしょうがない(笑)

 今日は午後から、松戸在住の「Sさま(常連コメンテーター松戸のSさんとは別人ですヨ、念のため)」にお越しいただき、納車を御待ち頂いている222SEの「天井アルカンタラ張替のための内装全降ろし作業」を実況で行わせて頂きました。あまりの分解され具合に当の御本人様は、いささかヒイちゃってたのではないかと恐縮しております(ホイホイとドアガラスをハズしたり、ウインドーレギュレーターをはずしてみせたりもしたもんで)。

 作業の中途の段階で、後席がはずれて、左右のクォーター部内張りが降ろされたところで、御本人様より質問が・・・「あのー、左側のボディの裏側に張ってある紙みたいなヤツ(ボディ共振を止めるためのタールシート状インシュレーターのコト)、右側には無いんですケド」「あー、それねー、メーカーで作った時に、現場の職人が張るの失敗して、そのまんまトボけてるんだと思いますよ。ホレここに・・・」とワタシの指さす先には、くしゃくしゃになったインシュレーターがトロけておっこってる(笑)。きっと、「失敗したからもう一枚くれ」って云えないんでしょうね、職長さんに怒られるから。逆に、意味も無く、ワッシャーが3枚重ねになってたりするコトもあります。その持ち場の工程で、どこかのネジに入れ忘れて余ってたもんをまとめて処理(笑)しているのでしょう。この場合は、持ち場あたりの部品員数が決まっているので、へんに余らせると、「どこかのネジにワッシャーかまし忘れてるだな?」とこれもまた怒られるので、悪事が露見しないうちに使っちゃうんでしょうね。まあ、イタリアの若いモンのやることですから大目に見てやってください(って、大目に見れないよなあ、一応マセラティだし:笑)。

 イタ車を豪快にバラしていくと「見なければ良かった(でも、見といて良かった:どっちなんだ:笑)」という光景が色々とあります。人間的で温かみがあるとも云え、ヌケているとも云え・・・。まあ、こういった造り方って、非常に零細企業っぽいところで、金物製造業に携わったことの無い方には信じられないかもしれませんが、日本でも、極少量生産の小さなメーカーは多かれ少なかれこのようなものですよ。でも、大きく違うのは、日本では、こういった造り方をしたものは、全品最終検査やる。(おそらく)イタ人はやってない(か、やったフリだけする)。ここが、大きな違いと云えましょうね。で、20年前にイタリアでこしらえたものを、なぜか練馬の零細企業の工場で、部品要素段階までバラバラに分解の上、全品最終検査調整して出荷とあい成るわけです。・・・なんだかなあ(笑)。

2011年5月19日 (木)

幻の特撮映像を発見!

 あー、今日こそは、「本筋(笑)ネタ」を久しぶりにやろうと思っていたのですが、帰宅して昨日のコメント欄を拝見しますと、意外な盛り上がりが。そこで、気をよくしたワタシは、つい昨日の夜に発見した「ユーチューブ」のとあるサイトをご紹介しようと思い立ちました。

 あっ、ここはマセラティでイッてみよう!ですからね(と、久しぶりに云ってみる)。

 いやー、昨晩のブログを書き終えたあと、突然「サンダーマスクの動画、どっかに落ちてねーかなあー」と思い立ち、検索をしますと、ああ、ありました、幻の映像が。スゴイなユーチューブ!と気をよくして頑張ってみました。ツラかった(笑泣)、ある意味「クレクレタコラ」よりも。

 で、気を取り直してサイドメニュー欄をみますと、「??」?。・・・「遊星より愛をこめて」とある。これはもしかして、かのウル○ラセブン、マボロシ(モロボシではなく:わかりますね?:笑)の第12話のことではないかと思い、「いや、まさか、そんなのあるわけ無いよな」と観てみますと、驚いたことにまさにソレ。いやー、ホントにすごいな、ユーチューブ!

 また、ワタシだけが興奮しているようですが、この「幻の第12話」は、そのスジのマニア(どんなスジやねん)の間ではダビングにダビングを重ねて劣化しまくったVHSビデオテープでも一時期は高値で取り引きされていたものらしいです。1970年代に起こった「ある事件(詳しい内容はここでは書きませんが、おヒマとご興味のある方は「セブン 12話」と検索するだけで、山のように情報が取れることでしょう)」のために、制作プロダクション自らの手で、完全に封印されており、ビデオやレーザーディスク、DVDとあらゆる媒体で商品化されてきた作品であるにも関わらず、この12話という話数だけは、「欠番」とだけ表示され、題名も、内容も封印されてきております。

 この封印問題は結構有名なので、ワタシもかなり前から「これってどういうコトなんだろうか」と思い、色々な書籍をあたったことがありますが、ついによくわからずじまいだったので、昨日の夜はなにかいきなり長い間探していた「紛失物」がヒョコッと出てきたような感じでした。ハナシの内容自体は極めて地味な小品といった感じで、上品な仕上がり具合です。肝心のヒーロー戦闘シーンは、拍子抜けするほどテキトーなのがまた、大人になってから観るとしみじみと味わい深い(こどもにゃダメだよ、こんなんじゃ:笑)。普通にCSなんかで放送できる日はきっと来ないのだろうな・・・。

 監督は名匠、故実相寺昭雄元東京芸術大学教授。かつてTBSの局ディレクターであった彼は、昭和の大歌手のリサイタル「美空○ばりショー」で、御嬢の鼻の穴のアップを全国放送してしまった咎により、あっけなく「流罪(笑)」となり、えんたにプロに出向して、特撮作品群の監督をやってた頃の一本です。なにしろ、「アップ、ナイトシーン、超逆光のハイキー、手前に花瓶などの物品をナメつつその後方に人物を配置、やたらとストップモーションをかます」などの映像表現には特徴があり、のちの「シルバー仮面」などは、第一話の冒頭からいきなり真っ暗闇のなかで燃え盛る家といったもので、子どもは泣きましたよ、ほんと。ああ、メトロン星人と、ダン(主人公:知ってますよね?)が四畳半アパートの畳の上であぐらをかきつつ「御話合い」をするハナシもこのヒトが撮りました。この「幻の12話」では、「実相寺ワールド」」が全開です。おやすみ前に、どうぞご覧ください。どうも海外で作られた映像らしく、冒頭の30秒くらいは出来の悪いノンオリジナルのタイトルが続きますので、少しだけガマンしてください。

 ご丁寧にも「CM」までが入りますが、これがまた「いったいどこから・・・」といったレアレアヴィンテージ物。本放送当時の雰囲気が強引に出ていますが、CMと、主題歌タイトル部分の映像は極めて劣化しておりますので、つなぎ合わせたものであると思います。本編は結構キレイに観ることが出来ますヨ。ご興味のある向きは探してみては如何?では、おやすみなさーい。

2011年5月18日 (水)

カッチョいいマシン!

201105181  あー、またまたワタシの個人的な趣味の話で申し訳ありませんね。前に特撮ネタシリーズで取り上げた「キカイダーさん」の乗機、「サイドマシン」なんですが、どうにもやっぱり気になるもんで、ネットでポチポチと検索してたら、やっぱりアツく語っているサイトが数々ありまして、それらを辿ったところ、この撮影に使われたマシンそのものがなんと現存しており、埼玉県は秩父在住の好事家さんのもとで、レストア作業をしているということを発見いたしました。そもそもコノ方、サイドマシンのレプリカを自ら製作し、おまけにキカイダーの着ぐるみまで自製して、かつては「特撮イベントの花」になっておられたようなのですが、ついに本物の入手にまで至ったとのこと、ここまでくると「病膏肓に入る」も極致と云えましょう。すごいなあ、ホント尊敬いたします。まあ、ワタシは趣味が高じてシゴト(マセラティ屋)になってしまった口なので、世間から見りゃ同じようなモンに見えるかもしれません(笑)が、純粋に趣味でここまで出来れば、男子の本懐も達成のように思います。フロントホイールのエアインテーク付きアルフィンドラムブレーキの直径のデカイこと!造りこまれたサスペンションといい、1960年代レーシングマシンの足回りそのものです。エンジンは2サイクル3気筒、3連キャブレター、キカイダーの劇中でも、いい音させて白煙をまき散らしながら走るんですよー、ああ、カッチョいい(って、興奮してるのはオレだけ?)!

201105182  とある雑誌からの転載画像と思われますが、ネットで拾った写真です。「カワサキ500SSマッハⅢスペシャルサイドカー」という名前のマシンです。この分野は「ニーラー(ひざ[英語でknee:ニー]をステップに乗せて乗車するのでそう呼ばれています)」と申しまして、特にヨーロッパで根強いマニアがいらっしゃいます。時々、クルマのオークション会場にも出品されているのを見かけますが、このカワサキは、ちょっと群を抜いて素晴らしいデザインです。当時のモーターショーに出品された時は、白一色の塗装だったと記憶しておりますが、東映に行ったら、この有名な塗色になりました。

こちらが、そのレストア記のサイトです。機会があったら、ぜひ訪ねてみたいものです。勝手にリンク付けちゃってすみませんhttp://blogs.yahoo.co.jp/jirou500gt。それにしても、羨ましいなあ。ひざで乗る感覚を一度は味わってみたいものです。

2011年5月17日 (火)

大震災から2か月経ち

 3月11日の大震災発生から二カ月と少しが経ちました。被災地の方々は、まだまだ何かとご不便なことと存じ上げます。きっとお疲れもたまっていることでしょう。

 3月12日の「大地震の翌日。皆さん、大丈夫ですか。」と題する当ブログ記事に、岩手在住の同業者「nob」さんより、震災発生より丁度満二カ月にあたる5月11日付けでコメントを戴きました。東北地方のビトルボ乗りの皆さんがご無事であると伺い、ようやくホッとしております。http://microdepot.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-3145.html#comments皆さんそれぞれに、震災発生当初は(いや、ひょっとすると現在でも)生活の中でたいへんな目に逢われたことと思いますが、力強く立ち上がられている様子を窺い知ることができたのは望外の喜びです。

 地震や津波のみならず、原発問題も抱え、東北・関東ともに、いまだ疲弊している感じです。都内でも、相変わらず交通量は少ないですし、一見平穏を取り戻しているようにも見えますが、生活の隅々まで(そして精神的にも)震災のツメあとが残っているような気がいたします。とにかく、盛り上がってない(泣)。

 そのような中で、毎日のようにお問い合わせやご来店、またご相談を頂戴し、縁あって他ならぬ当店をお選び頂き、ご成約を賜っておりますこと、本当に感謝いたしております。

 「不要不急品」と、いささか自嘲気味な二カ月ではありましたが、このような時代だからこそ、本当に欲しいものであれば、その欲求を満たしつつ、自らのモチベーションアップや、生活の癒しに繋げて頂くのも、これからしばらくの間は重要なことではないかと思います。

 ワタシたちも、日々当店を支持してくださるお客さんおひとりおひとりの御顔を思い浮かべつつ、その御顔が笑顔になり、喜んで頂けますようにと願いつつ、淡々と作業に邁進しております。

 5月も中旬に入り、しばらく気温が上昇してまいりました。顧客の皆さんにおかれましても、決して無理をすることなくご自愛くださいませ。気持ちの方は拳を上げてファイト!でまいりましょう。

2011年5月16日 (月)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その6)

201105161 じみーなクルマです。何でしょう?

201105162 後ろからみると、60年代のイタ車(アウトビアンキあたり)との近似性を感じます。

201105163小粋な2ドアセダンですね。

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エンジンは最初トヨタスポーツ800譲りの空冷エンジンでした。このモデルはその後の水冷モデルです。

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正解は、トヨタパブリカ(2代目)。誰ですか?ダイハツコンソルテとか云ってるのは。それもほぼ正解ですけど。

201105166ダイハツコンソルテの方はこのパブリカと兄弟車。コンソルテクーペの方は初代スターレット(パブリカスターレットと云った)と兄弟でした。エンジンがトヨタ製かダイハツ製かの違いで択べたのです。エンジンの製造メーカーが違うなんて、なんとまあ、贅沢な選択肢でしょう、1000cc前後のセグメントで。初代スターレット族はジウジアーロの息がかかったデザインであると云われていましたが、こちらの2ドアセダン族のほうはどうだったんでしょうか。パブリカと云えば、初代モデルの後期フェイスは、子供の頃、実家の近くでピアノ教室を営む家にいつも置いてあり、「ケロちゃん」みたいで可愛いなと思っていたものです。それに逢いたいがために、幼稚園の頃よりそのピアノ教室に通わせてもらい、バイエルくらいは弾けるようになりました。練習は大キライだったけどな(笑)。   

2011年5月14日 (土)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その5)

201105141 トヨペットコロナ1600Sハードトップ です。極めて初期のダイヤペットの一台です。この時代は材質がダイキャストではなく、アンチモニーという金属で作られています。非常に繊細なモールドが出来る半面、かなり柔らかい脆弱な素材であり、子どものおもちゃとしては、適当では無かった(落とせば簡単に歪む)と思われます。塗装前に、ボディ表面は全面一旦メッキ処理をされ、バンパー、グリル、モール、エンブレム等をわざわざマスキングして、塗装をするという、気の遠くなる面倒な工程を得て製造されていました。これは、このシリーズ「君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界」の第一回目におハナシした、「ミクロペットチェリカフェニックスシリーズ」のパテント工法をそのまま踏襲したものであり、おそらくはこのコロナもミクロペット時代に原型がすでに出来上がっていたのではないかと思われます。

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201105146 ほんわかした、温もりあるモデルです。  エンブレムやグリルなどのモールドを変更して、トヨタ1600GT(こんなクルマ知ってますか?)も作ってくれていればよかったのですが、それは叶いませんでした。

2011年5月13日 (金)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その4)

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 日産セドリック2ドアハードトップ。おそらく2600GXだかだと思いますが、この辺ヨワいもんでお許しを(泣)。

 それから、「わー、ごめんなさい!」昨日のkkmustangさんのコメント通り、ムスタングマッハ1の71年型くらいのヤツは、ハッチぢゃなかった!乗ったコトあるのに勘違いしてました。70年代後半デビューの小さくなった3代目はハッチでした。

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特に思い入れのないクルマですが、色がおいしそうなので、乗せてみました。昨今では、コレの実車に出会うコトはものすごく至難のように思います。若いころ、こういう類のクルマは見るのもイヤだったのですが、時間の経過と、自らの加齢によるストライクゾーンの広がりにより、今や結構良く見えてくるから不思議。なんだか、女性の趣味と似てたりして(笑)。 本日は時間切れにつき、あっさりと。明日も早いので、おやすみなさーい!

2011年5月12日 (木)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その3)

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 さらに懲りずに(笑)、本日も続くふるーいミニチュアカーのネタ。ニッサンフェアレディZ432をご紹介いたします。

 これも、昨日までの「ダイヤペット」シリーズのひと品。1/40亜鉛ダイキャスト製のモデルです。純白のボディが柔らかな美しさを引き立てております。この時期(1970年代初頭)のダイヤペットは塗装品質が悪く、昨日の117クーペもそうですが、ダイキャストの下地処理(脱脂や埃の除去、洗浄・乾燥などの工程)に丁寧さを欠いており、エッジ部分にうまく色が乗ってない上、ちょっとした衝撃ですぐに剥げるので、その完璧な保存はなかなか難しいものです(写真でも、向かって左側のライト周りが剥げているのが分かります)。

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 俯瞰撮影すると、あんまり全体的なアラが目立ちませんが、特にこのクルマのような「下地隠蔽力」が弱い塗色では、下吹きのサフェーサーが無くては発色・喰いつきともに良い仕上がりは望めませんね。まあ、子供のおもちゃに目くじらたててもしょうがありませんケド。でも、コレ当時のワタシの感覚からすると「破天荒に高価」な玩具でしたので、もうちょっと気を使って造ってくれたらなあ、と思うわけです。

 このフェアレディZの場合、ボンネット、ドア、リアフードなど各部に開閉ギミックがあるにも関わらず、各部のチリは意外にもまあまあしっかりしています。

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 その各部開閉ギミックはご覧のよう。ほそーいドアピラーもきちんと再現しているのは、見事なコダワリです。往々にして、ミニチュアカーでこの手のギミックを持たせる場合、ピラーレスハードトップにされてしまう場合が多いんです。

 ところでZ432は、1/1実車の方では、「天文学的価格」に高騰してしまっています。個人的にはムカシから(意外に思われるかもしれませんが)この初期型フェアレディZには惹かれるものを感じていまして、プレーンでスポーツカーをまさに絵に描いたようなフォルムは大変好感の持てるものです。

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 スカイライン2000GT-R用をそのまま換装した、Z432のS20型エンジン。三連の三国ソレックスもキチンとモールドされています。そう云えば、連休中に東名高速の菊川ICから上り本線に入り、すぐに出てくる「200キロポスト」あたりに、この「ミクニ」の工場がありました。ああ、ここが工場なのねと思わず思った次第。上り方向だと左側、下り方向だと右側に見えます(大きな青い看板にロゴが入っています:東京まで何キロとか、大阪まで何キロとかも書いてあったように思う)ので、そのあたりを走った時にはご覧になってみてください。・・・って云うホドのこともないか(笑)。

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 裏側の銘板。初期型フェアレディZの場合、S20エンジン搭載の432のみが、デュアルエキゾーストエンドを持っています。特徴的なのは、その2本のエンドがバーチカル配置であること。これは大きな個性でありましたが、ノーマル状態を維持している実車はなかなか無い様です。あと、これは極めて地味なネタですが、純正ノーマルの「ど鉄ホイール(キャップも無し)」も残存数が極めて少ないらしいです。純血フルオリジナル志向のマニアの方は大いに欲しがるところでしょうが、このあたりになると「病膏肓に入る」というヤツです(しかも重篤:笑)。

Photo_6 最後に後方からのワンカットを。この角度からこうして見ると、なんか「マセラティカムシン」みたいです(笑)。バックパネル部を黒色樹脂なんかにしちゃうのでこんなコトになります。昨日の117クーペ同様に、赤いマジックで描いたような、テールランプも御愛嬌です。しかしながら、このテールゲートハッチバックを持った本格的2ドアスポーツカーの嚆矢は、一昨日のトヨタ2000GTでありましょう(小さいのではホンダS600クーペが、また、ジャガーEタイプクーペがありました:ただしコレは横ヒンジ型)が、広く巷に出回ったのは、やはりこの初期型Zとマスタング(ムスタング)マッハ1あたりなんでしょうね。思えばこのレイアウトがはやり始めた頃に生をうけた、マセラティフロントエンジンGTシリーズのカムシンやらインディ(コレに至っては、実車どうしも初期型Zとリアビューだけウリ二つ:笑)やらも、このデザイントレンドに乗ったものでしょうね。最近は後席を欲しがるヒトが増えてしまったのか、このレイアウトのクルマがすっかり少なくなりました。ああ、御本家、日産フェアレディZは現行でも、ハッチバックですよね、確か。ハッチバックはZのアイデンティティなのかも知れません。ハッチバックの2シーターGTカーか・・・いいなあ。カムシン以来、そう云えばこの車型レイアウトのクルマに乗ってないわ。    

2011年5月11日 (水)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その2)

Photo  昨日に続いて、ダイヤペットのふるーいミニチュアカーのハナシ(昨日分のコメント欄を拝見しますと、このネタの「ヒキの弱さ」を感じてはいますが・・・)。今日は「1960年代イタリアンデザイン国産車」の代表取締役(笑)、いすゞ117クーペでイッてみましょう。

 昨日のトヨタ2000GTとともに、手作り少量生産で鳴らした初期型の117クーペ。カロッツェリア・ギア在籍時代のジウジアーロデザインというのも有名です。このダイヤペットモデルも、実車の117クーペが長きに亘って製造されたせいもあり、実車のマイナーチェンジを一々踏襲しながら生きながらえていたのですが、本日ここに御紹介するのは、まだハンドメイド時代の初期型を再現した初版モデルです。フロントグリルの顔立ちがとてもノーブルです。

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 リアの造形も、センターガーニッシュがついていないシンプルな初期型のもの。子供の頃にも、「ものスゴい造形」だなあと思っておりました(けど、カッチョいいとは思ってなかった:笑)が、現在の目で見ますといよいよその感を強くいたします。ある部分では、本家イタリアンスーパーカーをも超え、もはや、和のテイストすら感じられます。

 外装のデザインは、まったく1960年代のイタリアそのものといった感じですね。いやむしろ、ほぼ同系統のデザインモチーフから生まれたと思われる「フィアットディーノ」よりも、繊細なタッチで造られているように思います。当時のいすゞとその関連会社技術陣の意気込みが伝わってまいります。

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 モデルも、この繊細なタッチをなかなか良く再現していると思います。サイドラインが微妙にヨレヨレしているのも、このクルマの一大特徴ですね。フェンダーの奥に引っ込んだホイールとタイヤ、フロントドアの三角窓、クロームメッキのかかった全金属製のバンパー、1960年代にはあたりまえであったものが、今の時代ではすべて失われました。かつてのオーナーには「クルマを磨いて手入れする悦び」もあったんでしょうけども・・・。しかしカッチョいいなあ。なんだか、実車が欲しくなってきた(実は、若いころに買いかけたことがあった[理由:フィアットディーノに似てるから&特に後席内装の感じがランボルギーニエスパーダに似てるから:笑]んですけどね)なあ。

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 名車いすゞベレットGTRにも積まれたいすゞ車初のDOHCエンジン。「ツインカム」の響きにまだ輝きのあった頃。

 ・・・今乗ると、きっとなんでもなく「遅い」んだろうけど。

でもいいの!カッチョよければ。ねっ!

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 裏側の銘板。ああ、ちゃんとリアの足回りはリーフスプリングを模したモールドになってるぢゃん。

 昨日の2000GTのカシメ式と違って、ボディ上部との結合方法がネジ止めになってますね。おそらくは、バンパー部分が樹脂化されているので、プレス機でカシメるとクラックが入ることを懸念してのものでしょう。まだ、東京近郊に「内職」という言葉が残っていた時期ならではのものです。これこそ、まさにハンドメイド(笑)そのものと云えましょう。

Photo_6 まあ、気持はわからんでもないが、なにもステアリングをメッキせんでも(泣笑)。

 ともあれ、流麗なフォルムは見飽きるコトがありません。時間は静かに流れていきます。

 ・・・皆さん、実車にしかご興味ないのかしら、チト寂し。   

2011年5月10日 (火)

君よ知るや、ヴィンテージミニチュアカーの世界(その1)

Photo  むかーし、むかしのミニチュアカーのおハナシをいたしましょう。このクルマは、トヨタ2000GT(当然、知ってますよね:笑)なんですが、このミニチュアカーも当時モノで、かれこれ40年以上も前に製造されたものです。

 米沢玩具(現セガトイズ)製、「ダイヤペット」シリーズの中の一車です。人気の車種だったためか、同シリーズ内で品番変更をしながら、かなり長期に亘って製造されましたが、この写真のものは、貴重な「初版」といわれるモノです。

Photo_2  「ダイヤペット」シリーズは、昭和30年代中期に存在した、大盛屋(たいせいや)という玩具メーカーが製造していた「ミクロペット チェリカフェニックス」シリーズの金型(未発売のモデル用も含めて)を全型引き継いで昭和40年頃から売り出された歴史の長いシリーズです。オリジンの「ミクロペット チェリカフェニックス」シリーズが1/40という独特の縮尺を採用していたために、その後のモデルも基本的に1/40を踏襲してしまっています。ミニチュアカーの国際的標準規格は1/43スケール。ドイツのメルクリン社製の鉄道模型のストラクチャー(情景用模型:いわば脇役)などに端を発するもので、この縮尺1/43は現在販売されている、「ミニチャンプス」などのメーカーでも採用しているものです。

Photo_3 1/40という、標準スケールより一回り大きな縮尺のため、各部の開閉ギミックなどは、アレコレと早い時期から付いていました。一方フォルムの再現度やディテールに関しては、例えば、現在比較的簡単に入手できる、「京商」製1/43などと比べられてしまいますと、「おハナシにならない(笑)」レベルと云えましょう。しかしながら、ソコこそが味。地金の肌の荒れや、各部に残るヤスリ跡など、東京下町の町工場の匂いや、夕餉の時間に漂うタマネギを炒める香ばしい香りを髣髴とさせる温か味は、今眺めているとほんわかした気持ちにさせてくれます。

Photo_4 ヤマハ製と云われるDOHCエンジンヘッドも見事に鋳こまれています。実車には存在しない赤い内装は御愛嬌。各開閉部のチリが微塵も合っていないのは、マセラティ製の1/1車(笑)といっしょ。いぶし銀のようなボディ色は重厚な感じで、この仕様で実車があれば、イタリアンなムードも醸し出されて素敵なものだと思いますが。流体力学の観点から備えられたのでしょう、ルーフの凹み、こういったところのコダワリがこのクルマに魅了される人々を、きっと呼んだのですね。

Photo_5 裏側の銘板です。一応、ソレらしくエキゾーストのとり回しや足回りなども鋳こまれています。ひたすら無骨な金属(亜鉛ダイキャスト)製なところも、今となっては懐かしい作りですね。現代のミニチュアカーはこういったところがすべてプラスチック製になっちゃっていますのが、クルマを手のひらに載せた時の感動を薄めてしまっているように思います。最近では、めっきり見なくなった「MADE IN JAPAN」の文字が懐かしくもあり、輝かしくもあり、ですね。

Photo_6実はワタシ、こういう出来の悪さを昔は許せなかったのです。

今回の連休で千葉の家に帰った折、3月の大地震時にメタメタになってたコレクションケースの中から発掘して、ちり紙でナデナデと表面の埃をとっていたら、なんか、こういった旧いミニチュアカーから「良い気」が出ているように感じられてきたので、初めてご紹介してみようと 思い立ちました。このシリーズ、明日も続きます。

2011年5月 9日 (月)

本日から、通常モードでーす!

 いやいやいや、スッカリ連休を頂戴して、気合い充実しております。連休中は携帯電話のiモードで、ポチポチと書いておったのですが、終わった今だから云うけど、ホント大変だったんですから(あの程度の分量でも、だいたい二時間かかる:泣)。改行や段落など、ハチャメチャだったかもしれません(ましてや充分な推敲など出来るわけもなく)が、そういったわけなのでご容赦ください。連休中も連日お忙しい中で積極的にコメントを賜り、「いつもこうして、顧客の皆さんと繋がっているんだなあ」とあらためて感謝の気持ちで一杯になったものでした。

 連休中には、福島原発関連は地味な報道になっていたようで、「焼き肉屋の生肉はヤバイ」というハナシと、「浜岡原発を停めろと総理が要請」したというハナシで持ちきりだったようですね。ワタシ、1日(日)には、店舗近くに借りていた仮住まいの引っ越し中に昼飯として、土支田交差点にある「安○亭」に行っちゃったし、7日(土)の昼飯においても、東金(とうがね:千葉の地名)にある同店に行きました。さすがに、毎日のトップニュースで洗脳された国民全部が「焼き肉店」という響きにビビったらしく、土曜日の時は、ほとんど「貸切状態」でさわやかなランチとなりました。こちらのチェーンでは、生肉でもきっちり細菌検査しているので安心なんだけど、現今の消費者心理(心配)に考慮して、その販売提供を見合わせてるとの由が入り口に張り紙してありました。原発問題にも生肉問題にも共通しているのは、「知らぬが仏」という側面と、「コストの過度な追求により、命がおざなりにされている」というところですね。モノ造りやサービスをある一定線以上のレベルで達成させるということは、それだけでも「至難」であるにもかかわらず、そこに常軌を逸した「コスト追求」が加わり、こういった問題がここ数年本当に多くなっているように思います。キチンとした従業員教育には、お金と時間が掛かりますが、それを多くの企業が放棄しだしたのは、ここ20年の間。中でもここ10年間は顕著で、なんでも派遣従業員とパート&アルバイトで乗り切ろうとする傾向には、正社員の雇用難問題も含めて憂慮すべきものを感じます。

 一方で、うちのヨメが長いこと使用していた携帯電話の機種が「あまりに旧すぎるので、サービスそのものが終了しますよ」と通知がきたというので、やはり東金に最近ようやく出来た「ヤ○ダ電機」に行き、携帯電話コーナーを仕切る20代前半と思しきお若い従業員の方に説明を受けましたが、その商品とサービスの知識とアドバイスの的確さには感銘を受けました。で、とある機種にメデタク変更してもらえましたが、充電器¥900を(しかも、同チェーン店のポイントで)購入しただけで、本体の料金はとらないんですよ。まあ、ワタシたちの見えないところで、電話の製造メーカーや売ってる(というか、クレる:笑)お店が利益をあげられる構造は確立されているのでしょうが、こういった「商習慣」を造り上げてしまったところも「IT関係者」独特の感性が働いているように思えてなりません。

 で、この間も、アパートを新しく契約するにあたり、はじめから物件に連れて行ってくれていた、賃貸契約の説明をしているおねえさん(おそらく宅建の資格所有者)は中座し、替わりに来た「保険の説明をする係(おそらくコチラは保険代理店資格者:ワタシたちが持ってるものと同様のもの)」と称する若い男性社員にチェンジ。付保すべき「火災保険」についてご説明をいたしますのでコチラへどうぞ、というのでソチラへ行きましたら、パソコンのモニターが。で、それを見ながら、契約まで「歩を進めよ」という。で、そのお兄さんもすぐさま中座。で、ワタシたちの見つめるモニターのすぐ後ろで、支店長以下店員(さきほど中座していった二人も席についている)たちが、朝の「キビしーい会議」をまるだし状態で挙行している。支店長が兵隊さんたちに檄を飛ばしているのが実況で観られるんです(笑)。ワタシはもう、そちらの方が断然面白いので、気が散っちゃって、モニターに目を落とすも、気もそぞろ。ちなみに、ココ、テレビでもしょっちゅうコマーシャルしている大きな不動産会社なんですが、コレくらいに「時間と手間」をケズらないと、「コストカット」は出来ないのだなあとあらためて認識したモンです。しかしながら、ずーっとホカされて、パソコンのモニターとにらめっこのコチラは、一応血の通った人間ですから、なんだか釈然としないものを感じました。これは、「合理化」とは云わない、「手抜き」に他ならない、と。また、ワタシのような貧乏人に対する扱い(まあ、確かに物件の賃貸料も仲介料も安いんで:泣)はこんなモンで良し。とハッキリ云われたようで、ソコはむしろサバサバした気持にもなりましたけどね。

 そういったわけで、またまた思うのでありました。「こんな日本に誰がした」と。とにかく殺伐とした世の中になってしまいました。このイヤな感じ、なんとかならないものかなあ。皆さんはどう思われますか?

2011年5月 7日 (土)

無事に千葉へ帰還しました!

昼過ぎに、千葉の我が家に帰って参りました。丸々1日半で、全行程1150キロの旅となりました。今日はあいにくの雨となりましたが、途中、渋滞にハマることもなく、我がリーザスパイダーは、快調につとめあげてくれました。

伊勢神宮周辺は、前に行った時には、すくいようもなく混みあっておりましたので、相当な覚悟を決めていったのですが、呆気ないほどに空いておりました。

昨日のコメント欄でのご指摘通りに、てこね寿司や伊勢うどんにも触手は動いたのですが(いやもう、その他にも旨そうなモノ目白押し)、初志貫徹して、またもや「豚捨(店名の由来は前にも書きましたが、牛が旨すぎて、ブタの方は捨ててしまうという、スゴいモノ)」の松坂牛の牛丼(1000円)を食べてきました。実は、今回の旅の目的が(えー、たったソレだけのために伊勢に行ったの?!)この牛丼に再びあいまみえるコトにあったもので。

伊勢うどんは、毎回悩むのですが、いまだに食したコトがありません。いつの日か挑戦しますね。

初日の夜は、たまたま停泊したのが浜名湖だったのですが、次の朝にはいささかの寝不足気味もあり、もう「浜名湖周遊の旅」にいっそ変更しようかと日和りかけたのですが、なんかあんまり面白い感じじゃなかったので、思い切って伊勢までも、行ってしまいました(思ってたより、遠かった!)。

それでも「三ケ日IC」の300メートル手前で一旦停止、プラモデルでお馴染み「タミヤ歴史館(プラモミュージアム)」に行きてー、と云っては、問い合わせの電話・・・うーん、出ないなあ。前もって、ネットで前日までに予約が必要とのこと。あちゃー。「スズキ湖西工場の看板」を見つけては、工場見学できねーかな。とか、なんとか静岡市近辺でケリつけられないかなあ、と色々画策しました。磐田のヤマハはどうか、バンダイホビーセンター(ガンプラ総本山)、資生堂ミュージアムってのもあるけど・・・。みんなきっちりと段取りしないと、全部は見きれないですね。これは、今後のお楽しみにしておきましょう。
昨日の菊川は、ホントに一面のお茶畑でとても美しい風景でした。目に優しい緑はイイですね!
ETC1000円セールもこの連休で終わっちゃうみたいです。次回はまた、青春18キップの旅に戻らなきゃ。

ちょっとゴロゴロしよ。

2011年5月 6日 (金)

お伊勢詣りをしてきました。

このご時世、斯くなる上は神頼み。今日は、伊勢神宮まで行ってきました。皆さんの安寧を祈りつつ、平穏な国土を取り戻せるようにとお願い申し上げました。
静岡県内の菊川という所まで帰ってきました。ホントは今日中に千葉まで帰ろうと思っていたのですが、撃沈(笑)してしまいました。おやすみなさい。

はるばる来たよ、浜名湖に

なーんか、千葉の家でいつになく、ぼーっとするばかりで、なんも生産的活動もしていないように思えてきたので、一念発起、昨日の夜7時に思いつき、8時に出動、只今は何故か浜名湖畔に。

気合いを入れれば、何でも出来るモノだなあ・・・って、これでイイのか?

2011年5月 5日 (木)

こどもの日に想う

童心に還るとは、よく使われる慣用句です。ここのところ、ワタシもすっかり童心モード。「大きなお友達」を相手に懐かしの特撮ネタなど繰り広げておりますが、これくらいしか、我々世代の共通言語が存在していないように思います。それでも、子どもの頃が必ずしも全面的にシアワセであったとまでは言えないまでも、その時代を想い、憩えば、適温の温泉にでも入っているかの如くに、緩やかにココロが解されていくのを感じます。我々世代が、旧いクルマに感じる癒し効果も、おそらくはこういったものなのでしょう。心理学的に洞察すると、この辺どうなのでしょうか。

昨今の子ども達、そういった意味では還るべき過去が、将来においてきちんと用意されるのかなあ。

今現在が満たされていないからこそ、将来に希望をもって頑張っていけるモノですが、生まれつきそこそこ充足している状態から、どんどん劣化していく社会の有り様を見ながら生きるのでは、あんまりな気がします。

せめて彼らの中から、将来「大きなお友達」になって、クダラナイクルマへの興味をもってくれる人々が、ごくごく少数でも現れてくれることを願ってやみません。腕はサビつかないように研いておきますので。

それにしても、この国を動かす身勝手な老人達は、ホントに次世代人のことを何も考えずに、なにもかものマイナス要因を押し付けて消え失せるつもりらしい。我々世代がいまさら悔いても仕方ないけど、いかにもひどいハナシだ。オレは、ぜってーに負けないからな(いつになく、硬質なネタでスミマセン)!

2011年5月 4日 (水)

あー、わかった、わかった!アルファ4C

アルファ4C、何故か皆さんのココロをわしづかみにしている模様。ぶっちゃけワタシは思う、5年経ったらようやく旬だと。

新車だと、おそらくオプション諸経費込み650万円也くらいにはなるよなあー。
よって、348tsのバリバリもん買う、たこちゃん的には。・・・あるいは、あこがれのロータスヨーロッパ。

・・・現実的には、リーザスパイダーの幌を修理しなきゃ!(もう、ボロボロ)何でもいいから、スポーツカーが欲しいわ!

オペルのロータス(笑)、結構アナだと思いました。ルノースポールスピダーもいいなあ。

マセラティでイッてみよう!的にはスパイダーザガートもよろしくね!・・・なんですけど。

ああ、一松さん、レオってやたらと修行するヤツでしたね。そのためか、着ぐるみ着てのバク宙などアクションのスゴさで魅せてくれました。

・・・えっ?牛若小太郎?カッチョ悪い!以上(笑)!!

2011年5月 3日 (火)

いや、だから光線ワザってお金がかかるのよ

もー、ホントに皆さんのお心遣いには感謝感激です。
ホントは、簡単にリンク先にとべるように配慮したいのですが、何せ連休中は、このブログ携帯電話からiモードで書いてるモンで、変換ミスも多く、読みにくいと思います。

・・・女子高生ってヒマだな。肩凝らないのかねー。とにかく早く打つのは、アラフィフにはキツイわ。

ところで、特撮モノにおける光線ワザは、昭和の時代には非常にゴージャスなものであったというハナシ。
円谷プロの創始者、円谷英二監督と云えば、特撮監督として世界的な存在であり、スピルバーグもルーカスも、大リスペクトする偉大な人物です。例によって日本では、一般的にはソコまでの大人物とは思われていないようですが。

昭和の30年代後半まで、フィルムのひとコマ、ひとコマに少しずつアニメの要領で絵を描くように変化を付け加えていきながら、光線ワザっぽいモノを映像表現していました。

そのような時代に米国で、オプチカルプリンターと呼ばれる、光学合成機が開発されました。この噂を聞きつけた英二監督、当時まだ世界に二台しか無かったと云われるこの最新最高の機器を「ミズてん」で発注したそうで、機械はすでに船積みされてるわ、アメリカから送られてきた請求書は「とんでも8桁万円也」だわで、どうしよう・・・。
英二監督には、当時TBSの制作部に勤めるご長男がおり、この円谷一監督の尽力により代金は東京放送が支払うというコトになったそうです。

かくして、この莫大な投資の有効活用の帰結が今に続くウルトラシリーズとなったわけです。スペシウム光線の照射シーンは、この装置を使って制作された映像なんですね。

光線ワザを使わないヒーローは、オプチカルプリンターが使えなかったヒーローだというコトがわかります。
なるほど、昨日のレッドマンは、円谷プロの制作ですが、放送は日本テレビ系、コレでは機械が使えませんね。・・・で、ザクザクと(笑泣)。

ゴッドマンもグリーンマンも、なぜか「重火器系必殺技」を使って敵を倒します。両方とも、円谷特撮とはゆかりの東宝系の制作ですが、やはり光学合成は使えなかったのでしょう(グリーンマンなんか、模造紙突きやぶって登場してきます。・・・見たいでしょ、さあ皆さん、さっそく検索、検索(笑))。
デジタル技術の無かった時代、創意工夫で特撮映像に挑んでいた先人たち。ワタシの云う「クダラねー」は、いつも褒め言葉。クルマもそうですよね。クダラナいモノって、癒しになるなあー。

2011年5月 2日 (月)

超絶、マイナー特撮!

さしもの、名物コメンテーター様方も、怪獣おじさんはご存知ない様で、ハシゴをハズされた気持ち(笑泣)。

・・・だけどメゲズにレッツゴー!

昨日のネタの続き、まずはレッドマンから。何をかくそう、こいつは名門円谷プロという出自。にもかかわらずコレだもんなあ。

ウルトラマンにイヤーマフ(真冬に着用する耳あて)状のアンテナをかぶせた上、ベレー帽を目深にかぶってるといった出で立ち。カラダの方は、ヨダレかけ状の鎧部分を着け忘れたウルトラセブン・・・うーん、みごとにカッチョ悪いぞ。
さっそく出ました造成地。怪獣が、なんかブラブラ歩いております。コレといって悪いコトしてない様子ですが・・・。おっとレッドマン、すたすたと歩いて呑気に登場しました。と、やおら後方より、無邪気に造成地を散策しているダケの怪獣に挑みかかり(卑怯!)、手にしたサーベル状の武器でメッタ刺しの凶器攻撃(タイガージェットシンですら、サーベルのつかの方攻撃してたのに・・・)、当然一方的にヤラれる怪獣。血も出ないし、派手に爆発もしない。怪獣の絶命を確かめるかのように、踏んづけるレッドマン、まさに鬼畜。ヒーローの風上にも風下にもオケない野郎です。「あかいー、あかいー、あかいー、アイツー、レッドマわン。もえるー、もえるー、もえるー、アイツー、レッドマわン(主題歌ダケは、格調高く子門真人が歌唱)」。ちなみに、このレッドマン、設定身長42メートルだそうです。子供の目で、どう贔屓目にみても175センチメートルにしか見えんのに(大人になるまで等身大ヒーローだとばかり思ってた)。「松戸のS」さんが云う、「低予算特撮にはなぜか光線ワザがない」の理由は、また明日のネタにしよ。

2011年5月 1日 (日)

君は怪獣おじさんを知っているか?

昨日の夜は、就寝前にキネシオテープというものを、腕といい、背中といい、思うさまに貼りまくって4時間ほど経ったら、あんなに痛くて動かすのに苦労していたのがウソのように軽快し、今日は朝から、店舗近くに借りていた旭町での仮住まい用アパートの老朽化が気になるので、笹目通りの向こう側にある、土支田という町への引っ越しを敢行いたしました。

そもそも天気予報はよくないものでしたが、強風は吹き荒れていたものの、雨に降られるコトもなく、なんとかやりました。リーザスパイダーで、都合9往復。ワタシの引っ越し、いつもオープンカー。かなりの容積のモノも不思議なくらいに積み込めるモンです。

遅い昼飯を摂り、夕方に千葉県山武郡の我が家に戻りました。あー、ホントに久しぶりの我が家、正月ぶりです。部屋の中で大の字に寝られるコトのシアワセを満喫しております。感謝、感謝!

さて、云うまでもなくこのブログはくだらないクルマのハナシを繰り広げる場所のハズなんですが、いつの間にやら、くだらないアニメや特撮モノの発表の場と化しております。まっ、いいか。お付き合いくださるお客さんの居るかぎり(いなくなりそ:笑)。

連休中の一発目、昨日の予告通りに、懐かしのテレビ番組、おはよう!コドモショー番組内番組、怪獣おじさんのコーナーについてアツく(いや、暑くか?)語って行きたいと思います。レッドマン
行け!ゴッドマン
行け!グリーンマン
行け!牛若小太郎
・・・うー、このチープなラインナップ。書き連ねているだけでも、クダラナサが思い出されてまいります。

怪獣おじさんを覚えていらっしゃるでしょうか。ちょうど日曜洋画劇場における淀川長治先生(さいなら、さいなら、さいなら)の役回り。たった5分のコーナーのために、わざわざ見所解説を1分も費やしてしまうムダ。このあたりに昭和のサービス精神を感じさせられます。しかも、このおやじがまた、むさ苦しい風体であるコト著しい。ハレンチ○園のヒゲゴジラ先生風の顔に、ゲバゲバ九十分における、アッと驚くタメゴロー風のヒッピー系ファッションがくっついてる。なんか、当時のコドモに受けそうなネタを無理矢理合体させたようなキャラクター造形です。
この先の本編が思いやられますが、この続きは、アシタのココロダアッ!(ちゃんちゃん!)

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