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2011年11月の26件の記事

2011年11月30日 (水)

ブラック&ホワイト

 まあ、ホントはイタ車屋のブログなんですから、「ネロ&ビアンコ」とすべきなのかもしれませんが、今日は、納車準備作業中の2台を御紹介いたしましょう(BGMはポールマッカートニーとスティービーワンダーさんのデュオ曲「エボニー&アイボリー」では如何でしょうか:笑)。まっ、とにかく「黒:222SE(Sさま号)と白:クアトロポルテ(Aさま号)」。

20111130012011113002 ノンメタのソリッド色の中では、一見シンプルな感じのするこの2つの外装色、実は「超絶のオーラ」を醸し出すのが最も難しい色目です。他方、「パッと見、キレイ」には見せ易い色でもあります。そこから、一段と美しく「極上感」を出して見せるのが大変なんですよね。 

 日もトップリと暮れて、デポ場内の灯りが最終仕上げ中の2台を照らします。

20111130032011113004

 「黒」はピアノのように磨き上げ・・・、

 「白」は青磁の珠の如くに仕上げます。

 ・・・外装も、そして内装も。

 心待ちにしていらっしゃるオーナー様方に喜んで頂けます様に、との願いを込めて。

20111130052011113006 しかしながら、最終仕上げとは云いつつも、白い方は結局「想定外」のシリンダーヘッド降ろしが確定(泣)し、只今鋭意作業中。エキマニのスタッドボルトが折れていて、若干の排気漏れがあるのを発見したための処置です。「見てくれ」ダケを見れば、今日にも納車できるレベルなんだけどなー(トホホのホ:笑泣)。

 一方、季節外れの温暖な気候にも助けられ、本日サクサクと「第一次ボディ磨き」を終えた222SEは、明日すべてのウインドーシールドガラスを磨き倒される予定(急に寒くならなければいいけどなあ)。明後日はルーフに残る微小な凹み2箇所のデント作業。そして、内装を組み立て、予備検査に臨みます。「白」がリフトから降り次第、エンジン回りの「本バラシ」に入ります。

 もう一台の納車直前車、「スパイダーザガート(Sさま)」は進捗93%といった按配。現在御持ちのドナー車からドアミラーなどを移植し、ドア内張りなど各部艤装を装着で、完成の運びです。今週中にドナー車のお引き揚げ段取りを御打ち合わせいたしましょう。たいへん長らくお待たせいたしました。

・・・11月も今日まで。今月もブログ、なんとか書ききりました(笑泣)。皆様の応援だけが頼りです。来月も年末で何かとお忙しいコトとは存じあげますが、活発にコメントを(シャイな方は、一行でもいいんですよ。嬉しいものです:笑)お寄せくださいね。それでは、また明日!  

 

2011年11月29日 (火)

続:円熟をきわめると・・・ 

 ホントはこのお題、昨晩のとセットで構想して書き始めたネタなのですが、雪村いづみさんのネタだけで力が尽きた(笑泣)ため、今日まで持ち越しです。あっ、このブログはマセラティ専門店、マイクロ・デポの「マセラティでイッてみよう!:2」ですからね、っと、久しぶりに書いておこう(笑)。今日のはいよいよ「異次元空間ブログ」だよなー。

 ワタシは地上波のテレビを(いや最近ではCSすらも・・・)ほとんど視聴しておりませんので、特にシゴトが忙しい時には、ともすれば浮き世離れがハゲしくなってる場合があります。でも、大筋においては生活上ちっともコマってません。大体、新聞も独身一人暮らしの頃は「大人の嗜み」として購読しておりましたが、定期購読をしなくなってから20と数年が経過いたしますも、やはりちっともコマっておりません。「為にする」誘導的マスコミ報道に一日中浴していますと、「そっちのほうに」連れてイカれてしまうモノですよね。それをキラって、近年のワタシはネット漁りで情報の裏表を斟酌しつつ、情報の精度をいちいち判断しながら自らの納得の上でソレらを取り込んでいくようにしています。

 でも、そのやり方だけでは、どうしても「自分の興味の対象分野」だけを追いかけてしまう傾向があり、ソコから漏れると、時々「あー、コレ知らなかったー」というコトにあとからなってしまう場合が出てきます。テレビやラジオのながら視聴にもいくばくかの効用はあるようです。

 皆さん、近年では「童謡歌手」として活躍されていた由紀さおりサンが只今全米チャートを賑わしているというハナシを御存じでしょうか。ワタシは先週の半ば頃に昼間のワイドショー番組を見ていたヨメからそのハナシを聞き、「ホントかー?」と、早速ネット検索してみますと、ビルボードのジャズチャートでアルバム(各曲のサワリだけ視聴できます)部門1位になってるとのこと。ホントだったからビックリした。こりゃ、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」やピンクレディー「KISS IN THE DARK」以来の快挙でありますよ。

 まずは由紀さおりサンと云えば、「お約束」なのが「夜明けのスキャット(音が出ます、ご注意を)」ですね。コレは当ブログでも前に取り上げました。この曲でメジャーデビューを飾る以前より、子供の頃から、本名の安田章子名義で「童謡歌手」として活躍。デビュー直前には、桜井順先生やいずみたく先生のもと、数々のCMソング(桜井先生作の一例としてコレ)や番組テーマ曲を歌い、この夜明けのスキャット(いずみ先生作)も本来そういった出自の楽曲です。その後もバラエティ(8時ダヨ全員集合での「ウフーン、長さんのバカ」という、いかりや挑発ネタも懐かしい)番組で主にコメディエンヌとして活躍する一方で、「手紙」など数々の歌謡曲ヒットも飛ばしていきましたが、80年代に入ってからは、実姉の安田祥子サンと組んでの原点還り「童謡コンサート」に取り組み、童謡で紅白歌合戦に出場するという離れワザも披露しました。それから20年。やはり、本物は最後には世界に通用するのですね。

 いずみたく先生の秘蔵っ子と云えば、もう一人想い出されるのが佐良直美サンです。この方も実力タップリであるにも関わらず、長い間引退状態だったのですが、ごく最近、なんと27年ぶりに新曲「いのちの木陰(ページの真ん中あたりに視聴あり、イントロ含めてたったの45秒だけど:笑)」を発表。まったく衰えていないどころか、むしろ円熟したまろやかさを醸し出しております。布施明さんとともに、また紅白に戻ってきてほしい歌手のお一人です。

 ここで、レア映像を一つ「明治製菓CMコレクション(音出ます、ご注意を)」です。5分17秒からの「明治アルファチョコレート」は映像に出てくる若き日の石坂浩二さんと小川知子さんに目を奪われますが、注意深く聞くと、男性コーラスの歌うBGMは「世界は二人のために」であることがわかります。サビの部分はスキャットになっていて、いまだ歌詞がありません。いずみ先生はこのCMで、この楽曲のメロディーに対する世間の反応を見た上で、歌手佐良直美に歌わせたというわけです。結果は御存じのように「大ヒット!」。一時期の結婚式では、チェリッシュの歌う「てんとう虫のサンバ」出現までの間、大いに歌われたものでした。続いて、6分46秒あたりからの「明治シャトーチョコレート」では、直美さん御本人が御出演&歌唱。モノクロ映像が懐かしい逸品です。

2011年11月28日 (月)

円熟をきわめると・・・

 はい、こんばんは!今日の「デポ内ミーティング(といっても、岡本三兄弟の雑談ですが・・・)」に於けるネタ(って、オレたち何をハナしてるんだか・・・:笑)。一昨日の土曜日に放送されていたという、「美空ひばりメモリアルコンサート(いきなりAKB48ちゃん達がしゃべりやがりますので気を付けて)」をウチの三男が途中から視聴したそうなのですが、基本的には現役の演歌歌手のヒトビトがひばりさんの持ち歌を歌うといった構成だった模様の中、「どうも、たぶん演歌畑のヒトぢゃないんだけど、で、ものすごいバー○んなんだけど、めちゃくちゃ歌上手くて感動したのは、アレは誰だったのかなあ、名前が出てこない」。で、「ものすごい○ーさん(笑)の歌手」を検索キーワードにして、ワタシの頭の中をフル回転。島倉千代子(東京だよおっかさん・人生いろいろ)か?とか二葉百合子(岸壁の母)か?、菅原都々子(すがわらつづこ:月がとっても青いから)か?・・・全部演歌のヒトぢゃん(泣)。ことごとく粉砕され、すかさず「本物の」ネット検索(するなっちゅーの!)。・・・出演者の欄見て「雪村いづみ!」とワタシ、「あー、そうそう」と三男。答えが判明したあとに、「あー、ワタシの脳内検索機能もまだまだ稚拙だー」と悔しいやら、自省するやら。「ひばりさんとチエミ(江利チエミ)さんといづみさん」で大ムカシ「三人娘(じゃんけん娘)」だったんですよねー。この三人でこの世にいるのはいづみさんだけだと想いがいたれば、正答はすぐに出たハズ。くー、くやしー!ちなみに、その後「スパーク三人娘(中尾ミエ・園まり・伊東ゆかり:ナベプロ全盛時代)」「花の中三トリオ(昌子・百恵・淳子:スタ誕)」と三人セットで売り出す作戦は続くのですが、その嚆矢がじゃんけん娘だったのですね。昭和30年くらいのハナシ。

 雪村いづみさんには、ワタシ、二つの思い出があります。

 一つは、まだワタシがハタチくらいだった頃、今は亡き母と一緒にテレビを見ておりますと、このいづみさんが御出演中。いきなり母が、「そういやービンボーダナオは今頃どーしてるんだろーねー」とか云い初めまして、いづみさんの最初に結婚したお相手が「ビンボーダナオ」という外国のヒトであったというハナシをコンコンと聞かされました。何がスゴイって、この「ビンボーダナオ」という人名のヒビキがまず笑える。で九州出身の母が発するイントネーションの妙(なんつーか、こう、平板に発音する:笑)もあり、何回聞き直しても、コレが人名だとは合点がイカず、「そんな名前のヤツ、ぜってー(絶対)いないよー」と笑っていなしていたのですが、それからしばらくして、ほとんど外国の美女のお顔をされた「朝比奈マリア」嬢がブレークし、それが雪村いづみさんのムスメさんであることが分かり、テレビなどでもその足跡が紹介されるに及び、あー、やっぱ、ビンボーダナオで合ってるんだ。と思った次第。なんか、このハナシは前にも書いたような気がしてきた(それくらい印象に残ってるということでお許しを:笑)。

 (22:31追加・訂正&お詫び(泣))上記のビンボーダナオさんは、「淡路恵子さん(萬屋錦之助さんの元の奥さん)」の元の旦那さん(あー、ややこし)であることが先ほど判明(笑)。ウチの母の思い違いか、ワタシの記憶違いか、はたまた、ダブル思い違い(笑)か。失礼いたしました。ホント、ヒトの記憶ってテキトーですね。ワタシもヤキが回ったようで・・・。いづみさんのホントのほうはこちらで

 もう一つは、小学校の時のクラスメートに「Sくん」という子がいたのですが、当時、このSくん家に遊びに行った時に「只今、Sくんの中でのベストヒット3曲」をレコードとプレーヤーを用意されてまでムリヤリ聞かされ(笑)ました。「太陽にほえろ!のテーマ」「Gメン75のエンディングテーマ(面影:唄しまざき由理)」そして、雪村いづみさんが歌う「買い物ブギ(オリジナル歌手は笠木シズ子:東京ブギウギでカネヨンCMのヒト:コレ知ってるヒト、はちゃめちゃトシあるね:笑)」のカバーバージョンという、「太陽・・・」以外の二曲は小学生が愛聴するには相当シブいセレクトだったので、40年近く経とうと云うのにこの日のコトが脳裏に焼き付いております。で、その聞き方のみならず、アーチストにまで言及し「しまざき由理さんって歌上手いよねー」とか「井上尭之バンド、カッコいいよねー」といった感じで同意を求めてまいります。ワタシは心の中で、「いや、やっぱGメンはA面のインストの方ダロ」と呟いておりましたが、そんな気持ちを察するコトもなく、続いてSくんは雪村いづみをアツく語ります。で、この「買い物ブギカバーバージョン」を30回くらいリピートして聞かされました。今思うとライブ音源だったように思います(たぶん、コレ→バックバンドがキャラメルママ・・・って、のちのティンパン・アレイ?YMO細野さんやら、カーグラTVまつとーやさんの居た伝説のバンド:Sくん、お目が高すぎ)。ものすごい「巻き」が入っているのか、スーパースピードで歌いあげていくのですが、とにかく圧倒的に勢いがあり、あの細い体のどこに空気が入ってるんダロと思わずにはおれない「声量」というか「声圧」は忘れられません。後に、この楽曲が笠木シズ子さんの持ち歌で、戦後暫くの時期に流行したモノであると知りましたが、オリジナルは非常にゆったりとしたペースで、ある種の冗漫ささえ感じられてしまい、いづみさん最高速バージョンの方が「次から次へと買い物をしまくるというシチュエーションの歌詞」にはピッタリときています。だって、「わて、ホンマにヨー云わんわー」がオチとなる「早口言葉遊び」がベースになっていますからね。

 ともあれ、いまだに現役で、失礼ながら結構なお歳にもかかわらず、ズラリ揃った他の現役有名演歌歌手たちを圧倒する歌唱力であったと三男は申しておりましたので、「あー、見ておけばよかったー」と嘆くコトしきりではあります。「ところで、その番組ではいづみさんナニ歌ったの?」「・・・うー、わからん」だって(笑)。聞くんぢゃなかった、オマエさんには。

 些か、パーソナルなネタで本日は失礼!で明日もこの「線」で続く(笑)のであった。

2011年11月26日 (土)

このカーペット、どーしてくれようか・・・

 昨日の、「りゅたろう」先生のコメントで「嘆きのボイン(笑)」されていた、「ビトルボ系マセラティにおける助手席側カーペットのフィニッシュがなんとなくキマリ悪い問題(長っ!)」について、早速本日は考察をしてみたいと思います。

2011112601_102011112602_4    

 まずは、左側の写真。ガンディーニ期クアトロポルテ後期型の助手席足元の画像をご覧になってください。マセラティ社からのこの問題に関する最終回答は、ご覧のように樹脂のガーニッシュでガッチリ覆い隠してしまうというもの。エボもコレ。カーペットに裏打ちされているシートの材質も、しっかりキメたい部分は固く、なんとなくゴマかしたい部分は柔らかく出来ていて、心ニクイばかり。一方、右の写真はスパイダーザガートの同じ部分。スピーカーの下になってる部分は平面裁断の布地で裏地も無し。で、スピーカーをどうにかタッピングビスを用いて締めこみながらなんとなく位置決めせよという御無体極まるモノ。で、スピーカーの奥にはヘンなしわが発生するわけですが、平面のものを三次元形状の部材に沿わせようというのですから、こりゃ無理です。ちなみに、このカーペットの素材はまったく伸び縮みしないものでありますことを申し添えておきましょう。

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 続いては、ガンディーニ期クアトロポルテ前期型の同じ場所。後期型以降のガーニッシュ付を先に見ちゃうと、なんか付け忘れたような佇まい。右の写真はグローブボックスの右脇あたりを拡大したものですが、下方から覗きこむとご覧のようにカーペットの奥端は「ギジギジ」に切りっぱなしになっている上、すべての構造部材を隠せない長さであることがわかります。コレじゃ、引っ張ってどうしろとか、何かで固定すればどうにかなるといったシロモノではありませんよね。というわけで、無理に覗きこまないでね(笑)!

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 さて、問題のシャマルです。この写真ではグローブボックスをはずしてあります。左側の写真はカーペットの奥端を手前にめくった状態です。奥のボディバルクヘッド部にはメインヒューズボックス(当社オリジナルの根源対策品)ボードが見えております。右にちらっと写っている「弁当箱」はコンピュータユニットなんですが、この写真では固定を解いてフリーにしてある状態です。通常は写真の位置からそのまま少し持ち上げてグローブボックスの右側支持ステーと、右フェンダーのインナーパネル鉄板の間に極めて窮屈そうに吊られています。その時、コンピューターの筺体ケースとグローブボックス右側ステーのクリアランスは、既にほぼゼロに等しいものです。最終的には、前述したスパイダーザガート同様のカーペット部材(とは云ってもシャマルのものは、ビニール状の皮膜で裏打ちが施してあり、そのくせミョーにコシが無くクニャクニャしている。厚くてコシが無いからホント始末にコマる:笑泣)で、スピーカーの取付方法も含めて同じように取りつけて、上記「ほぼゼロクリアランス部分に挟むようにして(結果的にそういう風にしかならない)」コンピューターを覆います。・・・で、カーペットの上下方向の長さが足りないため、右側コンピューターの頭部がお出ましになってしまうというわけです(ちなみに、この写真のシャマルはデポ場内で作業中のモノ)。右の写真は、そのまま視線を左に向けた状態(センターコンソール側)の画像。左下にちょびっと見えるのがエンジンのメインコンピューターユニット。真ん中あたりのゴムホースがエンジンルーム側からバルクヘッドを貫通してヒーターバルブユニットに締結されている「ヒーターホース」。その左上あたりに複数のたうっているのが、エアコンユニット内部を駆動するためのバキューム系統。さらに右側で上下に縦断している太い2筋のものは、やはり、エンジンルームと室内側を結ぶメインハーネスです。とりわけ、作動部分が剥きだしとなっているヒーターバルブなどでも、中空になんとなく浮いている状態がデフォルトというありさまですから、それらとの干渉問題を考慮すると、ここに強引にカーペットを押しこんだりするコトは出来ません。ここは、なんとなく「雰囲気勝負(笑)」でイクしかありませんね。

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 今度は左の写真をご覧ください。ギブリ中期型以降のカーペットです。右の奥端はご覧のように、足元底面になる部分とスピーカー穴のついた足元側面の覆いが立体的に一体化しているのが御理解頂けると思います。普通、こうだよなー(笑)。けれどもやはり、カーペット足元最奥部はテキトーに切ってあり、現車によってその切り方はまちまちです。運転席側はステアリングコラムそのものがある程度ガイドになる上、「ABCペダル」の奥には基本的に大きな臓物がありませんので、まあ、そこそこには位置がキメ易いのですが、助手席側となると、もう、どーにも、こーにもです(一応、全車にカーペット留め具がバルクヘッドに溶接されて付いているのですが、肝心のカーペットがソコまで届かない:泣)。一方、右の写真は、再びシャマルのメインコンピューター部(センターコンソール右側足元)ですが、中期以降ギブリやガンディーニクアトロポルテでは、この位置にコンピューターはありません。ギブリでは、2個のメインコンピューターがなんとリアシート座面の下の左右に。クアトロポルテでは、同様に左右フロントシートの下に位置しています。だから、助手席足元の左右をスッキリさせるコトが可能になったのですね。

 ・・・ここまで書いてきて思ったんですが、デ・トマソ期ビトルボのカーペットが分割式になってるのは、ソコだけをはずして右側コンピューターにアクセスしやすくするといった理由もあったのでは無かろうかと思います。また、助手席足元部のカーペット最奥部が、フィアット期までのどの車種においてもなんとなく尻切れトンボ気味(いや、アタマ切れか)なのは、グローブボックスをはずし、助手席足元のカーペットをめくりつつ行なう作業がやり易くしてある・・・トラブルの非常に多かった純正ストックのメインヒューズボックスの修理(根源対策してある仕様のウチの子では問題ナシ)やら、チェックエンジンランプ点灯に伴う、マルチテスター接続コネクター(こんなのが、こんなカーペットの最奥裏に位置していました:泣)へのアクセスやら、エアコンのエキスパンションバルブ交換やら、ヒーターバルブユニットの交換やら・・・

 ここにおいて考えると、一層「シャマル」は特殊。専用のでかく分厚い「バケットシート」は、上記の作業を行なう時に大いなる障害となるコトに思い至りました。一番後ろに下げても、リアシートにメリこんでそれ以上後ろまで下がってくれないし、サイドサポート部は大きくそそり立ってるし、一体どうやって潜り込めばいいのかという感じです。

 ・・・まっカーペットの件、今後もなんとか内装の雰囲気をコワさぬよう、「前向きに善処」すると云うコトで(いっそ、よりレーシーな趣のカーペットレスにしてしまえば・・・あー!ブタないで:笑泣)・・・。

 嗚呼、今週もなんとかブログ途切れずに乗り切れた。皆さん、有難うございました!

 これで、ようやく帰宅の途につけそうです。「おやすみなさーい」。

 

2011年11月25日 (金)

ネタ帳(笑)

 昨日の「ネタが無いよー(泣)」とのワタシの嘆きにコメントでお応えくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。これで、このブログも一週間は寿命が延びた(笑)。本日の晴れ晴れとした秋空のように、スッキリと爽快な気持ちになりましたよ。で、朝っぱらからアップ(笑)。

 「ビトルボネタです。以前とことんやると言っておられたビトルボのデザインに関する考察」→これは、大量の図版を要するため、自ら撮影した画像がたまったところで一気にやりたいのですが、あまりにも「商売直球のネタ(笑)」なので、ワタシ自身の「息抜き効果」が期待できないコトもあり、ツカれてる時は「ちょっとタンマ」といった感じ(笑)。ともあれ、どこかで必ずヤリますから、もう少々の御辛抱を。

 「ネオクラシックカーの世界」の続編を聞きたいです。イタリアンに限らず「おお、こんなクルマがあったナァと思わせる大穴車が出てくると嬉しい」。→これも、続篇を書こうと思うも、90年代中盤あたりからの欧州車に自信を持ってお奨めできるモノがあまりにも少ない(泣)ので、なかなか出てこないといったシロモノです。「大穴車の世界」とでも改題して、復活させようかな。

 「練馬区+隣接する地域の情報」が知りたいです。デポの帰りに寄れる「和光市」とか「杉並区」、「中野区」等の面白ミニ情報。→これは、普段あまり近所で遊んでないワタシにとって、ヒジョーにハードルの高いお題です。日曜日に頑張ってネタ探ししようと思います。

 「カムシンその後のたこちゃんの自動車遍歴」→あれー?コレやらなかったっけ、と思って過去のページを見たら「大震災」の前に途切れたままだったんですね。スグ、やりましょ。

 「ギブリのすぐくしゃくしゃになるフロアマットをどうしたらよいか」→これは、ビトルボ系の特にマニュアルミッション車にお乗りの方々の抱える共通のお悩みだと思います。些か無粋な御答えで申しわけありませんが、「とってしまう」のが根源的解決法(笑)。そこに、ゴムで出来てる出来るだけ柔らかな雪国用マット(縁が立ち上がっている形状で、マットのそとに汚れや水滴が出ないようになってるヤツ)を敷く。若しくは、いっそ土禁にしてドライビングシューズで操縦する(ダメだこりゃ!)。数年前のアメリカに於ける「プ○ウスのフロアマット」引っかかりリコール問題を思えば、もちょっと、なんか考えたいところではありますね。・・・うー、他にも「ベルクロテープ(マジックテープ)」により貼り付ける方法、輸入雑貨店などによくおいてある、「滑り止めマット兼、簡易瓶蓋開けシート」のデカイのを買ってきてフロアマット下に敷く(これは結構効果あると思う)、タイラップ(結束バンド)でマットとカーペット数か所を穿孔したうえで固定(マットを洗う時に、取りハズシが面倒にはなりますが、かなりキッチリとおさまります。カーペットに穴を開けなきゃならないのが難点)。お好きな物をどーぞ。

 「時計の照明はずっと点けっぱなしでよいか」→心配な場合は同じ規格サイズでより電圧の低い電球を入手して交換するのも手(ちょっと暗くなりますが、充分見えるとは思います)。ドアのフチにある、赤いランプは、オリジナル電球ですと、点けっぱなし状態を数分続けますと「レンズが溶ける(泣)」ので、当店出荷車では「電圧下げ対策」を行なっております。

 「たこちゃんの今まで購入した(もしくは断念した)クルマと思い出」→さっきのハナシと重複しますが、「断念した」の部分も面白いから、それをも加味した内容でお届けしたいと思います。

 「アウトガレリアルーチェ(名古屋)で開催中のザガート展(コーダトロンカ)」→あー、行きたいですね、コレ。このルーチェというスポットの存在をご指摘ではじめて知りました。中京圏の方はぜひどうぞ。

 「オスカ・ドロモス」→10年ほど前に、このドロモスプロジェクトに参画していると云う方がお見えになったことがあります。確か、「カロッツエリア・ツーリング」の関係者の方だったと記憶しております。スバルインプレッサか何かのエンジンを搭載するといったおハナシだったように思います。オスカはマセラーティ兄弟の造った戦後の純血マセラティみたいなブランド。その復活を密かに期待しておったのですが。マセラティ・シュバスコ、ランチア・ハイエナ、チゼータV16Tとともに、90年代初頭から前半期のバブル時代に景気良く発表されたスーパースポーツ群は皆「ほぼマボロシ化」してしまっていて残念です。

 「仮面ライダーの怪人の解説とかは?」→「一松」さんだけにしか喜んでもらえないよーな気もするけど。まっ、いいかー!ネタ無いし(笑)。

 「γーGTPと近隣の甘いもの屋のハナシ」→ワタシも20代の頃、この数値が高くて(その頃はまったくお酒を口にしなかったのですが・・・)「脂肪肝」との診断を下されたコトがあります。何事もホドホドが肝心ですね(反省:笑)。甘いもの屋ってデポの近所にあったかなあ。成増あたりでも探索してみましょうかね。

 皆さん、有難うございました。今週も明日一日ダケだ(ホッ、なんとか乗り切れそう:笑)。

2011年11月24日 (木)

嗚呼、ついに当ブログも危急存亡の危機(笑泣)

 はい、ネタ切れです(笑)。朝から色々と考えながらシゴトに従事しておったのですが、どーにも、こーにも名案が浮かばないのであります(キッパリ!)。いつかはこんな日が来ると、覚悟をいたして(笑)はおりましたが、あー、今日はホントにダメだぁー、降参です。 

 というわけで、本日は「ネタが無いコト」そのものをネタにしようという、超高等テクニックでイッてみよう!と思います。ワタシに「アツくるしく」語って欲しい「ねたリクエスト」はありませんか。

 当面、明日も、明後日も、かかる「スランプ状態」が十二分に予想されますので、金、土の二日分、どなたか「ネタ」くれませんか(願)?皆さんより差しのべられる、温かい救いの手をお待ち申しあげております。・・・コメント来なかったらどーしよ。

 さておき、とりあえずは「寝る前に食べるモノ(ナイトキャップ食い物:笑)」ネタ、軽ーく振っておこ。ワタシの場合、メシ喰う→ポテチ喰う→チョコ喰う→あんドーナツかラスクで締め(ドーナツとラスクはサンジェルマン製のに限る)、といった、アンコ喰いながらウーロンハイも飲んでるというノリの、ものスゴクやっちゃイケないコトやってるような気がする「背徳の(笑)」ラインナップ。皆さんは、どんな感じで一日をシメているのかなぁ。お聞かせ頂けます?

2011年11月23日 (水)

やっぱ勤労には感謝、だよなー

 いやー、昨日は皆さんより「祝福(で、いいんですよね:笑)」のお言葉を頂戴し、本日帰宅してからコメント欄を拝見して感慨も無量であります。ホントに有難うございました。考えたら今年は「トシ男」でもあったんですね、思えば、そもそもワタシはうさぎちゃん(アレ?たこちゃんでは・・・あっ、タコどしは無いですね)。たった今、気がついた(笑)。

 本日は、継続車検のためお越しになったギブリ「Iさま」を筆頭に、池袋でヤッていたらしい「ネズミ捕り(レーダー)」に捕獲された(泣)うえで、当店にみえた(可哀想な:泣)方が2名。午後には、わざわざ四国よりおみえになり、東京のお友達と連れ立って御来店してくださった方、夕方からは近所でパン屋さんを経営している三男の旧いお友達(無類のクルマ好き)もやってきて、なんだか一日中ヒトが出入りするにぎやかな祝日ではありました。

 以前にも、どこかで書いたコトがあるようにも思うのですが、ワタシは「完全週休二日制」の会社というものに勤めた経験が無く、昨今よくある「(ハッピーマンデー)無理矢理三連休」というのにもアコガレこそすれ、その恩恵に浴したことがありません(し、おそらくこれからも一生無いでしょう:泣)。けれども、今日は珍しく連休ではない祝日でしたね。勤労感謝の日、今日も一日皆さんに感謝しながら、スパイダーザガートの組み立てに従事しておりました。 

 あー、談志師匠がお亡くなりになったそうですね。それでも随分長きにわたる闘病生活をしつつも、75歳ではあったそうです。帰ってきてこのニュースに触れ、これまた、昭和が遠のいた感じを抱きました。きっと「特番」」やるでしょうから、また録画予約をイレとこうと思います。自分がひとつトシをとるごとに、失うものも増えていきますね。一日一日を大切に匍匐前進したいものです。そういったわけで、予備軍の皆さんも、いつかはと云わず、いますぐどうぞ(笑)。充実の人生をおくりましょ。

 

 

2011年11月22日 (火)

嬉しい様な、悲しい様な・・・

 ああ、またひとつ「歳をとって」しまいました。子供の頃は色々とイベントがあったりして嬉しいものですが、さすがにこのトシになりますと「よくもまあ、なんとかここまで来たモンだ」との感慨こそあれ、また一歩彼岸が近づいたコトに些かの焦りを感じるばかり。

 48年前のこの日は、アメリカと日本の間で「衛星中継放送」が初めて行われた日として知られています。その放送内容は「ダラスの熱い日」 の元ネタというヤツでして、子どもの頃から「ケネディ大統領の生まれ変わりだったらいいのに・・・」と彼の国との時差はまったく考慮に入ってない(笑)妄想に我が親御さん方はとらわれていたようです。

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 ワタシは、子どもの頃よりトシを重ねた日の「晩餐」がなぜか「ルーミックのスパゲティミートソース」とキマって(どーしてぢゃ:笑)おりまして、今日も帰宅しましたらソレとともに手造りのケーキが用意されておりました。とりあえず、忘れられてはいなかったらしい。

 先日「K」さまから頂戴したドイツワインを、なぜか今日に限ってブっこわれてるコークスクリューを用い、どうにか開けるコトに成功しまして、只今楽しませて頂いております。我が家にとってはタイムリーで、何よりのプレゼントでした。有難いなあホント・・・(嬉泣)。

 

2011年11月21日 (月)

あなたの普段の風景、撮っておいた方がいいですよ。

  「きょへへへへへ、どきゅーん!」、「N」さまのクアトロポルテV8、エンジン回りの整備が終わり、無事に再始動いたしました。「どぎゃーーーーん!どぎゃーーーーん!!」2階でデスクワークをしながら、暖気の終わったエンジンの空ぶかしに耳を澄ませます。この、一旦整備が終わって再始動するひと時が、やはり一番ドキドキ・ワクワクする瞬間です。続いて、「S」さまのスパイダーザガート、鈑金屋さんから引き上げるやいなや、早速ドア内張り、ドアウインドー、レギュレーターとすべて分解し、只今ウインドーレギュレーターを調整しております。明日も朝からこの作業の続きが予定されております。

 こんな毎日こそが現在におけるワタシの日常的な風景なのですが、ブログ用に撮影する以外は、逐一撮って置こうとはやはりなかなか思わないモノですよね。けれども、ふと最近思うのですが、「日常的にシゴトに従事する自分」とか、「休日にゴロゴロしている自分や家族」とか、「家の周囲のなんでもない普通の風景」とかの画像や動画こそ、歳とって見直した時に心の底から「ナーツカシー!!」と思えるのでは無かろうかと・・・。 

 数年前に、実家の内部を整理していた時に子供の頃のアルバムが出てまいりまして、白黒フィルムでおまけに「リコーオートハーフ」で撮ってたヤツですから、現在の目で見れば画像の解像度もへったくれもあったモノではありません。とにかく、生まれたばかりの長男であるワタシの「オールヌード写真集(笑)」ばかりを貼り付けたモノが数冊あり、「親バカだなあ」と思うとともに、「親の愛情や喜び」をも感じたものですが、なんというか、その被写体であった「御本人」の感想としては記録としてヒジョーに物足りない。その「リコーオートハーフ」という懐かしい「ハーフカメラ」は、ゼンマイ式の「オートワインダー」が付いているといった当時としては画期的なシロモノでして、その機能を存分に生かした、「一枚ごとにほとんど被写体(赤ちゃんのワタシ)のポーズや表情が代わり映えしない」連続写真のオンパレードと化しております(笑泣)。折角なら、立て替える前の家の内部や外観を隅々まで写したものや、家の周囲や日常的な行動範囲の情景をもっとたくさん残しておいてくれればよかったのになーと感じるコトしきり(明治以来の大雪であった時など、「非日常」的な時空は切りとられていたりするのですが)。 

 岡本三兄弟が子供時代を過ごした「練馬区春日町」は環状8号線と地下鉄大江戸線の開通により、ほとんど原形を留めないほどに激変した町です。特に我が実家のある3丁目と2丁目、4丁目は環8の拡幅に伴う立ち退きなどで、ムカシ存在した多くのテナント型ストアや個人商店が壊滅的に無くなってしまいましたので、当時のヨスガを見つけるコトもいまやなかなか困難です。

 おとといの夕方、いつもの「T君」より電話があり、何を云うかと思えば、「ねぇ、ねぇ、かずちゃん家の裏の富士街道(環状8号線の旧道)沿いにあった、□□ショッピングセンターの向いにあった、○○ストアーって何て云うんだっけ?」といった、しょーも無いモノ(笑)。「あ、ソレ◎◎ストアーぢゃん」と瞬時に答えるワタシ。一瞬の間を置き「・・・あー、あー、あー、そーーーだよネー!それそれ。もうここ一か月の間、胸にツカえててさー、あー、有難う!かずちゃん、サスガだねー」そんな会話から、環8になる前の富士街道の写真って撮ってないのよねーというハナシになり、とにかく、いつでも撮れるとか、いつでも観ることができるとか思っている風景こそ、得てして撮り損ねてしまうし、そういったものこそ、あとから懐かしがって見返してみたい風景だったりするんダヨナーといった結論に達しました。 

 その富士街道という旧道の、辛うじてムカシの儘の原型を留めているところに、前にもこのブログでちらっと触れました「練馬大根の碑」と云う、練馬の近代的農業の始祖、鹿島安太郎翁を顕彰する石碑があるのですが、午前中にお見えになった関西方面からのお客様(Fさま、本日は遠方よりわざわざ有難うございました)を春日町の作業場にご案内する途中でこの「大根碑」前を通り掛ったところ、昭和B級ネタや、街歩きネタで著名なコラムニストの泉麻人氏御本人がこの碑を撮影しておりました。何かの雑誌の取材なのでしょうか、コレには思わずビックリしてしまいました。やはり、戦火・大災害などや、街並みを根源から変えてしまう開発を辛くも逃れた場所には、独特の味わいが残るモノです。さすがは泉さん、よくこのマイナーな春日町の唯一の名物(笑)に気付いたものです。スゴイ嗅覚だよなー。 

 気付いた今から、残していきましょう、皆さんの周囲のあたりまえの風景を。デジカメ撮影は、現像コストと手間がありませんから、もうありったけ撮影して、パソコンにうつしておけばいい。3年で味が出始めて(笑)、5年で楽しめるレベルになり、10年以上経過すると間違いなく「サケのつまみ」にはなりますよ。たくさんあればあるほど老後の楽しみが増えるというものです。ワタシもこれから頑張って残そうと思っております。

2011年11月19日 (土)

カーグラの「先祖」は、暮しの手帖である。

 昨日は、当方からの一方的な「問いかけ」に対し、様々に有意義なご意見を賜りまして、感謝の極みです。雨の土曜日ということもあってか(笑)たいへん多くの方々から極めて長文のご意見を頂戴いたしました。初コメの方もいらっしゃるようですね、本当に有難うございます。皆さんのコメントを拝見していると、ひとつひとつ「同感」ですね。って云うか、コメント欄を見れば見る程、ホントに自動車雑誌はこのままで大丈夫なのか?との危惧を抱かずにはおれません。って云うか、皆さんのコメントの方が深いぜ(笑)!

 特に「一松」さんの「スーパーカークラシックスは21号まで」、というのと、「おぐ」さんの「カーマガジンの255号あたりから299号まで」が良かったというお話(「りゅたろうチルドレン」さんの⑤への回答にその答えが・・・)は、まさに今回のお題の正鵠を突くもので、ワタシも「激しく同意(笑)」です。主要読者層(オヤヂたちですヨ、ハイ:笑)がこんなにも敏感に「分かっている」方々なんですから、作り手はよほどの研鑽を積む必要性を感じます。

 「NAVI」、意外にも人気があったんですね。このあたりは「お医者さんの待合室にあったら手に取る(しかも隣にカーグラやカーマガが並んでたらソッチにする:笑)」というくらいの位置づけかと思っておりました。ここはワタシの認識不足。

 「ENGINE」は、正直名前が出てくるだろうなーと思っていました。ワタシもここ最近目を通してませんけど、創刊からしばらくは「このテイストが一番しっくり来るな」と感じておりました。

 ・・・といったわけで、そろそろ昨日の①~⑦へのワタシ自身の回答を(後出しジャンケンで申しわけありませんが)提示しておこうと思います。

①:あなたは、現在自動車雑誌を購入(ヒト月に一冊以上)していますか?→自動車雑誌は「貰うモノ」と化しております。ちなみにその中から家に持ち帰ってまで読みたいと思った本はほとんどありません。

②:それは、どの自動車雑誌ですか(複数回答もあり、洋モノも可)?→カーマガ、オートカーを頂くことが多いです。背表紙見て値段にビックリしましたけど(笑)。

③:あなたがそれらの自動車雑誌を選ぶ理由をお聞かせください(惰性というのでも可だけどその場合はそれでも買わせるモチベーションで何?:笑)。→持ってきてくれる広告屋さんの気分による(笑)。但し、ワタシが機嫌をソコねそうな(笑)本はあまり持ってこない。

④:それらの自動車雑誌はあなたをどう満足させていますか(若しくはどのような点が不満足ですか?)?→良くも悪くも「現代という時代」の趨勢といったものは示唆してくれるので商売の参考にはなり得ると思っています。

⑤:過去に遡って、自動車雑誌の傑作と思われるものはありますか(複数回答可)?→大御大、小林彰太郎先生が取り仕切っていた頃のカーグラ本誌全部とスーパーCGの20号ぐらいまで(しか読んでない。だって高いんだモン:泣)。「すくらん」であった時代のものから100号(表紙はBow氏描くところのマセラティ250Fだったと思う)チョイ過ぎくらいまでのカーマガ。スーパーカーブームの頃のモーターマガジンとその姉妹誌ホリデーオート(なぜか笑)。特にこの時代のホリデーオート(毎号その時代のB級アイドルが表紙写真のヤツ)は古本屋に出てくる可能性が限りなくウスい(ネット検索でも引っかかったコトがない・・・ってそんなの調べてるオレって大丈夫か?)ので、そう思うと、尚一層いとおしい。ダレか持ってませんかー、ワタシの青春。

⑥:あなたが今考える「理想の自動車雑誌(モノマガジン的なコンピレーションものでも可)」って、具体的にどんなモノですか。→(あったら嬉しいなと思うという意味で)全国の真面目な零細外車ショップの叡智を結集した「90年代までの欧州車、アメ車のバイヤーズガイド」。かつて(今もあるのか?:笑)カーマガ別冊に「スペシャルショップ」という年鑑本がありましたが、ああいった「タイアップ臭プンプン」のモノではない、手造りの味が残るモノだと面白いなと思います。

⑦:ズバリ、幾らくらいの価格帯なら買い続けますか。→月刊誌なら580円。季刊なら980円。付録にDVDでも付けてくれるなら月刊780円でも可だけど。・・・でも、無責任に書くのは簡単ですが、結局ペイさせるには、大量販売を実現するか、大量のクライアントによる広告収入をコンスタントに集めるかの必要がありそうです。

 ・・・なんと、ここからが今日の「本題(相変わらず前フリが長い:笑)」。

 前にも、ホンのさわりだけ書きましたが、戦後しばらくして発売され、現在でも発売時とほとんど同じテイストで発行されている雑誌に「暮しの手帖」というのがあります。 この本はいにしえの名編集者として名高い「花森安治」氏が心血を注いで造られていたもので、地味ながら、昭和中期までの間は多大なる社会的影響をもっていた雑誌でした。

 一方、ワタシが上の⑤に挙げました「カーグラ」誌の方は、もちろん皆さんが御存じだと思いますが、小林編集長時代のものは、それ以後のものとは相当テイストが違います。

 暮しの手帖の出自は服飾雑誌、今様の言葉で云いかえればファッション誌でした。皆でモンペ履いて「竹ヤリ」担いでた「戦中」が終りを告げ、喰うのがやっとの「戦後」もようやく終焉に差しかかろうと云う時期に、「美しい暮しの手帖」として生まれました。着飾った美しさを競うといった、地に足の付かぬモノではない「本当に美しい(豊かな)暮らしとは何ぞや」というテーマを問いかけ続けた雑誌でした。

 同誌、初期の有名な企画に、「洗濯の仕方を工夫する」というのがありました。その骨子は、洗濯盥(タライ)に足と排水ホースを付け、作業者(もちろん多くは家庭の主婦)の腰の高さに据え、それで洗濯板での作業における体への負担を少しでも軽減しようよ、と啓蒙するもの。たったコレだけのことです。・・・お若い方のために少々説明をば加えますと、童話「桃太郎」の絵本にある、有名な冒頭のシーンをまずは思い出してください。「おぢいさんは、やまへしばかりに、おばーさんはかわへせんたくにいきました・・・ソコにおおきなモモがどんぶらこー、どんぶらこー・・・」そう、おばーさん(家庭の主婦)は、川のほとりに座りこんで洗濯作業をしておりました。驚くべきことに、その桃太郎の時代とほとんど同じヤリ方(川の流れがタライにはなりましたが)を、昭和30年代の前半までは、ほとんどの家庭で実践せざるをえないというのがこの日本での現実でした。

 今では、「なーんだソンナこと」くらいで済まされてしまいそうですが、当時はコレ一発で社会的大反響の記事だったそうです。当時、家庭の主婦の家事労働はまさに「無償の重労働」というべきもので、特に長時間の洗濯作業は、真冬にはツメたく、寒く、キツい労働であったことは想像に難くありません(一日中屋外でウ○コ座りの作業が多いワタシにはイタいほど良くわかる:笑)。その後、電気撹拌式洗濯機を経て、電気噴流式洗濯機が出現。それに二槽式の遠心力脱水機能が付加(それまでは、付属のゴムローラー装置で洗濯物を廼してシボるものでした。当然ブっつぶされた洗濯物にはアイロン掛けをする必要も出てきちゃいます)され、しまいには洗濯槽が一槽になった全自動洗濯機となりました。かくて現在では、スイッチ一つで「除菌乾燥」までやってくれるように・・・。桃太郎の時代のハナシは、もはやまったく理解不能のモノになってます。

 次に大きな波紋を呼んだのが、「新製品への批評」や「比較テスト」という企画で、これも当時としては(いや、ひょっとすると現在よりも遥かに科学的、統計学的かも)群を抜いたものでした。ワタシが読んだモノの中にも、次のようなものがありました。ムカシはケチャップ、マヨネーズなどは、ビン入りが基本。まだプラスチック容器の出現以前のハナシです。ある読者の主婦からの投稿を取り上げ、「ビンが細くちになっているので、M社のケチャップは最後までつかい切れない。このあたりメーカーはどう考えているのか」というテーマを投げかけていました。すると2カ月後くらいに、M社はこのケチャップ瓶の口の広さをスプーンが入るようにすぐさま改良し、市場に送りだしました。ところが、この瓶、一度キャップを開けるとフタが出来ないと云うものでした。「努力は買うが、さらにもう一考あってもいいのでは・・・」と手帖誌はさらに追撃します。M社はそれにも応え、広口の瓶にスクリューキャップを付けるようまたまた改良しました。短期間のうちに同じ商品の流通パッケージを(しかも2度も)変更すると云うのには莫大なコストと労力を要します。一主婦のつぶやき(現在のツイッターですかね:笑)を拾い上げ、それを記事にする雑誌があり、その指摘に誠実極まる態度で臨むメーカー。生産者と消費者の理想的な関係がここにはあります。いつもは辛口批評でならした「手帖誌」でも、のちに大きく紙面を割いて、このM社の企業姿勢を大絶賛したのは云うまでもありません。ちなみにM社とはエンゼルマークの大手製菓会社です。

 商品比較テストというのもまた、驚異的なもので、「暮しの手帖研究所」と称する、港区内の瀟洒な洋館内では、6カ月に亘って主要銘柄各社の洗濯機をそれぞれ3台づつ「自前で」購入し「どの洗濯機を買うべきか?」なんていう企画のための「商品テスト」をやったりします。なぜ、3台づつなのか?「同一製品の個体差」まで見るためなんですよ!これには、各メーカーの開発担当者もマイったことでしょう。おそらく、メーカー内でもここまで徹底した比較テストはやっていなかったコトでしょうから。

 翻って、「カーグラ」誌伝統の「ロードインプレッション」と「フルテスト」、どことなく、前述の「商品テスト」に似てませんか?小林氏はかつての「カーグラ」本誌内で、これは、暮しの手帖のクルマ版にして、本誌の目玉としたい旨を率直に記述されていたのを記憶しております。「若干、上から目線(笑)」で、山の手的「スノッブな」テイストまでそっくりです。

 「暮しの手帖」では、現在まで一切の他社広告掲載がありません。広告を載せれば、広告主の意向が働き、正当な比較、まっとうな評論が出来なくなるからだそうです。至極まともな社是ですが、現在においても貫き通せるのは、まさに驚異の世界です。

 「カーグラ」は、創刊時より、もちろん広告主を持っていました。けれども、特に「国産車」に対する批評は、つねに歯に衣着せぬ物言いで、時には辛辣なモノさえありました。しかしながら、小林編集長の「格調高い文章のオブラート」に包むと「だからこそ、改善していこう!」という気を自動車メーカー各社に起させたのではないか、という感想を持ちます。

 反面、「欧州車礼賛、偏重」「取り上げるのは高級車ばかり、スノビッシュでハナにつく」との誹りも当時からありまして、特に1970年代中期くらいのバックナンバーには、同誌の読者投稿欄でたびたび叩かれてはいました。そういった背景が、1980年代半ば頃のベストセラー本「金魂巻」において「エンスー君」と揶揄され、かえって自動車趣味の求道者たちへの「茶化し言葉」として、「エンスージアスト」という美しい言葉の略語「エンスー」が貶めて使われるようになってしまったのは寂しい限りです。現在でも、この言葉の出自を御存じない編集者が「エンスー」を誌上や表紙表記において濫用しているようですが、ワタシなどは、決していい気持ちはしない言葉ですね。カーマニア、クルマオタク、カーキチ(死語:笑)、どれも釈然としません。「エンスージアスト」、適度にスノッブな感じでいいじゃないですか。

 小林編集長時代の「カーグラ」誌でひとつだけ(然れども、大きく)残念なのは、「スーパーカーブーム」の時に「意識的に」スーパーカーを避けた紙面造りにシフトしてしまっていたというコトです。この件も、同誌紙上においてハッキリと明言されていました。

 これも、小林氏の持つ独特のダンディズムと云いましょうか、時代や商業主義に迎合しない「反骨精神(花森イズム)の発露」であったことは、ワタシも充分に理解していますが、現在世界的にも人気があり、珍重もされている1970年代末頃のエキゾチックカーについての「フルテスト」や「インプレ」は、「カーグラ」として残しておくべきだったよなーと、今にして強く思います。ランボルギーニカウンタックLP400なんかは、キッチリ調整したヤツの最高速やゼロヨン計測をぜひやっておいて欲しかった。そして小林氏の筆致でカウンタックを評しておいてもらいたかったと思います。望んでもいまや詮ないコトですが。

 「カーグラ」誌上で取り上げられたマセラティに関しては、1960年代後半の同誌に掲載された「初代ギブリ」ポールフレール先生のロードテスト(翻訳版)が印象に残っています。ここでの最高速はアウトストラーダ・デル・ソル上でのストップウォッチ計測により、257Km/hだったかと思います。当時マセラティの名物テストドライバーであったグェリーノ・ベルトッキ氏とのエスプリ溢れる会話の応酬も楽しめる、第一級の記事でした。

 また、山口京一さんの海外レポートにもココロ躍りました。記憶しているのは、ブリックス・カニンガム卿のカーコレクションを探訪した折の外伝的コラム。カニンガムさんの奥様(確かローラさんといった)の愛車、ランボルギーニミウラP400でドライブをするというモノでしたが、その純白のミウラは、デリバリー内外装のフィニッシュがアマかったので、新車時にいきなりフルレストアしたというくだりや、ミウラの8トラックカセットステレオ(笑)から流れる「ペリー・コモ」の甘い歌声を掻き消すようなエキゾーストノート・・・などの文章に中学生のワタシは古本屋でこのような珠玉の記事を読みながら、アタマの中が「トロトロと(笑)」していました。このあたりのハナシは前にもどこかに書いたかもしれませんが、それくらいに印象深く素晴らしかった。小林編集長のインプレやフルテストも、躍動感に溢れるとともに格調高い筆致で、そのクルマの魅力を何倍にも増幅させてくれたものです。

 あの2色刷りのセピア色ページからのぼりたつ、ワクワクする感じ、もう一度味あわせては頂けないものでしょうか。お願いしますよ、自動車雑誌の皆さん。今の時代、読者が離れちゃた雑誌への広告掲載はありえませんから。

 「本当のエコを考えるなら、部品供給体制をしっかりとやっている欧州車を中古で買って長く乗ろう!イケイケでゴーゴー、フィーバーフィーバー(あくまで仮題:笑)」とかね。すべての自動車メーカーはソッポを向くと思いますが、中古車屋さんとか社外パーツ屋さんは広告主として、心あるオヤヂたちは読者として、それぞれ付いて来るんじゃ・・・やっぱ、ダメ(笑泣)?

2011年11月18日 (金)

自動車雑誌、あなたの愛読書は?

 本日は、ちょっとしたご意見を伺いたいのです。多くの皆さんにご協力を御願いします。

①:あなたは、現在自動車雑誌を購入(ヒト月に一冊以上)していますか?

②:それは、どの自動車雑誌ですか(複数回答もあり、洋モノも可)?

③:あなたがそれらの自動車雑誌を選ぶ理由をお聞かせください(惰性というのでも可だけどその場合はそれでも買わせるモチベーションで何?:笑)。

④:それらの自動車雑誌はあなたをどう満足させていますか(若しくはどのような点が不満足ですか?)?

⑤:過去に遡って、自動車雑誌の傑作と思われるものはありますか(複数回答可)?

⑥:あなたが今考える「理想の自動車雑誌(モノマガジン的なコンピレーションものでも可)」って、具体的にどんなモノですか。

⑦:ズバリ、幾らくらいの価格帯なら買い続けますか。

・・・ワタシも自動車屋の「スミっこ」の一角を占める者の一人として、昨今の自動車雑誌の衰退ぶりは目を覆うばかりなのを憂いております。確かにネット上には様々な情報が溢れていますが、活字媒体にも、まだまだ役割は残されていると思うのです。いや、雑誌だからこそできることも必ずある。 

 しかしながら、ここのところ取材を受けたり、雑誌広告の出稿を誘う広告代理店の方とハナシをしていたりすると、あるひとつのコトに思い至ったのです。それはモノすごく重要なことなのですが、独自の取材ルートに基づく記事作りをほとんどしていないという事実です。例えば、ワタシが先日までこのブログにご紹介してきた「ヴェトロモンターニャ」にしても、洋邦の名車が80台も集まり、20年も連続開催されていて、特に今年は台風による水害被災地「熊野」を励ますという(この云い方は適当では無いですが)、昨今、人々の興味を引くという意味では極めてタイムリーな意味づけすら与えられていたクルマイベントであるにもかかわらず、ただの一社も自動車雑誌の記者を遣していないというのは、大げさに云えば職務怠慢の誹りも免れませんね(この件と昨年のビトルボフェスタ開催の事実は、先日取材を受けたカーマガジンさんにもお伝えしました。担当者の方はイベントの存在そのものを、まったくご存知ではありませんでした:泣)。ワタシですら、このネタだけでカラーグラビア30ページの読み応えある特集記事を書くコトが出来るように思います。完全にネット情報に負けている、これでは存在意義が問われても一向に仕方がありません。ワタシがこよなく愛する活字媒体の火を灯し続けるために、編集者各位には一層の奮起と猛省を促したいところです。愛あればこそのムチだと思ってください。

 カーマガジンさんの名誉のために付け加えれば、今月末発売号のメイン特集記事(本日、最終校正を先ほど終えました)に当店を加えて取り上げて頂いたのは、タイアップではないと云うことです。広告クライアントではない店を取り上げるということ、コレもひとつの見識ですね。まだまだ捨てたモンじゃない。皆さんこぞってお買い求めください(笑&願)。

 

 

2011年11月17日 (木)

あー、歩いた、歩いた!

 カラッと晴天の本日、久しぶりに「本物の」セリ場(USS東京会場)にイッてまいりました。今日のお目当てはマセラティではありませんで、練馬区「Iさま(昨日も差し入れ有難うございました)」御所望の「中巡洋艦」を下見すると云うのが主要たるミッションです。このオークション会場は名実ともに全国随一の規模を誇るモノで、今まで、「広いよぉー」と何人かのお客さんにはおハナシをして差し上げたコトがございましたが、このたび、会場内を点描して撮影いたしましたので、ご覧になってください。外車だけでも4000台くらいあります。

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 来場者用の駐車場は併設されておりますが、遅い時間(今日のワタシはお昼前頃に到着)にまいりますと、もー、とてつもない場所にクルマを置くハメになります。アタマの中では「ここぉーは、地の果てアルジェリア・・・」と、いつもの様にカスバの女(って、戦前の歌謡曲なんですけどね:笑)のサビがリフレインいたします。駐車場の隅っこに「ヘンなオーラ」を感じましたのでさっそく見にイキますと・・・あー、なんというか、ビミョーな年代のカローラクーペがブン投げてありますね。このモデルはとっくに市中からはほぼ絶滅しておりますので、とっても新鮮に見えます。

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 会場入り口で会員証を提示し、ゲート内に入ります。ここから先は「プロ同士の戦場」です。

 さあ、「戦闘開始!」下見へと急ぎます。腰にコルセットを巻いたままの状態で駆け足するのはとてもヘン(笑)。ピョコタンピョコタン、へっこらへっこらと周りからは見えるコトでしょうね。あー、カッチョわる。「んっ?」さっそく「地雷」発見(笑)!足留めを喰らう。

 このムスタング(あえてマスタングとは呼びません)はカッチョいいなあー。あー、時間が無いデスね。急ぎましょう。

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 下見を終えて・・・結局今日は価格の折り合いが付かずに下見は無駄足となりました。「Iさま」ごめんなさい。

そんな傷心のワタシの目に飛び込んできたのがこちらの「極悪同盟車(笑)」。いいのか、こんなの出して。・・・より一層具合が悪くなったところで、口直しに「名車コーナー」へとまいりましょう。

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 ワタシが選んだ本日の「ピカに(2)」

なんか今日はムスタングづいとるな。最高にカッチョいいマッハ1(なんか、ソレのもっとスペシャルなヤツのような気もするが、その場で深くは追求しなかったので、そのうちどなたかの解説を乞う。もう一台は初代B10サニー!ムカシの国産車はヨーロッパ風味が横溢していて良いですなあー、ホント。ワタシの実家では、コレのトラック(レンガ色みたいな赤いの)に乗ってたコトがあるので、懐かしいフェイスです。

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 いやま、この異常なまでの会場の広さをとくとご覧あれ。ワタシは「健康増進」のためと思い、場内移動バスや、キックボード、チャリンコなどを一切使わずに、いつも一番手前の駐車場から一番向こうの展示スペースまでを「ジグザグ」に歩きます。ゴルフコースのフルラウンドとどっちが歩いてるかなあ。あー、駐車場遠いなあ。ハラ減った(笑)、マックでも行こ。         

2011年11月16日 (水)

本格的に秋到来!で、ブログもイメチェン

 はい、こんばんは!いきなりスッカリ見慣れないデザインに変ってしまって、「間違えて違うトコ開いちゃった」と思い困惑している方々!大丈夫ですよー、ここはいつもの「クルマ番外地(笑)」、「絶海の孤島(泣)」、「前人未到の秘境(笑泣)」、「変態さんの魔窟(大笑)」・・・こと「マセラティでイッてみよう!Part2」ですからね、まずはご安心を。

 今日は本当に寒く、この秋一番の冷え込みだそうです。ワタシも背中には2枚の「ホッカイロ」を装備して出社しました。腰痛の患部を「じんわりと温めてくれる」文明の利器にはホント感謝しています。夜になり一段と冷え込んでまいりました。北風も「ピューピュー」です。皆さんも風邪などお召しにならぬ様、ご自愛くださいね。

 さて、このブログ、本日のマイナーチェンジにあたり、中身をあらためて精査してみたところ、なんと「450ページ」もあるらしいのです。まさに「継続は力」、「チリつも」であるなあと3秒くらいの間は喜んでおりましたが、「いやぁ、待て待て。チリが積もって山になっても冷静に考えればコレはゴミの山ではないのか」との思いも心の奥底より広がってまいりました。

 というわけで、今まで各ページになんとなくいい加減な「カテゴリー分け」を割り振っておりましたが、このココログに移動して「Part2化」してからのすべてのページには、より分かりやすいタグを付け直してみました。とりあえず、「本ネタ」と称されてきた「ビトルボねた」は「ビトルボ関連ネタ」と改称し、すでにそれらと切り離されていた「ガンディーニのクアトロポルテ」はそのままに。また、ワタシの日々の気持ちや抑えがたい思い、くだらない雑多なハナシはすべて「雑文垂れ流し」としておりましたが、おでかけネタや、昔バナシ、ワタシの趣味のハナシは具体的な名前を新たに与えてタグ付けし直しました。これで、ワタシの雑談部分を読みたくない方は、本ネタだけをまとめて読みやすく、一層実務的にしたつもりです。

 元々、自動車屋が運営しているサイトやブログには、クルマの話ばかり(が、本来あたりまえなんだけど:笑)で「読み物」としての面白さが希薄で魅力がウスいよなー、と正直感じておりましたので、現在のこういった雑多なスタイルになってしまいました。 この姿勢は、人生はクルマだけではありませんし、クルマもマセラティだけでは無かろうという「ワタシの本意」の発露であります。また、ワタシが「小人物」であるがゆえ、クルマに関連したネタだけで大きな風呂敷を広げた華麗なハナシが出来ない(例えば、海外の旧車イベント参加話や、クルマに纏わる有名人との交流話、海外のショーの見聞記など)というのも、たいへん情けないハナシですが、クルマ関連ネタだけで「押し通せない」一因でありましょう。

 しかしながら、ここは「マセラティでイッてみよう!」と標榜しておりますので、「本ネタ」だけを期待している方々には申し訳ありませんが、出来れば「脱線」や「小ネタ」にも少々目をつぶって頂き、時々出します、豪快な「長編分解ネタ」などがいつ出るかとわくわくしながら、毎日チェックはしておいて貰えますと、そのうち「かなり内容の充実したエンサイクロペディア」が出来上がる様に仕組んでいこうと思っております。

 また、某書き込みサイトにおいて、ワタシのクドい文体を評して、「(笑)や(泣)などを多用した初期のネット文体が若干気になるが・・・(要旨抜粋)」と書かれていたのを見つけたコトもありましたが、それをヤメるつもりは当面ありません(さっそく:笑)。ワタシはプロの文筆家ではありませんので、文章力だけで「今、その文言に込めようとしている、力加減の強弱や微妙なニュアンス」を完全に表現するのは困難です。特に日本語はとても奥の深い言語ですから、「この大バカ者!!」と叫ぶ時の「馬鹿」と「いやーん、バカーん(うふーん:笑)」と云う時の「バカ」は同じバカでも全然ニュアンスが違いますよね。字面では罵倒するような文言に見えるモノも、「ホメ言葉」であったりする場合もあるわけです。

 このブログを毎日チェックしてくださっている方々の多くはワタシの「現物」を御存じだと思いますし、声色や、イントネーション、身振り手振りのアクションを交えたハナシっぷりなどもそこはかとなく御記憶のコトと思います。「ああ、アイツがまたバカ云ってらぁ」と笑い、楽しみながらお読みになって頂ければと思っております。一方で、マイクロ・デポへの御来店が未経験で、ワタシたちがいまだお目に掛かれていない方々には、正直、毎日のこのページの内容がどのように伝わっているのかと戦々恐々としております。そういった方々の中に些かの誤解や齟齬も生じさせたくないのは「ブログ管理人」の人情とも云うべきものであります。そこで登場するのが、(泣)(笑)(喜)などのサブキャラたちなのだと御理解ください。

 ああー、「絵文字」という手もアリですか?・・・ワタシは一切書き方を知りません(泣)。

 明日からも「日曜以外(時に日曜スペシャルも交えつつ・・・)毎日更新」の記録をどこまで伸ばせるか、頑張ってみようと思います。今後とも御贔屓に(願・・・またコレだ)。

2011年11月15日 (火)

笑いは元気を運びます。

 今日は、クアトロポルテV6の「Kさま(ああ、差し入れ三人前、本当に有難うございました)」が御来店。エンジンオイル交換とウインドーレギュレーターの不調修理をしておりましたが、ワタシが作業場でドアウインドーをブッぱずしてた、まさにその時、「赤い彗星(笑)」タルボマートラムレーナで、ブロロロローン!と「Hさま」が来襲。いつものように朗らかな笑顔です。

 ワタシが作業を続けていると、二階ではウチの次男と、Kさま、Hさまの「大爆笑」が聞こえてまいります。あとで、「何をそんなに三人して爆笑してたの?」と聞きましたら、Hさまのほとんど「ネタ」なんではないかと思われるほど完成度の高い笑い話に抱腹絶倒していたそうです。

 Hさまの、とある仕事上の知り合いの方が、・・・この方とても太ってらっしゃる方らしいのです。ある時、ホントに心臓にシリアスな異常を感じ「ううっ、このままでは・・・」という状態に陥ったのですが、断末魔にヒラめいたのが、「このまま逝ってしまうと、部屋に残されたムカシレンタルビデオ屋から借りまくってダビングした大量の「エ○VHSビデオ」の存在が皆に知れ渡ってしまう・・・」という「なんとも(笑)」な案件。彼はド根性を奮い起して、それらのビデオテープをかき集めて袋に詰め、ゴミ集積場まで這うように捨てに行き、そのまま気を失ったそうです。サイワイなコトに一命をとりとめた彼は、すぐに件のゴミ置き場にビデオを「回収」しに行ったのですが、時すでに遅く、持って行かれた後だったそうです。その悔しさはいかばかり(笑)。そのハナシを「飲み」の席で涙ながらに悔しがるんですよ、カレは。・・・とHさま。

 プラモの箱って場所をとるよねのハナシから、VHSテープも捨てられないけど場所とるよねーのハナシとなり、VHSビデオテープと云えば・・・という感じで上のハナシになったそうなんですが、なんとまあ、エスプリの効いたギャグですね。ワタシも直接拝聴したかった。

 先日、「港のE」さまがコメント欄での御進言通りに「ゲバゲバ90分」のDVDを持ってきてくださいました。「差し上げてて云うのもナンだけど、コレ意外と世間の評判ほど面白くないんですよね」頂いたワタシも失礼ながら、「そうですよねー、ドリフは今の子が見ても笑うけど」なんてハナシから、ワタシもこの間大阪の「大阪府立上方演芸資料館:ワッハ上方」で見た「夢路いとし喜味こいし」の全盛期の漫才はかなり面白かったというハナシをさせて頂き、興味を抱いて頂きました。「ジンギスカン鍋」という演目がありまして、ユーチューブなどでは最晩年のものがいくつかアップされております。コレはコレで、「円熟の極み」といった趣ある漫才で、まさに「無形文化財」の名に恥じぬ「至高の芸」だと感じ入りました。この辺の有名な演目になりますと、観客の方々もあきらかに「スジ」や「オチ」を知っているわけですが(オチを云いそうになる前から笑い声がクスクスと漏れているのでソレと知れる)、それでも笑える。ワタシも年代違いで3本くらいを立て続けに観ましたが、どれも微妙に「間」や「テンポ」が異なっており、それぞれに味があって、また笑えてしまいます。一方で同じ熟達の演者でも、演目がかわると「あまり面白くない」場合もあったりして、「笑い」を追求するのは本当に難しいコトだとわかります。

 テレビでの、本格的な「演芸番組」がスッカリ無くなってしまい、本芸勝負の芸人を見るコトが出来なくなってしまいましたので、せめて、シロウトのワタシたちも「話芸」を磨きまして、ぜひとも「エスプリあるギャグ」を飛ばし続けるジジイを目指したいものです。「Hさま」、これからも我々を「笑わかして」くださいね(と、プレッシャーを掛ける:笑)。

2011年11月14日 (月)

オーディオに、凝るとこうなる、マセラティ(季語無し:笑)

 今日のワタシ、コシが抜け掛かっております(泣)。なんでだかわかりません。クアトロポルテV8の左右シートを降ろしたところまでは、「うんとこしょ!」といった感じで大丈夫だったのですが、ヒザついて室内の分解作業をしばらくヤッてたら、次にカラダが起こせなくなりやした(笑泣)。「おーい、おかあさん!コルセット!!(船越英二の声で:コレ分かるヒト、歳あるね:笑)。」というわけで、湯河原の「Nさま」、頑張ってますよー(泣笑)!

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 まずは、トランク内のすべてのカーペットを降ろします。当然トランク内灯などの関連パーツも脱着になってきます。場合によってはオートアンテナの取付位置調整も必要です(このクルマも調整が必要でした)。

 次に左右の前席シートを降ろします。このクルマはクアトロポルテV8(シリーズ2:エボ前後期型)ですから、サイドシルには樹脂のガーニッシュがありますので、それらもはずします。クアトロポルテでは、写真でご覧の通りエンジンのメインコンピュータが、左右フロントシートの下にそれぞれ装着されています。ですから、構成の複雑なナビやオーディオセットを取りつける場合の各ユニットの取付場所が、原則的には室内には無いんです。リアシートの座面下も、熱を持つユニットの装着は当店では推奨していません。ギブリ(中期型以降)の場合は、リアシート左右座面下にエンジンメインコンピュータがいます。よくこの周囲に、ナビの分岐ユニットなどを無理やり仕込んでいるのも見掛けますが、当店では、この場所から必ず撤去して別の場所(多くはトランク内になりますので、今日のような大工事になっちゃいますけど:笑泣)に付け替えます。

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 リアシートも座面部、背もたれ部ともに降ろします。左右のカーペットを前から後ろまですべてめくれるように準備が出来たら、システム全体の構成や、各ハーネスの長さ、後の整備性向上などを考慮しつつ、ハーネスを丁寧にカーペット下に這わせていきます。このとき、熱的な問題や、パワーシートの動作との干渉具合なども重要な勘案要素です。

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 結局、内装は、リアトレーやCピラー内張り、リアオーバーヘッドパネルまで「ほとんど全バラシ」の上、 Cピラーの室内灯ユニット表面の「ネタネタ病予備軍層(なんのこっちゃ:笑)」を分解して除去。作業は折り返して今度は組み立て工程。後ろから順に内装を仕込んでいきます。もちろん、各部材は降ろされている間に、個別のクリーニング作業を既に施されています。 かくて、晩秋の夕暮れは「あれよあれよ」の間。スッカリ日も暮れて最後の写真はストロボ撮影となりました。 

2011年11月12日 (土)

ご縁の糸を手繰り寄せ・・・

 まあ、世の中(と申しますか、コノ地球上)には、まっこと、大勢の「人類さん(笑)」がいらっしゃいますね。本日現在、世界の総人口が何人くらいいるのか、不勉強で存じあげませんが、とにかく沢山居る。この中で一生のうちに、何らかのカタチで関わり合う方々はいったい何人くらいいらっしゃるのでしょうね。

 このシゴトをやっておりますと、「マセラティ屋」なんていうニッチ産業(泣)ですら、日々非常に多くのお客さんや、協力会社さん、金融機関の方々などにお目に掛るチャンスがあります。特に初めてお会いする方にとっては「第一印象」が極めて大事だとは分かっているのですが、ワタシなど、常に「普段着が薄汚れた状態」で作業しておりますし、御存じのようにマイクロ・デポ場内は、慢性的に足の踏み場もないほどのカオス状態に甘んじておりますゆえ、ヒトによっては、あからさまに不快感を滲ませているのが当方にも伝わってくる場合がございます。そんな時、「いやー、中身を見て欲しいんだけどなあー」と幾ら懇願しても詮ないこと。「ご縁が無かったのね」と潔く一旦はアキラメることにしています。もちろん、些かの寂しさは伴って。

 子供の頃から、幼稚園や保育園、小学校、中学校と、初めての「団体行動(集団生活)」の中に、半ば強制的に投げ込まれるコトによって、「世の中には、色々な価値観の人々がいる」という事実を知るにいたります。そこに「自分自らを形成している様々な構成要素(容姿、性格、家庭環境、知力、体力、性癖・・・)」を幼い小さな胸をイタめつつも、拙い思考回路で分析しながら「(その周辺環境内で)生きていきやすいキャラクターづけ」を自らに課しつつ(若しくは自らの殻に閉じこもったまま)日常を送り続けるというわけです。

 ワタシ自身は、練馬区の公立小中学校から、都立の普通科高校にすすみ、「1年間、代々木を経由(笑)」の上、私大に入りましたので、高校までは「ものすごくドメスティックな環境」で過ごしておりました。現今では、ごく普通のサラリーマンの子息でも私立の小中高校に通わせるのがごくあたりまえになっているらしいのですが、ワタシの子供の頃は、練馬あたりでも、本当に様々な職種、階層の家の子らが、同じ小学校なりで6年間ともに過ごしていました。各々の「生活水準の差」は歴然としており、お小遣いの額、お年玉の額、誕生日会開催の可否、クリスマスパーティーの豪華さ等などの各項目において、そのひとつひとつをヒトと比べて気を遣ったり、一喜一憂したりしたものです。

 大学生になると、かくも全国に同世代人が居たものか、と驚嘆するくらいに、各地から上京してきた人々と初めて交流するようになります。特に、関西圏以西のヒトビトとは、クラブ活動で交流のあった大阪の私大を通じて多くの縁を得たのですが、まあ、「言語(方言)」が違うところから始まって、生活様式、モノの見方や考え方、ナンパの仕方(笑)にいたるまで、「武蔵の国のワタシ」とは違うのを見せつけられました。なんというか、こう、アッケラカーンとしている。フランクって云うんですかね、こういう感じ。ワタシも関西圏に育ってみたかったなーと羨ましく思っていました。

 そう云えば、大阪では「エスカレーターの乗り方」が東京とは逆なのを御存じの方もいるかもしれません。先日のイベント帰りに市営地下鉄に乗ったのですが、エスカレーター上で「歩かないヒトは右、歩いて登るヒトは左」コレが大阪流。東京でコレやったらオコられそうですよね(笑)。ところが、新大阪駅で新幹線の改札を通りホームに上がるエスカレーターでは「歩かないヒトは左、歩いて登るヒトは右」の東京流になってるんです!初めて気が付いた(遅い?)。新幹線の改札は「税関」と同じ。ここはもはや大阪ではないのでしょうね。

 市営バスも乗り方がヘン(あくまでも東京23区周辺のヒトにとっては、なので関西人の方、ユルしてね)。ワタシも千葉に家があるので、地方バスでは後扉から乗車して整理券をとり、降車時に整理券の番号に応じた乗車料金を支払うという様式は知っております。ところが、大阪市営は均一料金なのに、後扉から乗車して料金はなぜか後払い、で、前扉から降車。最初は「なんでこんなメンドくさいことするんダロ」と訝しげに状況を観察しておりましたが、市営地下鉄駅と接続するバス停で降車するときに、「このまま、○○線に乗り換えて、△△駅まで行きまーす」と運転手さんに告げると、乗り継ぎ券を発行してくださり、なんとまあ地下鉄が100円くらい割引になるんです(そんなんで驚いてるんじゃないよ!と大阪のヒトの罵倒が聞こえてまいります:笑)。いや、こんなメンドくさいコトは東京では絶対やってくれません。ヒトとヒトとのコミュニケーションに長けた関西人同志であればこそ、スムーズに機能するしくみなのでしょう。案の定、ワタシたち夫婦は「乗り継ぎ券」の使用法と処遇が理解できず、地下鉄駅の改札にいらした駅員さんが、「噛んで含めるように」わざわざ自動販売機の前まで出てきてくださって、5分くらい懇切丁寧なレクチャーをしてくれて初めて飲みこめた次第。自動改札機を「ピッ!」とくぐるダケでは、こういった「ご縁」も生まれなかったコトでしょうね。こういったちょっとしたエピソードが旅の思い出にもなり、有難いものです。

 ワタシたちマイクロ・デポも、マセラティを始めとする「旧いクルマたち」と日々懸命に闘いながら、「ご縁」を結びに遠くから駆け付けてくださるお客さん方と共に歩んでいきたいと、そう願っております。皆さんが旧いクルマたちとともに、彩のある暮らしを送って頂けたら望外の喜びですね。御一緒に手を携えてまいりましょう!

2011年11月11日 (金)

ヴェトロモンターニャ高野山2011にシャマルで行く(その4:最終回)

 いよいよイベントも、2日目(11月6日、日曜日)のフィナーレとなってまいりました。走行会最後の参集場所は「ちかつゆ(近露)」という熊野詣でのお客さん用に用意された道の駅です。熊野大社を出るときに、これでツルんで走るの最後だから、どれか好きなクルマの後ろについて走りたいなあーとココロの叫びが。ワタシ「ロータスヨーロッパかディーノの後ろがいい!」りゅたろう先生「えぇー?ヨーロッパ?やだよぅー」→結局キマリ通り番号順というコトで、さらにカウンタックの後塵を拝することに(笑泣)。けれども、コレが僥倖。カウンタックパパさんは、トンネルの中で「くぉーーーーーーーん!」を何度もヤッてくれまして、そのたびに、4本のテールパイプからは「ぼっ、ぼっ、ぼーっ」と青白い炎を噴射するので、「カッチョいいなぁ、もう!!」とりゅたろう先生と手を取り合って喜んでおりましたよ。有難う!!このあたりの描写は「りゅたろう先生のブログ」にも出ています。そちらも、どうぞ。

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 で、最後の集合場所に到着。初日と同じように番号順に整列です。我らがシャマルはサブエントリー番号003番。いつも002番カウンタックと004番2000GTにハサまれています。

 どちらも、洋邦の二大人気車で、さしてクルマに興味のないヒトでも知ってる超有名銘柄ですから、こうして展示していてもシャマルにべったりの変人(笑)さんはあまりいらっしゃいません。試しにボンネットを開けっぱなしにしておくとヒトが群がるようになるから不思議。

 雨のあいまの薄曇り、夕方になってまいりました。施設の裏手はなんともイイ感じの風景で思わずパチリ!

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 実を云えば、2日間も一緒に居るのに、他の展示車をゆっくり眺めまわす余裕はあまりありませんでした。

雨が降ってきちゃったので、内装を見せ合ったり、エンジンルームをしげしげと拝見したり出来なかったのが、いささか惜しいです。落ち穂拾いのように、場内を撮影して回りました。オレンジ色のメアリを挟んでシトロエン2CV、ジネッタG4。右はモーガンを始めとする英国車御歴々。

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 ディーノ246GTの後ろ姿。奥に側面が見えるディーノはすでにご紹介したGTS。

ロータスヨーロッパのエンジンルーム。青いカムカバーはノンオリジナルですが、美しく仕上がっていました。サイドドラフトキャブレターがイカしております。

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 フィアットアバルト2題。リアエンジンフード「開きっぱ(笑)」がデフォルトという、イタリア人にしか造れないテキトーさが、また愛おしいマシン達です。 カルロ・アバルトおぢさん、やっぱビョーキです。このあたりはワタシも若い頃にすこぶる欲しかったんですけどねー、ついにご縁がありませんでした。

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 アルピーヌA110のリアエンジンルーム。あのペッタンコのクルマのうしろにこんな搭載方法で乗っかってるところが・・・ゴルディーニさんもイッちゃってマスね(笑)。ものすごリアヘビーで、冷却とかもちゃんと出来てるのか老婆心ながら心配でタマりません。フランス人がポルシェ911にラリーで勝ってやれとか思って造り上げた回答がコレですから。ラテンの血、侮り難し。そうそう、そういえばナロー911Sが3台も来てたのですが、ついに写真に納めるのを忘れました。ごめんなさい!好きそうなおぢーちゃん達がポルシェを囲んで懇談しておりましたっけ。さらには、ある意味今回の参加車で最もコンペティティブな一台、ロータス23Bもご紹介がまだでした。もう、ペッタンコの権化、臙脂色のシートもいい!

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 ヴェトロモンターニャ熊野来臨を歓迎して、地元のお若い方々が「太鼓パフォーマンス」を演じてくださいました。

 参加車が散会する折にも、最後まで、「どんどこどんどこ」と景気を付けてくださいました。とかく、宴のあとには「もの寂しさ」だけが残るモンですが、おかげさまで陽気に送りだしていただけましたよ。有難うございました。

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 参加者全員とスタッフ全員が各々の労をねぎらうフィナーレパーティー。ほとんどすべての方々がトロフィーをもらって御満悦。りゅたろう先生、バスト・・・ぢゃなかった(笑)、「ベストダンディ賞(めっちゃダンディ賞)」をもらって、すっかり上機嫌です。シャマルの運転席につくと、もう「いつものポーズ」でカッコつけています。○○(自主規制:笑)としか云いようがありません。コノ御茶目さん!

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 会場の出口でも、最後の最後まで、山ほどのお土産を車中に差し入れて頂き、本当に「もてなしの心」が胸に響きました。

ここまで、参加者とスタッフ、そして開催地の住民の方々が一体となって行なわれるカーイベントはちょっと他には無いかも知れません。りゅたろう先生がワタシたち夫婦を「半ば強引に」引っ張り出してくれ、得難い経験をさせて頂いた事にはあらためまして感謝です。想えば、この夏休みに大分のりゅたろう先生のもとへお目に掛りに行った折、「ワタシがまだ行ったことのない国内の未踏地は和歌山県と宮崎県だけになってるんですよねー」と思わず漏らしたところ、「だったら、高野山に行きませんか?和歌山県だよ。」とお誘い頂いたのが発端でした。ワタシがイベント参加には消極的であるのを御存じの上での強い御誘いでしたので、「ええ、まぁ、前向きに善処しときマス。おとうと達にも諒解を得ないとイケませんから。」と玉虫色の発言でその場はお茶を濁しておったのですが、そのうち、りゅたろう先生独特の非常に癖のある書体で「紫色のインク(まるでエンツォ・フェラーリみたい:笑)」を用いて認められた「岡本おとうと達への長文の手紙(ワタシがイベントに参加出来るよう、取り計らってくれと説得懇願し、外堀から攻めようというもの:笑)」が9月の始め頃デポに配達されまして「こりゃ、ホンキだぞー(笑泣)」というのが分かりました。「人徳」です、やっぱり。

 駅に向かう帰り道、前方を走るMGマグネットのテールを眺めながら、本日ここまでの交々を想い返しておりました。そのうち、MGさんも「さよなら」。シャマル「ひゃんっ!(2連エアホーンの音)」MG「ヴィン!!(ホーン音)」・・・ああ、ついに「完全に」終わってしまいました。

 先ほどの会場で、一番最寄りの駅は「JR白浜駅」だと参加者の奥さまより伺っておりましたので、一路目指してはいるのですが、一向にスピードが上がりません。しばらくすると原因が居ました。BMCミニがロープ付けてけん引されているのです(イベントのギャラリー車であったと思われる:笑泣)。ナビの「予定到着時刻」を見つめるりゅたろう先生も段々とシリアスな目になってまいりました。「こんなんで、間に合うんかなー、あー、途中どっかでトイレも行きたいし」と二律背反なコトを云っております。

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徐々にペースも上がり、白浜駅のホームがようやく見えてまいりましたが・・・「あああー、とっきゅー停まってる!!」と叫ぶワタシ。駅の駐車場にスベリ込むと、すでに発車を告げるベルが鳴り響いております。飛び降りるようにシャマルをあとにする先生。すかさずトランクを開き、先生の荷物を降ろしつつ分類する、たこちゃんヨメ。「乗れるのーー!」と叫ぶワタシ。先生が改札の横で大きく頷いています。「急がなきゃ!」スーツケースと御土産バッグを引きずって「スタコラ走る」たこちゃん夫婦。特急は待っててくれました。入場券も買わずにホームになだれ込み、先生と荷物を列車に押し込めて改札のそとに出る・・・「ぷしゅー」ドアは閉まり、りゅたろう先生は、いきなり車中の人となりました。ああ、遠方なのでまたいつ逢えるかわからない。もっとゆっくりとお別れの時間を噛みしめたかったのに・・・。

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 白浜の駅では、まだ「助手(下僕:笑)」のシゴトが残っております。ゼッケンシールを剥がして、ボディを拭きあげます。「シャマルさん、あんたもお疲れさんでした。1,000キロも頑張ったんだよねぇ、エライ、エライ」となでなでを。

 その夜は大阪の堺まで歩をすすめて、安いビジホに宿泊しましたが、ここのベッドが大外れ(泣)。一晩でカラダの節々がイタくなりました。高野山の宿坊の布団は最高級の寝心地の立派なものでしたので、早くも「もうお山に帰りたい」気持ち(笑)。翌朝は隣町の「大阪南港」へと市街地ノロノロ運転で向かいました。

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 いつも当店が長距離陸送を依頼する「ゼロ」さんの大阪物流センターに到着。車輛チェックをしてもらい、引き渡しました。コレですべてのミッションが完了です!さあ、心斎橋あたりの「タコ焼き」屋にでもイッてみましょうね。ちょうどお昼頃には到着出来るかな。

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 ・・・と思いきや、こんな僻地には、市営バスもなかなかやって来ない。「真っ白な」時刻表をご覧あれ(泣)。

タコ焼きにありつき、新大阪を目指し、のぞみに乗車します。ヨメは「551蓬莱(関西のヒトしか分からんだろうけど)」のシューマイを本店でゲットしてご機嫌です。席につくやいなや「ぷしゅっ!」であることは云うまでもありませんね。

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 N700系のぞみは3号車と15号車に「喫煙コーナー」が付いています。今回は15号車の指定席。

 スジャータのスーパープレミアムアイスクリームは新幹線旅行のお楽しみです。カチンカチンに凍ったヤツをしばらく融かして食べるのが流儀なんですよね。出張族には御馴染のハズです。

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 帰宅して、あらためてパンフレットを眺めます。

 ヴェトロモンターニャ高野山2011・・・本当に素晴らしいイベントでした。

 このような機会を設けてくださった「りゅたろう先生」には、この場をお借りいたしまして御礼申しあげます。有難うございました(月曜日に、お忘れ物のムービーカメラほかが医院に到着いたしますヨ:笑)。

 ワタシもヴィンテージカーを一度は手に入れて、「正規参加」を果たしてみたいなあー。1960年代のマセラティかぁ・・・嗚呼、無理無理(泣)。ワタシの稼ぎでは、どれもこれも。

また、一生懸命にハタらきマスかぁー!!

このシリーズ「完」。

         

2011年11月10日 (木)

ヴェトロモンターニャ高野山2011にシャマルで行く(その3)

 いやー、ホント、車イベントの写真は、ひとつひとつ写真に写ってるナンバーの隠蔽加工(笑)をしないとイケないし、モブシーン(群衆画像)にも気を遣うわ(ぜんぜん気を遣ってない画像をお望みの方はりゅたろう先生のブログもどうぞ)で、めちゃくちゃ大変です。途中でヤメるわけにもいかないので、根性で更新いたしております。せめて皆さん、参加したつもりになって楽しんでくださいね。出来る限りライブ感を出して頑張ってますから。

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 「夜の宴」は正式には「懇親会」と呼ばれています。会場のお寺には早くも人が溢れておりますが・・・何ヤッてるの?

 どーも、席取り合戦ではないかとの情報が入ってきましたが・・・えっ?違うの?単に参加者の人数確認のため、出欠をとっているダケだったんですね。皆、そう急いてはイケません(笑)。でも、座敷だから、壁に寄り掛かれる方が長時間の宴会の場合は楽なんだそうです。ワタシ、そんなの考えて坐ったコトないわ。どーせビール瓶持って、そのうち皆歩き回るようになるんだから(笑)。

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 今日は、精進懐石。鍋も用意されています。楽しみだなあ。

 ソレにしても、はやくビールにありつきたいモノではありますが、一向に宴が開幕する気配がありません(泣)。

 それにしても、1200年の歴史を誇るという高野山の精進料理は、こうして見ても、一体原材料がなんなのか、一目ではわかりません(食べてもよく分からなかった:おいしいんだけど:笑)。「見立て」の文化、ここにありといったところでしょうか。写真にはありませんが、あとから、あとから、揚げたてあつあつの天ぷらやら、さっぱりとおいしいおソバやらが出てきたりいたします。そこが、半端な温泉宿などの宴会とは違うところだなあと感じ入りました。シナシナの冷えた天ぷらほどマズいもんはありませんからね。高野山の精進料理、ホントおいしかったですよ。

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 まずは、お歴々の方々からの御挨拶コーナーが延々と続いております。

 一応、初参加なので、アウトラインを掴ませて頂こうと一生懸命拝聴してたら、いよいよハラ減った(笑)。ふと目を落とすと「ようこそヴェトロモンターニャへ」のカードが御膳に添えられております。スタッフ御一同のあたたかい歓迎の気持ちが心に迫ります。御挨拶が一巡すると、場内が暗転し、ランタンが通路に置かれました。まずは、3月の東日本大震災と9月の熊野大水害の犠牲者に参加者全員で黙祷を捧げます。好きなクルマで存分に走り回れるわが身の有難さ、毎日を普通に過ごせる「あたりまえの日々」の有難さ、ともに噛みしめながらの黙祷です。

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 「Mr,ヴェトロモンターニャ」夏木陽介さんの音頭でいざ「乾杯!!」です。

 続いて、和歌山の梅干し工場で働いていたという経歴の演歌歌手、坂本冬美サンの「夜桜お七」のイントロが流れてまいりました・・・障子が開き現れたるは・・・ホンモノ?んなワケねーダロ(笑)。そっくり芸人の「フユミ」さんだそうです。テレビのものまね番組などにも出演しているらしいのですが、「坂本冬美歌謡ショウ」を模した芸を誇る「場持ち」のいい芸人さんで、場内ではおひねりが飛び交ってました。

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 続いては、一人あたり500円を握りしめての「義援金じゃんけん大会」。適当に近所のヒトとペアを組みジャンケンをします。勝った方は負けた方から500円をもらいます。一番最後に残った人が参加者すべてから徴収した500円を本来は総取りなのですが、今回はその半分を明日の熊野大社に義援金としてお納めします。助手の部に出場したワタシは二回戦ではやくも敗退(泣)。大ラスは運転手の部の勝ち残り者と助手の部の勝ち残り者で大決勝!右の写真は総合優勝者決定の瞬間です。

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 最後の出し物は「義援金オークション大会」。地元テレビ局のアナウンサーおねえさんのキビキビした進行と、「セリ人役」のSさんの「スーパー仕切り芸(笑)」により、会場は大盛り上がりを見せております。りゅたろう先生とワタシは、一番前まで行って「かぶりつき状態」でセリに参加しております。一番最初に「マセラティメラク」のリトグラフ額装が出品されたのですが、「どーせ、フェイクだろう」とタカを括っていたために逃してしまい、あとで本物のリトだと分かって地団駄を踏んでも後の祭りです。あーあ。

 おいおい、このシャンパンは「芝公園のフェラーリ屋さん(笑)」で見たコトあるような気がするなあー。シューマッハ所縁のものだそうで、なんかレターもついてるという、お馬さんマニアの方々には垂涎ものの逸品。コレは盛り上がりそうだぞー。

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 ・・・やっぱ、ものすごい白熱状態に(笑)。場内のあちこちから指し値がコールされます。

 結果、とある御婦人が落札。その場でものスゴイ金額を払ってました。でも、出すところに出せばもっとスゴイ金額にはなりそうだけど。熊野の神様に御寄進いたしましょうね。

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 りゅたろう先生は、ワタシも狙っていた「レゴのフェラーリF1」をゲット!コレ普通に買うとものスゴイ値段なんだけど、結構テキトーな価格で落札(笑)。いいなあ。でも、お子さんにお土産が出来たと喜んでおられました。右の写真はチェーンソーによる一刀彫のジャガーマスコット。でかいです。スゴイです。

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 白熱のオークションも盛況のうちに終り、皆さん三々五々と争うように宿坊に帰っていきました。

・・・りゅたろう先生とたこちゃんヨメはふたりして、座敷に残していったデザートみかんを拾い集めています(笑泣)。まあ、食べ物は粗末にしてはイケません。見上げた心がけではありますが、「みっともないからおよしなさい、もっとデッカイことーなーぜでーぇきーぃぬぅー」とクレージーキャッツのショボクレ人生(このリンクは音出ます:注意!)が頭の中でリフレイン(笑)しておりました。ワタシが一服するロビーも先ほどまでの騒々しさはどこへやら、スッカリ静かになりました。ああ、ようやく今日は眠れるな。

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 ・・・チュンチュン(鳥さんの声)・・・朝になりました。昨日は気絶。窓を開けますと裏山の新鮮清浄な空気が部屋の空気を一変させます。

 こんなにすがすがしい寝起きは本当に久しぶりです。コレをもう一度味わうために高野山に来てもいいと思った次第。写真取り損ねたけど、質素な朝ゴハンもおいしかったなあ。

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 さあ、宿坊をあとにして、走行会へとまいりましょう!

 残念ながら、今日も朝から雨模様。然れどもシャマルはスターター一閃!元気よく目覚めてくれました(ちなみに、ワイパーとウォッシャーもちゃんと動いてたよ:笑)。

レッツゴー・トゥー・熊野!出発はりゅたろう先生のドライビングから。

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 コドライバー役のワタシは小うるさい舅の如く、「はい、はい、ワインディングでは片手ハンドルはヤメてください」とか、「あー、もっと車間距離を開けてクダサイ」とか、りゅたろう先生から煙たがられるコトばかり連発いたします。「オカモトさんは、いると何かと便利だから、ポケットたこちゃんにして持ち歩きたいんだけども、で、うるさくなったら小さくしてカプセルにいれちゃうのって、どう?」「勝手にすればー(笑)」漫才です。

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 しかしまあ、シャマルの車中では「珍道中」が繰り広げられているわけですが、そのわりには、傍目から見ると霧の中の豪華絢爛なパレードというわけでして・・・雨と濃霧の中、アニバーサリーカウンタック(はい、ここの音声はしばらく「クォーーーーーーン」デスからね:笑)とのコンボイ状態は続きます。後ろを見れば2台のトヨタ2000GT、いわば白日夢の如し。なにしろ今回のコースは9月の水害で大きく破壊されている被災地を突貫工事でなんとか開通させたというものですから、交互通行になっている区間も数多くあります。信号待ちのインターバルは90秒。結構長いので、ドライバーのりゅたろう先生はシャマルを抜け出して動画撮影をしたりいたします。はやく戻ってきてちょー。

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 ・・・はい、信号が青になりましたよ!クルマに戻ってくださーい。

 皆さん、テキトーに休憩停車します。ワタシたちもテキトーに休みを入れます。このあたり、走行会のシナリオにはありません。本来の第一チェックポイントでは「豚汁」が振舞われたのですが、がっついてて写真撮るの忘れた(泣)。りゅたろう先生はあまりの美味さに「4杯と8分目」食べました(!)。最後には、豚汁をついでくれるお婆ちゃんがりゅたろう先生の顔を見ただけで「サトイモ多目にしといたから・・・」と云って喜んでついでくれていたそうです。もちろん、そんな参加者は他にいるわけありません(ワタシは2杯:笑:とてもおいしかった!)。

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 そうこうしているうちに、今度は急遽眠くなったりゅたろう先生と交代してワタシが次のチェックポイント熊野までシャマルを運転。

 途中、今はキレイな川辺も、台風の時はたいへんだったのだなあと想いを馳せます。昼食は熊野大社(旧い方のお社)でとのコトでしたが、こちらも、台風時は汚泥で埋まってしまったそうです。不眠不休の突貫工事で、ようやくイベントが開催出来るまでに復旧したとの事。本当に大変でしたね。

 今度は、「焼きアユ」とともに簡単なおにぎり弁当が、地元熊野の方々より振舞われる模様。色々と大変な中、我々イベント参加者への歓迎の気持ちを表すべく精一杯もてなしてくださっているのが胸に迫ります。マツタケのおつゆも出たんですから。

 一方、りゅたろう先生のアタマの中は「アユ」をいかにしたらおかわり出来るかという策謀(笑)でいっぱいです。で、権謀術数の末、ホントに2匹目をゲット!「どーしてそーゆーコト出来るかなあ」「人徳、人徳(笑)」ホント御馳走様でした!二人ともそっと両手をあわせます。

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 地元の女子が「民族衣装(笑)」に身を包みお出迎え。「暑くない?」と聞くと「アツいですぅー」と笑顔で即答。

 実は、この熊野に着く直前あたりで奇跡的に折からの雨が上がり、一気に気温も急上昇だったんです。おかげで昼食は雨に濡れるコトなく楽しむことが出来ました。御利益でしょう、きっと。

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 続いて、熊野大社に義援金を奉納する儀式へと移ります。参加者の中から、全国の各地方の代表として5名がコールされ、りゅたろう先生も九州代表として、関東代表の夏木さんとともに、玉ぐしを奉げる役に任命されました。宮司さんや、熊野市長さんもお見えになり、被災地だけに装飾こそ簡素ではありますが、本格的な式典となりました。

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 昨日に続いて、熊野にも記念の植樹をすることに。宮司さんが参加者(車)をお祓いするとともに、参加者全員で「土入れ」を行ないました。

 ワタシが、次に熊野に来るのはいつの日になるんでありましょうか。その時にはこれが大きく育っていると嬉しいですね。

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 ここ熊野でのすべての行事は終わりました。しばらくの間は、参加車輛を堪能するコトにいたしましょう。まさに綺羅星の如しの名車群。

 それにしても、 熊野大社で頂戴した機関紙に掲載された災害状況の写真をあとから拝見し、短期間でここまで復するのは大変だったろうなーともう一度思いました。開催地の皆様、本当に有難うございました。 さあ、次はファイナルステージです。明日もお楽しみに!   

2011年11月 9日 (水)

ヴェトロモンターニャ高野山2011にシャマルで行く(その2)

 昨日のコメントに「りゅたろうチルドレン」さん(初コメント有難うございます!)が寄せておられましたように、当店に初めて御来店頂いた時はジャガーEタイプでおみえになりましたね、りゅたろう先生。ものすごくコンディションの良い個体でした。そのEタイプで高野山デビューを果たして以来幾星霜、このたびの特別枠参加となったわけです。

 自動車趣味の世界は、非常に奥が深く、幅も広いものです。同じ「クルマ好き」とは云っても、「ミニバン愛好家」と「ブリティッシュクラシック愛好家」は、物に対する価値観、生き様もとい人生哲学といった深いところまでおそらくは違います。ここで云いたいのは、どちらが優越していて、どちらが正しいといった比較論ではありません。

 傍からみれば限りなく「同類」とみなされるであろう「イタ車マニア」という括りの中ですら、「旧型パンダ」をこよなく愛する方々もいらっしゃれば、ヴィンテージフェラーリの愛好家も居る。さらに同じヴィンテージフェラーリ愛好家の中にも、コンペティションカーを日常の足にされているツワモノもいらっしゃれば、年に数度のイベントに出場するためだけに整備を施し磨き上げ、「床の間モード」にしておくのを是とする向きもある。

 ですから、ワタシ自身は自動車趣味の世界のホンの一端を御提供する使命を持った生業をさせて頂いております関係上、従来この手の「カーイベント」への参加はあまり積極的にすべきではないと考え、控えていた部分もありました。昨年のビトルボフェスタへの参加を呼び掛けて頂いた折も、当初は相当逡巡したものです。

 しかしながら、この「ヴェトロモンターニャ高野山」は、本当に参加者を包み込んでくれるような「手造りの」イベントでした。なにより(ビトルボフェスタもそうでしたが)商業主義にまみれていないところがいい。そして、現地の住民の方々も年に一度の祭典を待っていてくれ、沿道ではじーちゃんばーちゃんまでもが手を振ってくれる。ワタシもつかの間の「宮様気分(笑)」を味あわせて頂きました。

 例えはいささか分かりにくいかもしれませんが、まだ「すくらん」であった頃の、「草創期のカーマガジンの世界」と云ったらいいでしょうか、適度に牧歌的だけど決してドメスティックなものではなく、その器は足が着く程度の適度な深さ(浅さ)と極めて広汎な奥行きがありました。国産の旧いトラックや軽自動車と、27レビンやヴィンテージベントレーが共存していたのです。今思えば、これは極めて健全な趣味の世界であったと云えましょう。実を云えばマイクロ・デポの「裏キャッチフレーズ」である「軽自動車からロールスロイスまで」というのは、このあたりの「自動車趣味人としての」信条を表現したものなんです。

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 ・・・さあ、余談が過ぎましたね。昨日の続きをばイッてみましょう。

 うちのヨメが事前に高野山の観光情報をネット検索にて得たところにより、「四つ葉のクローバー」ならぬ、「三叉の松葉」という「金運」を呼ぶ松葉をはやす松の木があるとのこと。ヨメが案内所の方に尋ねると地図を出して丁寧に説明をして頂き、イベント会場のすぐ近くであることが分かりましたので、早速行って、三叉松葉を探しましたら、あっけなく発見!そっと財布にしのばせるコトといたしましたが、霊験は如何に(笑)。

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 美しい木々の緑と、始まりかけた紅葉、そして極彩色の橋や建造物が織りなす風景に酔いしれていますと、道の向こうでヨメがビニール傘を拾っております。折からパラパラと雨が降り出してまいりましたので、「早速、御利益があったわ」と喜んでおりますが、そんなんで「運」つかってるばあーいぢゃ無いダロ(笑)!

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 会場に戻ってまいりますと、スッカリ出場車も出そろっておりました。

 このアストンマーティンはとても素敵な塗色。ノンメタのモナコブルー近似色ですが、しっとりと濡れたところがコレまた艶っぽいですなあ。レーシーなアルピーヌA110はスペイン製だそうです。オーナー様にお話しを伺って今回そういうのがあるのを初めて知りました。

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 アルファロメオ達。ホントはこのとなりに「みにくいジュリア」君もいたのですが、撮った写真に人影があまりに多くて載せるのを我慢しました。

どのマシンもオーナーの慈愛を一身に受けて、良いコンディションを保っております。

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 シトロエンは好対照の2台。左のオレンジ色はシトロエンメアリ。日本では珍車ですね。あずき色のDS19は、大きくて威風堂々とした貫禄なのに、顔はカエル(笑)。見飽きないクルマたちです。

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 イギリス勢。このイベントには新旧多数のモーガンが参加されておりました。

 ワタシの「大好物」、ロータスヨーロッパはスペシャルが3台並んで展示され、大変目立っておりました。

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 「青春とはなんだ!」や「Gメン75」での活躍で御馴染の俳優、夏木陽介さん。このイベントには17回連続参加だそうです。当イベント参加車でもっとも古いジャガーSS100を御持ちです。イベント参加歴の長いりゅたろう先生ともスッカリ顔馴染みでいらっしゃる御様子で、ワタシやヨメにも気さくに話しかけてくださいました。一時は「パリダカ」でも名を馳せた国際A級レーサーも、いまや御年75歳、いまだ青年の心で毎年大好きな高野山にいらっしゃるのがとても素敵なことだなあと思いました。そういうジジイにワタシもなりたい!

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 左のフィアット1100TVは、御本家ミッレミリアにも出場しているというツワモノ。美しいエンジンルームを見せて頂きながら、オーナーさんとも言葉を交わしましたが、いわゆる「おセレブ感」など皆無の腰の低い誠実な方でいらっしゃいました。右のロータスエランは、その後の走行会中に、路面の荒れを気にして低速走行に甘んじる我がシャマルを風爽と追い抜いていったクルマです。りゅたろう先生が「(ご主人さまが下僕に話かける感じで)ほら、オカモトクン、マセラティがロータスに抜かれたままでいいの?」とけしかけますので、「あたー(頭に)きた!」とばかりに電子制御サスを4段にして、ホンキで追いかけようとしたら、すぐ「げきょっ!!」とコーナー出口のバンプでハラ打ち。もう、その後はバンプトラウマで、継ぎ目のたんびに蛇行走行をするようになり、「たこちゃんばしり」と渾名されてしまいました。まったく、もう。

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 ディーノ246GTSとロータススーパーセブン(たぶんS2)。どちらも美しい仕上がりなので、雨に濡らすのはホント可哀想なんだけど、このイベント参加者たちはキモが座っていて、屋根下に持っていくといったようなヤワなマネはいたしません。ソコがまたスゴイです。

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 我らが、サブエントリーコーナーの5台。お隣のアニバーサリーカウンタックとは、この後の走行会でも常に一緒。助手席にはチャイルドシートを装着して、可愛いムスメさんと一緒です。ワタシの苦手とする「関西系ランボルギーニ野郎」のイメージとはかけ離れた、温和でサービス精神旺盛な、良きパパさんでした。

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 あーあ、すっかりシャマルも濡れちゃいましたね。明日の走行会では、ワイパーとかちゃんと動けよな(笑)。

 夕方になるにつれ、雨はいよいよ本格的になり、しまいにゃ、ビニールシートでラップしたクルマもあらわれました。モノホンアバルトだもんなー。お気持ちはイタいほど分かります。こんなにまでして展示を続けてくれる根性あるオーナーさん方には感謝しないといけませんね。

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 さあ、昼食の時間です。会場は近所のお寺。

山門をくぐると、いきなり玉じゃりの上には、美しいランサーGSRと510ブルーバードSSSがともにワークスマーキングでのお出迎え。スタッフの方々のものであったようです。

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 用意して頂いた昼食は、湯豆腐と松茸ごはんを中心とする豪華なもの。これも関係者の手造りらしいのですが、その完成度の高さには目を見張るモノがあります。

もちろん、味も抜群。残さず完食いたしました。りゅたろう先生は湯豆腐のおかわりを要求しておりましたが、まさか、ねぇー(笑)。

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 ・・・で、畳があると、やっぱり寝ると(笑)。先ほどから、縁側部分の隅っこで御老人がお一人グッスリとお休みになっておられましたので、先生とふたりで「なんとか、ココでしばらく寝れんもんかなあー」と思案しておりましたが、「もう、寝ちゃえば勝ちたい!」と先生が倒れ込みましたので、ワタシもしばし寝ることに。小一時間で起こされて、今度は「護摩焚き」に全員で参加とのコト。この部分、カメラに納めていなかったのですが、りゅたろう先生のブログに載ってましたのでリンク張っておきましょう。たこちゃん夫婦の「アホづら」も例によって無許可でアップされて(笑泣)いる模様です。

 一方、有志の参加者が寄贈したヴェトロモンターニャ20回開催記念の植樹も大会委員長である御坊様のもと、参加者全員の立ち合いで行なわれました。

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 その後も雨は一向止む気配も無く、徐々に日が暮れてまいりました。アストンマーティンボンネットサイドのツーリング「スーパーレッジェーラ」エンブレム。フィアット1100TVの内装、ロータスエランの後部エンブレム、MGマグネットの威厳あるフロントグリル。

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 初日の展示会も終え、今晩宿泊するお寺に向かいます。いわゆる「宿坊」というものですが、ワタシたち夫婦には初めての出来ごとです。

お寺に泊るってどんな感じなんだろうとワクワクしてきました。途中荘厳なビルマ戦没者慰霊塔が目に入ってきましたのでパチリ。

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 ああ、ここが「夜の宴」の会場らしいです。もちろんお寺だけど。とにかく、食事をするのも、宴会やるのも、泊るのも、この街では「お寺」が普通なんです。

 料理は精進料理で、肉は食べない戒律があるようですが、酒もタバコもオールOK!ワタシにとっては、表面的に「あれもダメ、これもダメ」と小中学生相手レベルの物云いですべてを規制されている都内などより、よほど過ごしやすい環境です。おまけに、その空気の澄んでいておいしいコトといったらありません。ちょっとカラダの具合が悪い人はこの街に2~3日滞在するだけで、症状が軽快するような、それくらいの心地よさです。

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 さあ、宿坊に到着いたしました。地蔵院というお寺です。早速お坊さんから部屋の鍵を頂き行ってみますと・・・このキレイさ、設備の充実には目を見張ります。大きなコタツの上にはお茶と茶菓子。嬉しい灰皿(笑)。窓を開けますと裏山の紅葉がせまり、清浄な空気が部屋に満たされていきます。なんと心地よく快適なのでしょう。広いお堂にザコ寝をイメージしていたワタシはここでも嬉しい誤算を味わいました。「いつかはシャマル」さん、222でぜひ行ってみてね、高野山。

 時間が押しているそうなので、混み合う前にお風呂場へとまいりました。アメニティ類もおそらく自前であると踏んでいたので、石鹸、シャンプー、タオルと一通り持参して行きましたが、全部普通に標準装備(笑)。風呂場をでたところには自販機もあり、缶ビールすら買える!VIVA!お寺。さすが世界遺産、さすがミシュラン三ツ星。そう云えば街の中にも外国人観光客を数多く目にいたしました。そしてすべてのモノが普通の田舎の価格。いわゆる観光地価格ではありません。あとで調べましたら、宿坊は一泊二食付でおしなべて9500~10000円くらい。バーゲンプライスだと思います。

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 そとに出て、そぼ降る雨をついて「夜の会場」へと出かけましょう。お寺の玄関口には、昼の展示に間に合わなかったと思しき鉛色のEタイプがやってきていました。雨の夕暮れ時、神秘的な美しさとオーラを放ちます。素晴らしい!

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 浮き世の諸々をしばし忘れさせてくれる、寺町を散策しつつ、会場に到着いたしました。

 どんな宴になるのか、楽しみです。

続きはまた明日!      

2011年11月 8日 (火)

ヴェトロモンターニャ高野山2011にシャマルで行く(その1)

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 はい!11月4日(金)の夜です。羽田空港第二到着ターミナルにまずは出向きます。向かいの駐車場には、ワタシがここまでご用意したマセラティシャマルが鎮座しております。

 ああ、練馬からここまで来るのダケで、もう気疲れしたわー!地上高の低ーいマシンで街を走るのはホント神経を遣いますね。到着ターミナルにはジャスト5分前に行きましたが・・・、遅延ですか。だいたい「ソラシドエア」って航空会社初めて聞いた(笑)。大丈夫なのか(失礼)。

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 大丈夫でした!無事、元気な姿でお出ましの「りゅたろう」先生。8月の大分以来の再会です。まずは、記念撮影を。

 駐車場棟に向かう連絡通路にて。「あっ、あそこにシャマル見えてますよー」とワタシ。「あー、ホントだぁ!!」と早速デジタルムービーカメラを取りだし撮影を始める先生。無邪気です(笑)。

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 で、駐車場にて。もう、スッカリ我が物顔の先生はポーズをキメてパチリ。

 今度は、今回の高野山行のためにわざわざ「10回払い(笑)」で手に入れたと云う、持参のポータブルナビの箱を開け、組み立て始めました。「もー、センセーはやく行こーよー!だいたい、取説とか見なくていいの?」というワタシに、「こーゆーモノは直感でだいたいなんとかなるもんよー」とかなんとか云いながら聞く耳は持ちません(笑)。あー、もう10時過ぎたあ。一体何時に現地入り出来るんダロ。

 で、せっかく取りつけたナビに目的地を告げると、「東名の用賀IC」へと誘います。・・・そんなの知ってるけど、もっと気のきいた道無いの?

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 とりあえず、環状8号線と東名海老名SAまではワタシが操縦しました。

 乗り始めてすぐ、まだ空港の敷地内で、「目にモノ見せてくれようぞ」とばかりにスロットルを開け、3速でギュィーンとやってましたら、やおらバンプがあって、「がしゅっ!」とハラすり音が。「ギャー」と悲鳴をあげる3名のおバカさん(笑)。海老名ではとりあえず、下周りとエンジンのチェックを周到に行ないました。あー、ハラが痛いこと。大事には至らずにホッといたしました。

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 ここでも、トランクから手荷物を出してなにやらゴソゴソと出したり入れたりする先生。そこらへんに財布やらの重要なモノをナマで置くので、ウチのヨメを張り付かせて、監視の目(ニヤニヤ)を光らせてもらいます。そんな気遣いを知ってか知らずか先生は呑気です。

 海老名からは、運転交代。りゅたろう先生がドライバーでイキます。「さあ、一気にひとっ走りだぁ!」

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 ・・・東名は長距離トラックが左右両車線を塞ぎ、あせれども一向にアベレージスピードが上がっていきません。東名から伊勢湾岸道まで進んだところで、再度ワタシに交代。先生はほとんど目がイッちゃってるし、ヨメは狭い後部座席にハマりこみ半口開けて撃沈していますので、もはやダレも励ましてくれない中、「ミンティアドライハード味」を頬張りながら、時々左手で「顔パンチ」しつつ眠気をこらえ、新名神→近畿道と歩を進めます。東大阪あたりのPAで、なんとなく2人が目を覚ましたので、「夜明けのコーヒータイム」となりました。「二人が寝ている間に、登坂車線から200台ゴボウしました!」と元気よくフカすワタシ。

 「ちょっと先にクルマのところに戻ってるね」と先生。しばらくして様子を見に行くとまたも恒例の「荷物降ろしゴソゴソ(笑)」を絶賛実施中。ナニをお探しなのでしょうね。

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 さらに高速をしばらく行くとナビがここで降りろという。先生「まだ、もっと先まで高速だとおもうんやけどなー」ワタシ「でも、自慢のナビがそー云うんだから、意図があるんでショ、きっと」

 ・・・やっぱ、ダマされた(笑)。なんか、まだ大阪府って書いてあるし、ようやく和歌山県内に入っても、三ケタ番号のいわゆる「酷道(国道)」が続きます。先生「こんなとこ、来た憶え無いケドなあ」ワタシ「この先、道幅狭小って書いてありますよ」・・・さらに進むと、ワタシ「あー、今、高野山方面はこの先道幅がいよいよ狭小で無理だから、Uターンしろっていう看板が一瞬見えた!」というのもつかの間、前方からクルマが・・・先生「ヒョエーーー!こりゃ、ダメだよー、このばかナビ!」で、上り坂道の中途でUターン敢行。九死に一生を得ました(笑)。くるっと向きを変えますと、ナビ野郎は再計算をし始めた様子。「ああ、やっぱ370号線に行けっていってマスぜ」「最初から、そー云えよー」

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 どんどんと山深いムードが漂ってまいります。正解の道ですらコレですから。ロングロングワインディングロードをシャマルは快走します。

味のあるいい景観を眺めつつ、窓を開けて清浄な空気を吸い込みながらのスポーツ走行は爽快ですね。

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 ・・・「先生!路面濡れてるから2速はダメよ、3速、3速!」「ワカッテルヨー、うるさいなあ」とかなんとかヤリトリしつつ、先生は右へ左へ豪快に舵を切る。・・・と、どなたか忘れちゃいませんか。後席のヨメ、完全にヘタってます。想えば、狭いシャマルの後席にかれこれ10時間ですからね。ゴメンゴメン。

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 で、目的地まで残りが10キロといったところで休憩タイム。

 先生はポーズをキメて、ご満悦。

大自然の中に置いても、ガンディーニのオブジェ:シャマルはとても絵になりますね。ウエッジが美しくキマっております。

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 ようやく、高野山の市街中心が見えてきました。

 ここで、ガソリンを満タン給油しておきましょう。給油中にも、向かいの紅葉があまりにも美しいのでローアングルからパチリ。絵になりますねぇ。

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 イベントの起点会場は、金剛峯寺の第二駐車場です。ワタシたちは一番乗りでした。先生とヨメは手続きをしに行き、ワタシはシャマルをキレイに拭きあげて、「展示仕様」を造り上げます。そもそも、この「ヴェトロモンターニャ高野山」というイベントは今年で満20回を迎える、国内カーイベントの連続開催記録を更新中の由緒あるもので、本来は結構ハードルの高いレギュレーション(参加車資格)がありまして、ホントはシャマルの年式では「新し過ぎて」参加出来ないのですが、大会事務局が特別に認めた「サブエントリー参加車」5台のうちの一台として、本日の参加となりました。りゅたろう先生の御人徳の賜物(本人はそう申しております:笑)なんでしょう、きっと。

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 ワタシの参加形態は「助手(っていうか下僕だけど:笑)」常時イベント中に首から提げておくパスは、ご覧のようにヒノキ板に焼き印を押した手造りの凝った物。イベントのボランティアスタッフが寝ずの作業で一枚一枚こしらえた逸品だそうです。ワタシの後ろの建物は宮大工技術を結集して造られた総ヒノキ造りの家(もちろん、デモンストレーション用)。ものすごくいいヒノキの香りを発散しております。お風呂に入ってるみたい。

 高野山には、「宮大工」さんの技術が随所に生きています。こちらは、特別公開中の工房です。そんな文化も、この参加パスに感じてくれたらなあとの主催者さん方の想いを感じます。

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 展示品の中に、なんと「トライデント」を発見!それこそ、宮大工の技術の粋、彫刻そのものです。こちらは現代の匠によるレプリカでしょう。現物を直に見ると非常に細密なものです。「開創祈念三鈷杵」。きね、なんですか・・・。餅ついたりには実用性が低いよな、やっぱり。

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 左の写真が金剛峯寺所蔵の本物の写真パネルです。

 さあ、まだイベント開始時間には30分ほどあります。近所の名刹めぐりをいたしましょう。まだまだ本格的とは云えないですが、そろそろ紅葉し掛かっており、とても美しい景観です。

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 どちらを向いても、荘厳な風景です。コレ、ほんの30分程度、会場近くを散策したものの、これまたホンの一部ですが、目を見張る建造物を数多く見ることができました。ムカシの信者はさぞや「すげー!」と思いつつ帰依したのでしょうね。今見てもスゴイもの。りゅたろう先生は「この色遣いにムカシの人はさぞ驚いたろうねー、色の無い時代だから・・・」と珍しく(笑)真面目に感じ入っておられました。

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 高野町の観光マスコット、「こうやくん」さんです。今流行りの「ユルキャラ」というヤツでしょうか。寺町高野のあちこちで、こうして観光客を出迎えております。結構可愛いでしょ。続きはまた明日!

                  

2011年11月 7日 (月)

大阪南港にて

昨晩は、熊野大社→南紀白浜→和歌山→堺ときて、一泊。イベントも大盛況のうちに無事終了。今朝はさすがにちょっと疲れが残ってますが、シャマルを陸送に託すミッションを遂行すべく、大阪南港に出向きます。港湾施設付近は、血気盛ん(笑)なトラックが傍若無人の爆走を繰り広げておりますうえに、路面も荒れています。トロトロとおっかなビックリ歩を進めていきました。ああ、漸く着いたよ、ゼロ(陸送会社)大阪営業所。クルマの輸送を依頼して、これで、全ミッション完了。これから心斎橋のタコ焼き屋へでも行って「とも食い(笑)」とシャレこみますか!

2011年11月 5日 (土)

ヴェトロモンターニャ高野山2011にどうにか到着

今日は、iモードポチポチでお送りしております。昨夜11時に羽田空港を出まして、東名→伊勢湾岸道→新名神→近畿道→3桁酷道(笑)のワインディングと、息をもつかせぬハードラン。結局、一睡も叶いませんでした。会場の金剛ぶ寺第二駐車場にはなんと一番のりで、早々に650キロを走破したシャマルに付いたブレーキダストを落としてやり、「ああ、君もよく頑張ったねえ」と労をねぎらいつつ、展示車両モードへと造り込んでいきます。開始時間が迫るに連れて、続々と、綺羅星のごとき名車たちが全国から集い来たります。我がシャマルの両脇を固めますのは、2台のトヨタ2000GTと、深紅のアニバーサリーカウンタック。うーん、ガンディーニ繋がりの並びは当然のことながら異彩を放ちまくりです。明日は、一路熊野を目指す走行会です。先ほど、懇親会と称する「ハチャメチャ飲み会」から漸く解放され、その束の間にコノ記事を書いております。これから隣の部屋に乱入しに行かなけりゃ(笑)。宿坊への宿泊は、初めてですが、へたな旅館よりよほど快適で、なんだか修学旅行みたいです。クルマ好きのじじいとババアが大騒ぎしております。ワタシたち夫婦は早々に退散して明日に備えなきゃね。

2011年11月 4日 (金)

拉致されたよ(笑)

 羽田空港は久しぶり。深紅のファイターで乗り付けた。踵を返すように、いざ、深夜の東名高速へ。目的地へは何時に着くのだろう。ひょっとして今晩徹夜?少しずつ慣らすように、何かを確かめるように、微妙にスロットルを踏み続ける。巡航速度はヒ・ミ・ツ(笑)。 

 後席に押し込められた我がヨメは、さすがにちょっと狭そうですが、ブーたれずに耐えております。やっぱ、眠いよねー。朝も早かったし。エンジンは完全燃焼してる?エアコンはきちんと動いてる?ブレーキにアタリは出てきた?色々なコトを考えつつ・・・。 

 助手席に移り、しげしげとインパネを眺める。グリーンのメーターイルミネーションは眠気マナコにヤケに優しい。ナツメ型の時計も妖しく輝く。そう、これがマセラティのナイトクルージング。思えばワタシ、何年ぶりだろう。運転席のご主人さま、ご機嫌だといいな。

 続きはまた明日!

2011年11月 3日 (木)

二卵性ですが、双子だと思います

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 今日は、浜松の「Mさん(プラモ&差し入れ、誠に有難うございました)」がご来店になり、黒カリフの「納車の儀(笑)」をとりおこないました。遠方から始発の電車で、さぞやお疲れのコトと拝察いたしますが、浜松には何時頃に到着なさるかなあ。

 ともあれ、納車直前にサイドからのフォルムがあまりにもカッチョいいので、「カシャ!」・・・で、思い出したように、赤シャマルのサイド画像を並べて見ると造形的には全然違うのに、そこはかとなく同じ親御さんから生まれたとしか思えない佇まいを漂わせておりますね。

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 さあ、ずいぶんと長い間お待たせしてしまいましたが、お気に召して頂けますと有難いです。 

 磨き抜かれてスッキリと満足げな表情を浮かべているカリフ君です。浜松に行っても、いい子でいてね。・・・ああ、行ってしまいます。次の車検まで戻ってくるなよー(遊びには来てくださいね:笑)。

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 カリフもシャマルも「ある時にはある」けど、「無い時には無い」といったマセラティです(まあ、ビトルボマセラティはみなそうですが:笑)。次にこのような夢の競演が出来るのは、何時の日になりましょうか。感慨も深くカリフをお見送りいたしました。

明日はシャマルの番。早起きしなきゃ、ね。

2011年11月 2日 (水)

最後の一瞬まで・・・

 今日の黒カリフ、トランク内カーペットをすべて降ろして洗剤を掛けジェット洗浄→天日で乾燥(夕方まで)。並行してボディは、表面磨き作業の上、ガラスコーティングを施工。コーティング完了後、テールランプのすべてのコネクターと電球をはずし清掃&接点磨き。その後、工具入れスペースの清掃と工具押さえのウレタンフォームの張替、トランクエンブレム3点の取り付け、トランク灯水銀スイッチの交換、トランク内カーペットの組み付け、トランク灯の配線取り付け、トランクフードダンパーの取り付け、トランクウェザーストリップの取り付け・・・。進捗98.5%。残りは明日の朝から午前中いっぱい、で、フィニッシュ。ピアノのように仕上がってます。

 今日の赤シャマル、一旦リフトにあげ、各部のウルトラ最終チェック。パワステラックのエアーブリード作業や、各部締結具合の最終確認、テールパイプ磨き、耐熱塗装の仕上げなど。続いて昨日に引き続きボディ各部の磨き。特に、フロントボンネットスポイラーや左右ミラーなどを重点的に磨く。完了後、フロントホイールの左右センター出し作業を試走を繰り返しつつ行う。続いて左右ドアの内張りをはずし、右ドアは、一旦ドアアウターノブをはずし、ビミョーに見える瑕疵をタッチペン後再取り付け、リンクジョイントも交換。左ドアは、まったく手付かずであったので、ビニールシートを剥がし、ボディパネルの接着剤をシンナーで少しずつ除去し続ける。ドアウインドーとランチャンネルをはずし、ウインドーレギュレーター、アウターノブ、キーシリンダー、ラッチ金具、インナーノブ金具、ロックノブ金具もすべてはずし、分解給油。・・・日が暮れたので今日はここまで、で、進捗92.5%。あさってのAM10:00までには完成したい。わけがわからないくらいオーラが出てますけど。・・・指先が完全脱脂状態でイタいよー(泣)。ポン酒呑んで、寝よ(笑)。明日もFight!ふぁいと!

2011年11月 1日 (火)

越ーしても、越ーしても、ホンダラホダラカ、ホーイホイ!

 今日の表題は往年の名コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」の持ち歌である「ホンダラ行進曲」の一節。本日より11月ですが、納車準備のマセラティたちのみならず、まだ師走も先なのに、まあ、毎日がじっくり考える暇も無いほどに様々なシゴト(仕事と私事)があるもんです。

 「ひとつヤーマ(山)越しゃホーンダラッタ、ホーイホイ。ふたつヤーマ越しゃホーンダラッタ、ほーいほい!こ(越)ーしても、こーしてもホンダラホダラカ、ホーイホイ。どーせこーの世はホーンダラッタ、ホーイホイ。だーかーらーみーんなでーホーンダラッタ、ホーイホイ。あっ、ホンダララー、ホンダララー、ホンダラホダラカ、ホーイホイ。・・・(いつまで歌うんだワタシは:笑)」

 と、まあ、かように人生を生きる過程には「山」が多い。壁と言い換えてもいいかもしれません。越えても、越えても、ぶち破っても、ぶち破っても・・・またまたやってくる。一体一時間の間に何回の決断をすればよいのでありましょうか。一方ではその「決断」が誤りであった場合に備えた「代案」も用意しながら「決断の実際」を行動し続けねばなりません。

 こんな時には、「もっと、アタマが良ければなあ・・・」なんて余計なコトまで浮かんでくるもので、なかなかスッキリとはしないものですね。

 皆さんも、そろそろ年末に向けての「スパート」を掛けなきゃならない状態に置かれているかも分かりませんが、「だーかーらーみーんなでーホーンダラッタ、ホーイホイ」ですから、自分だけではありません。安心して全力で匍匐疾走(スゴク肩凝りそう:笑)いたしましょう。

 あー、「さーんぼすすんで、にほさがるーぅ」ってチータの声も・・・幻聴だぁ、きっと(笑)。

 これから、歯医者さんにも行ってこなくちゃ。それでは!

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