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2011年12月の27件の記事

2011年12月31日 (土)

大晦日、リザ子の惜別洗車

 いよいよ、混乱の年もコレで終わろうとしております。千葉の我が家に帰ってきて、三日目。昨日、一昨日の二日間は、旧いドラマのDVDを垂れ流しつつ、本を数冊傍らに置き、それを読むでもなく、何となく目をやっているうちに、たちまち眠くなり、といった按配でボーとして過ごしました。 今日も、「朝からボー」ではあったのですが、とりあえず一念発起いたしまして我が愛車たちの洗車を試みるコトといたしました。

 まずは、今月手に入れて以来まだ一度も手入れらしい手入れをしていなかった「コペ蔵(ダイハツコペン)」を全体的にコンディションチェックしつつ拭きあげます。2年落ちの割にアレてるな、特に内装は。

 後ろの車庫では、「リザ子(ダイハツリーザスパイダー)」が恨めしそうにこちらを見ているようなので、水を掛けて本格的に洗うコトにいたしました。・・・想えばコイツもずいぶんと長いこと、ウチに居着いたものですね。ワタシが所有したすべてのクルマ中、もっとも長く、且つ、もっとも距離を伸ばしたマシンです。

 そもそも欲しくて手に入れたクルマではなくて、成り行きでやってきたモノだったのですが、そのお世辞にもスタイリッシュとは云えないファニーなオープンカーは、どういうわけか移り気なワタシたち夫婦のペットとして定着し、今日まで全国津々浦々へ我々を連れていってくれました。

 別れはツライけど、いつかは来るんですよね。久しぶりにシートに腰掛けますと、初めてコイツに乗り込んだ時と変わらない、いつもの安っぽいビニールレザー臭が匂います。「ワタシまだまだイケてるでしょ」と訴えているようです。誰か、引き取って大事にしてくれないかなあ・・・。

 ああ、「98%知らない曲が歌われる紅白」を眺めながら、もうじき除夜の鐘が聞こえてくる時間です。ここはひとつ、澄んだ心で新年を迎えねば。皆様には、どのように表現してもコノ気持ちを伝え切れませんけれど、この一年、本当に感謝、感謝、感謝!でした。それぞれによいお年をお迎え頂きますよう、今は心からお祈りするばかりです。新しい年も変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます。有難うございました。それでは、また来年!

2011年12月30日 (金)

青い空は抜けるように・・・

 今日も朝は9時過ぎまで、ゆっくり休んでしまいました(今日もお仕事の方には申し訳ありません)。庭に出る窓を開けると、冷たい北風が吹いているようです。庭に出て一服しようと水を張ってあった灰皿を見れば、やはり凍っております。
 冬の朝日は弱々しいけど、その色は何だか暖かい。背景には見たこともない抜けるようなスカイブルーの空。普段の東京では、空を見上げるコトもありませんからね。色々と今年一年を振り替えると、世の中たいへんなコトばかりでした。そのような中で、年末もみそかになってのんびりと青空を眺めていられる我が身のしあわせを今日は噛みしめております。皆さんには感謝、また感謝、です。ヨメが煮ている「おせちの黒豆」、トロ火の火加減の番人を仰せつかりまして、鍋の前に陣取っています。黒豆煮るのってこんなに時間が掛かるのか、豆を黒々と仕上げるには「錆びた釘」を鍋にイレるのだ(さすがにコレは頼むからヤメてくれと頼みましたが・笑)とか、この歳になっても、まだまだ知らないコトがあるモンですね。これだから、人間はヤメられません。面白いなあー。

2011年12月29日 (木)

スーパーマーケットにはアートがいっぱい

冬の休暇の一日目、昼過ぎまではゆっくりと休みまして、午後から近所のスーパーマーケットまで「しめ飾り」でも買おうと出掛けてきました。
 郊外のスーパーマーケットは、駐車場といい、店内といい、とても広々としており、「ああ、ここは東金なんだな」と、今現在が休暇中であることをしみじみと実感したものです。
 スーパーマーケットの陳列棚というのは、本当に美しい。「赤、黄、橙」と色とりどりのパプリカがならぶ生鮮野菜コーナー。
 圧巻だったのは、缶詰め、各種調味料、インスタントラーメン、ビン詰め類等々が並ぶ乾物(死語・笑)コーナー。整然と並ぶ「カレールー」の壁。かくも種類があったのか!なんだかんだ云っても、この国は豊かなのだな、と、コレまた思う。ソース、ごま油、サラダ油・・・いやー、実に美しい(オレって、ヘン?・笑)。
 こういった品物の中には、初登場時のパッケージそのままで売られているモノが結構あるのですね。インスタントラーメンコーナーで見つけた「サッポロ一番アラビヤン焼そば」は、今日一番の収穫。この商品、昭和40年代初頭の発売だったと記憶しておりますが、ターバンを被った青い目で口髭をたくわえた人形の写真が印刷されたパッケージ袋は、まさに往時の乾物屋で見ていたものそのものです。今日の夜は懐かしの味でディナーとイキますか。なんか、ゆるネタで失礼しました。まっ、のんびりしましょ。

2011年12月28日 (水)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その5:ビトルボとの出会い③:完結章)

 さあ、いよいよ2011年の仕事納めも済んで、このブログ執筆が本当の「本年最後のシゴト」と相成りました。歴史的事件を次々に体験し、日本人全員(中でもワタシたち「オヤヂ世代」は特に)が心身ともに「本当に疲れ切った」一年ではあったと、あらためて感じ入ります。今年始まった、その「闘いの日々」はまだまだ尾を引きそうではありますが、新しい年、2012年こそは「満塁逆転ホームラン」をかっ飛ばし、須らく「起死回生」を可能ならしめる良き年でありますよう、八百萬の神様たちに今は祈るばかりです。すでに正月休みに突入していらっしゃる方も、これからの方も、どうぞシッカリと心身のリフレッシュをはかって「意気揚々と」打席に向かって頂きたいものです。もちろん、ワタシもそうありたいと思っておりますよ(ガッツポーズ!)。

 そんな「前フリ」をしたうえで、年の最後にこれから「シケた昔バナシ」を書かなきゃならんのも、如何なものかとは思いますが、まあ、それが「ワタシの生きる道」と云うコトで(笑)。今日のブログ、内容はシケてるけど、とことん長いヨ(と、はじめにイッておこう)。

 「ワタシの」マセラティビトルボスパイダー、あー、壊れた、こわれた、コワれた(笑泣)!って云うか、冷静に考えるとまともに作動しているところの方が少ないように思う。もっと良く考えると初めからコワれてたのかもしれないところ多数。誤解の無いように云っておきますけど、コレ買った時、まだまだ「4年落ち」くらいですからね。で、最初1年半ついてた車検の満了日まで残すところあと3ヶ月になったあたりから、いよいよまとめて壊れ始めました(それは、もう「崩壊」という言葉が似合うくらいに:笑)。

 まず、だいたいにおいて、ワタシのクルマは外装が全体的に「ハッキリ云って」ボロい。ボンネットと左右フロントフェンダー、そしてフロントバンパーの色あいは明らかにドア以降の後方部との色調が合っていない。そして大きな「パテ目」も散見されます。極めて繊細にして微妙な色調の「ブルーシルバーマセラティ」という色が現在のマイクロ・デポにおいても、調色時に合わせにくい色目であるコトは先刻承知だけれども、今思い返してみても、このクルマのはホントに違ってた(とは云うものの、「ウチのビトルボ乗りのお客さん方」、この記事を見て「オレのもそうだ」と「些細なアラを見つけて」云うのダケは勘弁してくださいね(笑泣)。断言出来るけど、ワタシの持ってたこのビトルボスパイダーより劣るクルマを納めたことは、この15年の間に一台もありませんから(これホント:笑)。

 外装の瑕疵だけでも、まだまだ列挙できる。

 フロントウインドーは、大きな飛び石痕の補修跡がある上に、ガラスの三隅には白くイタ旧車独特の「エア噛み(合わせガラスの中間樹脂層が湿気などにより白く変色する)」があり、その面積はそれぞれに15cm×5cmといったかなり大きい感じのもの。これは非常に目ざわりで、運転するたび気になってしょうがない。

 せっかく素敵な色目のボディも前述した色の狂いの他に「フロントフェンダーから、ドアを経由してリアフェンダーにいたる長々とした10円パンチ(結構深くクリア層を削られてる)」が目に入るたびに「塗装したいよなー。コレ」と思わせるレベル。

 (ウチのお客さん風に:笑)もっと、重箱の隅を突くように細かく見れば、前後の樹脂バンパーモールはその角ごとに削れた部分があったりしたし、ビトルボ独特の14インチアルミホイールは表面のクリア層が全体的に黄色っぽく退色気味であり、且つ、ところどころ剥がれていたし、ヘッドライトは枠に水が溜まったのがサビて「結膜炎」になってたし、マーカーレンズもところどころヒビがあったし・・・(段々書いててなさけなくなってきたぞ:泣笑)。

 外観で致命的だったのは、何といっても「幌」の状態。スクリーンは、その一部にヒビが入っている上に淡い黄色に変色気味。おまけにルーフ布部は数か所に裂け目があり、(これは最初からでは無かったけど)骨組みのジョイント部分のボルトも折れて、満足に開閉が出来なくなっていました。

 続いて、内装もスゴかった。

 タンの革装はシートと云わず、各部内張りと云わず、トノカバーと云わず、とにかく全体的に「うっすらと油をひいたような」汚れ方。前のオーナーがミンクオイル等を練り込んでいたに違いありませんが、現代の革装車にとってコレは最悪のケア方法と云えます。特にビトルボ系車には厳禁です(今だから、そう云えるけど)。そのくせ、表面はひび割れていますから、こうなるともう、まったく始末におえません。キャブビトルボ時代のメータークラスター(上部が曲面になってる222時期以降と同じ形状のものに限る:ビトルボ425の革装車、ビトルボスパイダーに装着)表皮や、シートバックの裏側部分(隅にギョーザ状ドレープが付いてるところ)などは、本革ではありませんで、実に人工皮革です。コレは表皮の革状部分が非常に薄い被膜で形成された「層」をなしており、経年でポロポロと剥がれてくるのが特徴です。当然のように「ワタシの」も剥がれだしました(泣)。ダッシュボード上部トレー、左右ドア内張り、そして吊り天井の各アルカンタラ部分は例外なく汚れ、擦れ、ススけていました。

 ・・・いい加減に書いてる方も「げっそり」としてまいりましたが、読んでる「ビトルボを愛するあなた」はいよいよツライ気持かもしれませんね。でも、こんなモン、まだまだ序の口なんですよー(笑)。

 さらに、ほとんどツカえない装備品の数々。

 エアコン(皆さんが良く御存じのタッチパネル式クライメートコントロールユニットでは無く、マニュアルエアコンでした。「Ryo」さんは、分かるよね?)はいつしか効きが甘くなってきた上に、なんとか送風ぐらいはしようとブロアーだけ回していたのですが、そのうち、このスイッチも根元から「ぱりん」と折れて、しかも、その折れ方が悪くて何かを突っ込んで操作しようと思っても出来ない状態になり、冬はヒーターの送風が出来なくなってしまいました。コレは暑いのよりもマイった(笑泣)。左右ドアのパワーウインドーは一旦下げたら最後、自力では「ガラガラ」と空転するばかりで決してあがってはこない(いつもプライヤーの先でフチを摘まみ出し、手で引っ張り上げるコトになる:泣)。ワイパーは動くものの、ウォッシャーは出たこと無い(笑)。だいたい、スピードメーターは納車以来動いているのをほとんど見たコト無いし・・・思い出せるダケでもこんな感じ。

 そして「真打ち」は肝心カナメの走りに関する部分。

 パワステは途中からなんとなく漏ってたので、いつもデクスロンⅡ(パワステフルード)を携帯、旋回後の復元力がなんか不足している(云うまでもなくパワステのAssy交換とアライメント不良を意味する)。直進中に「轍」に入ると激しく蛇行(タイロッドエンド完全死の典型的症状)。それで、あわててブレーキを強く踏むとさらにあらぬ方向に蛇行(ブレーキキャリパーのオーバーホール時期を示す典型的症状)。エンジンの吹け上がり不調に気を取られていたが、加速時に必ず床下から「ずどどどどど・・・」の打撃音と振動(プロペラシャフトセンターサポートベアリングの寿命か調整不備を示す典型的症状)。アクセルペダルをハナしたり、シフトダウンを自動で行なった時に発するデフ周りからの不快な「おつり音(ゴンとかゲコといった感じ、多くデフ内部の問題であると信じられてきたが、ドライブシャフトとデフ、プロペラシャフトとデフ、それぞれの嵌合部分のヘタりによるものがほとんど)」もドライビングの興をそぎます・・・。

 スゴイ!凄すぎる!壮絶(絶叫笑泣)!!このような「雨あられの如くのマイナートラブルの嵐」と「枯れ枝の如き儚さ」こそが、コイツ(ビトルボマセラティ)の真骨頂であったとは・・・。

 しかしながら、これだけの「四百四病」を抱えながらもワタシのビトルボスパイダーが路上で走れなくなったり、JAFの御世話になったりしたコトは一度もありませんでした(もっとも、そうあるために、日常的にいじくり回してましたけどね。キャブのオーバーホールまで自分でやってた→当然当時のワタシにゃ上手く出来るワケないんだけれども:笑)。そして、時折垣間見せる「走りの味の素晴らしさ」や、発する音、様々なモノが混じって発散される匂い、などなどにより、どうしても病みつきにさせられてしまう「魔力」を感じとらされてしまったのです。そろそろ車検も切れるけど、さあ、どうする?オレ(笑)。

 というワケで、結局、車検を取るにあたっては、「等々力のガレージ(当時の正規ディーラー:総本山)」に入れるコトを決心しました。予算は当初「80万円くらいは掛かる」と見込んで、さらには予備費用まで入れて「最高100万円」と踏んでおりました。

 確か7月だか8月だかが車検満了日だったので、まだまだ、セミがみんみんと鳴いている季節に、当時目黒区の碑文谷というところにあった工場がいまだ改装工事中であったため、五反田だか、大崎だかに一時的に設置されていた「仮工場」にクルマを持っていきました。

 フロントの責任者はワタシのクルマの「入場時現在の状態」をさして確認するでもなく、「とりあえず、お預かりします」といった体でした。些か拍子抜けするとともに、この対応には一抹の不安がよぎります。

 一週間ほど経過して、ワタシの勤務先にフロント氏から電話が入りました。「いやー、大変ですよ、タイミングベルト交換しようと思ったら、ヘッドが逝ってましたよ」との衝撃的な内容。「ど、どんなふうに逝ってるんですか?」とおそるおそる尋ねるワタシ。「まず、バルブが突いちゃってます。おそらくは、一回タイベルが切れたかズレたかして、そのままトボけてベルトだけ交換してあったんじゃないかと思うんですよねー。エンジンがピロピロいってたでしょ、あれが曲がったバルブの作動音なんですよ」・・・「えぇーーーっ(ガーン)、でソレちゃんと直すと幾らくらい掛かります?」「まっ、だいたい70万円から80万円くらいですけど、バラして行って腰下まで逝ってたらもっと掛かりますねー」「そっ、そーですか・・・」「(作業を続行するか否かを問うて)どうします?」「でも、今のままぢゃ、エンジンばらばらなワケですよねー」「そうですね、このままでは」「それじゃ、とりあえず作業を続行してください」・・・とそんなやりとりの末、作業のとりあえずの続行は決まりました。ここでのワタシのハラ積りでは、「エンジンは今までとりあえず回っていたし、白煙黒煙も出て無かったのだから、腰下(クランクケース内のシリンダーやピストンリング、そして内部構造の数々)はまず大丈夫。だったら、ヘッドをオーバーホールしてもらって、この際だからビシッとタペット調整もしてもらおう。車検費用含めて100万円。まっ、当初の予定通りぢゃないか・・・(マキシマムだけど:半泣)」といった感覚でした。そして待つコト2か月。 

 久しぶりに例のフロント氏からの電話を取ると、「エンジンは組みあがったんですけどねー、今度はオートマミッションがダメでして・・・」との爆弾発言(大泣)。「えー、ぜーんぜんスベって無かったし、問題があるとは思えないんだけど・・・もう一度よく調べてみてくださいよ」と喰い下がるワタシ。「そー、仰られましてもねー、ダメなものはダメなんですから。いずれにいたしましても、このままでは組みたくないと現場が云ってるもので・・・」と半脅しモード(笑)です。「それ(オートマの脱着オーバ-ホール)、幾らくらい掛かるんですか?」「本当はもっと掛かるんですけど、ついでシゴトなんで、70万円くらいでなんとかしますよ」「それじゃ、しょうがない。ソレできちんと治るのならお願いします」・・・あーあ、ローン組み直す段取りしないとな。・・・そして、さらに1カ月。 

 ある日会社に戻るとディーラーから電話が掛かってきたというので、「ついに、完成して車検が終わったのか?」と喜んで電話をしてみたところ、「パワステも交換したい」「デフもダメ」とのつれない内容。さすがに温厚で(ホントか?)、ことクルマに関しては甘いワタシもこれには些かキレ掛かり「パワステは仕方が無いとしても、もうデフまでは予算が届きそうにありませんよ。ちなみにデフは(オーバーホールやると)幾らなんでしょう?」「90万くらいですかね」「やっぱ、パワステだけでいいです(半怒)。ところで、最終的には幾らくらい用意すればよろしいんでしょうかね?こちらもハラ積りがありますもので」「ざっと200万でおつりってところでしょうかね」「分かりました。よろしくお願いします」・・・いよいよ、農協呼んで(当時ワタシの家では利率が良いので練馬農協(現JAあおば)をメインバンクにしていました)ローンの組み直しをしておこう。・・・その年の12月も後半、「Xデー」はようやく訪れました。 

 忘れもしない「クリスマスイブ」の夜、会社がハネるやいなや、いそいそと大崎に向う山手線に乗りました。吊り革を握る手も思わず汗ばんでまいります。当時「ナマもの(失礼!)」の彼女こそおりませんでしたが、ワタシには麗しの「ビトルボスパイダーちゃん」がいます。そして、今日こそは久しぶりに会える、そう、その日なのです。バッグには「現金200万円」を忍ばせつつ・・・。

 久しぶりにあえた「彼女」はスッキリとした雰囲気に整って見えました。その印象の原因の多くは、「濁っていた幌スクリーン」を車検に対応するためにひと皮剝けた感じに磨いてくれていたせいだと思います。

 「本日はコレでお願いします」とフロント氏より手渡された封筒から、請求書をおそるおそる引きだして見る。ああ、やはり「ほとんど200万円」は現実のものでした。そそくさと「現実」を清算し、帰り際に「このマセラティは非常に気に入っているので、これからもキレイに直していきたいんですけど、まずは外装が気になるんで、全塗装って幾らくらい掛かりますかねー」と尋ねると「んー、まっ、屋根が無い分安いからパー吹きなら150(万円)ってところですかね」「フロントの窓も交換したいんだけど」「工賃込みで40万」「幌は?」「Assyで80万」「デフは90万でしたよね」「そーですね、だいたいそんなもんですね」・・・「ビトルボ完全化」への道のりはかくも険しく遠いという、もう一つの「現実」を突き付けられつつ、営業時間終了間際の仮工場をあとにします。これからは、待ちに待った「デートタイム」です。エンジンを掛ける、アイドル。もう以前の「ぴろぴろ音」は出ていません。「コレがビトルボユニット本来の音なのだな」と得心、早速セレクターの動作感を確かめつつ「Dレンジ」に入れ、深くスロットルを踏みこみました。積年の悩みであった、低回転域でのストール感は如何に・・・いかに・・・治ってない!!すぐにUターンして工場に戻りましたが、照明は落とされて真っ暗。たったの5分間でそそくさと全員帰ってしまった様子。おかげですっかり暗い気持ちでの「デート」となり、おとなしく練馬へとまっすぐに帰りました。「お前が悪いんぢゃないよね」とビトルボちゃんには気づかいをしつつ・・・。 

 翌日、フロント氏に電話を掛けますと、「あー、キャブ調整のほうね。ちょうどいい番手のメインジェットが国内欠品だったんで、とりあえずの番手を使って組んだんですよー」とシレっとのたまう。「あー、そうですか」と放心状態のワタシ。あとにも先にも本当に「開いた口が閉まらなくなった」のはこの時だけです。 

 その後も細かいコトは抜きにして、とにかく完調のエンジンにしたマセラティに一度乗ってみたいという呪縛から一日も解き放されることは無く、彷徨の日々は続きました。そんな時、我が親友「T君」の経営するお店のお客さんにマセラティにめっぽう詳しい方がいて、その方がメンテナンスに出している整備工場を紹介してくれたとの有難いハナシが舞い込んでまいりました。正規ディーラーの整備士を歴任してきたという「腕っこきのメカニック」に診てもらえるなんてなんたる僥倖。入庫時には丁寧に症状をとらえてくれて、ワタシの云わんとする「要改善点」を的確に指摘。スッカリ信頼してクルマを預けてみました。結局、キャブの再オーバーホールとエンジン調整が上がってきたのは一ヶ月半後(当初は一週間で出来ると豪語していたハズなのですが:笑)。そして、ついにワタシの求めていたエンジンは出来上がっていました。20万円弱の請求書とともに・・・。 

 ワタシの初めての「ビトルボ」であった「ビトルボスパイダー」は、購入時に車両本体価格と諸費用で350万円弱、それに農協カーローンの金利を加味すると450万円(当時はホントにカーローンの金利は高かった。そのような中でも、農協のモノが一番安い部類だったのです。にも拘わらず、金利負担はこんなに大きな割合でした)。で、2年払った段階で、先のディーラー修理代200万円を工面するために、もう一度450万円に戻っちゃったから、ここまでで、総額650万円。その他キャブの再オーバーホールを含めて様々の小ネタを捌くのに50万円は使ったと思われるので、最終的には、ガソリン代やあたりまえのエンジンオイル交換費用、自動車保険(ワタシには車両保険に加入する余裕など到底ありませんでしたが)等などの「通常ランニングコスト」を除いて、実質的なグランドトータルは700万円といった感じでしょう。 

 にも関わらず、「外装(全塗装に150万円、フロントウインドー交換に40万円、幌Assy交換で80万円)」「内装(いまだ未知数の補修コスト)」「各部装備品(エアコン・左右パワーウインド等だけでも最高60万円)」「デフ(90万円と当時のディーラーは主張)」といった瑕疵の数々は、この段階(700万円までをも掛けた段階)に至っても、いまだ克服されていないというコトに、ここまで読み進めて頂いてお気づきになったでありましょうか。さらに云えば、ダッシュボードを降ろしてのヒーターケースリビルドや、トラブルの多かったメインヒューズボックスに対する当店独自の根源的対策的なものなど望んでも・・・詮無いコトです。

 現在、マイクロ・デポが「普通に(例えれば総額200万円コースの222や430など)」お納めしているコンディションを「ちょっと安い価格で買ってきたいっけんお得そうな中古車」をベースに当時のディーラーで達成しようと思えば、かくも「高いコスト負担」と時間が必要であったというコトを「過去の歴史的事実(笑)」を引きつつ、現在の顧客(と、その予備軍)の方々になんとか御理解頂こうと「我が人生の汚点」を晒してまでも(笑)詳らかにおハナシしてまいりました。「中古車(特に旧車)選びは、人選び、そして愛情をもってマシンに接する店選び」です。

 ワタシ達のお客さんにだけは、「ワタシの二の轍は踏まさじ」という気持ちでビトルボマセラティをはじめとする様々な中古車を売り、そしてケアをし続けてまいりました。そして、新年の20日には「満15周年」を迎えようとしています。それでも「まだまだ足りない」と三兄弟はそれぞれに思っています。もっとマイクロ・デポで中古車を買うことが出来るヒトは世の中にいるはずだとも思っています。「もっと買いやすく、もっと飼いやすく」と一生懸命に頑張ってまいりましたが、まだまだ浸透してはいないし、広く当店の理念が理解されていないようにも思います。これからの15年こそが、いよいよ本当の勝負時かも知れません。 

 ともあれ、「マセラティビトルボスパイダー」は我が師匠であり、人生の分水嶺。いつまでもワタシの心に残るであろう一台ですね。「マイクロ・デポ15年の節目」に相応しくキマったかな(笑)?

 はい!本年のワタシの業務はこれでお開き。皆さん、長時間の「御清聴」有難うございました。「ワタシのクルマ遍歴シリーズ」はここで一旦休憩です。続きはまた来年のどこかでヤリましょう。

 明日からは「千葉の自宅」より、「iモード」にてポチポチとお送りいたします(の予定:笑)。引き続きよろしくお願いいたします!

2011年12月27日 (火)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その4:ビトルボとの出会い②)

 きぃぃやぁぁぁー、という感じで今日はもう「キンキン」に冷え切ったままで一日が終わりましたが、本当に寒かったですね。我がマイクロ・デポ社屋の暖房はほとんど無力化しておりましたよ。

 そのような中、いよいよ年内も残すところあと1日となりました。本日本編ホームページにもアップいたしましたが、平成23年12月29日(木)より平成24年1月9日(月・祝)までの間、マイクロ・デポは、しばらく「冬眠(笑)」いたします。3人(岡本三兄弟)とも、この夏からカラダを酷使してまいりましたので、実はアチコチが結構「イッちゃって(泣)」おります。ここでちょっとお休みを頂戴して、英気を養ってまいろうと思っております。ワタシ自身も明日の夜には「千葉の自宅」へ4ヶ月半ぶりに帰ろうと思っております。しかしながら、このブログの方は「ポチポチiモード」で休暇中もお届けする決意(笑)であります。年末年始もぜひ当ブログにお越しくださいね。

 さてさて、昨日の「マセラティスパイダーザガート」を「ミズテン」で買った(つもりの)ところからが本日の本題であります。納車の日、いそいそと取りに行きました。そりゃ、もう嬉しくて仕方が無い。

 ・・・そもそも、「マセラティビトルボ」が1980年代の初頭に発表になった頃、ワタシはまだ大学生でありました。それから数年、街でこのクルマに遭遇するチャンスが練馬人のワタシにはほとんど無いままに、今月無くなってしまうあの「等々力のショールーム」で現車との初めての邂逅を得ました。おそるおそるショールームの扉を開け、「カタログと価格表をください」と頼み、展示車両のシートに腰かけ、マニュアルシフトレバーの感触を確かめようとガチャガチャやってたら、「エンジン暖まってないから、動かさないでください!」と、さっそく営業マンから「強い語調で」叱られました(今じゃ、ワタシがこの係:笑)。当時、カーグラの表紙を「ビトルボ」が飾ったコトがあり、その号のインプレ記事とその引き締まったフォルムに「寝ても覚めても」という感じでうなされるほどいつかは欲しいと思っていたクルマでした。

 ホントは、そのカーグラに載ってた「マルーンのビトルボクーペ」が欲しかった。でもホントに彼我の距離は(色々な意味で)遠かった。で、気分は「プアマンズビトルボ」という感じであった「ランチアベータークーペ(初期型)」の外装マルーン・内装茶革のヤツを危うく(笑)買いかけたコトもありました。でも、それすらも売ってた中古車屋の主人にワタシが若いというコトで馬鹿にされ、「やめた方がいい」と売ってもらえなかったコトがあったんです(スズキフロンテクーペに乗ってた頃のハナシ)。

 その後、昨日までおハナシしてきたように、苦節何年かは忘れましたが(笑)、とにかく自分としては結構「クルマ修行」をしてきたつもりでしたので、「もう、大丈夫。何があっても」というような「ビトルボに対峙する」ためのある種の覚悟も心の中には出来ていました。

 そして、「スパイダーザガート」との初めての対面・・・外装は「ブルーシルバーマセラティ(淡い水色メタ)」内装はタン革です。幌は「紺色」。アレ?「スパイダーザガート」にこんな色目あったのかなあ・・・と、その時気が付いた。ボンネットを開ける。タペットカバーの結晶塗装が黒い。エンジンの上には、カーグラで見なれた無塗装梨地の大きなサージタンク。「これ、キャブレター付のビトルボスパイダーぢゃん。スパイダーザガートじゃない。」

 売主に詰問すると、「だって、サガートって書いてあるぢゃん、ホラここに」と指さすフロントフェンダーには確かに栄光の「ZAGATO」の6文字が躍っています。でも、違うのは確か。

 ワタシにしては珍しく30秒ほどは逡巡しましたが、売主からはかつて色々と世話になり、助けてもらっていた部分も大きかったので、「これはコレでいいか・・・」と前向きに考えるコトといたしました。そして、キャブレター装備であるコトはむしろ喜ばしいことであるとさえ思えてきました。

 はやる気持ちを抑えつつ、エンジンをスタートさせました。「だぅだぅだぅだぅ・・・」と低く唸るビトルボV6特有の排気音に「あぁ、カムシンとの血縁を感じさせるなあー」とさっそく御満悦のワタシ。スロットルを開ける・・・「ぴろぴろ、ぱひゅーん。ぴろぴろ、ぱひゅーん」と不思議な音で吹け上がります。「さすが、ツインターボはヘンな音がするな」とその時は思ってました。何しろ、ツインターボどころか、普通のシングルターボ車だってまだまだ珍しかった時代のハナシです。当時ワタシの周囲にはターボ車を所有している人物がおりませんでしたので、この時がほぼ初めての「ターボ搭載車」体験だったのです。

 そうして、「スパイダーザガート」ならぬ「ビトルボスパイダー」との蜜月が始まりました。日に日に「結果的には、キャブのビトルボで良かった」と思えてくる、そんな感じの日々でした。当時、「カーグラTV」や「題名の無い音楽会」など「出光興産」が提供するテレビ番組の幕間に流れていた「アポロイルベスト(エンジンオイル)」だったか「出光100ガソリン」だったかのCMに、「ロッソマセラティ(だったと思う)のスパイダーザガート(前期型)」が登場しており、衝撃的にカッチョ良かった(動画探したけど、見つけられなかった→ホントにあったハズなんだけどなあ、80年代にカーグラTV毎週録画してたヒトとか動画持ってませんかー:泣)。

 枯れ葉舞いおちるヨーロッパを思わせる街路(実際は明治神宮外苑とかだと思う)を、向こうからこちらに向かって真っすぐにスローモーションで迫ってくる映像に、BGMとして「イザベル・アンテナ」のオシャレな楽曲(こちらもメロディーは口ずさめるんですけど、題名失念のため、動画が探せずじまい:泣)が被さってくるといった趣向のもの。当時はヤラれてました、完全に(笑)。で、そのCM見て、そのおしゃれさにカブれて(練馬人のワタシが持つ「港区周辺地域」に対するコンプレックスは、一種尋常ならざるモノがありましたからね、当時は:笑)スパイダーザガートが意中のクルマのトップに躍り出ていたダケなので、ほとんど同じような(ホントはかなり違うんだけども:笑)ボディでキャブレター搭載の「ビトルボスパイダー」の方が、むしろ「旧車ゴコロ」を満たしてくれる存在に思えてきていたのです。

 納車されてまだ日も浅い時期に、ちょっと前にも書きましたが、「初代シルビア」に乗る「ワタシの友達の知り合い」という方と、コンボイで関越道を意味も無く走りました。で、電動ファンが一基動いてなくて、早速オーバーヒート(泣)。原因はファンリレーの頭に乗っかっているヒューズの端子部分が虫喰い状に崩壊しており、接触不良を起こしていただけでしたが、「こりゃ、気を抜けないクルマだな。カムシンより手ごわいかも知れない」とその時あらためて思い直しました。

 その後1年間くらいは、結構活躍してくれましたね。最初はエアコンも良く効いてたし、常にエンジンは確実に始動してくれたし。もちろん日常的に自分で出来る最善のケアはしておりましたけれど。当時勤めていた会社の若手社員(身長180cm越え)を助手席に、同じく高校出たての女子従業員2名を後部の座布団フロアに押し込め(時効:笑)、千葉のマザー牧場に行ったのも記憶に残ります。

 で、そのうち段々と明らかにエンジンの調子が狂ってきたな、と思うようになってきました。そもそも、ワタシのビトルボスパイダー、3000rpmまでは、ほとんどトルク感が無くて「ドッカンターボなんだな、きっと」くらいにタカを括っていたのですが、いよいよ街中の坂道レベルでも「0発進」だとかなりツラクなってきたのです。オートマ(ZF3速)車ですから、アクセルワークとクラッチワークでゴマかすことも出来ず、一旦ニュートラルに入れておいて、「ブーン」と空ぶかしで3000回転をキープしたまま、「D」レンジにセレクターレバーを叩きこむ(だから、良い子は「絶対に」マネしないよーにって云ってるでしょ!:笑)その瞬間にフットブレーキを解放するという「匠のワザ(?)」でなんとか凌いでいたのです。そろそろ「泥沼への道しるべ」がハッキリと「アッチの方向」を指し示しているのが見えてまいりました。

・・・といった「いいところ」で明日に(まだ?)続くのであった。ところで、明日書く時間あるのかなあ(笑泣)。

 

2011年12月26日 (月)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その3:ビトルボとの出会い①)

 なんだか、昨日までの一大イベントと三連休も終わり、ついに年末も最終コーナーを回った感じの本日は、ニュース報道によると全国的に気温が低く、雪が猛烈に降っているところも多くあるみたいですね。先ほど環状8号線を走ってきたのですが、屋根に雪を満載した、おそらくは関越自動車道を降りてきたクルマたちを数多く目撃いたしました。早朝のデポ2階事務所はそれはもう寒く、字を書こうにも手はかじかんで動かないし、パソコンに向っても、ほとんどキーを叩くコトは出来ません。そんなこんなで、このブログの少しずつの「書きだめ」も出来なかった今日は、帰宅してより全文を書くハメになっております(泣)。 

 今朝、何が驚いたって、出勤前に近所の「セ○ンイレ○ン」にタバコを買いに立ち寄ったら、昨日までのクリスマスムードはスッカリどこ吹く風。「どーせ、さぞや門松でも飾って正月ムードを盛り上げているに違いない」とのワタシの事前の読みはまったくもってアマく、「節分ねた(恵方巻の御予約開始:笑)」と、来年2月公開の映画(「三丁目の夕日」の新作)タイアップ一色で、「いやー、とりあえずやろうよ、まずはお正月」と心のソコから思いましたよ。いくら商売とは申せ、そんなに「生き急いでどーするの?」とツッコミを入れずにはおれませんでした。 

 そんな中、毎日「20年以上も前の」記憶を頼っての「後ろ向きな」商用ブログを書いていていいのか?との自問も湧きあがってまいろうと云うものですが、そこはそれ、ワタシのキャラですから仕方が無いとアキラメてくださいませ(笑)。

 というわけで、一昨日の続きから。ジムニーとお別れした後は、またまたココロにポッカリと穴が開いておりましたので、しばらくはボンヤリとしていました。そこに、「ホンダビート」出現の報がもたらされ、新車を見にさっそく参りました「ベルノ店」に。で、カタログと価格表を頂きまして、本格的な検討作業を開始しましたが、新車で買うと、なんだかんだで200万円越え、しかも、オーダー後の納期が6カ月とのコトで、気が短いワタシは速攻で「萎え」ました。

 そのような折、とにかくも、フルオープンのスポーツカーが欲しいと思っていたワタシの脳裏にあろうことか浮かんでしまったのが「マセラティスパイダーザガート」であったというところが「運のつき」(笑)。「カムシンを日常の足にしていた過去」により、それよりも新しく、おまけに新車価格帯も安い「ビトルボ系マセラティ」のチョイコロ中古(しかもインジェクション車は面倒なキャブ調も不要だし)ならば、「ぜんぜん余裕」で維持できるものだと、「あろうコトか(笑泣)」考えてしまったのです。

 そこで、知り合いの自動車屋に「マセラティスパイダーザガート」を探してね、と頼んでおいたら、「岡本君、いい出物があったよ」と電話が掛かってまいりまして、「ミズテン」でオーダー入れてくれたらすぐにクルマ押さえるからと急かしますので、「ぢゃ、ソレ押さえて!」と気の短いワタシは即断(笑)。当時、中古のスパイダーザガート(高年式・低走行車)は普通に500万円越えでしたので、「300万円と諸経費でいいよ。車検も1年半付いてるし」とのアマい言葉につい乗せられてしまったのです。嗚呼、この決断が・・・(泣)。

・・・と、盛り上がってきたところで、続きはまた明日!

 

 

 

2011年12月24日 (土)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その2)

 いよいよ本日は「イブ」でありますが、お子さんのいらっしゃるお家では「サンタ役」の準備などでさぞや大変であったコトでしょう。仕事で疲れて、連休中も家族サービス、御父さん方の皆さんは、お疲れ様です。一方、「彼女がいるチョンガー系統(笑)」の方々は、こんなブログを見ている場合ぢゃありませんよね。そういった世の中の事情もあるのか、今日は電話も少なくて、昨日の来客フィーバーが「マボロシだった」と思えるほどにお客さんもみえず、心静かに作業に没頭する一日ではありました。とは云うものの、夕方になって「松戸のAさま」より電話があり、エンジンが吹け上がらなくなってバックファイヤーが出てるとのおハナシ。4Vエンジンが「メソメソ」とグズッてるらしいので、早速ローダーを配車して無事お引き揚げいたしました。月曜日の朝はコレのシュートからだな、きっと。

 あぁー、「松戸のS」さんの昨日のコメントについてなんですが、昨日のその時間、ワタシは「もう、寝てました(笑)」。シゴトが終わってから、わざわざ夜の繁華街を徘徊するほどには体力を残しておりませんから(泣)。

 さて、昨日は「ドイツ車遍歴連続3連発」を書きましたら皆さんから「意外」の二文字を頂戴してしまいました。やっぱ、意外?でも、ワタシ自身がそもそも「軽自動車からスーパーカーまで」という「指向性」の人間ですからね、自分の中では整合性があるのですが(プリウスでも買ったら、ハナシは別でしょうけど:笑)。

 いや、おそらくソレが「平成23年末現在」の中古車事情であったなら、カムシン売却のお金で間違いなく「フェラーリ328GTS」か「フェラーリ348スパイダー」か「ロータスヨーロッパスペシャル」のどれか(たぶん最後の:笑)と、「足グルマの軽」を買っておしまいだったと思います。しかし、その当時の中古車事情とローン金利事情、さらにイタ車整備屋事情は、そう決断することを許しませんでした。で、仕方が無いから「充分に旧い」んだけども「なんとは無しに信頼性がありそーな」ドイツ旧車を次々に買い足したといったところだったのでしょうね。だから、今現在イタリア車の中古車を買おうか買うまいか決断しかねている方々を見るにつけ「贅沢な時代になったものだ」と心の中で呟いておりますよ。もっとも、仮にこの時代にフェラーリを手に入れていたら、ワタシの人生もかなり違っていたものになっていたと思われますし、当然のように、マセラティ専門店たるマイクロ・デポもこの世に存在し得なかったコトでしょう。

 さて、余談が過ぎましたが、今日は昨日の「増殖バナシ」の続きから。で、やはりドイツ車ばかりが並んでいるのでは、どうにもこう、落ちつかなくなってくるわけです。そこで次なる増車はウチの次男の御意見を取り入れまして「ルノー5(初代)アルピーヌ」と相成りました。現状では外装がボコボコであったので、懇意にしていた鈑金屋に入れ、元色の黒からフレンチブルー(とは云っても、B10サニートラックの純正色だったんだけど:笑)に色替え全塗装を施しました。出来あがってみると、「フムフムかっちょいい」というモノにはなったのですが、エキゾーストマニフォールドのスタッドボルトが折れており、そこから「パサパサ」と排気漏れを起こしておりましたので、アイドル時のエンジン音がどうにも「澄んでない」のがエンジン掛けるたびに気になって仕方が無い。で、コレをどうにかしてくれるような業者が当時も(今はもっとだけど)なかなかありませんでした。とにかく旧い特殊なクルマは受け入れ先が無いのです。今のようにインターネット検索なんて便利なモノはありませんからね。で、徒に月日を重ねるうちに、ある日我が家の前でカバーを掛けて置いてあった「5アルピーヌ」より、「ひーかー、ひーかー」と異音がしております。なんと、ついに「憑き物」が・・・とも思われる不思議な現象&音。カバーを恐る恐るめくりますと、不動であったはずのワイパーアーム(ブレードをはずしてあった)が、どういうわけか自動的に動き出し、フロントウインドーを引っ掻いている音だったんですねー、「ひーかー、ひーかー」と。それで、やんなって、手放したら「フレンチブルーミーティング」の「恒例、部品ハギ取り大会」に出品され、ハゲタカのような連中から「骨になるまで(泣)」バラバラに分解されている映像をテレビのニュース報道で見せられるハメになりました。コレには泣きながら笑うしかありませんでしたよ、ホント。

 次に、また「素うどんの味」がなぜか恋しくなり「VWポロ クラシック(2ドアセダン・おもーステアリング装備・マニュアルミッション車・マニュアルウインドーレギュレーターも装備:笑・一方、クーラーは無いという・・・しかもこのカタチで色はレッド)」などという、当時新車価格が日本で買える外国車中最も安いというコトで一部マニアに話題であったダケ(後のクライスラーネオンみたいなモンか:笑)のクルマを手に入れて、これぞ「粋」と云うもんだと「悦に入って」おりましたが、それも一週間(笑)。あとは次男が今のカミさんとのデートに使い、そのツライばかりのカーライフを強いるコトにより、「耐性」を見つつ「免疫力」までもを強化するという「エンスージアスト養成ギブス(笑)」様マシンとして使われる事に後半生を捧げて頂きました(笑)。でも、基本はものスゴクしっかりしていたように思います。ありがと、ポロ吉。

 で、やっぱり「もっと、面白いの無いのー?」という気持ちになり、カーセンサーをぱらぱらめくっておりますと、急に「オフロード魂」が湧き出てきまして(出て来るなっつーの!:笑)、「んぢゃ、ジムニーイッてみよー、2サイの」という結論に達するやいなや、東京の西のはずれに「昭島市(現在はあきるの市になってるんだっけか?)」というところがあるのですが、そこにある中古車店に3時間後に到着。「黄色いジムニー(2代目の最初期型)」、確か19万円、無事に御売約と相成りました。コレはかなり面白かった。もちろんワタシが買うようなヤツですから、メタルトップであるワケがありません。「幌」だよ、ホロ!(笑)。これまで、タルガトップ車やスライディングルーフ車は既に御紹介いたしましたように、何台も乗り継ぎましたが、「フルオープン車」は初めてです。この解放感!宇宙と一体となる瞬間です。しかもコイツの場合、フロントのウインドーシールドすら前方に倒すことが出来ましたので、究極のオープンエアーライフを実現出来ました。荷台部分にゴツいサビが浮き出てきていたのがやはり気になって仕方がなくなり、鈑金屋の若い衆がものすごく欲しがるので売って差し上げました。そしたら、この人が自ら鈑金修理して、「青・白・赤」のトリコロールカラーに全塗装しやがんの。もう、遊園地の乗り物みたいにされてしまいガックリしました(笑泣)。

 まだ、続くの?・・・続くよなあ。というわけで、本日はここまで。「メリークリスマス!!」

それじゃー、また月曜日に(たぶん:笑)お会いいたしましょう!

 

2011年12月23日 (金)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その1)

 あぁ、世の中三連休の初日の本日、早朝より「テツヲタ(クリスマスプレゼントも有難うございました)」さんには作業場所までご提供頂いての「納車の儀」、結局一日掛かりになってしまいましたが、本当にご協力有難うございました。また、ワタシは中途で店に戻ってしまったので、その非礼につき、お詫び申し上げます。午後からは「山形のT」さんご家族(ワタシも皆さんには久しぶりに御目に掛かりたかったのですが、ちょうど来客がありまして、春日町作業場行きを命じられていたモノですから叶いませんでした。御子息の受験、好結果をお祈りしておりますよ!)、「ボロネーゼ(ホットなココロを冷却する:笑:枇杷サイダーを有難うございました)」さん、他沢山のお客様に御来店頂きまして誠に有難うございました。

 2011年11月25日の「ネタ帳(笑)」より、「スグ、やりましょ」と大言壮語したわりに、一ヶ月もの間ほったらかしにしてたネタを、本日は「祝日スペシャル」としてお届けいたしたいと思います。

 かつての我が相棒であったマセラティカムシンは、カーマガの個人売買欄に「売りたし」で出しましたところ、東海地方の某店が電話をしてきて、「○○○万円」だったら、今日これからローダーに乗って取りに行くと、ものすごい勢い。「は、はぁ・・・」という感じで、その日の夕刻には別れを惜しむ情緒もへったくれも無いままに、ローダーに乗せられて「ドナドナ」されて行きました。

 それなりに大金を手にしたものの、しばし茫然自失の日々・・・。そのうち「さあ、なんか(クルマ)買いに行こ!」という気持ちにようやくなってまいりまして、その後は増殖の一途を辿りました。まず、現在でもお付き合いのある、地元の外車専門整備工場主より、「メルセデスベンツ250CE(1970年型:アイボリーホワイト)」のオファーがあり、小粋な縦目のクーペに一目ぼれ。即買いでした。その当時の段階でも結構な大古車だったのですが、さすがはメルセデスと云うべきか、華奢な大径ステアリング(ホーンリング付き)をクルクルと回しながら、とても優雅に走ります。とにかく驚くのは、まったく実用に供せるというコト。オートマ、パワステ、エアコンなど、1970年当時としては破格の装備品の数々もすべてパーフェクトな作動。クーペボディであるにも関わらず、室内も意外や広いのでスキー板を室内に積んでスキー場へ行くといった芸当すら、さしたる苦労も無く出来てしまうと云う万能の一台でした。サイドシルの室内側のカーペットをめくると「ゴッテリと」サビが出てきたり、ドアの水切りモール部やサイドモール周りにもサビが浮いてきたりして、全体的にサビ関係には結構悩まされましたが。

 なにしろ大昔のこととて、ワタシの記憶も相当曖昧になっているように思うのですけれど、その次に「増車」したのが、「ポルシェ914 2.0S(1974年だか75年だかの型を、リアガーニッシュを施して最終型ルックにしたものであったと思う:ライムグリーン)」だったかな。カムシンの前に乗ってた「フィアットX1/9」があまりにも良い印象であったため、同種のミッドシップ2シーター・タルガトップというコトもあり、かなり期待して手に入れましたが、結果は「ハズレ(泣)」。とにかく、「血が騒がない」スポーツカーなんです。ワタシは前にもおハナシしましたように、そのムカシは「ビートル乗り」でもありましたので、「パサパサ」とした感じでおなじみのVW製水平対向エンジン独特のフィールはスッカリ肌に合っていると思いこんでいたのですが、スポーツカーにはやっぱ、ダメ(笑)。ポルシェエンジンの「914-6」であれば同じボディでも全然違った印象になってたと思われます。ありゃ、やっぱ「ワーゲンポルシェ」だわ。

 うー、その内、今でも当店外注業者である会社の社長からのオファーにより、その「本家VW」がまたまたやってまいりました。ワタシの車歴では3台目のビートル「1303S(1973年だったか74年だったかで色はオレンジ)」です。これまた、1970年代に流行した「後付けの手動スライディングキャンバストップ付き(しかも公認改造)」というヘンなヤツで、70年代サーファーファッションとビーチボーイズの楽曲がとても似合いそうなクルマでした。ワタシ自身はサーフボードを触ったことも無いですけど(笑)。クーラーも付いてて、手軽な万能車でした。いつでも普通に使えるし。ビートルは、リアシートの座面下にバッテリーが配置されており、ある日曜日にウチの次男と一緒にこのクルマの内装を掃除しておりますと、「パチパチ」という微かな音とともに、弟が座っていたリアシートの下からモクモクと白煙が上がってまいりました。「すわ、一大事」と咄嗟にリアシート座面をはずしましたところ、シートクッション裏のスプリングがバッテリーターミナルに直接触っており、ショートしてたんですね。本来このバッテリーには樹脂のフルカバーが付くべきであるコトはあとからわかりました(早く云えっつーの!)。しかもシートのアンコが「藁」みたいで「いかにも良く燃えそうな」干し草なんですよ、この頃のビートルは。大事に至らなくて良かったですよ、ホント。 

・・・というわけで「増殖」の続きは、また明日のお楽しみ!

2011年12月22日 (木)

うわー、いよいよ師走っぽくなってきたぞぉー!

 今日は冬至だそうで、そりゃもー、陽が短いのなんの。ここ数日、段取りもいよいよ通常以上に「分刻み化」しております。まだまだファイティングスピリッツを発揮して、どうにか、あと「数件」のシュート予定を年内に行ないたいと思っておりますよ。

 そのような中、昨日は埼玉県大井町の「Uさま(本当にいつも大量に有難うございます)」、本日は「いつかはシャマル(今年初めてのクリスマスプレゼントです!本日は途中で中座させて頂いて失礼いたしました)」さん、郡山市の「Aさま(あー、また結構な好物が届きました・・・ホントにいつもお気づかいに感謝しております)」と有難い差し入れの数々を次々と頂戴し、心より御礼申し上げます。「kkmustang」さんもお忙しい中、「早期お引き取り」に御協力頂き本当に助かりました(今日はあまり御相手が出来なくてゴメンね)。ワタシたち3人も出たり入ったりであっちゃこっちゃを行ったり来たりしておりますので、御来店の皆様にはきわめて落ち着かない思いをさせてしまっているコトと存じあげます。この場をお借りいたしまして、お詫び申し上げます。

 まあ、周りからは「マイクロさんはいつも忙しそうでいいですねー」なんてよく云われているのですが、実際、有難いコトだと思います。閑古鳥が鳴いているよりはずっといい。活気があるってのは、とにかくも素晴らしいコトです。まっ、ホントのところは、何しろ3人でこの仕事量を回していますゆえ、「過負荷」なだけなんで、一見忙しそうに見えるだけなんですけどね(笑)。

 マイクロ・デポ、平均年齢43.3歳。すっかり高くなっちゃいました。ワタシがもう少し「アタマを使って」段取りを組めば、こんなに走り回らなくてもよさそうな気がいたします。で、いい加減にある種の老獪さ(笑)すら発揮しつつ、ドッカリと椅子に座って部下にシゴトの指示を出す「司令塔」の様な存在でなくてはならないのではないか(書いてて、どっちだか分からなくなってきた:笑)・・・結構いい歳なんだし。けれども、ワタシは「万年一兵卒(いや、二等卒かも:泣)」。60になっても70になってもこういう暮らし向きを続けていくのかな、と薄々覚悟はキメております。願わくば、顧客の皆さんとともに元気な体を維持しつつ老いていきたいと思う、そんな年の暮れです。いよいよ寒さも本格的になってまいりました。雪が降っているところも多くあると伺っております。皆さんも風邪などお召しにならぬよう、ご自愛ください。

・・・ここで、この場をお借りして「業務連絡」をば。「湯河原のタレ目」さん、もしコレをご覧になっていらっしゃいましたら、明日13:00以降に当店まで御電話をください。お打ち合わせしたいコトがございます。よろしくお願いしまーす!

2011年12月21日 (水)

わらべのゆめ

 先日の当ブログにおいて、我が新しい愛車「コペ蔵(ぞう:笑:一名、サンダーバード2号)」に予め装着されてきた「ハヤシストリートアルミホイール」に皆さんがミョーに喰いついて(コメンテーター以外のお客さんで当ブログウォッチャーの方々からも示唆が多数ありました)きたのをいいコトに、そのメーカーであるハヤシレーシングが70年代後半時期に立ち上げたプロジェクト「童夢(どうむ)」についてのハナシでもしてみようかと思い付きましたので、今日はソレ。

 「童夢」。現在45歳から52歳くらいの年齢の方々には、なにかホロ苦いような、懐かしい様な気持にさせるブランド名です。あの、熱病のようなスーパーカーブームも終わりに差し掛かった頃、それは世に出ました。「童夢 零(ドーム・ゼロ)」という大阪製のスーパーカーです。当プロジェクト首謀者(笑)の林みのる氏は、とにかく「世界一全高の低いクルマ」にしたかったそうで、すべては、その980mmという高さから、つじつまを合わせていったパッケージングになっていました。昨日、このクルマの存在を久しぶりに意識の底より思い出し、冷静に考えてみると、すこぶるカッチョいい。あの低い低いランボルギーニカウンタックLP400(公称1070mm)よりさらに10センチも近くも低いんですから圧倒的な存在感です。

 実はワタシ、なんと、このクルマの運転席に座ったコトだけはあります。当時、池袋の東武百貨店の玩具売り場において「童夢 零、来たる!」というイベントが行われた折、わざわざ行きまして、整理券もらいまして、一人30秒だったかのわずかな持ち時間の間、コックピットに座る僥倖を得たわけです。いやー、それはそれはカッチョ良かった。けれども、イタリアンスーパースポーツとは、外装の表面の仕上げ、各部艤装のフィニッシュ、内装の設え、どこをとっても「何かが違うよな」と思ったモノです。ほとんど完全に手造りの一台(実動するモックアップといった感じ)であるにも関わらず、「手造りの温もり感」というのはまったく皆無で、なんというか「緑色の血」が流れているような感じのする不思議なマシンでした。けれども、現在の酷いスポーツカーデザインから考えると、「アレもアリだったんだな」と、無機的なオブジェとしての美しさに今更ながら目覚めてしまいました。

 エンジンには、当時の日産車中、プレジデント用の4400CC・V8を除けば、最大排気量を誇った、直6・SOHC・2.8リッターの「L28型」を採用、これもまた「時代」。「大きく、重く、眠い」といつもカーグラ誌にて酷評されていた日産L型6気筒が国産現用エンジンの中では最もパワフルなものとして、その目に映っていた、まだまだそんな時代でした。

 それでも、「240ZGのよりスゴイエンジン」であることには間違いがありませんので、中学生のワタシは、「大人になったら中古でコレ買お」と固くココロに誓ったモノでしたね。

 その後、このマシンはなんとか市販化のための実験や役所への申請を試みるのですが、ことごとく頓挫し、活路をアメリカに向けて行きます。そこでステップアップモデルたる「童夢 P-2(プロトタイプの2号車くらいの意味でしょう)」を発表。基本フォルムは原初の「零」を踏襲しつつ、米国の保安基準に適合させようとアレコレ設計変更し、事実上はまったく原設計を留めないモノになっていきました。やはり、「零」と比べてオブジェとしては明らかに劣る。なんつーか、こう、雑念が入ってる感じがいたします。

 今日はあえてリンクを張りません。皆さんにもネット検索で「失われた何か」を探す作業の楽しみを残すためです。「童夢」各車にご興味のある方は、ぜひ「童夢 零」とググってみてください。画像検索結果表示に山ほど写真が出てきます。ちなみに、ボディ色シルバーのものが「零」、赤いのと、黄緑色の二台が「P-2」、白地にオレンジ色のボールドストライプが入っているレーシングカーが「童夢RL」というルマンを目指したレーシングプロトタイプカーです。

 そう云えば、当時のカーグラに、表紙をこの2台の「P-2」が飾った号がありました。懐かしいので、正月休みに我が家に帰ったら探してみようと思います。プラモ、ラジコン、ミニカーと当時は山ほどモデル化されておりましたが、もう一度このフォルムに触れてみたいとの思いが急に沸々と湧いてまいりましたよー!特定の年代の日本人だけが知るスーパーカー、何だかミステリアスでウキウキいたしますね。このマシンは「大穴」だったわ。

2011年12月20日 (火)

心にのこるプレゼントって・・・

 ここのところ朝早く出勤するのですが、午前10時を回る前までの数時間は、いよいよ「真冬」の趣きですね、ホントに寒いです。しかしながら世の中は、いよいよ年末カウントダウンムードで満ちてまいりましたので、なんだか嬉しいような、焦るばかりのような「アツい」毎日を送らせて頂いております。 

 そんなカウントダウンの時期に必ずやってくるのが「サンタさん」という大役を仰せつかる一大イベント。ワタシには子供がおりませんので、対象は甥達や姪達というコトにあいなります。毎年、あれこれとプレゼントには趣向を凝らしてあげたいと思うのですが、結構ドライにピンポイントで欲しいモノを指定されているらしいので、特に彼らが小さなうちはそれを如何に達成するかというところに粉骨砕身(それホドでも:笑)するわけです。

 なんか幼い頃は、本当に欲しいモノが枕元に置いてなかった朝には「サンタのばか!(信じているだけに・・・良い子にしてたのに・・・)」といった感じで、かえって恨みに思えてきてしまったりして苦々しい気持ちが(あとあとまでも)幼心に強く残ってしまうように思うのです。

 もっとも、初めのうちは気にいらなかったプレゼントも長じるに従ってお気に入りとなる場合もありますので、そのあたりも難しい。実際自らの体験にもそれは、ある。

 大体、幼子の命じるままに欲しいものを与えていたら、男の子なら「戦隊物の巨大合体ロボ(毎年増える:泣)」か「各種仮面ライダーの変身ベルト(毎年替わる:大泣)」。女の子なら「プリキュアの変身ツール(そりゃもー、毎年違うのが出てくる:ワーン)」。小学生ともなると、カードゲームのカードとか、各種ゲームソフト類といった味気無いモノに指向性が変わってくるので、このあたりも「なんだかなあー」と、つい大人の目で見てしまうと思ってしまうのですが、ここでグッとガマンをして、彼らの世代の中に於ける「同時代体験」を味あわせてやらなけりゃならないのだろな、とか、つらつらと考えながらプレゼントするわけです。

 本日は、皆さんの「心にのこるプレゼント」、誕生日でも、就職祝いでも、結婚祝いでも、出産祝いでも可。とにかく、良きにつけ悪しきにつけ、印象にのこるプレゼントがありましたら、それを具体的にシチュエーションを交えてコメントして頂けますと嬉しいです。懐かしいネタがたくさん飛び出してくると面白いですね。晩酌しつつ(笑)の興に乗った長文、大歓迎です。ムカシを思い出しながら、どうぞ。 

 ワタシ自身は子供の頃から「おもちゃフェチ(今でもかも:笑)」でしたので、何かと云うとプレゼントは玩具かプラモというアタマしか無かったのですが、ある年の誕生日プレゼントで親から貰った「顕微鏡」は、意表を突かれた感じで強く印象に残っています。それまで「科学する目」に興味が無かった子供が急に「葉っぱをカミソリで削いで」覗いてみたりするわけですね。「プレパラート」なんて、舌を噛みそな専門用語まで憶えたりして(笑)。そんなコトを思い出しつつ、今年のサンタは甥に「顕微鏡」を与えるコトにしました。数年経ってワタシの気持ちが伝わるコトを祈りつつ・・・。

 

2011年12月19日 (月)

結局、コレかよ(笑)

 あぁ、今日の朝もホンットに寒かったですねー。皆さん、体調には気をつけてくださいね。そのような中でも当方は「年末最終モード」で粛々と作業を進めております。

 ところで、ワタシの愛車が当分の間、結局「コレ↓」になりましたので、そのご報告をば。

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 昨日の日曜日、先日の当ブログでの予告通りに等々力を訪れ、そっとショールームに別れを告げました。絶好のオープンカー日和で、お天道様に感謝しました。初めてトップを開けた状態で走行してみましたが結構快適です。「アウディTT臭」の元凶、「ソックリな純正ホイール」が、前オーナーの趣味で懐かしの「ハヤシストリート(まだ、こんなのあったんだぁ!)」に換装されており、70年代風味まで満喫出来ております(笑)。走りの味は、前任者「リーザスパイダー」に良くも悪くもそっくりで、ダイハツエンジニアリングの血脈はしっかりと受け継がれている模様。「4気筒ツインカム16バルブEFI付インタークーラーターボ」20年前なら大変な「ウルトラスペック(笑)」です。リーザは3気筒のSOHCでしたね、そー云えば。ワタシ、やっぱりターボが好きなのかも、ね。

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 記念にと、意外にも「地味な」裏手の風景も撮影しておきました。ワタシ自身、この界隈を訪れるのはかなり久しぶりです。近隣周囲の風景が相当変貌しているのに戸惑いました。初めは、ついショールームを見逃しそうになりましたよ。周囲にも、「超高級車ばかりを一同に会した、超高級ショールームばかり」が軒を連ねています。練馬には「そこそこの高級車を集めた、ショールームの無いお店(笑泣)」があります。もうじき満15年になろうとするのに、あこがれの瀟洒なショールームは地平線の彼方にも見えてはまいりません。同じ経営者でも、ここまで才覚が違うモノかと情けなさに涙が頬をつたいます(・・・って、笑っとるやんけ)。

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 去り際にもう一枚。そうでなくても結構疎遠なこの界隈、用事が無ければいよいよ来るコトもしばらくないように思います。でも、こんな都会の真ん中に「等々力渓谷」というのが存在(なんと、この目黒通りをちょっと環8寄りに進んだあたりの道の下にあるんだよ、そんな処が!)し、ここを散策するのは下界(というか位置関係的には上界と云うべきか)と隔絶された世界を瞬く間に味わうコトが簡単に出来るので、お奨めなんですけれど。昨日は時間の都合で叶いませんでしたが、しばらくしたら「渓谷遊び」にまた行こうと思います。

2011年12月17日 (土)

「普通」に生きたい、ね。

 昨日「Ryo」さんから頂戴したコメントに「一年の経つのが本当にはやいこと(大震災にも、直接的に遭われてますから、本当に偽らざる実感だと思います)」、というのがありましたが、今日はもう17日なんですね。あの暑い暑い夏休み明けの頃より、毎日が繋がっちゃってる感じで本日までヤッてまいりましたが、気が付けば、北風吹きすさぶ12月(今日も一日中屋外作業で、そりゃ寒かった!)。とどのつまりは、2011年も残すところあと2週間しかありません。

 12月に入る直前に、いち早く来年の年賀状を一通り御用意しまして、投函の日を待っておりましたが、待機している間に「喪中のお知らせハガキ」が数通舞い込んできたりして、「人の命のはかなさ」を感じ入るコトもまたしきり、といった時節となっております。

 そのような皆さんと色々と直にお話をさせて頂きますと、「常人にとって、きわめてあたりまえのことが日常的に普通に出来る」ということが如何に有難いことかを痛切に感じます。清澄な空気を吸えること、3食のゴハンをキチンと食べられること、一日6~7時間の充分な睡眠がとれること・・・様々な理由でそれを成し得ない方々も世の中に数多くいらっしゃることを想えば、概略コレが出来ていれば「儲けもの」だと思います。今のニッポン、余りにも多くのコトを高次元で(しかも不当なくらいの安価さを以て)望みすぎている人々が多すぎる様な気がします。万事は金儲け(とそのための効率優先主義)のためにあるといった感じ。この際少しゆっくりと、越し方行く末について考えてみる「ユッタリした時間」も必要でありましょう。 

 さあ、前向いて明後日からも「匍匐前進」です。人間はソノ気になれば「タンス」も担いで歩ける(大川栄策のように:笑:昨日の「Wさま」コメントを引用で、すんません→実は昨日、そのベストテンねたで書こうと思っていましたが・・・やっぱ、あの映像は衝撃的でしたよね)、無限の可能性を秘めた存在でもあります。鍛えれば、バネになる。 

 明日は日曜日、久しぶりにユックリしてみようと思います。では、おやすみなさーい!

2011年12月16日 (金)

いちょうの葉が舞い、さざんかの花咲く木枯らしの夜

 今日は、昼間は比較的暖かい気候でしたが、夕方に向かうにつれて、どうも風向きが変ったらしく、4時を回った頃には「北風」がピューピューです。その時間からがワタシに与えられた「本日の屋外作業タイム」。カラダ、固まりました(笑泣)。

 あぁ、「いつかはシャマル」さん、いつも有難うございます。まあ当然のように、いつかはシャマルなんだろうけど(笑)、635CSiAも懐かしいですね。1980年代にプロ野球選手御用達グルマだったヤツです。前期型のメッキバンパーな感じのものも素敵ですし、強引にエアロチューンしたような後期型や「Mテク」も結構イケてます。ダッシュボードもモノすごい造形で、昨今のBMWより「アクが強い」のがいいですね。エンジンは伝統の直6で、素晴らしい吹け上がりが魅力的です。 

 ところで、北風が吹き荒れ始めると、どこからともなく「いちょうの葉っぱ」が次々とデポ場内に舞い込んでまいります。今年のいちょうは、なんだか落葉が遅いと思いませんか?今や12月も半ば、普通はほとんど葉っぱが無くなって、ぎんなんの「かぐわしい香り(笑)」が街のそこかしこで漂いまくっているものですが、喜ぶべきか悲しむべきか、今年はまだ一度も「クラってない」ように思います。季節を感じさせる風物詩ですから、光が丘公園にでもわざわざ「嗅ぎに行こう」かしら(笑)。においは「ナン」だが、食べるとウマいのが不思議です。ああ、茶碗蒸しが急に喰いたくなった。 

 凍てつくカラダを引き摺って、アパートに帰りますと、目の前の公園ではさざんかが咲き乱れております。ワタシの場合「さざんーーーかぁのぅお、やぁああどぉーーー」と大川栄策がアタマの中で歌いまくるのでコマる(笑)。でも、心に沁みる美しさ。大輪の花ではないのですが、一本の木にいったいいくつ咲いてるんだろうという感じでたくさん花が付いています。・・・と書いてたら、ソノ様子を横で見ていたヨメが「さざんか、さざんか咲いたみちー。焚火だ焚火だ、落葉焚きー」と童謡「たきび」の2番を歌いつつ「・・・なんだから、さざんかとたきびはセットということなんだよ。というわけで、さざんかも時期遅れなんぢゃないの?」と申しております。やっぱ、そうなのかな。 

 季節感もズレたまま、本当にあっと云う間に「年の暮れ」になってまいりました。今年もあと2週間あまり。皆さんも風邪などお召しにならぬよう・・・。ワタシもあったかくして寝ます。

 

2011年12月15日 (木)

皆さんの「上がり」のクルマってなんだろね?(その2)

 昨日もたくさんのコメントを(歳末でお忙しく、皆さんお疲れであるにも関わらず)有難うございました!実のところは、ワタシも結構「ボロボロ(笑泣)」になってますが、本日も「拳を挙げつつ」なんとか頑張って書き進めてまいろうと思います。今日は昨日の皆さんからのコメントにワタシからのアンサーという形式でイッてみようと思います。では、まいる!

 「テツヲタ」さん:スパイダーザガートにtowbar(ヒッチメンバー)つけてcaravan(キャンピングトレーラー)の牽引→マセラティ430用があるのなら、スパイダーザガートにも取り付けは可能な気がいたしますが、坂道で「ばっびーーーーーん」とキックダウンした瞬間に幌が締まらないカラダになる(泣笑)様な気もするけど、まっいっかー!あくまでも自己責任でお願いいたします(笑)。

 「Wさま」さん:ガンディーニ・クアトロポルテ(222や430が良くなるかもしれない)→マセラティ屋としては、大変有難い指向性ですね。ここまで惚れ込んで頂いて有難うございます。ところで、「宝くじ系(笑)理想の一台」の方も、もし差し支えなければ教えてください。

 「湯河原のタレ目」さん:ロータスヨーロッパSPのJPSピンストライプ(足が短くて長年あきらめていた・・・が、最後はなんとかズルでもして)とか、チッチャな非力FRで琴線に触れるような車→いえ、ワタシも乗れたからヨーロッパ、大丈夫だと思います。大体、ヨーロッパのシートはほとんど工具も必要とせずにスポスポとはずせてしまえるようなシロモノで、そのあたり、マセラティとはぜーんぜん違いますから、その時期が到来いたしましたら安心してワタシまで御相談頂ければなんとかいたします。ワタシ自身もコレを「最後の前」にもってきたい(って、もってコレるのか?・・・無理なような気がする:笑)と熱望しています。どうして「最後の前」かというと、オニのように踏まないと効いてこないノンサーボのブレーキには強靭なつま先とアキレス腱が必要だし、入りにくい上に異常に高い位置にあるシフトレバーやクイック過ぎてチョロるステアリングと付き合うには2つの腕(かいな)が震えずにシッカリと制御できるコトが肝要で、よく云えば「人車一体」悪く云えば「クソ狭い」インテリアに乗りこむには、しなやかなカラダが不可欠です。上記項目に付き、ワタシ、今でも「ダメダメ(笑)」ですから、60過ぎたらきっと完全に無理(笑)。ホントは3台持てるなら、スパイダーザガートとロータスヨーロッパスペシャルと2サイクルのジムニーが理想形なんだけどなー・・・。それと、フィアットX1/9はワタシ4速前期型をムカシ持ってましたが、超絶の名車であるコトを保障いたします。程度の良いモノがほとんど残存していないのが、難点です。バリもんあったら、ワタシも今すぐ欲しいマシンなのですが・・・。

 「Ryo」さん:ランチア・ストラトス(ビトルボを生涯所有し続けるカモ)→ムカシは400万円くらいで買えたストラトスHFも、現在の店頭販売価格は3000万を超える(!)モノが出始めました。全世界的な傾向です。ビトルボ系各車も今はほとんどのクルマ好きからナメられていますので、相変わらずその専門店マイクロ・デポも貧乏極まりないですが、そのうち全世界的人気旧車にならんものかと思っています。きっと、ストラトスのようにはならないと思うけど(笑)。

「松戸のS」さん:MASERATI228か430後期ABSなし(取る)で、いずれもダークアクアマリンで内装は通の黒 フェラーリ612スカリエッティのエビ茶メタリックで内装タン革 フェラーリ412のネロでタン内装か456GTAの濃紺で黒内装→いや、どれをとっても現実味を帯びていると思うが(笑)・・・今はまだまだ高い612もそのうち「ウッソー!」という価格帯に降りてくる予感がしませんか?外装白で内装ブルーの612スカリエッティは爽やかでカッチョよかったなぁ。

 「Hでございます」さん:上がりはカローラ→「正解!」ある意味ホントはこれだと思います。カローラというクルマは本当に良く出来た実用車です。意外なことに走りもイイですよ。この期に及んでミニバンやハイブリッドなんか買ってる場合ぢゃありません。「コレが最後」という言葉を「上がり車」の前の有終の美を飾る車を買う時に使っております。→どこまでそーやって「トボけて」イケるかが、我々世代のヨメさんとの闘いに於ける要諦ではあります。

 「りゅたろう」さん:①マセラティギブリSS  ジャガーEタイプシリーズⅠ4.2クーペ  モーガンスリーホイラー 
②チシタリア202クーペ  フェラーリ275GTB ロングノーズ  
③デトマソバレルンガ  マセラティミストラルクーペ  アルファロメオSZ(コンレロチューン)→①も②も③も、普通はぜーんぶ②「理想的にはコレ」に該当すると思われますが・・・(笑)。宝くじ、当たらないかなぁ。

 「りゅたろうチルドレン」さん:①現実的にはコレ:現在所有のW124('91年式260E)とスマートKです。あと実家にスバルサンバーもありますので何処にでも行けますし何だって運べます(笑)
②理想的にはコレ:新車のW124(笑) エンジン・ボディタイプよりも本国仕様スポーツラインをフルオーダーに拘りたいです。
③中とってコレ:現在の260Eをレストアして乗り続ける事ですかね~ 今や貴重な33ナンバーですし。→いや、だから、もっと色々乗りましょうよ(笑)。124ベンツは「確かに」上がりグルマではありますが・・・「ヘボいクルマの良さ(って、言葉自体がすでに矛盾しているような気もするが:笑)」もぜひ知って頂きたい!と、そう願うのです。「りゅたろう」さんを見てたから守りに入っちゃったのかなぁ・・・(笑泣)。

余談ですが、友人が個人売買でRACINGを手に入れたんですけど、駆動系のメンテでパーツ確保に四苦八苦→「餅は餅屋で買いましょう(笑)」とお伝えください(冗談ですからね!:笑)。

 「一松」さん:ルノー5ターボ(1でも2でも、どっちでも色不問)、同21ターボ(ディーラーで入れなかった赤、でも数台入ったらしい)同19(16sの4ドア、これも赤がいい)、なんとルノー3連発、おいおい。→ワタシ、スポールスピダーは、かなり乗ってみたいクルマの一台です。完全屋根付きガレージを必要とするところがハードル高いんですよねー。ムカシJAXが入れてた時代のルノーはサンク、バンテアン、ヴァンサンク、サンクターボ、いずれも現段階ですら部品がキツいんです。主要パーツをかき集めるのは相当な苦労をするコトになりそうです。マボロシっぽい「5ターボ」は「Ⅱ」なら時々市場に出てきますヨ。

現実的(?)にはロッソのカリフ(カリフはネロが多いですね)、シャマル(できればネロ)、近頃スパイダーザガート最後期(ダークアクアマリンなら尚良し)もいいなと。
ビトルボ系を「現実的には」と言ってしまうところが、もうフツーの方から見たらアレですが、これもマイクロデポがあればこそ、です。→いやー、ホントに有難いお言葉ではありますが、テレちゃうなー(笑)。でもホント、フツーの方から見れば「アレ」です(笑)。その節は是非ともお願いしたいモノではあります。

リトモアバルト125TC(130は不可)、テーマ832もいいな。→125TCはホント見ないですねー。130でないところがナントモはや・・・(笑)。8.32は「最後の前のクルマ」にしといた方が良さそうですが・・・現段階でも部品、「ほぼ、終わってマス」けどイイですか(笑)。

 「まおぴー」さん:①現実的にはコレ:このままだと今乗ってる「丸目インテグラSi-VTEC」になるんじゃないか、と最近考えていました。もう23万キロ以上一緒ですが、私が手放したら解体されちゃいそうで、かわいそうで手放せません。勢いあまってセミレストアしちゃったし・・・。まぁ、現実的には足になってもらわないと困るので、いつか買い換えるんでしょうけど。

②理想的にはコレ:ASA1000GTです。今年、某イベントで実車を初めて見ましたが、あの小ささがたまりません。かっこよかったなー。あとはほぼ同率でランチアラリー037とマセラティミストラルでしょうか。

③中とってコレ:ランチアフルビアかアルファロメオジュリアクーペでしょうか。適当な足さえ用意すれば何とかなると思ってますが、あまいかな(笑)。→「ベータークーペ」で懲りちゃってるんでしょうけれども、イタ車に戻ってきませんか(もちろん、デポで:笑)?「中とって」のジュリアクーペはエアコンとパワステさえガマンすれば、全然足になり得ます。部品も今のところなんとかなるし・・・。

 「おぐ」さん:①現実、フィアットクーボ(ディーゼル)、アウディA2(古いの)、シトロエンDS
②理想、ランチアストラトス、フェラーリ288GTO、デトマソヴァレルンガ
③中とって、ランチアアウレリアB20、マセラティカムシン→「中とって」ソレかよ(笑)。カムシン、ヘンなクルマですが、乗りこむたびに「ムズムズ・ワクワク」するよなクルマです。素通しのリアバックパネルのおかげで、リバースはすこぶる簡単快適で、ジジイにも安心(笑)。でもね、3速オートマ仕様車を「上がりグルマ」としてはお奨めしたいところなんですけど・・・きっと、その期に及んでもマニュアルぢゃなきゃダメなんですよね(笑)。買いに来てくれたらこの上ない喜びです(その光景を夢想するだに、楽しい)。「りゅたろう」先生もさっき書いてましたが、「ヴァレルンガ」意外にも人気あるんだなぁー。何がいいのか伺いたい。同じデ・トマソでもワタシはマングスタ(まあ、無理だけど)か、パンテーラの素うどんみたいなヤツを持ってみたいと思っています。あぁ、「最後の前の前」くらいにパンテーラ、いいなぁ、と只今しみじみと想いました(笑)。

 「ボロネーゼ」さん:①フェラーリ308GTB メルセデス280SL
②フェラーリディノ
③マセラティグランツーリズモ(10年落ち位になれば…)→①の280SLは1960年代の「パゴタルーフ型(タテ目で屋根が凹んでるヤツ)」のモノですよね?上がりグルマにはヒジョーに適当だと思います。まったくジジイが乗れるクルマです。オニのように重いデタッチャブルメタルルーフを一人で降ろそうとしてギックリ腰にならぬよう、お願い申しあげます(笑)。②のディーノは普通の246GT(かGTS)ですよね?コレは、ワタシも持ってみたいが、理想としても現実味が無くなっちゃって(ナンのことやら:笑)ますよね。③のグランツーリズモ、その時期が到来いたしましたら、是非オーダーをお願い申しあげます、お待ちしてますよ!

・・・あー、さすがにチトしんどいですが、皆さんのおハナシに耳を傾けつつ書き進めるのは楽しいひと時でした。また、明日もよろしくお願いしまーす!

2011年12月14日 (水)

皆さんの「上がり」のクルマってなんだろね?(その1)

 一昨日までの「国産車」ねた、大いにコメント欄が盛り上がり、ホントは「みーんな、国産車が好きなのではないか」という疑惑も浮上する今日この頃ですが、このブログは、あくまでも、どこまでも「マセラティでイッてみよう:2」ですからね(と、いつものように定期的に書いておく:笑)。

 そこで、本日より「皆さんの人生を締めくくるクルマ」の想定についてお尋ねしたいと思います。いわゆる「最期の晩餐」ねたというヤツですが、コレ、クルマが好きな方々には相当「酷」なものかもしれませんね。それぞれのお歳や稼ぎ(笑)、御家族構成や人生観によって、現実に即して考えると意外や「守りに入った」選択になってしまいそうですので、①:現実的には、コレ。②:理想的には、コレ。③:中とって、コレ。と三段階に分けるコトにいたしましょう(って、既に逃げが入ってるところがミソ:笑)。

 ところで、云いだしっぺのワタシ・・・さあ、どうしましょうね(いきなり悩み:笑泣)。で、①:マセラティスパイダーザガート(ワタシのビトルボ道において原点にして究極だから・・・でも、ワタシが今まで乗ったコトの無い、スワンホワイト/タン革がいいなあ。前期後期はこの際どちらでもいいや)。②:初代マセラティギブリ(SSで無くても可、3速オートマでデレデレと乗れるヤツ・・・外装濃紺で内装は黒革か赤革がいいなあ)。③:マセラティスパイダー(ジアッラかメディタリアンブルーがいいな。内装色はこの際なんでもいいや!ホントは出来ればマニュアルミッションで「カイーン」とフェラーリサウンド轟かせながらというのが一番ですが、実際、腰もマズいコトになってるワケですし、「どっこらしょ」とクラッチペダルを踏むのもナンですから、ここはひとつ、カンビオコルサでイキますか:笑)。・・・うー、我ながら「マセラティ漬け(笑泣)」で「オープンカー男(お)」ではあるなあ。でも、初代ギブリだけはクーペがいいや、なんかスパイダーの方は、さしものワタシも気がヒケる。・・・ああ、コレが「夢」に終わるかどうかは、これからの頑張りに掛かってマスねー。 

 でもね、厳しい時代を生き抜いていくための「モチベーション」は、少なからず人生において重要な要素ではないか、と思うのです。若者がクルマ離れをしている上、空前の値下がり感と低金利の今こそがチャンス!世の中が良くないからこそ、思い切って「逆張り」すべきです。土台、「80歳」まで元気に生きていける保証なんて、もはやどこにもありません。現在「45歳」を過ぎてる「クルマ好き」の方は、とりあえず前向きに「上がりのクルマ」について考察されてみては如何でしょうか。コレ考えてると、逆に楽しくなってきますよ、きっと。奥様にも「コレが最後」だから・・・って、一生云い続ければいいんですよ(紳士服の青○とかAO○Iがヤッてる、年に何度も行う「閉店セール」を見習おう:笑)。コメント、お待ちしてまーす!

 

 

2011年12月13日 (火)

聖地が、また一つ・・・

 本日は、短いですが、些かならずワタシにとってショッキングな出来事を御報告いたします。既に、同社より案内が届いてらっしゃる方もおみえになると思いますが、30年以上に亘り、東京での「マセラティの聖地」であった、等々力SCが今月限りで閉店となるそうです。想えば、マセラティにあこがれ、あの場所に通い詰めた若き日々。等々力はワタシにとって「現在のマイクロ・デポの在り様(よう)」の原動力でもあり、看板も掲げない粋で瀟洒なショールームにいつかは・・・、少しでも近づきたいと自らを励ましてまいりました。その聖地が無くなるという・・・。

 今朝になり、正式なルートより電話があり、このお話が出てまいりましたので、急遽ウチの弟達を等々力に派遣いたしました。等々力の業務は東雲サービスセンターに全面的に移管するそうです。これを機会に第二の人生に進まれる方々も、また多いと伺いました。今までお世話して頂いた同社関係者各位には、感謝の気持ちで一杯です。有難うございました。

 帰宅して、公式サイトを拝見すると、やはり現実なのですね。旧いマセラティとフェラーリ。いよいよ、マイクロ・デポも頑張らねばなるまいと決意を新たにしております。当店顧客のお客様はまったく御心配には及びません。私共まだまだ力足らずではありますが、旧いクルマを愛してくださるお客様のいる限り、匍匐前進あるのみです。

 とは云うものの、寂しくなるなあ・・・。今度の日曜日にでも、思い出に浸るためショールーム近くまでは行ってみようかな(そしてかつてのように遠巻きに眺めるんだ)。

2011年12月12日 (月)

国産車デザインの歴史を検証する(その5)

 はい、こんばんは!一昨日のコメント欄も賑々しくてとても嬉しいです。しかしながら皆さんよりお寄せ頂いた80年代中盤から90年代初頭までのクルマを拝見しますと、あーあったあった!というよりも・・・「なんか懐かしくない(笑)のばっか」な様に思います。というわけで、あー、今日も筆(キーボード)が重いのなんの(泣)。なんつっても、この時代にワタシが乗ってたの「フロンテクーペ」」だったり、「VWビートル」だったりだモンなー。

 というわけで、せっかく皆さんから頂いたコメントをひとつひとつ吟味しながら、ワタシなりの感想を述べると云うカタチで今日は進めてまいりましょう(けっこう辛口に付き、ブタないでね:笑)。

ソアラ2代目・3代目→初代の順当なモデルチェンジの2代目、心情的にポルシェ928を目指したのではないかと思われる3代目。初期のエレクトロマルチビジョンは「史上最低のナビ&テレビ」でした(我が家のクラウンに付いてて、まったく使いモノにならんかった)。

プレリュード初代・2代目→初代は今思うと「プレーン」でカッチョいい、というか、和製ランチアベータクーペといった趣き。馬力の無いところまでマネんでいいのに(笑)。2代目は「ザ・デートカー」といった感じで一時はアッパーな若者に人気がありました。4輪操舵メカというのも一時、「三日ばしか」のように各社が競ってましたね。

アコードクーペ→こういうメイド・イン・USAのヤツもバブル直前の一時期に流行りましたね。

アコードエアロデッキ→あー、コレは意外とカッチョいいかもしれません。ホンダが自力でデザインしたとは到底考えにくい。ピニンファリナが関与してないか?

カローラ(スプリンター)→なんといっても、本家「86」でした。当時ワタシの知りあいが新車でレビンを買いまして、その辺を一回りさせてもらいましたが、それまでの「2T-G」型とは別世界の軽くヒュンヒュン吹け上がるDOHCユニットには感銘を受けたモノです。ハッチより、クーペ、トレノよりもレビンの方がお好みではありました。

ハイソカー(白い車)やデートカー→ハイソカーと云えば、マークⅡ三兄弟(残りはチェイサーとクレスタ)、2代目ソアラ、Y30セドグロ、2代目デボネアAMG(笑)辺りをつい思い浮かべてしまいます。デートカーとしては前述の2代目プレリュードの他に、4代目シルビア(コレは今見ても結構イケてるような気がする。珍しく好きかも:笑)、2代目レパードといった面々が浮かんでまいりました。

カリーナ2代目・3代目→2代目のツインカムユニット搭載車は、結構良く走りました。シンプルで、加速時のエンジン音がなんとも云えずによかったなあ。・・・3代目、どんなの?(思い浮かばん:笑)。あぁ、カリーナED(初代)はカッチョよかったなあ。アタマ、天井にスルけど(笑)。コレの本来の兄弟がセリカなんだけど・・・「チャイニーズアイテールランプ」のクーペ、「流面形セリカ」などの時代にあたるのカナ。スープラ(3代目のダブルエックスに相当)は高性能でそれなりに目立ちましたが、なんか、「プアマンズコルベット臭」がしたモノです。

ジェミニ2代目→「街の遊撃手」CMでの超絶ダンスが印象深いです。純正色に「ピンク」の設定があり、当時、素晴らしいと思いました。・・・いすゞ、乗用車の製造をヤメてしまったのが本当に惜しまれます。

スカイラインジャパン→ケンメリがあまりにもヒット作になってしまい、このあとのモデル(ニューマン、7thまで)はデザイン的にはどうも迷走気味です。6気筒にはGTの称号を与え、4気筒には「TI(ツーリング・インターナショナル)」というBMWのグレード名をパクったネーミングをしてました。日産ついでに云えば、910ブルーバード(ジュリーがCMしてたヤツ)は古今東西のボクシーな4ドアハードトップの中では金字塔を打ち立てた秀逸なモノと個人的には思っています。妙にデザインしてないところが潔い。次のモデルでしたっけ、「ゼロスクラブ」とかいうやたらとスタビライザーがブッといだけのフロントサスがSSSに付いてたのは。あっ、マキシマってのもありましたね。フェアレディZは三代目がヘンな半目で、完成度が低いデザインでした。4代目は4本出しマフラーが国産車には珍しいモノでした。黄色いのがカッチョいい。

シティターボⅡ→ブルドッグ。部品出せよなあ、ねぇ、テツヲタさん(本日は、結構なモノを有難うございました)。

2代目RX-7→初代が924、この2代目が944って、ここまであからさまにヤラんでも・・・。

ユーノスプレッソ→あー、コレ出た時に「ちょっとイイかも」と思いました。ランティス、レビュー(キョンキョンのCMで印象深い)なんてのも実験的デザインでした。

MX-6→コレは我が「ダメ男の集い(ウチでプラモと造る会)」の名誉会長「M氏」が数年前に、自宅近所の曲がり角でコーナーリングに失敗し全損にするまで真っ赤なの(がキレイに色褪せてピンクになってたの)に乗ってました(そのあと、レカロシート付きの真っ黄色のスズキスイフトスポーツ買いました・・・愛すべき65歳、ワタシもこういうジジイになりたい:笑)。

ユーノスコスモ→コレの黄色パール色のヤツが近頃デポの近所を徘徊しています。3ローターのヤツです。やはり御老人が乗っています。ものすごカッチョいいです。

トヨタセラ→雨の日にガソリンスタンドなどでガルウイングドアを開けると、ダッシュボードの上に全部雨水が入ってくるそうで、トヨタ的には「無かったコト」にしたいクルマだそうです。バブルの熱狂はトヨタをもクルわせてしまったのでしょうか。

ターセル・コルサ・カローラⅡ→初代のターセルとコルサ(「あーーーーー、広さのこるさぁーーー」とCMソングは謳いあげてました)はトヨタ初のFF車というのがウリだったんですよー、覚えてますか?百恵ちゃんのCMソングも懐かしい、2代目からはカロⅡもお仲間に入りました。「カローラⅡに乗って」なんていうCMソングも流行りましたね。カローラFXってのもあったな。知代ちゃんの「かろーらつぅー、ういんでぃー」もマッケンローとともに懐かしいCM。

ニッサンNXクーペ→CG映像でクルマが流動体のように伸びたり縮んだりするCM「タイムマシンかも知れない」が印象的でした。クルマの方は、サニークーペといった感じダヨなー。日産と云えば、「くう・ねる・あそぶ」という糸井重里さんの有名コピーで散々発売前に「ティザーキャンペーン」をやってた初代セフィーロも、いざ、発売された時の大きな落胆(だって、どんなに画期的なクルマなんだろうなと思ってましたもの:笑)の気持ちとともに思いだされます。「みなさぁーん、お元気ですかぁ」と井上陽水にフニャフニャ云われてもなあ・・・。初代プリメーラというのも「欧州車風」というコトで鳴らしました。

ピアッツァ3代目→って、ヘンなセミリトラクタブルのヤツ?ワタシにとってのピアッツァは初代のものだけです。

ビークロス→現在に続くSUV(ワタシには意味不明なカテゴリーですけど)の嚆矢ともいえるのかな。μ(ミュー)ってのもありましたね。

AZ-1→メチャクチャ欲しい&中古車高くて買えないクルマ。スズキ「キャラ」でも可。

・・・皆さん、有難うございました!90年代以降の国産車は、ミニバンやSUVばかりで、ワタシ、語るのが息苦しくなるくらい苦痛(ワタシ、ホントに苦手なんだよミニバン類:笑泣)なので、今回で一応ピリオドというコトにさせて頂きます。

 いやー、外車ってほんっとうにイイもんですねー(水野晴郎節で:笑)、では、また明日お会いいたしましょう!(ここからニニ・ロッソ「「水曜日の夜」がBGM)

2011年12月10日 (土)

国産車デザインの歴史を検証する(その4)

 はい!皆さんこんばんは。で、いきなりお詫び。昨日のコメント欄にて「まおぴー」さんが御指摘の通り、昨日はスッカリ富士重工を忘れておりましたです、ハイ。なーんかひとつ足りない気がすると思って、「うーーーーー」っと15秒くらい腕組みして考えておったのですが、どーにも思い出せなかったので、皆さんに助けを乞うていたというわけです。トシあるね(笑)。

 「Wさま」さん(アグネスチャンさんみたい:笑:ところで先だっては有難うございました!)、「途中で角目になったコロナ」、ありましたありました。田宮二郎さんがCMに出てたヤツですね。「OKモニター」って云う、今で云うところの「ダイヤグノーシス」がオーバーヘッドコンソールに着いてて、警告灯だらけというヘンなクルマになってました。航空機のコックピットをイメージして当時のESV(安全対策車)最先端を具現化したつもりだったのでしょう。これの2ドアクーペのCピラー付け根に装着されていたガーニッシュはランボルギーニウラッコのパクリであると、往年のカーグラで指摘されていたのを思い出します。

 「松戸のS」さんからの3代目シルビア(&初代ガゼール)のハナシ。ココの画像を御覧になれば、その「西部○察的雄姿」をご覧になるコトができます(同じモチーフでデザインしても、同時代のイタリア人と日本人とでは、ここまでも理念や解釈が違うという良きサンプルにもなってますね)。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2 ところで、2代目シルビアは途中で角目にはなりませんでしたが、フロントグリル周りや、いかにもアメリカンなツートーンカラーの設定により、より一層女性的でマイルドな感じになりました。この画像も上のリンク先で見るコトが出来ますよ。 

 さて、スッカリ忘れてた「初代アルシオーネ」ですが、最初は北米輸出専用車だったハズです(確かスバルXTとか云う名前だったと思う)。それが、日本国内販売されるに当たって「アルシオーネ」と命名され、当初は4気筒エンジンの設定しか無かったと記憶しております。数年後のマイナーチェンジ時にフラット6版が追加されましたが、その時に「やっとスバルもポルシェに追いついた」との感慨に耽ったようにも思います。ワタシの好みは、(当然ながら:笑)「原初の姿」の方です。 

 さあ、ワタシの国産スポーティー車に対する記憶にのみ頼った記述はここらの年代あたりが実は限界です。ハッキリ云ってここから先の国産車には、まったく興味がありませんでしたからね。しかし、今となってはほとんどの国内メーカーのラインナップから、2ドアクーペやハードトップという車型がほぼ消え去っていたのだなーと、このシリーズ書いててあらためて実感しました。これぢゃー、若者がクルマ離れしちゃっててもしょうがないよなー。以下、頑張ってシボり出してまいります。 

 三菱スタリオン、コルディア(このあたりがギャランGTO&FTOの子孫なのかな)。スタリオンはジャッキーチェンの映画を思い出す(ある意味香港によく似合う:笑)。

 トヨタセリカ(2代目)&ダブルエックス→当時「ありえねー(笑泣)」と嘆きました。

 トヨタセリカ(3代目)&ダブルエックス→むりやりコーリンチャップマン氏(ロータス社創業者)を引っぱり出してCMしてたものの・・・(泣)。 

 トヨタカリーナ(初代&2代目&3代目)ハ-ドトップ→コレ地味だけど、意外とプレーンでカッチョいいですよね。無個性の個性というヤツかなあ。(デザインはともかく)思想的にはフォードカプリあたりとの共通項を感じます。 

 トヨタカローラ(さんまる:ジェリー藤尾一家がCMしてたヤツ:「かろーーーぉら、さんまるっ、チャン!」というサウンドロゴが懐かしい)&同スプリンター(近藤正臣とアグネス・ラムがCMしてたヤツ:「す・ぷ・りんたぁー、りふとばぁーあーーくっ(たぶんトランザムか山下達郎か大瀧詠一かゴダイゴの歌唱・・・って、全然シボれてない:泣。・・・追記22:10、気になって眠れないので調べたらやっぱゴダイゴのタケカワユキヒデが白星でした!)」のCMソングが強く印象に残る)→カローラとスプリンターの差別化と、クーペ、ハードトップ、リフトバック、前期後期でまったくイメージの違う多彩さを誇ってました。同じプラットフォーム、同じ基本設計でここまで様々に印象を変えていく手法は、イタリアのどこかのメーカー(頭文字はM:笑)に似ていますね。このあたりデザイン考察的に面白いテーマです。

 いすゞピアッツァ(初代)→モロ、そのまんまジウジアーロ(笑)。ヤナセ用のネロ、イルムシャー(なんでドイツ?)、ハンドリング・バイ・ロータス(なんでイギリス?)、迷走の限りを尽くしました。良いのはやはり原初の姿だけ。

・・・とここまで書いてチト疲れました(ああっ、脳細胞が・・・)。一旦寝ます(笑)。

 

 

 

2011年12月 9日 (金)

国産車デザインの歴史を検証する(その3)

 うぉー!今日は朝からミゾレがチラついた東京は練馬。むぉー寒いのなんの・・・一同、歯を食いしばって納車準備作業に邁進しております。顧客の皆様にはいつもお待たせして申し訳ありません。

 さて、今日こそは80年代のハナシをのっけから爽やかにイッてみようと思っておりましたが、皆様のコメントを拝見しておりますと、まーだ70年代に後ろ髪をヒカれる思いがいたします。あまりにも、たくさんの車種の名前が挙がってまいりますので、どーも、一台一台についての記述が淡白なモノになってしまっているのが、掘り下げ不足といった感じで申しわけありません。このシリーズ「知ってるコアな国産旧車の名前を挙げる」に表題変えた方がいいのかなー(なんか、このねたのスレが2ちゃんにありそう:笑)。

 はい、ワタシも何を隠そう「黄色いランサーセレステ(しかもヘンな角目になるまえのGSR限定)」を思わずカッチョいい!と思ってました。とにかく、70年代後半の頃は「ファストバッククーペ」の全盛期でありましたね。2ドアクーペは須らくファストバック(必ずしもハッチバックとは限らない)形態であるコトが多かったです。

 あと、トヨタにはジウジアーロが関与していた疑いのある(笑)「初代パブリカスターレットクーペ(ダイハツ版だとコンソルテクーペ)」という名作があるのを思い出しました。乗っても結構イケてた。当時B110サニーとともにフレッシュマンレース用のベース車としても名高いものでした。ちょっとホメ過ぎかもしれませんが、「和製アルファスッドスプリント」という感じ。

 ああ、「中国地方に於ける、スーパーカー軍団の不始末」に関連して申しあげれば、そういった、違法「超高速領域」のスピードを出しながら、エアコンのON/OFFなんてやってるヒトいませんか(良い子はみんな分かってると思うケド)。近所の同業者の顧客で跳ね馬(12気筒)乗りの方が○○○Km/h以上!のカっ飛び中にエアコンをスイッチONで、コンプレッサー「ドカーン!」となったコトがあります。「大体、レーシングカーにエアコン付いてるかっつーの!」と嗜めたそうです。至極ごもっとも。・・・やってたヒト、これからは、ね(笑)。

 2代目シルビアも、「原初の姿」である初期型は素晴らしいデザインだと思いました。とても当時のサニーベースとは思えない(けど、ホイールがものすごく内側」にスッこんだ状態を後ろから見るとお里が知れる:笑)ほど、流麗なフォルムでした。ダッシュボードの造形も「シトロエンSM」や「マセラティメラク」状のもので、相当「クル」ものがありましたね。外装色では、何とも云えん「マルーンメタ(コレがイメージカラーだったと思うが)」が強く印象に残っています(が、現車は残ってない:泣)。この頃、日産の小さいヤツはどれも「ヘン」でカッチョよかったな。サニーGXツイン、チェリーFⅡGXツイン(黄色限定)あたりは、どことなく外車の何かに似ているようで違うようで、何かがおかしいのだけれども、やはりココロの琴線に触れるワケです。ああ、「バイオレット!」・・・ヘンなだけ(これ710と云ってブルーバードの亜種なんですよね、確か:笑)。 

 さあ、1980年代に入りましょう!で、やっぱ「初代ソアラ」ってコトになりますか。でも、このソアラはそもそも日産が当時鳴りモノ入りで「ティーザーキャンペーン」を散々やった挙句に発表してズッコケタ「初代レパード」用の迎撃機(笑)として用意された、云わば「イヤがらせの権化」のようなクルマ。クォーターウインドー内のルーバーをはじめとして全体的なデザインテイストは「メルセデスのSLC(W107SLの屋根が取れないロングホイールベース版)」をイタだいて「和訳」したような感じ。で、レパードに比べると悉くスペック上の数値が上回るように設定されていたのも「ニクイ演出」。ホントは当時日産勢のV6エンジンシリーズはコストも掛かり、原価的にも「レーザーエンジンシリーズ」より遥かに高そうなのですが、ソレは今だからそう云える類のもので、「ツインカム偉し!」「インタークーラーターボ凄し!」の若者(やおぢさん)たちには、「ジャガー直6にエンジンの見た目までよく似た」ソアラの方が当然バリューフォーマネーに見えていたコトでしょう。

 デザイン的にエポックだったのは、「初代ホンダシティ」。週刊プレイボーイの巻末カラーグラビアで初めて見た時は「スグ買いに行こ(同色のモトコンポとともに)」と思ったモノです。

 1980年代のごくごく初頭までは、ヘタをすると60年代や70年代の初頭から存在した「長寿車」たちがへたなマイナーチェンジを繰り返された挙句に、「可哀想な姿」で細々と売られていたのが、印象に残ります。特に、オリジナルデザインが丸目ヘッドライトだったのを、むりやり「角目化」するのが流行り、どれも悲惨なデザインに堕しましたね。・・・思いつく限り、その「犠牲車一覧」をば。・・・すでに脳細胞がトシと寒さのせいで逝ってしまっていますので、足りないところはどなたかおたすけあれ。

 トヨタ→この頃、まったく興味が無かったので、一台も想い浮かばん(泣)けど、あまり強引なマイナーチェンジは無かったか。あっ、クラウンあたりにあったかな(この辺のは型式とか知らん:笑)。

 日産→810ブル、

 マツダ→コスモAP&Lの角目4灯から異形角2灯へ

 ホンダ→1300クーペのなれの果てが丸4灯から、角2灯になってたように思う。

 三菱→ランサーセレステ、フツーのランサー(初代)の方は最後どうなったんだっけ・・・。

 いすゞ→117クーペ、フローリアン、初代ジェミニ(うーん、この手のマイナーの宝庫:笑)。

 ダイハツ→シャルマン(以前シャマルの陸送頼んだら「マセラティシャルマン」と鍵札に書かれてて:爆笑)。

 鈴木→フロンテクーペのセルボ化(コレは角から丸にしてマヌケになった珍しい例)、マー坊(笑)。

・・・あっ、なんかまだ忘れてるメーカーがあるような・・・、ハラ減ったし寒いから今日はもう帰ろ(ホネは拾ってください:笑)。

 

 

 

2011年12月 8日 (木)

国産車デザインの歴史を検証する(その2)

 はい、昨日の続きです。70年代の半ばあたりのハナシまででしたね。皆さんから色々とコメントを頂戴する中で、「松戸のS」さんの御指摘、日産(初代)シルビアも60年代国産車デザイン論の中では忘れちゃイケない存在でした。失礼いたしました。そー云えば、この夏休みに千葉の家に帰ってた時、近所のケイヨーデ○ツー(千葉によくあるホームセンターチェーン)の駐車場でこの初代シルビア(ベンツのイナリシルバーみたいな色の)を発見、わざと隣にクルマを停めてしばらくしげしげと眺めていたら、オーナー氏のおっさんが山のように「カーケアグッズ」を抱えて店から出てきました。なんか国産旧車は色々と御苦労も多そうですね。そのムカシ、ワタシにビトルボスパイダーが納車された、その当日に、このシルビアに乗った友人の知り合いがワタシを訪ねてみえまして、一緒に関越走ってたら、ビトルボ、電動ファン不動によるオーバーヒートが発生!(真冬だったのに・・・)すぐさまガソリンスタンドに駆け込みましたが、「LLC全吹き(泣)」で、原因はリレーのアタマに乗っかるヒューズの接触不良。こんな、ワタシのビトルボ修行の第一ページを共に飾ったクルマこそ、このシルビアだったんです。で、その時の記憶がそこはかとなく甦るところが、なんか「ヤダ(笑)」。

 も一つ、60年代モノ。「マツダルーチェ&同ロータリークーペ」、忘れてました。ベルトーネです。ほとんどイタリアの車にしか見えません(当時はヘンなセダンとか思ってましたが)。小学校の時「往復ビンタ」を頂戴した(笑)「K先生」が乗ってらして通勤に使ってました。フロントがベンチシートで6人乗りというところも(セダンの場合)ウリ。当時はまだまだシルバーの塗色の質に問題があるのか、数年でスッカリつやが無くなっちゃってたので、「イブシ銀」の迫力が(先生の怖ーい容貌も相まって)出てましたね。

 1970年代のハナシでも、「ケンメリ」と「直感、サバンナ(RX-3)」の2大巨頭に触れるのをウッカリ忘れるところでした。あー、「族車(笑)」としては、ローレルSGX(2代目のヘンなトランクのヤツ)のラメラメ塗装のヤツなんかは、その時代には大キライだったのですが、今の目で見ると「アメ車が屁こいたようで(笑)」結構イケてたりするから、レトロフィルターって偉大です。ああ、もちろんノーマルが残ってたらのハナシですよ(笑)、原理主義者だから。当時かなり大きいと思っていたコイツらも、現代の感覚から見ますと驚くべきコンパクトさです。大手オークション会場では、先日も当ブログに載せましたような「名車(迷車?:笑)コーナー」というのがありまして、こういったクルマたちの「動態保存物件」が全国から出品されてまいります。コメンテーターの皆さんが見たら卒倒しそうな光景の場合もありますよ(ワタシはようやく慣れた→この商売に初めてついた頃は、もう、嬉しくてしょうがないといった感じだったんですけどね。トシとったあるからね:笑)。

 「三菱ギャランGTO&FTO(もちろん初代の)」「スバルレオーネクーペ(緊急指令10-4-10-10の電波なんとか隊の社用車)」そして「スズキフロンテクーペ(ワタシの初めての愛車)」70年代前半から中盤は「押しの強い、素敵なスポーティーカー」が百花繚乱です。

 1970年代の後半には、怒濤の「スーパーカーブーム」が襲来!ここで、子供の頃から「トミカ」や「ダイヤペット」で慣れ親しんでいた国産スポーティーカーなんか、銀河の彼方へとぶっ飛んでしまいます。「本物はここまで違う」と思い知らされました。いや、良いとか悪いとかといった「工業製品としてのデキ」の問題ではなく、とにかく「スーパー」なんです、何もかもが。翻って現実を見れば、やはり国産車で一番カッチョ良くて、性能もそこそこな「コスモAP」とか「フェアレディでも2by2(にむりやりGノーズ付ける→ありましたよね!)」が、将来の「落としドコロだよなー、一応家族も乗れるし」などという、中坊(ネット用語では厨房:笑)同士の「現実を直視した(笑)」クルマ談義もそこかしこであったモンです。

 そんな中坊クルマ談義にとどめを刺す存在「羨望のRX-7」が出た時は、もう皆で狂喜乱舞(笑)。ムカシ目白通りの谷原交差点の近くにマツダ系ディーラーがありまして、かなり気前よく「本カタログ」を頂けるゆえ自転車漕いで日参したモノです。この時代のマツダはなんか夢があったよなー、今思い返しても。あー、コスモAPの「毛を5本抜いたような」フロントマスクを持つ「ファミリア(3代目:Oh!ミディコスモがキャッチフレーズ:323の前の型→分かる?)」はワタシの当時の審美眼でも、「うー」でした。今思い返しても、「うー(笑)」。

 70年代から80年代への移行期には、三菱が地味ーな存在だった「ギャラン」をイメチェン。「シグマとラムダ」、とってもヘンでした。でも何か妙に引っかかるクルマでしたね。

 さあ、明日こそ80年代イッてみようかな(ホントは今日80年代やろうと思ってたけどチカラ尽き:笑)!

2011年12月 7日 (水)

国産車デザインの歴史を検証する(その1)

 昨日も、皆さんからヒジョーに活発なコメントを賜りまして、有難うございました。やはり、クルマに造詣の深い方々からの御意見、どなたからもそれぞれに熱い思いをブツけて頂いております。「Wさま」さんや「松戸のS」さんもお怒りでありましたように、ここ20年ばかりの国産車のデザインの悪さは、ちょっとヒドすぎましたよね。でもね、ムカシからひどかったのでは決してなくて、長い年月をかけて日本人の「民意」がそうさせてしまったとも云えるのですよね。このあたり、政治のハナシともよく似てる。現政権がたとえどんなにしょーもないモノであっても、それは日本人が選択してしまった政権なわけで・・・、あー、なんとも情けない気持ちに。

 さすがに1950年代には、国産乗用車でコレというものはありませんでした。強いて刮目すべきものを挙げれば、「スバル360」と「トヨペットクラウン(初代観音開きドアのヤツ)」くらいでしょう。日産はまだ、英国オースチンのノックダウン生産の時代でしたし、日野ルノーなんかも有名ですね。いすゞでは英国ルーツグループのヒルマンをノックダウンしていました。

 1960年代になると俄然様相が変ってまいります。各メーカーがノックダウン生産による「勉強」の時期を終え、本格的な「好デザイン車」を生産するようになってきます。モーターショーもそんなクルマたちで賑々しいコトこの上なし。ジョヴァンニミケロッティーの「プリンススカイラインスポーツ(ウルトラQで主役の万城目さんが乗ってたヤツ)」とか、「日野コンテッサスプリントと同1300クーペ(リアフェンダーのサイドについてるミケロッティエンブレムを見るダケでも至福のひと時)」・・・この頃の日本のメーカーは、どうもミケロッティにカモにされてたフシがある(笑)。「トヨタ2000GT」「マツダコスモスポーツ」「ホンダSシリーズ」「トヨタスポーツ800」このあたりは純国産デザインとされていますが、2000GTは明らかに初代ロータスエランのパクリシャーシに、ジャガーEタイプ風のボディを乗っけたものですけど、どーにもこーにもカッチョいいですね。コスモのフロントフェンダーサイドのモティーフはフェラーリスーパーアメリカのパクリですが、全体的フォルムはちょっと他にないオリジナリティー溢れるもの。ホンダSは当初360でショーに出て、このまま売れば史上初の本格的な軽スポーツカーとなるところでしたが、実際には500CCで出てきました。これのクーペもダサカッチョいいです。「ヨタ8」は超絶のフォルムですね。佐藤章蔵、長谷川龍雄など往年の天才工業デザイナーが見せてくれたいいシゴトのサンプルです。いすゞはジウジアーロで「117クーペ」と「フローリアン(117セダン)」でイタリアンデザインに傾倒。「ベレル」なんかは三角形のテールレンズまで、フィアットにそっくりなのがあります。イタリアンと云えば、ダイハツは「コンパーノスパイダー&ベルリーナ」で、ヴィニアーレと関係が深まってた時期。60年代前半の日産はピニンファリナに凝っていて、「410ブルーバード(柿の種)」や、「S130セドリック前期型(タレ尻)」など、やはりフィアットの旧いのにそっくりです。また後半になると、「箱スカ(愛のスカイライン)」「510ブル(スーパーソニックライン)」とスッカリ直線的なデザイン。軽自動車では、画期的な「ホンダN360」が出現、和製ミニクーパーとして大いに気を吐きました。三菱はヘンなファストバックの「初代コルト(しかも最初のは2サイクルエンジン)」、そして「初代デボネア」。スターリング・モスがアウト・ストラーダ・デル・ソルを高速耐久試験した、「スズキフロンテSSS(コークボトルライン)」も忘れ難い存在です。スズキには「フロンテ800」という幻2サイクルクーペもありました。和製サーブの「スバル1000:ff1」普通車FFの嚆矢。そんな1960年代の掉尾を飾ったのはフェアレディZ(初代:S30)、コレは今みてもプレーンなロングノーズショートデッキで「ザ・スポーツカーフォルム」ですね。極めて好ましいデザインです。

  さて、1970年代に入りますと、「ホンダ1300クーペ9」はイソグリフォの顔がついてて、空冷で4キャブレターでアホ(曲がらない・止まらないで有名:笑)。なんといっても、「セリカ&同リフトバック(初代)」のセミオーダーシステムは画期的でしたが、エラストマ-バンパーすらオプションにあったのは意外に知られていません。「日産チェリー(特にX1-R)クーペ」は丸いテールランプがお洒落。今でもカッチョいいと思います。そして、初代「シビック」が出るに及んで、「デザイン的には」些か暗雲が垂れこめてまいります(初代シビック自体は、そのCVCCエンジンと相まって国産自動車史的にはエポックメーキングなクルマなんですけどね、ワタシはああいった台形断面フォルムのクルマは苦手なんです:笑)。TE27レビン&トレノ(今日、デポの脇のバス通りをオリーブグリーンのヤツが走ってた:笑)もカッチョ良くはないですが、歴史に名を刻んでいます。1970年代後半は各社排ガス規制への対応と、ESV(安全対策車)化への対応で米国に振り回されてしまい、今は懐かしい「5マイルバンパー」装着などのマイナーチェンジで、どのクルマも例外無くオリジナルデザインをスッカリ損なってしまいました。コレが、現在の「国産車カバ化(笑)」への足音が始まった時期なのかもしれませんね。

2011年12月 6日 (火)

「86(ハチロク)」の出現について考える

 はい、こんばんは!昨日のコメント欄は、「あさっての方向」に期せずして盛り上がってしまい、もはや収拾のしようがありません(ブログ、ついに炎上:笑泣)。皆さーん、昨日のブログ「タイトル」をもう一度良く見てくださいねー!

・・・「若者に如何に車を買わせるか」がテーマでした。ワタシがお薦めする「旬のクルマのハナシ」や、「たこちゃんの次期購入車を如何にしたらいいのか」をお聞きになりたい方は、別の機会の当コーナーでまとめてヤルのを御待ち頂くか、ぜひすぐさまのご来店をお願い申しあげます(笑)。若いヒトがどういったクルマに興味を抱くのかという問題については、もう一段状況が進展しないとなんとも考え難いというくらいに、事態は深刻なワケでして・・・。

 そのような中、東京モーターショー関連の記事で、こういうヒトがこんなコトを云っているという事実を(ま、まっ、発言内容の是非はともかくとして・・・)まずは事実のみお伝えしておきましょう。昨日のお題、実はこの記事を読んで、想いついたモノです。世間ではきっとあまり大きくは取り上げられていないと思われますが、自社製品に対する単なる「リップサービス的手前味噌」には留まらないような気も些かならずするのです。http://mainichi.jp/select/biz/news/20111130mog00m020010000c.html

・・・どのような感想をお持ちになったでしょうか。しかしながら、「86」というクルマが「Fan To Drive Again」キャンペーンの一方の象徴的存在であるコトは明白です。世界経済を動かしている企業のトップが、一応ここまでの発言を大メディアに対して発信している以上、ホンキでありましょう(も一度コトの是非はともかく:笑)。 

 今後しばらくの間、マスコミやメディア動員を徹底的に行い、「小さくて、ECOで、カッチョいいスポーツカーに乗って彼女とドライブするコトこそ、若者の本懐」と日本の80%の若者が思い込むように「じわじわとキャンペーン」が繰り広げられるコトは間違いありません。スマホもいいけど、スポーツカーもね。といった感じ。サイフの軽い若者が買えるようにするためのクレジットプランや各種購入プランが様々に開発されていく可能性もあります。もちろん、2ドアクーペのFRスポーツカーはジジイにも「クル」ものがありますよね。

 昨日のコメント欄にもありますように、「ドラマなどで有名人気タレントが乗る」と人気が上がるのなら、タイアップでドラマの主人公に乗せることなど、この巨大企業にとってはいともたやすいこと。N○Kのニュースすら、経済ニュースのフリしてその魅力を余すところなく伝えてくださるでしょうね。ファッション雑誌、一般雑誌、もちろん自動車雑誌でも大きく取り上げられていくコトでしょう。ここで、重要なのが、「しずかちゃん」の存在なのです。とにかく「しずかちゃん」が「こういうのに乗ってるヒトにバイオリン教室まで送って欲しい」と思ってくれなきゃダメなんです。で、これから始まるであろう、機銃掃射のような一大キャンペーンの帰結として、今まで生まれてこのかた「カバみたいな造形の移動体」をクルマだと思っていた人々が初めて「カッチョいいとはホントはこういったモノのことである」と認識した気分になるのでしょう(例えソレが錯覚や誤解であっても)ね。 

 うまく行けば、1年で現況がヒックリかえるかもしれません。そのくらいに日本人の表層的なマインドを変えていくことはたやすいように思います。福島の原発は3月の出来ごとです。いまだ9カ月しか経過しておりませんが、表面的にはもはや過ぎ去ってしまった遠い過去の出来ごとになってしまったかの感がありますよね。それくらいにマスコミの力はいまだ大きいし、大多数の日本人はナメられてるというのが、切歯扼腕の思いではありますけれども現状でありましょう。 

 少なくとも「ペリー来航(笑)」以後の近過去を見れば、「嗚呼、人生は糾えるナワの如し」世の中の動きはゆりかごの如くアッチへ行き過ぎれば、コッチへと必ず戻っているコトがわかります。ガマンの時期もここまで続けば「いい加減にシロ!」といった感じになってくる。 

 ワタシ自身の若い頃を考えましても、「セリカLB(もちろん初代)」ってカッチョいいよねーと云っていたのが、やっぱ「ファミリア(323)」」でしょ、になったあたりから変質していったように思います。その頃、後のミニバンに相当するものは、VWタイプ2とルノーエスパスぐらいのものでした。SUVと云えるのは、ランクルだけ。そしてそれらは一般的な我が国の若者が買うクルマではありませんでした(一部のポパイ族にはタイプ2、流行りましたが)。そして、(主に指向性の違いと、稼ぎの違いにより)ボーイズレーサーブームとハイソカーブームがほとんど同時に来て、そのうち「バブル」でみんなワケがわからなくなり(笑)、バブル崩壊で一面の焼け野原になったところに咲いた一輪の花がSUVであったり、ミニバンであったりしたわけです。で、現在の若者の内部におけるクルマの歴史がここからしか無い。本当に「カッチョいい」クルマに触れるのはこれからなのかも知れません。だとすれば、その中のさらにヒトとは違ったところを見せたい「異端児」たちを掘り起こせば、旧いイタリア車にも振りむいてはくれないだろうか、と、こう思った次第。次は、「ジジイたち(笑)」をどう掘り起こそうかと考えてみようかな。

2011年12月 5日 (月)

若者に如何に車を買わせるか論

 そのまんまヤンケー(笑)。昨日の「テツヲタ」さんからのお題をそのまま頂きまして(だって、「決定!」って書いてあるんだもん:笑)、本日は「若者に如何に車を買わせるか」というテーマで皆さんに色々と(一行ずつで結構ですから)コメントを頂戴しようと思います。

 ぜーんぜん、若者でない、先日齢48歳になってしまったこのワタシも、何を隠そう、現在久しぶりにクルマを物色中でして、それが、例の「ダイハツリーザスパイダー」の代替となる車なもんで、やっぱ「順当に」ダイハツコペンアクティブトップなのかなあーと思ってコレを探すとエライ高い!・・・で、「オープンカー」「オートマ」「出来ればメタルトップのもの(リーザを諦める直接的原因がいよいよボロい幌にあるため)」などの要素と我が家のフトコロ具合を勘案すると、まあ、「飼う」のはともかく「買う」だけだったら、メルセデスSLK(旧型)とかプジョーのCC系とか、年式落としてもこのあたりは低走行距離車が、まだまだ数多く出回っておりますので、やっぱ、圧倒的にお買い得感がある。あとあとの維持費は安い見込みは立つものの、やはり当初購入時価格が圧倒的に高いコペンは見送らざるを得ないのか?・・・いやいや、だいたいオレは所詮アウディTTロードスター(しかも旧型)のエピゴーネンにしか見えないこの軽スポーツカーを何年も愛するコトが出来得るのだろうか・・・などと、毎日一応逡巡しているフリ(笑)をしていますと、「どーせ、アンちゃんはコペンなんかすぐ飽きるにキマってるよー」と弟さん方はつれないです。「いーぢゃん、久しぶりにクルマ選びの喜びに浸ってるんだから」。まあ、過去に「ホンダビート」買って3カ月で手放したりしたコトもそう云えばありましたっけ。ああ、今回のワタシ、マセラティはダメなんです。お客さんのクルマ診るのが精いっぱいになっているので、自分のがウチでは一切面倒見てもらえません(かといって、外注に出すのもシャクだし:泣)から。それに、仮に自分自身で自分のマセラティをバラしてたら、休みの日がシゴト気分になってしまいますからね。

 ・・・と、そこまで、自らを律して(そんな、大げさな:笑)までも一生懸命「イタ車(もちろん痛い方のではない方の:笑)屋さん」ヤッてるのは、少しでもキチンとしたイタリア車や旧車の世界を知ってもらいたい一心(コレはホント)ですから、せめて木戸銭と思って、「軽自動車」でも、「トラック」でも、須らくゴムの車輪の付いてるクルマは(笑)当店で御購入頂きたいと念じております。そういったクルマをお納めする場合にも、一台のマセラティをお納めするときのあの周到さで臨んでおりますゆえ。おかげ様で付き合いの長いお客様には、こういった「当店の特性」を十二分に御理解頂いた上で、マセラティ以外の各車を御注文くださる方々が数多くおみえになります。マイクロ・デポはマセラティ専門店ですが、「マセラティだけしか売らない(売れない)お店」ではありません。そこのあたりを思い違いなさっている方も相変わらず(当店顧客の方々の間ですら)多いように思います。うまく使って頂けますと、こんなに利用価値のある中古車屋はちょっとなかなか無いように思うんだけどなー。で、何台かの乗り換えの後に、羨望であったマセラティやフェラーリを現実に手中にされた方々もいらっしゃいます。一方で、なぜかマセラティやフェラーリ以外の車種ばかりを当店で御購入し続けてくださるお客さんもいらっしゃいます。それもまた、当店のあまり表には出てこない一面と云えるのではないでしょうか。 

 かつて(もちろん今でも)当店は「マセラティに乗りませんか・・・」と標榜し、お誘いする以上、「乗れるマセラティ造り」を究めたいと頑張ってまいりました。「サイフの軽いお若い方々」に「中古のイタ車、乗ってみれば?」と仮にお誘いしたならば、本当に「親身になって」クルマ選びの段階から御相談をお受けいたします。大体、率直に云って「金銭的なコト」だけを捉えた場合、「買ってはならない」車種も(国産車の中にさえ)あります。況やイタリア車においてはなおさらあります。同じ車種でもミッション形式の違いや、年式差による違いなどでクッキリと明暗を分ける場合があります。また世間では、買ってはいけないとされているモノが実は意外とそうでもないといった「買ってよし!」の場合もあります。部品の入手が容易なものと困難なものといったテーマもあります。そして、こういった諸々の今現在の「生」の情報は、雑誌記事やネット検索をどのようにやろうとも本当のところは(プロにさえ)掴みにくいモノなんです。「敷居を低ーくして」お待ちしておりますので、ご来店の上御相談頂ければと願っております。さて、どうやって若者にクルマを買って頂きましょうか、ね。

 

 

2011年12月 3日 (土)

ついにここまで・・・

 いやー、ここのところ当店におみえになった幾人かのお客さんには、お教えしたんですけどね、最近流れているらしいテレビコマーシャルに、些かならず衝撃的なモノがありますので、ご存知の方も多かろうとは思いますが、ご覧になってみてください。世界に冠たる自動車メーカーが、ここまで啓蒙しないと「若者のクルマ離れ」が喰いとめられないというコトでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=fGsyKTjV434&feature=related「のび太30歳」
http://www.youtube.com/watch?v=h0LAhtp6E7U「免許を取ろう」
http://www.youtube.com/watch?v=n0zdcl8zuHI「東京モーターショーに行こう」

 ワタシは地上波テレビをまったく視聴しておりませんので、このCMの存在については、ウチの次男から情報を得ました。キャスティングの妙ばかりが話題になっているようですが、最後に出てくるメインキャプションには戦慄さえ覚えます。

・・・今30歳を迎えたヒトビトが、ちょうど免許を取って、いざ初めてクルマを買おうという時期(ちょっと、今から10年前あたりの国産車を思い返してみてください。・・・ミニバンブーム、SUVブーム、そしてハイブリッドの萌芽にあたる時期)に、本当に「ロクなもの」を造ってこなかった報いが今訪れているといった感じです。クルマの販売が振わない原因、決して景気が良くないせいばかりではありますまい。

  若者たちよ!ヨーロピアンカーやアメリカンカーがあるぞ!!多少の出来に目をつぶれば、様々な世界が見えてくる。ボーダーレスの時代と呼ばれて久しいけれど、日本人の大多数はまだまだクルマに関しては保守的で「鎖国状態」にあると云えます。本当に国際人を目指すなら「ガイシャ」を所有すべき。もはや、オトコの子がだめなら、オンナの子にも仕込むぞ(笑)!何しろ、乗ってみなけりゃハナシは始まらん。東京モーターショーに行くよりも、まずは手近な中古車屋巡りをしよう!ドコも空いてるし(笑)、特にマイクロ・デポなら試乗だってスグ出来る。真面目に考えてくれる若人には、フェラーリだって、マセラティだって乗せてあげるよ!アルファロメオなんか、コトバは悪いが「掃いて捨てるほど」程度の良い中古車が市場に出回ってる。もったいなさすぎると思うんです。予算を伝えてくれれば、如何様にも探してまいります。「本当のエコロジー(ECOなんて紛いモノでは無く)」とは、今目の前に「現に」存在する、旧いモノを手入れして愛でることです。10代、20代の若者たちよ、ぜひ来たれ。ちなみに当店にはおぢさんコーチが3人もいるぞ(なんならオバさんも出すぞ:笑)。

2011年12月 2日 (金)

マメタン+歯医者=鬼のように寒い(笑)

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 実はまだ、ワタシの「歯医者さん通い」は続いておりまして、今日も自分だけ仕事を先にハネさせて頂き、マメタン君にうちまたがっては、としまえん駅近くの主治医のもとへ・・・。

 いや、もー寒いのなんの(泣)。外気温がヒト桁ともなりますと、冷蔵庫の中で走ってるようなモンですから、医院に到着する頃にはスッカリ何しにココへ来たのかすらケシ飛んでしまいますね。とにかくアタマは「ボー」。

 7時30分の予約にあわせて10分前の7時20分に到着したのですが、8時を過ぎてもワタシの名前が呼ばれる気配はありません(泣)。さっきからダマって見ていると、どう考えてもあとから来たヒトを先に入れてるんだよなー。ハラも減ってきたし、待ってるうちに何だか上顎の各部も「ヒワヒワと」イタくなってきた(バイク走行による「急速冷却麻酔」がキレてきたからかなあ:笑)。待合室もなんだか暖房の効きがヨワくて「スースー」と寒い。

 小児歯科にも力をイレているところなので、こんな夜の時間帯であるにも拘らず大勢のコドモたちが待合室の遊技場で遊んでおります。ムカシはこんな時間に「お子様(く○ガ○ども:笑)」はいらっしゃらなかったように思うのですが・・・。夜は勤労者専用の時間にしてくんないかなあー、ホント。

 「もう、とにかくアンタはいつも歯を食いしばってるようなので、マウスピースを造ってください。」と主治医に云われるままに「歯型取り」までされて、スッカリ遅くていよいよ寒い時間帯に突入。

 次回の予約をとる段になり、受付の「ねーちゃん」に「もっと、時間読める(予約時間通りにヤッてくれる)時間帯ないの?」と聞くと、となりにいたねーちゃんが皮肉交じりに「2時半なら空いてますが」とのたまう。「テメー、オレはヒマぶっこいてる年金生活者ぢゃねーんだよ!」と云いたいところを抑えて(笑)いると、ソノ気配を察したか、目の前の受付嬢は「朝一番ではどうでしょう」と咄嗟にとりなしてくれました。「ぢゃ、ソレでいい」とワタシ。

 ・・・あー、気がキカないヤツらとハナシしてると本当にイラつく!以前にこの医院にいた「受付ねーちゃん」たちはもうちょっとデリカシーのある方々だったんですけど(今は三人もいるのに私語ばかりで、客に目を配って無い)ね。結局流行ってくると(確かにここの歯医者夫婦はウデがいい)、過剰にブッキングして、人手(しかも仕事のスキルが低い)を増やして客数コナそうとするんだよなあ。こんなに通いにくいところまで頑張って行ってるのに・・・。マメタンのエンジンはスッカリ冷え切り、キック7発でようやく眠たげに目覚めました。

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 「ブーン!(チャッ:シフトチェンジの音)ブーーーン!!」寒風の中、走って走ってようやく仮住まいのアパートに帰り着きました。

「あーあ、寒かった!」とりあえず、なんか飲も(今日はポン酒がいい:笑)。


2011年12月 1日 (木)

「吉例(笑)年末モード」に突入!

 えー、昨日は「有益なおハナシ」から、「まったくもって無益な(笑)モノ」まで、たくさんのコメントを有難うございました。「見せしめ」に削除しないでおこーっと(ブログ管理者権限:笑)。まあ、お子様向けサイトぢゃありませんからね。これからもここで楽しくヤッてくださいな。

 さて、今日から12月です。はやいですねー、ホント。というわけで、本日同じ趣旨の内容で本編ホームページにもアップしておきましたが、年末までに完遂したい作業を御希望の方は、12月3日(土)までに御相談ください。既に例によって、なんとか年内納車を目指そうというクルマたちで「分刻みてんてこ舞いモード」になっておりますので、「今にも車検が切れる」とか、「シュートに時間が掛かる」とかの案件を年内一杯は次々とランダムに抱え込めそうもありません。

 皆さんの車検証をもう一度ご確認ください。「有効期限の満了する日」が平成23年12月○○日であったり、平成24年1月○○日(15日まで)であったりするお客様は、すぐ当店に御電話を頂けますと有難いです。「可能な限り」対応させて頂きたく思っております(でも、無理は云わないでちょ:笑)。

 また、今月は久しぶりに「全在庫車価格応談キャンペーン」を実施いたします。店頭での真面目な「値切り行為(笑)」なら大歓迎。皆さんからの「挑戦」を受けて立ちましょうぞ。あー、「勉強、勉強」っと。

 今日は一日中冷たい「小ぬか雨」、明日は朝から「みぞれ」が降るという予報の東京練馬。今週はホントに日々の気温差が激しいですね。コメント欄でもワタシどもを気遣ってくださっておられましたが、皆様にもくれぐれもご自愛くださいますよう、当方のほうからもお願いいたします。皆さんで一緒に元気に(新しい、よい年の)お正月を迎えましょ!

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