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2011年12月27日 (火)

カムシン、その後のたこちゃんの自動車遍歴(その4:ビトルボとの出会い②)

 きぃぃやぁぁぁー、という感じで今日はもう「キンキン」に冷え切ったままで一日が終わりましたが、本当に寒かったですね。我がマイクロ・デポ社屋の暖房はほとんど無力化しておりましたよ。

 そのような中、いよいよ年内も残すところあと1日となりました。本日本編ホームページにもアップいたしましたが、平成23年12月29日(木)より平成24年1月9日(月・祝)までの間、マイクロ・デポは、しばらく「冬眠(笑)」いたします。3人(岡本三兄弟)とも、この夏からカラダを酷使してまいりましたので、実はアチコチが結構「イッちゃって(泣)」おります。ここでちょっとお休みを頂戴して、英気を養ってまいろうと思っております。ワタシ自身も明日の夜には「千葉の自宅」へ4ヶ月半ぶりに帰ろうと思っております。しかしながら、このブログの方は「ポチポチiモード」で休暇中もお届けする決意(笑)であります。年末年始もぜひ当ブログにお越しくださいね。

 さてさて、昨日の「マセラティスパイダーザガート」を「ミズテン」で買った(つもりの)ところからが本日の本題であります。納車の日、いそいそと取りに行きました。そりゃ、もう嬉しくて仕方が無い。

 ・・・そもそも、「マセラティビトルボ」が1980年代の初頭に発表になった頃、ワタシはまだ大学生でありました。それから数年、街でこのクルマに遭遇するチャンスが練馬人のワタシにはほとんど無いままに、今月無くなってしまうあの「等々力のショールーム」で現車との初めての邂逅を得ました。おそるおそるショールームの扉を開け、「カタログと価格表をください」と頼み、展示車両のシートに腰かけ、マニュアルシフトレバーの感触を確かめようとガチャガチャやってたら、「エンジン暖まってないから、動かさないでください!」と、さっそく営業マンから「強い語調で」叱られました(今じゃ、ワタシがこの係:笑)。当時、カーグラの表紙を「ビトルボ」が飾ったコトがあり、その号のインプレ記事とその引き締まったフォルムに「寝ても覚めても」という感じでうなされるほどいつかは欲しいと思っていたクルマでした。

 ホントは、そのカーグラに載ってた「マルーンのビトルボクーペ」が欲しかった。でもホントに彼我の距離は(色々な意味で)遠かった。で、気分は「プアマンズビトルボ」という感じであった「ランチアベータークーペ(初期型)」の外装マルーン・内装茶革のヤツを危うく(笑)買いかけたコトもありました。でも、それすらも売ってた中古車屋の主人にワタシが若いというコトで馬鹿にされ、「やめた方がいい」と売ってもらえなかったコトがあったんです(スズキフロンテクーペに乗ってた頃のハナシ)。

 その後、昨日までおハナシしてきたように、苦節何年かは忘れましたが(笑)、とにかく自分としては結構「クルマ修行」をしてきたつもりでしたので、「もう、大丈夫。何があっても」というような「ビトルボに対峙する」ためのある種の覚悟も心の中には出来ていました。

 そして、「スパイダーザガート」との初めての対面・・・外装は「ブルーシルバーマセラティ(淡い水色メタ)」内装はタン革です。幌は「紺色」。アレ?「スパイダーザガート」にこんな色目あったのかなあ・・・と、その時気が付いた。ボンネットを開ける。タペットカバーの結晶塗装が黒い。エンジンの上には、カーグラで見なれた無塗装梨地の大きなサージタンク。「これ、キャブレター付のビトルボスパイダーぢゃん。スパイダーザガートじゃない。」

 売主に詰問すると、「だって、サガートって書いてあるぢゃん、ホラここに」と指さすフロントフェンダーには確かに栄光の「ZAGATO」の6文字が躍っています。でも、違うのは確か。

 ワタシにしては珍しく30秒ほどは逡巡しましたが、売主からはかつて色々と世話になり、助けてもらっていた部分も大きかったので、「これはコレでいいか・・・」と前向きに考えるコトといたしました。そして、キャブレター装備であるコトはむしろ喜ばしいことであるとさえ思えてきました。

 はやる気持ちを抑えつつ、エンジンをスタートさせました。「だぅだぅだぅだぅ・・・」と低く唸るビトルボV6特有の排気音に「あぁ、カムシンとの血縁を感じさせるなあー」とさっそく御満悦のワタシ。スロットルを開ける・・・「ぴろぴろ、ぱひゅーん。ぴろぴろ、ぱひゅーん」と不思議な音で吹け上がります。「さすが、ツインターボはヘンな音がするな」とその時は思ってました。何しろ、ツインターボどころか、普通のシングルターボ車だってまだまだ珍しかった時代のハナシです。当時ワタシの周囲にはターボ車を所有している人物がおりませんでしたので、この時がほぼ初めての「ターボ搭載車」体験だったのです。

 そうして、「スパイダーザガート」ならぬ「ビトルボスパイダー」との蜜月が始まりました。日に日に「結果的には、キャブのビトルボで良かった」と思えてくる、そんな感じの日々でした。当時、「カーグラTV」や「題名の無い音楽会」など「出光興産」が提供するテレビ番組の幕間に流れていた「アポロイルベスト(エンジンオイル)」だったか「出光100ガソリン」だったかのCMに、「ロッソマセラティ(だったと思う)のスパイダーザガート(前期型)」が登場しており、衝撃的にカッチョ良かった(動画探したけど、見つけられなかった→ホントにあったハズなんだけどなあ、80年代にカーグラTV毎週録画してたヒトとか動画持ってませんかー:泣)。

 枯れ葉舞いおちるヨーロッパを思わせる街路(実際は明治神宮外苑とかだと思う)を、向こうからこちらに向かって真っすぐにスローモーションで迫ってくる映像に、BGMとして「イザベル・アンテナ」のオシャレな楽曲(こちらもメロディーは口ずさめるんですけど、題名失念のため、動画が探せずじまい:泣)が被さってくるといった趣向のもの。当時はヤラれてました、完全に(笑)。で、そのCM見て、そのおしゃれさにカブれて(練馬人のワタシが持つ「港区周辺地域」に対するコンプレックスは、一種尋常ならざるモノがありましたからね、当時は:笑)スパイダーザガートが意中のクルマのトップに躍り出ていたダケなので、ほとんど同じような(ホントはかなり違うんだけども:笑)ボディでキャブレター搭載の「ビトルボスパイダー」の方が、むしろ「旧車ゴコロ」を満たしてくれる存在に思えてきていたのです。

 納車されてまだ日も浅い時期に、ちょっと前にも書きましたが、「初代シルビア」に乗る「ワタシの友達の知り合い」という方と、コンボイで関越道を意味も無く走りました。で、電動ファンが一基動いてなくて、早速オーバーヒート(泣)。原因はファンリレーの頭に乗っかっているヒューズの端子部分が虫喰い状に崩壊しており、接触不良を起こしていただけでしたが、「こりゃ、気を抜けないクルマだな。カムシンより手ごわいかも知れない」とその時あらためて思い直しました。

 その後1年間くらいは、結構活躍してくれましたね。最初はエアコンも良く効いてたし、常にエンジンは確実に始動してくれたし。もちろん日常的に自分で出来る最善のケアはしておりましたけれど。当時勤めていた会社の若手社員(身長180cm越え)を助手席に、同じく高校出たての女子従業員2名を後部の座布団フロアに押し込め(時効:笑)、千葉のマザー牧場に行ったのも記憶に残ります。

 で、そのうち段々と明らかにエンジンの調子が狂ってきたな、と思うようになってきました。そもそも、ワタシのビトルボスパイダー、3000rpmまでは、ほとんどトルク感が無くて「ドッカンターボなんだな、きっと」くらいにタカを括っていたのですが、いよいよ街中の坂道レベルでも「0発進」だとかなりツラクなってきたのです。オートマ(ZF3速)車ですから、アクセルワークとクラッチワークでゴマかすことも出来ず、一旦ニュートラルに入れておいて、「ブーン」と空ぶかしで3000回転をキープしたまま、「D」レンジにセレクターレバーを叩きこむ(だから、良い子は「絶対に」マネしないよーにって云ってるでしょ!:笑)その瞬間にフットブレーキを解放するという「匠のワザ(?)」でなんとか凌いでいたのです。そろそろ「泥沼への道しるべ」がハッキリと「アッチの方向」を指し示しているのが見えてまいりました。

・・・といった「いいところ」で明日に(まだ?)続くのであった。ところで、明日書く時間あるのかなあ(笑泣)。

 

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コメント

当時の写真はないの?

おぉっ、手に汗握る感じにいよいよなってまいりました。(汗笑)
マセラティを一度でも所有、更には不調を経験された方々なら読んでるだけで、胸の締め付けられるような言い知れない不安感にも襲われるかもしれません。(大袈裟:笑)
明日が楽しみだぁ。

続きが楽しみです。

ここのところの寒さ、特に早朝は相当こたえますね。
あと一日です、頑張ってください。

さていよいよ「匠のワザ(?)」が登場。
いかに現在ビドルボを安心して乗れているのかが
幸せであるかを実感します。
この先ポチポチではキツイでしょうか、どんな展開が待っているか
期待しちゃいます。

ビトルボスパイダーとは、素敵ではないですか。写真でしか見た事がありませんが、初期ビトルボならではの鋭いエッジにシビれます。やや穏やかになったものの洗練されたデザインのスパイダーザガートも素晴らしいのですが、ビトルボスパイダーも見てみたいものです。でも、一般市民には違いが解らないかも知れません。ビトルボの良さが全然解らないと言われる事も多々有ります。そう言う人には「朝から晩まで眺めていれば凄さが解るはず」と伝えています。オカシイのは私の方かも知れませんが好きなんだからしょうが無い!次回のブログも楽しみにしてます。

ビトルボの時代って不思議な色が多かったんですね~。
水色メタリックとは古いマセラティではイメージカラーなのかボーラやミストラルの写真でよく見るような気がします。
ビトルボスパイダーは私も写真でしか見たことありませんが、角ばったグリルとその内側の格子が格好良くて好きですね。

うーん。なんかすっごく続きが楽しみです。

ちなみに、カーグラTVは、87年くらいからはそれなりにビデオで残していて、
大量のビデオを現在まさに整理中です。
F40日本上陸1号車を特集したCGTVスペシャルや、
88年のタルガフローリオ、エルバラリー参戦記、
89年?の北イタリア自動車紀行などから、
90年代中ごろまでのもの(スタンゲリーニ物語等々)がそれなりに保存してありました。
出光のCMの件は、確認してみます。86年までだとちょっと厳しいですが・・・。

スパイダーザガート、ビトルボスパイダー、違いの分かる人は少ないのでしょう、その個体はエンブレム後付だったのか。確かにザガートの銘は、当時のビトルボスパイダーオーナーに悔しい思いをさせたはず。今見れば格子グリル、手間の掛かったフロントの鈑金と、見るべきところは多く、スーパーカーとの血脈を最も感じるのですが。

当時、地元ディーラーで代車として同じ色目のクーペを借りました、少々汚れていたので、キレイに洗って乗りました、田舎では誰も振り返らず、穏やかな乗り味も相まって「大人のクルマ」だと感じました。

こんばんは。御社のウェブサイト及びブログ、楽しく拝見しています。

イザベル・アンテナの曲が流れるCMについて、とりあえずコメントさせていただきます。書かれているエンジンオイルのCMですが、残念ながら、出光ではなく、日本石油(当時)の高性能エンジンオイル”PAN-SRX”のCMです。当時の欧州CCMC・G5規格をクリアした、欧州車に向くオイルとして売られていました。

落ち葉の降る並木の中をスーッと優雅に走り抜ける車、これだったの私にも実に印象的なCMでした・・・。私も歌が頭に浮かびます。ふーん、ふふふふふんふふーん、ふふふーん。ふふふふふーふふーん♪ですよね。「SERPENT A PLUMES (明日を夢見て)」という曲です。http://www.youtube.com/watch?v=6G3TyLLokyA

残念ながら、日石のオイルのCMは見つかりませんでした。

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