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« 2012年初陣、小旅行(その3:知多半島の要衝:半田駅前紀行②) | トップページ | 2012年初陣、小旅行(その5:知多半島をひと巡り) »

2012年1月13日 (金)

2012年初陣、小旅行(その4:知多半島の要衝:半田駅前紀行③)

 今日の昼間は比較的過ごしやすい陽気であった東京練馬。朝早くより二つの出張ミッションをこなしつつ、相変わらず年始のためか人の出入りも多かったのですが、風も緩やかで気候も良いので納車準備作業にも思う存分打ち込むコトが出来ました。

 昨日の「酢の博物館見学」が済んだところからお送りいたしましょう。1月6日(金)のAM10:40頃から時間を追ってまいりましょう。・・・しかしなかなか半田から出られないな(笑)。

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 博物館を出ると、目の前の運河沿いには「半田市営」の小さな公園があり、ちょっとした売店ではアイスクリームやコロッケを売っています。

 で、「黒酢アイスクリーム」というのがお奨めであると大書してある。場所柄ですから仕方が無いけど・・・ねぇー(笑)。当然のように、ヨメがコレを買いたいと云う。買いました、食べました、やっぱハズレです(泣笑)。普通にバニラがいい。

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 ちょうど売店の裏手あたりに立つのが「ミツカン中央研究所」棟です。

 この旧い建物をメイン研究所にして残してあるというところが、なんだかモノすごく神秘的ですよね。

 おそらくは、へんに新築移転して「220年の伝統」の上に培ってきた数々の発酵菌たちを失ってしまったり、外部に流出させてしまったりするというリスクを恐れてという側面もあるのでしょうね。このあたり普通の製造業とは違って、先達たちから受け継がれてきたものを本当に大事にしているんだなあと感じ入りました。運河の周囲を覆い尽くすように林立する黒塀の工場棟群も、皆江戸時代や明治初期からのものだそうで、酢造りなど醸造業の根幹に関わる部分はとにかく大事に守ってきたということでありましょう。それにしても戦火や台風に良く耐えてきたものです。ちなみに、全国に展開するミツカンの他工場は、普通に近代的でクリーンなイメージの工場棟であるらしいです。こういったスゴイ風景が見られるのはここだけ。→と書いたあとで訂正するのもなんですが、現中央研究所建物は、なんと、かつては「銀行」であったそうです。しかも「中埜銀行」。ここを訪れるまでたいした興味が無かった「ミツカン」。本当に面白い企業気質ですね、興味は尽きません。(21:56追加)

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 その外観デザインより判ずるに、平成に入って建てられたであろう現在の本社メイン棟と、おそらくは昭和中期に建てられたであろう手前の四階建てビル(先の研究所棟のうしろに繋がって建っている)。

 とにかく時代に応じて建て増しを繰り返して云った結果、スタンダードな近代中規模建築物の「歴史変遷(江戸→明治→大正→昭和→平成)」が一目で分かるといった特徴ある社屋群でした。建築物にご興味のある方には一見の価値があると思います。

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 お正月なので、本社玄関には大層立派な門松が鎮座しておりました。

 面する通りの向かい側からは「外ミツカン」の世界となりますが、蔵造りを模したお土産物屋さん、レストランが並び周囲の風景に馴染ませてはおります。まっ、ちょっとアザトイ感じはいたしますが(笑)。

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 さあ、半田の街歩きを続けましょう。かなりの確率で木造の旧い民家や建造物に遭遇出来る一帯です。

 木造の黒壁が並ぶと結構壮観ですね。右の写真、壁に「キッコウトミ」とありますが、きっとお醤油屋さんでしょう。

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 酢の次は「お酒」。というわけでやってまいりましたのは「国盛」銘柄を製造する中埜酒造の前。

こちらには「酒の資料館」と云うのがあるとパンフレットに掲載されておりましたので訪ねてみたのですが、いまだ正月休み中で残念ながら休館でした。またの機会によろしくね、というコトで。

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 うわー!スッゲーな、このヤレ具合。近づいて見ると「憧れの琺瑯(ホーロー)看板」しかも天然物(笑)が貼ってあるのを発見。

 飛び跳ねてヨロコビさっそく写真を撮るワタシ。コレは先ほどの「キッコウトミ醤油」の看板なんですね。「トミー坊や」というキャラクターまで存在してたのね。今も居るのかなあ(たぶん居ないと思うが:笑)。

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 その後も味のある風景が続出。歩きながらいつもキョロキョロしてしまいます。

 目に付いたちょっと変ったモノはとりあえずパチリです。

 で、ヘンなものばかり次々と写真におさめるべくカメラを構えているので、道行く現地の人々からは訝しげに見られそうです。それにしてもホントに線路は続いてるよなー、どこまでも。

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 ようやく到着、次のスポット。明治時代に発売され、当時の五大ビールメーカーの一角であったという「カブトビール」工場。

 ここも、創業したのは、ミツカン中埜一族の四代目頭領、「第四代中埜又左衛門」さんであったということです。思えば、JR半田駅前にあった「酪農発祥碑」にも、知多酪農の祖である人物として顕彰されておりました。又本業の「酢店」においても、現在まで続く「ミツカン印」の制定といい、本来の「中野」から「中埜」への改姓(戸籍上も正式な改姓だそうです)といい、ご一族の「中興の祖」といった感じでありましょうか。そこまでスゴイ方とは・・・おみそれいたしました。

 説明ボードには、半田に存在した「中島飛行機工場」についても言及があり、大戦末期にこのレンガ建物が「中島の食糧庫」であったことから、米軍機の機銃掃射攻撃を受け被弾したとあります。上の写真では、その夥しい弾痕を見るコトができます。それにしても、どうして焼夷弾等の「爆撃」を受けなかったのかと疑問が残ります。これだけ旧い木造建造物が、しかもかなりしっかりとしたコンディションで、そして非常に多く街の中に現存しているわけですからね。わざわざ戦闘機による「機銃掃射」をしに来たのは、威嚇的攻撃とも取れましょう。コレは連合国軍がネラって狙わなかったのか(でいいんですよね:笑)、奇跡的に爆弾が落ちてこなかったのか、はたまた不発だったのか・・・。でも、戦争がもう少し長引いていたならば、いずれにせよ本格的にヤラれて町中が灰塵に帰した可能性が高かったと思われます。本当に残ってよかった。

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 次は「旧中埜家住宅」の異名を持つカフェレストランにやってきました。時刻はちょうどお昼前。

 時間が早目だったためか、まだまだお客さんが少なかったので、ラッキーなことにワタシたち夫婦でワンブロックを占めて、ゆったりと過ごすコトが出来ました。上の外観写真を撮影しようと思った時にはちょうど「佐○急便」の配送車が店の前に停車中でなかなかどいてくれずに閉口いたしましたが。

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 この建物は国が指定した重要文化財だそうで、室内もご覧の様に歴史を感じさせる設えです。

 マントルピースと・・・あぁ、本棚がありますね。ちょっと近寄ってみると絵本がたくさん並んでいます。その一冊を手に取ってみましょう。

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 ああ、コレは懐かしい。「ごんぎつね」と「てぶくろをかいに」。全国の小学校図書館には必ずといってよいほど蔵書されていたと思います。

 特に「ごんぎつね」の方は、つとに有名ですが、「てぶくろをかいに」の印象がワタシの中には強く記憶されております。そういえば、この二編の童話の作者である「新美南吉」さん、この半田出身だそうで(初めて知った)、駅周辺でもやけに「ごんぎつね」の文字が躍っているなとの疑問がここで解消いたしました。上のポスターにありますように、来年が生誕100年の記念の年だそうです。のちに市内をコペンで走り回ってわかったのですが、この駅周辺からは徒歩では無理といった地域に「新美南吉記念館(生家と養家:それぞれ場所は別にある模様)」的なスポットがありまして、市内のあちこちで誘導看板を目にいたしました。こちらも相当立派な施設の様でしたが、今回の旅ではあえて見送るコトとして、次回の半田来訪(もう、また行く気になってる:笑)時にはゆっくり探検したいと思っております。

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 ようやく、ランチがやってまいりました。オムライスとBLTサンド、食後にはポットサービスの紅茶(この店では紅茶がメインなんです)。これで2000円しない、安い。

 ワタシが見たところ、半田は基本的には商業都市であり、いわゆる観光地ではありません(まあ、こっち方面にも近頃は結構チカラを入れているようですが)ので、飲食店といい、ホテルといい、どこもサービスは良いし価格も低廉です。おまけに、ここまでご覧になって頂きましたように観光ネタも結構豊富。だけどこのまま変にハヤって観光地化するとワタシなどの場合は興味の対象外にしてしまうんですけどね(ヘソ曲がり:笑)。

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 この建物は二階の見学が出来ます。土足はダメなのでスリッパに履き換えて臨みます。せっかくの文化財ですから、上がってみましょうね。

 階段の上から一階部分を眺めますと、これもまたオツなものです。

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 二階は「機織り教室」として現在も使われている部屋、超年代物の機織り機が並びます。

 そして、なんとなく「ほげほげ」する(笑)だけの部屋、宿泊用でしょうか。

 この建物の隣には「服飾系専門学校」があり、この建物はその学校法人が所有しているものらしいです。ちなみに、この学園も創業者は「中埜さん」であります。そういった関係で、この二階も生徒さんの学習用に時々使われているのかもしれません。

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 そのムカシはたいへん高価な楽器であったピアノすら装備されておりました。当時の地方都市としては、やはり豊かさと余裕を感じさせますね。

 ・・・そんなこんなありまして、漸く「知多半田」駅に戻ってまいりました。時刻はPM12:40。すっかり駅周辺のスポットを堪能するコトが出来ました。徒歩圏内にコンパクトな距離感で様々な世界を体験できるという、お得感充実の半田散歩となりました。

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2012011334 最後にホテルの玄関でふと目にとまったのが、一枚のポスター。 「萌え萌えキャラ」が大挙して並んでおります。どうも、彼女らは知多半島の各市・地域をそれぞれイメージしたキャラクターたちであると云うコトが判明。我が半田(笑)の娘は・・・「はんだ・すこ」ちゃん?ナンボ「酢」の街だからといってコレは無いよなあーと思いつつ、もう一度よく見ると「酔子」。まさか、コレで「よいこ」と読ませるんぢゃ無かろうなとの予感は的中し、「はんだ・よいこ」ちゃん(24歳:笑)と判明。駅前のショッピングモールにはこの「知多娘。(ちたむすめ。)」のキャラクターショップまであり、帰ってきてから調べると、愛知県庁の公式サイトにもリンクが貼ってあるという、地元では結構認知されたヒトたちだったんですね。 元々は「知多みるく」ちゃん(このネーミングも知多の酪農にちなんだモノらしいのですが、少々如何なものかと:笑:一枚目写真の左に立ってるヒト) 一人だけが初めに開発され、本来は地元の「若者向け就職サポートサービス」 施設の利用率の低さを改善するための切り札としての登場だったそうです。コレが功を奏して利用率が5倍になったことから話題となり、いつしか「萌えおこし」キャラとしても起用され、そのうちに一期生、二期生と増殖して現在にいたっているというコトです。

 さあ、彼女たちが「知多半島に行こう♡:笑」と誘っておりますので、さっそくドライブへとまいりましょう。 夕方までに尖端部に到達するかなあ。

 ・・・まだ、しつこく明日に続くのであった。                                    

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コメント

ミツカンから街並み、ごんぎつねを経て萌えおこしに至る、手間暇かかったブログに圧倒されつつ楽しませていただいています。が、しかしこのマセラティとの乖離ぶりがすさまじい。
それにしても武豊線が未だ非電化とは知りませんでした。東海道線よりも先にできたのになあ(って今更自慢にもなりませんが)。

すみません、名前忘れました。↑おぐです。
このところ毎週土曜日は立川に仕事で缶詰でお邪魔できませんが、そのうち。往復のギブリが救いです。

↑さすがは良く御存知ですね、「おぐ」さん。本文内には書きませんでしたが、愛知県内で一番初めに開通した鉄道はこの「武豊線」であったらしいです。駅構内の旧さも当然と云えるでしょう。この沿線に、駅舎そのものが「とっても旧くて見もの」の駅があるらしいのですが、それは次回のお楽しみに残しておきました。

もう完璧にミツカンマークを覚えました。
そして毒蝮CM見ました。
再生81回がサミシイ(笑)。

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