なかなか本格的な春の到来とはまいりませんが、昨日、本日と天気はまあまあであった東京の城北地区。昨日曜日には昨年暮れ以来伸ばし放題であった頭髪をなんとかせねばと、いつもの散髪屋(1000円カット)に行きました。あー、せいせいした!といったところで、日曜にせっかく外出をしたもので、ついでに当ブログで毎度御馴染の親友T君のところに誕生日プレゼントでも持っていってやろうと思い立ち光が丘駅から「都営大江戸線」に乗車いたしました。


ヨメが「只今、春のワンデーパスが絶賛発売中!」というので、コレを購入しました。500円で一日中全都営地下鉄が乗り放題のキップです。
画像にもありますように、都電、都バス、日暮里⇔舎人(にっぽり・とねり)ライナーには御利用になれませんから御注意を。
いざ、光が丘駅をあとにいたします。座席の向かいに「黒い服を着て花束を持った人々」が座り、「ウー、オレもなんか忘れてるような気がする」・・・と、ハタと思い出したのは、「あー、御彼岸だよ」。墓参りに行かなきゃ(笑)。というわけで、急遽「練馬」で下車。


この西武池袋線練馬駅の北口にはワタシが小さい頃、今はもう無くなってしまった「カネボウ」の工場がありました。
同工場が無くなったあとも相当長い期間、広場として放置されておりましたが、25年ほど前からでしょうかね、こんな感じに徐々に整備され、今では「練馬文化センター」とこの「平成つつじ公園」が整然とあります。


初めに当地に建った「練馬文化センター」。ふと掲示板を見れば懐かしいポップスピアニスト「リチャード・クレイダーマン」が来ると云う。この公会堂が出来た頃、コノ人は日本で人気絶頂でしたが、なんとこんな練馬の公会堂でコンサートをやるというので家族していそいそと観覧したことがあります。30年ほど前のハナシです。なんで「観賞で無くて観覧」なのかと云うと、場内のPA悪すぎで、音が悪く、家でレコード聞いてた方が良かったからです(泣)。バンドもナマが入って無かったしな。今行くとどんなサウンドで聞かせてくれるのでありましょうか。妙に値段が安いのが気になるところではありますけれど。


御参りの帰りに公園の外周を散策すると、そこかしこに「春」が訪れているのがわかりました。
自然は、やはりナメてはイケません。微妙な気温の差だとか分かるのだろなー。今年は梅も桜もまだまだと思っておりましたが、ここ数日少々暖かくなったせいか、梅だのボケだのが咲き始めたようです。


練馬駅のターミナルビルも数年前の高架化工事ですっかり様変わりしました。
ご覧のように「銀だこ」だってちゃんとあるんですから(エヘン!:笑)。たこ焼きで精進落としといたしましょう。
最近では色々と種類がありますが、やはりプレーンなやつが一番美味いように思いますね。


コンビニで発泡酒も仕入れて、いざ「プシュッ!」。
「んっ、んんっ、んんんっ・・・ぷハァー」んー、コタえられませんな。「オレは今、モーレツに生きてる」って感じがしました。たこ焼き+発泡酒はジャンクフードとは申せ、最高のコンビネーションのひとつでありませう。あー、蘇生したぁー。


再開発され切っていないところもこの練馬駅北口の魅力ですが、こちらのバスターミナル上のスペースは、青い空を見ながら弁当喰ったりするのも最高の気分です。えっ?そんなの恥ずかしいって?ダレも見ちゃいませんよ、ワタシのことなんか。あくまで堂々としてりゃいいんですよ、堂々と(居直ってる:笑)。外メシ(飲み:笑)の楽しさはコタえられませんね。


大江戸線でとりあえず歩を先にすすめます。んで、降りた駅は「落合南長崎駅」。フツー降りないよな、こんなトコ。
ちょうど「目白通り」が新道と旧道に分岐するところ、新青梅街道と交差する位置にあります。いつもクルマでは爆走してピューっと通り過ぎてしまうところなので、外に上がると「こんなだったけ?」という感覚に捉われます。駅の周辺も新しいテナントビルが建ち、景観はワタシの知るものとまったく違ったモノになっていました。


駅を降りたら案内表示に「トキワ荘のヒーローたち」という碑が立ってる公園があるという。「トキワ荘」と云えば、手塚治虫先生とその弟子たちの梁山泊としてあまりにも有名なスポット。「あー、ココがそうなのね」というわけで元来の予定にはまったくありませんでしたが、所縁の地を訪ねる旅に一部変更(いつもこう:笑)するコトに急遽いたしました。
良く分からないながら、ぶらぶらキョロキョロと歩いていると、見知らぬバーサンがどこからともなくあらわれて、「ドコかお探しですかぁー」とヨメに話しかけております。「あのー、南長崎花咲公園っていうのにイキたいんですけどぉー」「あぁ、それならね・・・」といった調子で丁寧に教えてくれたので、こちらも深々とアタマを下げて先を急ぎます。
このあたりは「昭和の香りがそのまんま冷凍保存」されているようなごくごく普通の住宅街ですから、あたりを伺う怪しげな夫婦と映ったのかもしれませんね(笑)。しかしながら、こういったシチュエーションもきっと多かろうと思います。おそらく全国から聖地巡礼の旅というコトで当地を訪れる方々は多いでしょうから。


で、そのモニュメントがこちら。結構大きくて精巧なトキワ荘のオブジェが頭上を頂きます。
実際、ワタシはマンガ家さんのことはあまり詳しく知りませんし、子供の頃にもあまり読んではいなかった(ホントなんですよ!)もので、マンガに関しては「一般教養レベル」の知識しか持ち合わせておりません。
ところが、全国を旅する過程で、東京都青梅市にある「青梅赤塚不二夫会館」や、兵庫県宝塚市の「宝塚市立手塚治虫記念館(4回訪問:2回入場)」、宮城県石巻市の「石ノ森萬画館(2回入場)」と同県登米市の「石ノ森章太郎ふるさと記念館」、世田谷区にある「財団法人長谷川町子美術館」等などの著名マンガ家を顕彰する施設をついつい訪れてしまうコマったクセが治りません(コレはどー見ても、もはやマンガオタクの所業だよね:笑)。あー、この鈴木伸一さん(オバQに出てくるコイケさんのモデルだと云われている元マンガ家)が館長を務める「杉並アニメーションミュージアム」にも何度も行ったっけな。




みごとな「トキワ荘」のオブジェを各方向から撮影してみました。
玄関の横に停めてあるラビットスクーターは、当時トキワ荘に居住こそしていなかったものの常連「通い組」であったという「つのだじろう(うしろの百太郎、空手バカ一代)」先生がいつもこうして駐車してたのを再現したモノだそうです。こういったところの芸の細やかさがサービス精神というものですね。
それにしても、結構部屋の数が多い大型物件だったんですね、このトキワ荘。イメージしていたものよりはるかにリッパ。窓の数を数えると相当ありそう。


そんなギモンに答える如くに二階の見取り図が。
はやり現在ならば「大規模なワンルームマンション」といった感じですね。
ムカシは3畳が普通、4畳半はちょっとしたぜいたく、「ろくじょーま」ともなればアコガレであったコトでしょう。現在、普段のワタシは夫婦で8畳一間のアパート暮しですが、それなりに結構楽しんで生活しておりますよ。巨匠たちでもこのつましい暮しぶりであったコトを思えば有難いコトです。


左の写真の絵中では「どなたがどなた」かがお分かりになりますかね(わかるヒトは、そーとートシ&マニアあるね:笑)。鈴木伸一さんの絵だと思いますが、自画像(一番左のカメラマン役)はほんとに、まんまコイケさんです。
「所縁の地マップ」が立ってましたので、概略をアタマに叩きこんで、これから商店街巡りをしてみるコトといたしましょう。




・・・って、もう、商店街自体が「昭和」そのものだもんな。
こんな、地下鉄で15分ほどのところに「鉱脈」を発見した思いです。
キョロキョロしながら、見るもの見るモノ写真におさめずにはいられません。結構そのまま営業している(動態保存:笑)というのが見てとれるのも嬉しいばかりです。残念ながら日曜日のためかそのほとんどはシャッターを降ろしておりましたが。この写真の「○○マーケット」、間口に対する奥行きの深さがいかにも当時っぽくて特にタマりませんね。


そろそろノドが渇いたなあーと、いうところで酒屋さんを発見。
寺田ヒロオ先生がその製法を考案されたという、焼酎とソーダーをブレンドして作る「チューダーあめ」というのと「チューハイ」を同時に手に入れました。
固体と液体のガソリン(チューハイのことよ:笑)を補給しながら、なおも散策を続けます。


数々のマンガの巨匠が修業時代のハナシを書くに及んで必ず登場させるという、中華料理屋さんがココのお店だそうです。
トキワ荘では、ここのラーメンが引越しそば替わりであったそう。いまや、立派なビルに変貌してしまいましたが、往時は味のある建物であったのでしょう。ある意味有名店なので、お客さんがたくさん来たものと思われます。時間が中途半端だったので伝説のラーメンを御相伴に預かるコトができませんでしたが。


さあ、左の写真ですが・・・ここ、いったいどこ?
答え:トキワ荘の跡地であります。全然普通の会社の社屋になってますけど、オタクの人々が訪れるので近隣の人々はスッカリ慣れている様子です。もっとも、晴れた日曜の午前中から、こんな地味なところに喜んで来てるのはワタシたちだけですけどね(笑)。
一方、路地の向かいの街並みが右の写真。いまだ往時の雰囲気を残していると思われます。路地の先は味わい深い昭和の風景が続いていきます。




まるで、「三丁目の夕日」のセットであるかのような街並みがごくごく普通にあるのがこのあたりのスゴいところ。
あー、朽ちかけた配電盤、何と云ういい感じのダシの出方(笑)よ。残念ながら現在は営業をしていない元文房具屋さんの脇を入ると、昭和タイムスリップは頂点に達します。右の写真、元はいったい何の建物だったんでしょうね。看板の残骸、脇に並ぶ掲示板の群れ・・・。


その玄関部分をクローズアップすると、懐かしい「玄関バッチ」の数々が見受けられます。
なんか旧い家に行くとこういったモノがやたらと貼ってあったんですよね。旧車にもあるでしょ、カッチョいい「エンブレム」の数々が。水道、電話、電気、N○K、靖国神社、日本赤十字会員・・・。

残念ながら、ペンキで塗りこめてあったり、風化したりしているので、拡大しても読みとるコトが出来ません。でも、どこかに残してほしいなこういう空気感は(江戸東京たてもの園とか)。街のそこかしこに「昭和」は香ります。


うぉー、「出たな?ショッカーの改造人間!(藤岡弘。の声で:笑)」。なんで、フツーにこんなクルマがガレージに置いてあるのでしょう。
スズキフロンテのおそらくは1972年製あたりのモノ(音出ます、気を付けて)が何事も無かったかのように、鎮座しているのには、驚きを通り越してアキレました(笑)。全然マニアのものでは無いと思われます。現在のおぢーさんがまだ若い頃に買って、そのままずぅーっと持ってて、今でもそのまま持ってる(笑)。ただひたすらにフツー。だからこそスゴいのであります。もう一度「なぞの掲示板スペースを撮影して」いいかげんに次行こう。


次は赤塚不二夫先生が、そのムカシ、作業場(スタジオ)として借りていたという謂われのある「紫雲荘」というアパート。
現存している当荘は、現在でも本当にマンガ家を志す若者のために開放(紫雲荘・活用プロジェクト)されているようです。この空気感も大器を熟成するには必要な空間でありましょう。ラーメン喰いながら、ね。
追記(平成24年3月27日):当コメント欄にて「しいなまちお・K」さんよりご指摘&訂正依頼がありましたので、上記のように訂正させて頂きました。なにせ門外漢のブログなのでお許しください。トキワ荘プロジェクトは別のNPOだそうです。ご迷惑をお掛けいたしました。いずれにいたしましても、当ブログがご関係者の目にとまるとは嬉しい誤算(笑)でした。コメントを寄せて頂き有難うございました。


その紫雲荘の真向かいにある駐車場を跨ぐと、今どき珍しい「未舗装」の空間が出現いたします。路地の脇には「カラオケスナック」などが立ち並び、とっても昭和でイイ感じ。
なんか向こうに看板が見えるのでとりあえず行ってみるコトにいたしましょう。


・・・「子育地蔵尊」というところでした。ウチには子供がいないけど、とりあえず「みんな元気に・・・」とお参りしました。
そのスグ横に聳え立つ「カベ」にいたく感銘を受けるワタシ(アタマがへん:笑)。この風格は一朝一夕には醸し出せません。そう思いません?(思いません→皆さんのお答え:泣笑)

あー、「キンギョ屋」さん。こんな看板が今どき見られるとは。
駅の案内看板をチラっと見ただけで、南長崎界隈を探検するコトになりましたが、有意義で濃密な2時間でした。後髪を引かれつつも次に行かなきゃね。
コレ、まだまだ続くんだけど、いい(笑)? それでは、また明日。