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2012年3月 9日 (金)

思い出そうよ、手造りの心(その5:とりあえず完結篇)

 んもー、毎日が雨ばっかりで、ちょっと天気がおかしいですね。まだ3月の上旬だというのに・・・。なんか、今年の真夏は「酷暑」がやってくるような気がして、ソレもまた考えたくないわー(笑泣)。

 ・・・ささ、気を取り直して、昨日の続き、イッてみましょうね。

 「手づくり」という言葉には、丁寧さ、高尚な感じや精密さ、高度な最先端技術の少量生産というイメージを想起させる力と、一方で素朴さや稚拙さ、ある場合には粗雑さをもイメージさせるパワーとの両方があると思います。この相反する概念のどちらにも当てはまってしまうような気がするところがミソなのだな、と、ここのところの皆さんのコメントを拝見していて、段々とこのようにアタマの中が整理されてまいりました。なにしろ「両極端の世界」を表現できる言葉だったのですね。その中間的なモノ(要は凡百の大量生産品)には馴染まないんだな、きっと。

 先日、ウチの鈑金屋さんに勤める塗装職人さんとハナシをしていたら、「今ね、ピンストライプの練習してるんですよ」と云うので、「それって、ムカシのロールスロイスのボディサイドストライプみたいな、ぴゅーっとひと筆書きするヤツ?」って尋ねたら「そうそう、あの細いのと太いのと2本平行に入っているヤツ。ソレなんです」と。なんでも、この技術、現在では趣味のカスタムオートバイの世界で珍重されているそうで、一時期のエアブラシによるお絵書きよりも、一瞬でシゴトが完了するわりに、工賃が高く貰えるのだそうです。まぁ、超絶技術ですからね、その技術料が高いのは仕方がありません。ご覧になったコトの無い方にはイメージが湧きにくいと思いますが、ひと筆書きのサイドストライプはたしかに「手造り感」を視覚と触感で直接的に感じることが出来る素晴らしさを持っています。ここにおいては「カッティングシート」でいいじゃんという意見に耳を貸すコトは出来なくなります。やはり、その質感は全然違うから。ワタシの拙い表現によれば「なめらかにデコボコしている」といった感じ。コレがパネル毎の面積が大きいロールスロイスやベントレーのともすれば茫洋としたモノになりがちなサイドフォルムを引き締めるのに大きく貢献しているのです。この質感は得難いもので、表面が平滑平板なシールやシートでは、どうにも役不足なのです。

 ところで、「どうして、組み立て工場は、これだけ技術が進歩してもロボット化しないの?」という、昨日ワタシ自らが振ったハナシをしてみたいと思います。昨日のコメント欄には「HYN」さん(連日コメントを有難うございます&同工場5名の日本人技術者の方々にも御礼申しあげるとともに拙文読んでお気を悪くなさらないでくださいね。皆さんのご活躍をお祈りしております)から「一眼レフ製造工程は現在でもスーパー職人だけが為し得る世界」であるというナマのお話をも頂戴いたしました。

 とはいえ、ほとんどあらゆる製造分野で全自動化やロボット化は可能になってしまうところまで「原則技術的には」来てしまっていると、ワタシはそれでも思うのです。ただし「専用全自動組み立て機」というのは、開発に大きなコストと時間が掛かりますので、「永遠の定番量産品目」として見込める物品の製造装置としてしか導入するコトが出来ないのです。ですから、大手の食品メーカーなどではかなり早い時期からコレを達成しているところが多いです。定番の製造品目が数多くありますからね。他方、アパレルメーカーには流行というやっかいなものが存在するので、どうしても多品種少量生産、もしくは期間限定の多品種大量生産になってしまいます。ゆえに人手に拠る縫製作業に頼っているのがほとんどで、こちらは海外シフトが最も迅速に行なわれた業界と云えるでしょう。日本企業のこういった大規模アパレル製造工場は国内においては、いまやほとんど壊滅したと云っても過言ではありません。

 一方で、自動車製造メーカーや、電気機器、精密機器の製造メーカーが直接的に消費者に向けた製品を造る場合、その多くの最終アッセンブリー工程を現在でも人手に拠らざるを得ないのはこういった理由がそのひとつにあるわけです。そもそも、数十から数千、コトによったら数万工程をコナす必要がありますから、コストと品質の折り合いを求めてどこまでもレイバーコスト(工賃と言い換えてもいい)の安い海外生産拠点にシフトしていく(外注協力工場も含めて)。これからは「ミャンマー」が旬だそうです。もう、中国、タイ、台湾、マレーシア、インドネシア、ベトナム等などですらも「コスト的要素、人的資源に折り合いが付かなくなってきた」ことに起因するのでしょう。そろそろアフリカ大陸横断の日も近いのか(笑泣)。

 結論を云えば、年間に見込む単一の完成品製造量数が、「千の単位」や「万の単位」くらいでは、全自動化は仮に技術的に可能であってもコスト的に到底見合わないのです。自動車、家電品、には「恣意的な」流行があり、モデルチェンジや仕様変更も頻繁です。やはり人手に拠るしかありません。但し、永遠に真面目な発展途上国の人々を次々と発掘していくコトの是非(工業植民地化的発想)についてはどこかで立ち止まって考えねばならない時期がそのうち来てしまうでしょう(今がその時期かも)。 

 また、特に精密で複雑な機器の組み立てを自動機化するにおいては、各部材のユニット化とその個々の部品段階での超高精度が求められてきます。その超高精度を目指すには、超々高精度の精度で造られた工作機械か、作業達成までに時間とコストの掛かる部品の超研磨工程(加工する部材が難研磨材ならなおのコト)が必要になり・・・。そういったコトはモノの造り方を知らないし知ろうともしない「非技術畑の方々」には百万回云って聞かせても理解不能だと思いますが、ミクロンオーダーの精度はそうそう簡単に生み出せるものではありません。このあたりのハナシは突っ込んでいくと長くなってしまいますので、また別の機会に論じるコトといたしましょうね(笑)。また、自動機に不可欠なシーケンサ、各部油圧空圧機器、直動システム、ステッピングモーターなども、そこまで細かい制御は物理的限界が理由でおそらくは無理でしょう。ですから上に「ほとんどあらゆる製造分野で」と書きました。不可能領域もまだまだあります。・・・ちなみに超高級機械式腕時計は日本のセイコーの物でもフラッグシップモデルは3500万円ほどいたします。スイスの名だたる名工が拵えたモノはもっと高価です。宝石を鏤めたような宝飾品的腕時計も高価ではありますが、それとはまったく違うベクトルの製品です。まさに手造り工芸品の極致、コレを分かるヒトだけが買ってねといったモデルたちです。他人にひけらかすものではありません。密やかな充実感を左腕に巻いているというところがまた「通の粋人」というものなのですね。

 ・・・さあ、そろそろワタシも広げた「大風呂敷」を畳まねばなりませんね(ヒロげ過ぎちゃった:笑泣)。

 「てづくり」「ものづくり」、一般的に想起される「ほんわかした」イメージと現実の製造現場には、ここまで見てきてかくも大きな乖離があったのです。自動車産業においては、組み立て工程での手造りはいまだ主流であるというコトになってしまいました(でも量産はしています)。そうすると、本当の「手造り」、そのココロとはなんでしょう。

 やはり造る企業や現場作業者の「気持ち」とか「魂」、そして「技術」の籠め具合、というのが「温もりのある手造り感」であったり、「確かな手ごたえのある手造り感」であったり、「精微にして重厚な手造り感」としてヒトの心をつかむのでありましょう。実際には手造りではあっても手造り感を感じられない量産品との差はこのあたりにあるのかなと思い至りました。そしてブランドイメージの構築も、スパイスとして非常に重要な要素であると思います。他と差別化を図るためだけに考案した珍奇なだけの新技術や、メーカー側の都合によるコストダウンを目の肥えたユーザーは見抜きます(でも、必ずしもそうではないところが悔しいんだけどな、なんで皆スグにコロっと・・・)ので必要ありません・・・と信じたい(泣笑)。

 「カッチョいい!」「スゲー!」「なんかステキ!」「コレは美味い!」「(たったこれだけのコトにこんなに手間掛けちゃって・・・)バカでぇ!」・・・こういって貰えるよう(そして云って貰えるのをココロの支えにしている)に日々精進するのが「手造り職人魂」というものだと思いました。ですから、そういった職人や技術者の精神性は「芸術家」とは似て非なるものだとワタシは考えます。芸術家は自分の満足のためだけに活動に打ちこむのが本当の姿でありましょう。本来、芸術活動そのものはメシの種として捉えるべきものでは無いと思われます(結果的にその芸術が世界的に評価され、彼が巨万の富を得たとすれば、ソレはもちろん許されますが)。多くの職人魂は喰えなくなるコトはありませんが、多くの富を得るというコトもまた少ないです。その「製品」を誉めてもらい、喜んでもらい、そのうちまた「ウチの製品」を買ってもらい、食い繋がせてもらいたいと思うのがプロの手造り職人。「製品」はやはり「作品性のある商品」ではあっても、「作品そのもの」ではありません。その「作品」が、あくまで自己満足の世界に留まっていて許される(まっ、ソレじゃ喰えないけど:笑泣)芸術家との大きな違いがそこにあります。手造り製品を享受する主体は、どこまでもお客さんの側にあり、その満足の対価が製品代金や手間賃として職人や技術者の生活を成り立たせていくのですから。

 中古自動車の世界での「手造り感」。コレをいかに追求し続けることが出来るか。・・・ワタシたちにもまだまだ精進と研鑽が必要な気がいたします。長い目で見守ってやってください。

 「バーチャルな世界」に留まっていては決して体験出来ない「手ごたえある手造り感」を目指していこうと思っております。願わくば、ソレを享受されたい(御理解頂ける)お客さんが増えますように(笑)。

 それでは、また明日!

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コメント

みんな気を悪くなんかしてませんので、ご安心を。
ケッコ~こんな話(世界?)が好きな連中なんでね(笑)。

「マセラティなんて恐れ多いけど、こんな人から車買いたいな~」なんて言ってましたよ。

近々、直接お会いできる日を楽しみにしております。

「手ごたえある手造り感」
いい言葉ですね。
正にマセラティにこの感が詰まっているように感じます。

そう言えば、ランチャ テーマ フェラーリエンジン搭載車の
サイドにも職人さんが一筆書きしたと思われるラインが
黄色く光っていますよね。
内装はローズウッドと革で統一されていて、あのサイズの車
にしては浮世離れしていました。

さて、まだまだ寒いですが、お仕事頑張って下さい。

↑↑「HYN」さん、みなさんにもよろしくお伝えください!今後ともよろしくお願い申し上げます。
↑「woodykida」さん、ランチアテーマ8.32についても言及しようかなと実は思っていたのですが、ハナシをわかりやすくするためにロールスロイスを引き合いに出しました。8.32のサイドストライプも仰せのように職人芸のピンストライプで描かれています。ぶつけたりしてドア1枚塗装なんてコトになるとそれを再現するのは至難のワザになってしまいますが、その儚さこそ「粋」じゃありませんか。紺メタのボディに黄色のピンストライプなど、見ているだけでウズウズいたしますよ(笑)。

マイクロ・デポ社出身マセラティは、皆手造り感にあふれています。
これは、素人の方でも一目見れば判ります。
素晴しいことです。
更に、現実に甘んじていないことが「更に倍」です(笑)。

憶えている人は憶えている、テーマ8.32のピンストライプ、確かにブルーメタに映えそうですね。現車をじっくり見たことが無いけれど、いいなー、ランチアbyフェラーリ。
考えてみればマセラティ現行モデルもbyフェラーリじゃないですか!、しっくりこないのは気のせいでしょうか?。

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