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2012年3月 8日 (木)

思い出そうよ、手造りの心(その4)

 今日も一日はっきりしない空模様の練馬でしたが、お日柄もよく、納車も無事終り(喜んで頂けたようで安心しました)、ようやくブログ書きにたどりつくことが出来ました(ホッ!)。

 ところで、昨夜のハナシ。ワタシが帰宅したところ、昨日(その3)の内容を、早速ヨメが読んでまして、「スウェーデンの高級家具(北欧家具のロールスロイスと呼ばれる、同国イエスナス社製) に使う皮革素材はわざとキズのある部分を選んで使って「味」を出してるのよォー」とウンチク垂れられました(笑)。彼女はワタシと結婚する直前まで、今はヒルズになっちゃったところにかつて建ってた、六本木のスゥエーデンセンター(独特のチグハグな感じの書体であったメイン看板ロゴも懐かしい)というところで同国大使館商務部の外交官秘書っつー字面だけ見るとカタいシゴト(スウェーデン国王来日時には通訳をしたというのが密かな自慢:笑)をしてまして・・・とは申しましても、通常業務はスウェーデン製高級家具の売り子みたいなモンなんで、日常的にはヘラヘラしてたらしいですが、とにかくそういったコトだそうです。

 皆さんからのコメントを拝見しましても、「手造り」の概念を定義するコトが如何に難しいか、あらためて垣間見えました。

 てづくり、ものづくり、といった語感は、やはりまず「天然素材」の加工行為に馴染むのかなーと色々考えたあげくに思いついたので、今日はそのあたりをボンヤリ(笑)と。

 金属加工業、木工業、窯業に古来より共通して使われてきた基本的製造技術に「ろくろ」というのがありますよね。被加工物を回転可能な台に定置もしくは固定して、それを回転させつつ、その円周上の、ある決まった位置で円の中心部に向かって刃物や指先を「おくる」コトにより、「真円度」と「同芯度」をキレイに出すことが出来ます。

 このあたりは、加工素材の差こそあれ、旋盤で丸棒部材を削るのも、ろくろを用いて指先で器をかたち造るのも、なんつーか、こう手造りの香りが芳しい工法であるような気がします。しかしながら、「土」、「木」、「金属」の順に手造り感は「高→低」という感じがしませんか?製造原理もやってるコトも基本的にはほとんど同じなのに。

 一方で、「電気モノ」になってくると、より一層イメージが変るような気がします。例えば、ワタシの子供の頃、仲の良かった近所の友達の家では内職仕事で、電気部品のハンダ付け作業をお母さんがやってました。一か所のハンダで幾らの工賃だったのか、今となっては知るよしもありませんけれど、これなどは紛うコト無き「手造り」なんですが、なんかちょっと違うような気もするでしょ?ムカシの映像で「テレビ製造工場」などのネタを見ますと、ベルトコンベアーの上を次々とブラウン管やら、真空管やら、基板やらを少しずつ組み立てられながらテレビが形づくられていくのですが、組み立てている主体は頭に三角巾を巻いた作業服を着たおねえさん方です。どうみても手造りですよね。でも手造り感は製品のどこからも滲み出てはいませんでした(というよりも、ことさら人の手を介して製造しているコトを出来れば隠したいのではといった感じすらいたします)。

 さて、現代の自動車製造における「手造り」とはいったいどういった概念なのでしょうか。またまた、ワタシの卑近なハナシで申しわけありませんが、昨年の暮れに入手した「ダイハツコペン」を例に引いてみましょう。このクルマ、「手造り」を標榜してるんです。難しい電動オープン機構をキチンと組み上げるのに卓越した技術が必要だと説く。

 大阪は池田市にあるダイハツ本社工場内エキスパートセンターというところで、社内の厳格な技術資格をパスした「匠集団」と呼ばれる熟練作業者達だけが「手造りで」組み立てていますと。

 実際問題、他のカーメーカーの普通の組み立てラインでも、全ロボット化を達成した工場なんてモノは程度の差はあれ聞いたことがありません。普通の軽自動車、例えばスズキの生産ラインの映像を見ますとおねーちゃんが「ずどどどど」なんてインパクトレンチや電動ドライバーを片手に組み立てたりしています。

 造る側の自己満足に終わっているのはワタシみたいなユーザーから見ますとあきらかで、「やっぱり、手造りってゆーのは出来が悪いというコトなのか(対策を講じなければ、とてもクローズド状態では乗っていられないレベルの軋み音がします→マセラティスパイダーザガートの偉大さが身に沁みます:泣)」という一方の結論と、他方「ワタシが求める手造りの味は決してしない(その本革シートは座り心地も決してホメられたものではなく、見た目も合皮にしか見えない。そのくせ簡単にキズが付く)」というのも見えてきてしまい、所詮マスプロメーカーに手造りの味を期待してはならないなと悟りました。

 コレは根の深い問題ですね、やはり。現在の様に「訴訟社会」であったり、重箱の隅を突くようなクレーマーが多数いる状態では、やはり「手造りの味」でマスプロダクション製品を訴求するのには限界があるということですね。「うーん・・・」

 昨日の「一松」さんのコメントにありますように、究極の伝統芸能的手造りは現代の機械で造ったものと同じになってしまう。というよりも、ムカシは精度が低く、性能も悪かった機械が、技術の進歩により最高レベルの職人にしか生み出せなかった世界を98%くらいの達成度で生み出せるように追いついてしまったというコトなのでしょう。

 さらに、一昨日の「HYN」さん(遠方より初コメ有難うございます。とても嬉しいです)の工場のように海外でデジカメ一眼レフ造りを(しかも手組みで)しているというお話にちなんで、「どうして、組み立て工場は、これだけ技術が進歩してもロボット化しないの?」という素朴な疑問をワタシ自身が持ちました(同時にワタシなりの答えも出ているのですが)ので、ちょっと脱線気味ではありますが、明日はこのあたりのハナシからと思っております。

 それでは、また明日!

 

 

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コメント

この前YouTubeで見つけたリトモのコマーシャル(Fiat Ritmo / Strada commercial (TV Ad))。
さんざんオートメーションの工場を映しておいて最後の台詞がそれかい、と。
でもそのリトモにも手づくりの匂いを感じてしまうのはどうしたわけか。

皆様のコメント含め、知識の豊かさには脱帽です。
あまりにも深いテーマのためか、自動車における「てづくり」の定義が
いまだアタマの中を駆け巡っています。
漠然と理解しているつもりなのですが。

でも今まで思っていた、たまに登場するヨメさま発言の切れの良さが
なぜ良いのかが良く解りました。さすがです。
(↑ニホンゴ、おかしくないね:笑)

最近の手造り&匠の技は生産財・資本財にそのほとんどが反映されているように思います。つまり工場にある工作機械等々ですね。
これがなければ製品はできません。で、ニッポンの技術もここに集約されていますね。
いくら中国ががんばってもいい工作機械はできないそうです。

家具類も然りですがソフト面では欧州が他の追従を許しませんね。

クルマの場合の手作りとなると、前にたこちゃんが書かれていたようにクラフトマンシップTと言う意味でロールスあたりに行っちゃいますよねぇ。日本車でいうとセンチュリーでしょうか。

視覚的、感覚的部分(触感か)の手づくり感は良いのですが、機能部分には歓迎したくないかも、やはりデジカメ、携帯、パソコンは無機質なのが安心しそう(勝手だなー)。
ちょっと話がずれるかもしれませんが、私は現代美術を見るのが好きです、しかし、いつも、いわば「物理、数学の上に成り立つ建築物」の中に、けっこうしょーもない「美術品」が飾られる不思議に悩みます(大袈裟ですが)。
「何故、人間には美術があるのか?」というものに答えがあれば、それがこういったことを解くヒントになる気がします。

久々のコメントです(^^ゞ
みなさんのコメントを細部までは拝読してないので、重複するかもしれませんが。。。

ぼくが思う手造り感は、「ワンオフ」さかな~と思います。
ろくろの例では、職人さんが手感覚で土を成形するのと、ボールねじ機構による旋盤で木なり金属を加工するのだと、前者の方が同じモノは二つと無い感覚で、後者は職人がひとつずつ加工しても形状や寸法精度といった点では結構同じモノになるかと。
一方、後者の場合のうち、汎用機で職人さんが作業するのと、NCマシンで加工するのを比べると、どう考えても職人さんが作業した方が手造りです。でも、この場合、寸法精度とかいうと、熟練した職人さんならNCマシンを超えますよね。だとすると、あの時、あの人が、何番目に造ったのだ、というように、製品一つひとつに固有のものを感じる、つまり、この世にひとつしかないと思えるから、職人さんの製品は、たとえ製品としてはまったく同じ見かけ、性能のものでも手造り感があるのではないかなぁ、と思います。

このあいだ例に出てたと思いますが、無機質で見た目に華のないAMGのエンジンでも、組み上げた職人さんの名前とシリアルナンバーが刻まれたプレートがあることで、ちょっとは手造り感を感じられませんか??

買う側、使う側の心の持ち様も大事ですが、つくる側の心の持ち様も重要な要素となりそうですね。
自分のつくっている物が好きな物である事、誇れる物である事は大事な事でしょうし、つくる人自身が「これイイだろ」と思いながらつくった物は何かしら伝わって来そうです。

ロボット化できない理由はいろいろあるんですが、
一眼レフを精密にASSYできるロボットなんて無いですね。
(現場を知らない経営陣はロボット化された工場に憧れてるみたいですが・・・アホ)

やはり肝心なところはスーパー職人が「シム」を入れたり、抜いたりしながら組み立ててます。
この辺の工程はライカやハッセルブラッド、スイスの機械式時計と同じかと思います。

そもそも「会社のビジネスモデル」、「消費者へのイメージ戦略」等々が、
上記の「名門」とはまるっきり違うんで、製品からのオーラは「0」ですが・・・(泣)。

毎日、「コストダウン!コストダウン!」ってイヤになってきます・・・(涙)。
マセラティみたいなホンモノを作りたいです(技術者一同)。

たこちゃんブログ、職場の日本人技術者(5名)で拝読させて頂きました。
みんな真剣に読んで、考えこんでましたよ(笑)。


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