はろー!だぁーりん(旧る!)。毎日読んでいる方のアタマをぐるぐるとさせるコーナーがまたまたヤッてまいりました。今朝は、実に170年ぶりの天体ショー「金環日蝕」で大騒ぎでしたね。ワタシの住む土支田のアパートは窓が東向きなので、朝の観察にはおあつらえ向き。一番佳境に入る午前7時半あたりでは、絶好の曇り空となり、フィルターを用いぬ肉眼でもハッキリ捉えるコトが出来ましたし、写真撮影にも成功しました。このネタはまた次の機会に。はっきり云って、今日のブログは「クソ長い(笑)」です。何日かに分けてユックリとお楽しみください。

・・・というわけで、こちら「スズキ歴史館探訪」の方は、いまだ5月1日(火)AM9:30くらいのハナシをやっておりますが・・・
「たこちゃんズ」は三階フロアで釘付け状態になっております。実は、この三階にあがったところから暫くの間は、戦前の「鈴木式自動織機」関連の実機がオニのように立ち並ぶ展示コーナーなのです。通常ですと、ここだけでも十二分に機械マニアの心を鷲掴みにさせるスポットであると力説できるのですが、しかるに、一旦その奥に進みますと「ワッパが付いてる工業製品」ばかりの展示になってまいりますので、当然そちらの魅力には負けてしまうのであります。ともあれ、ここも次回再訪時にはしっかり見直そうとは思っておりますよ。

・・・で、ワッパ付きの続き(笑)。
解説ボードのノッケから「世界一速い・・・」とはじまりますと、そのインパクトは絶大ですね。よくよく読むと250CC級でのハナシ、というコトがわかりますが。ともあれ、後述する「RG250γ(ガンマ)」の元祖がこのあたりというコトになるのでしょうか。一見して250CC級には見えない重厚さが見るヒトの心を捉えるコトでありましょうね。

「しぇまるぅーしょっかぁー。ぅじごくのぐぅぅんんーだぁぁん・・・(子門真人先生の声で)」初代仮面ライダー1号の乗車する一番最初のサイクロン号、その原型車がコレの姉妹車「T200」と云われております。それが「特撮ヲタク」の間で有名になったため、結構知っているヒトが多くなってしまいました。そちらの方は現在強プレミア品目です。ここ歴史館にすらありません。俳優の京本政樹さんがホントにソレをベースにしたサイクロンレプリカを本物そっくりに造らせてしまったのは有名なハナシです。
ああ、肝心のこちら「T500」の方なんですが、流石は当時のトップモデルだけあって重量感炸裂、まさに「鉄の馬」といった肉感的フォルムのオトコらしいマシン。2サイクルオイルの白煙とその芳香が良く似合いそうなオートバイです。

そして、極めつけの超重量級2サイクルマシンがコレ。カワサキの750SS(マッハ)も強力な2サイクル三気筒エンジンが「ウリ」でしたが、こちらは「水冷」というところもアタックポイント。人呼んで「ウオーターバッファロー:GT750」です。


とにかくすべてが大魔王様という感じで立派。「仮面ライダーV3」では、主人公の風見志郎役を演ずる宮内洋先生が、劇中この装備重量230キロものマシン上において走行しながら手ばなしでの変身ポーズを(しかも、吹き替えなしというコトがはっきり分かるヒキのアングルで)キメてくださいました。70年代のライダーと云えば「協力:スズキ自動車」というタイトルテロップが子供心にも印象に残ります。

GTの名の通り、グランドツアラーを目指しておりますので、2サイクルエンジン独特の排気音を特殊な消音器で極力抑えてあり、「カワサキSSマッハ軍団」の野蛮極まる(ワタシは大好きだけど:笑)エキゾーストノートと比べると拍子抜けするほど静かなクグモった重低音であったのを記憶しております。ああ、ムカシのマイクロ・デポ所在地(春日町)近所の教習所でも、大型の教習車がコレだったので、「2サイクルで乗りにくい」と大不評であったのも懐かしい。今ではむしろ、そんな教習車で教習されたいくらいだけど。

1970年代前半期、スズキは重量級オートバイの世界に於いて、国内有力4銘柄の中では明らかに後塵を拝していました。
すべては、4サイクル4気筒、ホンダドリームCB750Fourの出現が始まりです。

重量級専業であったカワサキは、2サイクルのマッハSSシリーズでやけくそな速さと当時流行のサイケムードをアピールして若者にウケる一方で、メグロに端を発する650RS(W3)では4サイクルバーチカルツインがコンベンショナルなおやじゴコロを掴み、とどめにZ2(ゼッツー:750RS→Z750)では、世界初ツインカムマルチシリンダーの魅力で、王者ホンダにすら差を付け主に北米市場を制覇(輸出仕様はZ1:900RS)。ヤマハも中型はグランプリレーサーの心臓をデチューンした2サイクルの350RX、大型車は650CCではありましたが、4サイクルバーチカルツインのXSシリーズで気を吐いておりました。またトヨタ2000GTやトヨタ7のエンジン開発にも深く関与していたため、オートバイ用の高性能4サイクルエンジン開発ノウハウはすでに充分秘めています。ホンダは云うまでも無く名実ともに小排気量4サイクルエンジンをすでに極めております。
一方のスズキはこの段階まで原付から小型乗用車にいたるまで、4サイクルエンジンを一切持たずに2サイクルエンジンのみを磨いてきました。そのような中、一足飛びにヴァンケルロータリーエンジンに移行しようとしたのが、この「RE5」です。レシプロ2サイクルエンジンと原則理論的には同様の特質を持つロータリーエンジンでは、小排気量で大きなパワーを得ることが可能な上、さらに静粛性という美点さえもありましたが、いかんせん燃費が過大になってしまうという2サイクルエンジン同様の宿命的な短所がありましたので、第一次オイルショックの影響により、残念ながらこれ一代で潰えてしまいました。

些かハナシは前後いたしますが、1960年代には、現在で云うところのオフロード車を、「ストリートスクランブラー」と呼んでおりました。主にアメリカで人気のあった形態です。
当時の有力オートバイメーカーは主に輸出用として、おおよそスクランブラータイプのマシンをカタログに載せておりました。ここにご紹介するマシンなどはまさにその「スズキ版」、典型的な一台です。

オフロード用とは云っても、現代のモノのように荒地走行専用風に特化したものではありません。
ロード用モデルのマフラーをちょっとアップめに上げ、フロントフェンダーとタイヤのクリアランスを若干広げた上、ブロックタイヤと称する荒地用タイヤを履かせるくらいが外観上の特徴であり、極低速での粘りと踏ん張り感を得るためにドリブンスプロケットの丁数を増やしていました。

仔細に眺めますと、隅々まで美しいですね。悪路走行用なのに、汚れの目立つホワイトリボンタイヤをあえて履かせているのは、何か意味があるのかなぁ。でも、すこぶるオシャレ。
キャンディートーンのボディにクロームメッキが映えてグッドデザインですね。あまり有名なマシンではありませんが、コレには感銘を受けました。


はい、先回のコメント欄で「上京FMt」さんからのリクエストもありました、「ウルフ」がコレです。国内では後の時代に「カフェレーサー」という言葉で括られることになるジャンルの嚆矢です。
小排気量シリーズであるにも関わらず、ヘッドが進行方向にほとんど水平近くまで寝かされた2サイクル並列二気筒エンジンが一大特徴。クロームメッキも美しいアップマフラーはスクランブラー風ですが、ほとんど真一文字の低いハンドルを装備しているにも関わらず、さして後退していないごくごくノーマルなステップ配置により乗員に極端な前傾姿勢(屁っ放り腰:笑)を強いるという按配で、今一つ存在意義が見出せずに発売当時は人気を得るコトが出来ませんでしたが、そのノンジャンル&無国籍な持ち味が旧車マニアに再評価されるに至り、現在では「そのスジ」で高い人気を誇ります。小排気量2ストツインに独特の金属質なエキゾーストノートがとても魅力的です。ちなみに昨日の「コレダ」、そしてこの「ウルフ」、ともに平成の時代になって(もちろん姿かたちは異なりますが)スズキ二輪車のラインナップにそのネーミングが復活しています。

1950年代、60年代にスズキ二輪車は大小数々のオートバイ競技で華々しい活躍をいたしましたが、有名な「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース(50cc部門)」での優勝は、戦後では世界初の2サイクルエンジン搭載マシンによるTT勝利ということもあり、スズキの持つ小排気量2サイクルエンジン関連技術への国際的な名声を一気に高めました。


ここに展示された、エルンスト・デグナー仕様「RM62」グランプリレーサーはデグナーとともに同年このマン島より4連勝。最終戦アルゼンチンGPでも2位に入り、個人優勝、コンストラクチャーチャンプの両方を獲得したという名機中の名機です。


この実車は、非常に状態も良く保存されておりますが、このようなヒストリーの名車を目の前に展示してくれる当ミュージアムの太っ腹さには感謝せずにはおれません。
この1962年に活躍した「RM62」、TTレース時には8.5PS以上を11,500rpmで発揮していたと云われ、最高速139Km/h・・・50年前の50CCでですヨ!しかるに、世界の強豪メーカーひしめく50CCクラスでの栄光を維持するためにはコレでも飽き足らず「RM単気筒50CCグランプリレーサーシリーズ」は、最終期(とは云っても、わずか2年後)には13.5PS/14000rpm、160Km/hの「RM64」へと究極的進化を遂げ、スズキは1963年、64年もグランプリを連覇、合計3連覇を達成いたしました。



そんな国際グランプリレースでの華々しい活躍の一方で、実用車の利便性向上のための開発にも余念がありません。
ここに立っている、昭和テイスト炸裂のキャラクターは「CCI坊や」と申します。そもそも「スズキCCI」とは何でありましょうか。
ここに初めに掲げた写真、バイクのサイドカバーには「Suzuki CCI」とありますが、右方にある「○型」の覗き窓、ここがCCI(1970年代からはCCISと呼称:シリンダー・クランクシャフト・インジェクション・システム)オイルの残量確認窓なんです。未装備の旧いモデルにはそれがありません。前述した1965年の「T20」から搭載されはじめた、2サイクルエンジン潤滑のための分離給油システム、それがCCIです。
当時旧来の2サイクルエンジンでは、あらかじめガソリンタンクに一定比率のエンジン内潤滑油を混ぜ、あとは走行中の振動に伴うタンク内での自然撹拌に期待するだけといった非常に不安定で原始的な方法に内部潤滑を依存していました。このために、しばしば突発的なエンジン内の焼付が発生するとともに、エンジン本体の総合的なライフサイクルも短いもので、高い頻度での実質的なオーバーホール作業が必要でした。また、メスシリンダーやビーカー状のオイル注入具を用いての計量作業を伴う面倒なガソリン注入作業にも、そこにヒトの手を介するので、どうしても計量間違いなどの危険性を伴います。また、白煙吐出(噴射)量も尋常ではありません。
日本国内で主に2サイクルエンジン搭載製品を製造する二輪メーカー、軽四輪メーカーは、各社1960年代初頭よりこの2サイクルエンジンの根本に関わる問題への解答を次々と提示し、世に問います。ヤマハは「オートルーブ」、スズキは「セルミックス(これが後のCCI→CCIS)」、富士重工は「スバルマチック」、ダイハツは「アミックス」という名称で分離給油システムを開発、発表しています。この分離給油システムの開発競争において明確な回答を示すコトに興味を示さなかった欧州のメーカーは、ここで凋落、脱落していったのです。
当時の前述した分離給油システムの中で、その嚆矢はヤマハ「オートルーブ」でありましたが、後発だけに最も進歩的で凝ったメカニズムであったのは、スズキCCISであると思います。最小限の潤滑油をシャフト駆動オイルポンプでクランクシャフトホルダーやコンロッドビッグエンドに直接圧送して潤滑、それが終わるとピストンリングやシリンダー内壁に飛び散りなんとなく潤滑(笑)、そして掃気。CCISオイル、ワタシも「ご愛用中(マメタンで)」です。

1960年代に「スクランブラー」と括られていたオフロードタイプの二輪は、1970年代に入ると、「トレール(ヤマハが造った言葉)」「トライアル」「モトクロッサー」などと細分化し、一般公道用と競技用の間に明確な一線が引かれていくようになります。
スズキはこの時代に「ハスラーシリーズ」を大ヒットさせます。ほとんど競技用モトクロッサーに近い成り立ちを持つ、パワフルな2サイクル単気筒エンジンの公道用デチューンモデルは走破性能の高さと、若々しいデザインで世界中のヤング(死語)の心をつかみました。
またまたの「ライダーばなし」で申しわけありませんが、このハスラー(特に250)は、再改造後の新1号ライダーと新2号ライダーが乗る「新サイクロン号」、ライダーV3が乗る「ハリケーン」、ライダーマンの「ライダーマンマシン」、Xライダーが乗る「クルーザー」、アマゾンライダーの「ジャングラー」、そしてストロンガーの「カブトロー」に至るまで、昭和のライダーとともに大活躍したものです。もちろん歴代の敵方組織戦闘員の皆さんも、コレでオフロード走行アクションを堪能させてくれました。
中でも白眉は「V3の初期オープニング」におけるシークエンス。火薬が炸裂して派手にVの字型の噴煙をあげるその前で、ライダーV3がハリケーン(ハスラー)で大ジャンプをキメ、上死点に登りつめた瞬間のストップモーション→タイトルテロップ「仮面ライダーV3」がバーン!と出る、同時に宮内先生の「かめんらいだぁー、ぶいすりゃー!!!」タイトルコール。・・・コレをテレビで初めて見た小学校四年生のワタシは、あまりのカッチョ良さにちょっとチビった(笑)くらいです。

50CCモデルにも名作がたくさんあり、「ミニクロ50」、「マメタン50」など、ちょっとファニーな遊び心を持つマシンたちは70年代のスズキらしいラインナップです。原色を用いたカラフルな単色塗装もこの時代のスズキ小排気量二輪車の特徴ですね。

ワタシが現在マイクロ・デポ周辺での足として使用している「マメタン君」。この歴史館にも程度の良いモノが保存、展示されておりましたので嬉しい限り。
1977年時点ではまだまだ「チョッパー」に端を発する「アメリカンモデル(アップハンドルを握り、シートに拠りかかる様に座り、両足を前方に投げだすようなライディングフォームを特徴とするオートバイ)」のメーカー市販車はヤマハXS650スペシャルくらいしか存在せず、小排気量車ではこのマメタンがそのジャンルの草分けだと思います。ですから、この70年代オフロードバイクばかりの列の端っこでは異彩を放ち、ミョーに目立つ存在でした。自分のマメタン君のレストア用資料として各部詳細を撮影しまくりました(笑)。

・・・そして、スズキの「変化球」ファニーバイクとしては、超低圧極太タイヤで砂地もグイグイ走れるというのがウリの「バンバン」、コレも忘れ得ぬ存在です。各種排気量でシリーズ化され、比較的長い期間販売されておりましたので、御記憶の方も多いと思います。高校生の頃、「ど○ブ」のヤツは他に乗れるのが無いので、大概コレに乗ってたような気がします(笑)。
そして、右の写真は「昌子のバイクよぉー!(By:森昌子さん)」のCMで御馴染みだった、スズキのソフトバイク「ユーディーミニ」。80年代初頭に一大ブームを巻き起こした「ソフトバイク」の嚆矢「ホンダロードパル(ラッタッター:Byソフィア・ローレンさん)」や足を揃えて乗れるお上品な「ヤマハパッソル(八千草薫さん)」に比べますと、非力で超低床シートとデカイかごだけが「ウリ」であったマシンではありますが、意外とフレームがシッカリとしており、実際の「お買いもの用バイク」としては、コレが一番すぐれていたのではないかと今にして思います。


そして「カタナ」は、この三階フロアにも展示してありました。右の写真は「上京FMt」さんのコメントにもありました「GS650G」です。ともにハンス・ムート作のオブジェ的デザインを特徴としていますが、「通」を自称するヤツは必ず650の方を推してましたね(ワタシの周囲でもすぐに買ったヤツがいて、こちらも当時乗せてもらえました)。
当時、この二車が海外のショーで発表された記事をバイク雑誌で見た時には、まさかこのまんま発売されるコトは無かろうとみんな思っておりましたが、その推測は嬉しい方向にハズれて、海外デビューこそ先でしたが、遅れて国内発売が開始された時には大きなバイクショップにみんな連れ添って見に行ったモノです。・・・で、国内版カタナ750の「耕運機ハンドル(当時の日本国内では、超前傾姿勢になってしまう低い位置にグリップを配置するセパレート型ハンドルの型式認定が下りなかったのです。よって全体のフォルムを著しく損なうアップハンドルでの発売でした)」を見て、全員「何?コレー」と呻き、ヒックリかえったモノでした(笑)。なんだか、懐かしいなー。

これまたハナシは若干前後いたしますが、スズキはようやく80年代に入る頃になって、400CC以上の重量級モデルに4サイクルマルチシリンダーエンジンを搭載するようになっていきます。この分野では、かなり遅れての最後発となっておりましたので、ヨーロッパやアメリカの耐久レースには果敢に参戦し、「スズキは4サイクルもちゃんと作れる」という印象を与えるのに成功しました。左はGS750Eで、GSシリーズ原初の姿ではありませんが、定評あるカワサキ「Zシリーズ」の4気筒ツインカムエンジンに範と取ったと思われるコンベンショナルな気筒あたり2バルブエンジンのシリーズです。数年後には気筒あたり4バルブ(合計16バルブ)化したエンジンと、世界に先駆けて「アンチノーズダイブフォーク」を装備した「GSXシリーズ」へと一気に進化を遂げ、重量級の王者カワサキとホンダを慌てさせました。それにしても、ここの展示にすら、「GSXシリーズ各車」が悲しいことにほとんど見当たりません。耐久レーサーレプリカの「GSX-R」はあるんですけどね。「(初代)GSX400E(カブト虫若しくはアルマジロ→現在ではザリとかゴキというそうですが)」とか、初代GSX400Fインパルス(ヘンな段シートと集合管が標準装備→そのまま「族」になれる:笑)、二代目インパルス(ヘッドライトステーが「東京タワー」)など、ハチャメチャかつ個性的なヤツらにお目に掛かることは叶いませんでした。どっかにあったのかなぁー(何しろ時間が限られている上に、展示スペースは広大なモンで)。

ワタシの青春時代であった80年代って、今から思うとバイク界は百花繚乱という感じだったんですね。
「ホンダモンキー&ゴリラ」「ヤマハポッケ&フォーゲル」、そしてカワサキ「KV75」への対抗車種がスズキではこの「エポ」というコトになります。当時でも、わざわざコレを買ったヤツは相当マレであったので、ここにある新車状態のモノは本当にレアです。1970年代にはファニーバイク界の雄「ダックスホンダ」の対抗馬として「スズキホッパー」というのがあった(当時モノのプラモを持ってる)ハズなんですが、こちらはもっともっとレアなので、ここで見るコトが出来ませんでした、残念。

このあたりの写真見て一発で車種を云いあてられる方々はそーとートシあるよ&当時それなりにバイクマニアだったヒト。
左は「ジェンマ」。そのまんま「ジュリアーノ・ジェンマ」がCMしてました。いたってコンベンショナルな真面目さが身上の本格的スクーターでありました(ベスパにも、当時の国産じゃ一番似てた)ので、一定のファンが付きました。そして右は「ギャグ」。まず名前が「ギャグ」ですからねー。ここにある展示車は米国空軍の戦闘機を模したマーキングが施されてますが、コレがオリジナルの状態です。他にも必ず何か「元ネタ」があり、ソレのパロディーになっているというフザけたデザインを持ったバリエーションが複数存在してました。当時流行の「ポケバイ(公道走行不可)」を公道仕様にしたようなところがキモだったのでしょうね。


左のは難しいよぉー。「スージー」って云うんですけど憶えてますか。前述のユーディーミニのお姉さん車には既に「ユーディー」というのがあり、ソレですらもコレと云った特徴に乏しい相当地味な商品だったのですが、このスージーをわざわざ追加発売する意味は皆目分からず、当時においても存在価値を疑問視するようなモノでした。でも、ここに展示されてて良かったね。ああ、今思い出したけど「ランディー」ってのもあったな、もはや今となってはそれぞれの違いをワタシには説明できません。
地味なスクーターですが、意外と知名度がありそうなのは右側写真の「ラブ」。大ヒットアルバム「スリラー」を出す直前の、いまだ日本では大ブレークするにいたっていなかった時期にマイケル・ジャクソンさんをCMに起用、見事なステップのブレイクダンスを披露してました。他にもスズキには、微妙な存在感のソフトバイクが多数ありましたね。「スワニー」とか、「蘭」とか、「Hi!」とかね(名前を書くだけでちょっと気恥ずかしい:笑)。「うぅーまれた時からチョーシいい、はーいーのはいのはいのハイのハイのはい!」と明石家さんまさんが歌う、80年代に勢いのあったスズキにピッタリだったCMソングもいまや懐かしいです。

初代RG250γ、通称「やっこ凧」。当時、コレを初めて見た時には、目が取れそうになるくらい「カッチョ悪りぃー」と思いましたが、ほとんど30年ぶりに実車を目のあたりにすると、「目の中に入れてもイタく無さそう(笑)」な気がしてまいりますので、人間とは、げに不思議なモノです。
・・・って云うか、ものすごく積極的にいいぞ、コレ。1980年代の中途半端な時代の空気感を見事に体現していると云った感じです。うんうん、カッチョいい。昨日の冒頭二枚目の写真がコレの後ろからのカットです。とにかく「とってつけた感」がこのデザインの身上ですね。
この当時は大型二輪免許が最も難関で取りにくくなっていたご時世。中型でしかも車検の無い250CCクラスは中免取りたての我ら高校生に大人気でありました。こういった、のちに「レーサーレプリカ」と称される分野の火付け役は、水冷2ストツインの「ヤマハRZ250(350)」で、それぞれが35PS、45PSを誇りましたが、後発のスズキはここぞとばかりに伝統の2スト技術をフル投入して250CCから45PS(リッターあたり180PS!!!)もの高出力をヒネり出しましたから、その出力特性は当然「どピーキー」なもので、4000rpm以下ではまったくチカラが無く、ソレを越えた途端に暴力的なパワーが炸裂するという、恐ろしく街乗りに向かぬモノ。こんな「アホ(笑)」2サイクルマシンが各社ラインナップされていました(あの2サイ苦手のホンダすら、MVX250なんていうヘンな変則V型2スト3気筒モデル(真ん中のシリンダーがすぐにカブるのでクレームの雨アラレだったという、優等生ホンダには珍しい黒歴史を飾るマシン)のも思い出すといよいよ懐かしいぞ!
本日の最後は、この写真。オートバイマニアの方にはあっという間に分かってしまう超初心者級問題(ヒネりは一切ありません)ですが、何でしょうね。
何とか、今日一日の更新だけで一気に60年代後半から80年代までのスズキ二輪車の歴史を追っかけてしまいました(そうしないと、ぜんぜん四輪の部に進めませんので:笑泣)ので、読む方もお疲れになったコトと思います。どーも、すんずれいしました。どうか、数日に分けてあとからもう一度ゆっくりと御読みください。
あー、足かけ4日掛かって、ようやくコノ項を書きあげましたよ。・・・続きはまた明日!