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2012年5月の27件の記事

2012年5月31日 (木)

宿だい:金かん日しょくのかんさつ

 昨日は、午前0時ギリギリの更新であったため、いつもコメントを寄せてくださる皆さんには、ホントご迷惑をお掛けいたしました。コメントを入れてくださっている時間を拝見すると、ナミダがちょちょ切れる思いです。いきなりでナンなんですが、ぶっちゃけ、本日は小ネタ(笑)で失礼、早目の時間に更新するコトといたしましょうね。

20120531012012053102 5月21日(月)の早朝に日本国中が大騒ぎをしていた金冠日蝕のハナシを今さら。

 前日の日曜日は天気もよかったので「石神井公園」をブラブラ一周歩き回ったり、ボートを漕いだりとまあ、一日中カラダを動かしていたモンです。一晩寝たら「うー、カラダがカタまってる」という感じ。そんな思いでウトウトとまどろんでいたら、そういった時に限ってヨメが早起きしており、「にっしょくがはじまるよー」と無理やり起こされました。

20120531032012053104 アパートの軒越しに朝の陽ざしを覗いてみました。「ううっ、瞳孔が・・・」起きぬけにはキツい。

 でも、なんとなくうっすらと雲が掛かっているので、なんとか目視できないかと手を「グー」にして穴を作り、光の加減を調節してみると、うー、なんとはなしにいつもとは違う太陽光ではあるな。そのうち、一陣の北風とともに気温が急激に低下していくのをハダで感じました。空全体がなんだか見たコトの無い不思議な色に変化していきます。

20120531052012053106 横のテレビでは、「はい、東京近辺ではそろそろですよー」と云ってますので、とりあえずデジカメを構えました。

 露出を開けたり絞ったりいろんな事をしながら、なんとか輪っか状に変化した「いかにも日蝕な写真」が撮れないものかと頑張った結果、結構思ったよりもキチンと撮れました。実際の空はこんなに暗くは無かったんですけどね。

20120531072012053108 お日様は次第に三日月状に変化していきました。こうして170年ぶりだという東京での天体ショーはあっけなく終わっちゃいました。

 次回は十何年後だったっけな。いずれにしてもワタシは60代(泣)。宇宙の事を考えると時間的にも空間的にもあまりに茫洋としていてつかみどころがないですね。久しぶりに30分以上も連続して空を見上げ続けたら、自分はなんて小さい存在なのだろうと、ちょっとしんみりといたしましたよ。

 それでは、また明日!

2012年5月30日 (水)

イタリア人には、してヤラれた(マセラティ3200GT:ウインドーレギュレータの場合は)

 うおー!この時間になっても全然ブログが出来てない(泣)。本日は夕方に御試乗希望のお客さんがみえて(「Tさん」遅くまでお引きとめして申し訳ありませんでした。ぜひ、引き続きの御検討を!)、ついつい懐かしのロードレーサー自転車バナシなどで盛り上がり、気が付いたら21:00をまわってました。

 というわけで、本日は久しぶりの「本ネタ」で盛り下がって(ヤでしょ?:笑)頂こうと思っております。タマにはこっち方面に戻っておかないとね。シゴトもしてるんですヨ、ちゃんと。

20120530012012053002_3 車検でお預かり中「Sさま」のマセラティ3200GT。昨日無事継続車検は済んだのですが、懸案の運転席側パワーウインドーの不条理な動作(一番上まであげると、自動的に転換して、ちょこっとダケ下がるべきところが、一気に一番下までさがってしまうので、ほっとくと永遠にさがったまんまになる→オーナーの「Sさま」だけは、あるコツを会得しているらしい:笑泣)をこの際なんとかしようと、新品のレギュレータ「コーンズさん」に聞いてみたら、「国内ラスいち(国内在庫がラスト一個)」との返事だったので、とっととオーダーしておきましたのが、本日到着いたしましたので、早速ドア内張りを剥がして、午後から戦闘開始であります。

20120530032012053004_2 箱を開けると「オニのように」エアパッキンが入っております。彼の国のヒトらには、内容物に合わせて箱の寸法をキメるという理念がありません(笑)。一応中身を出して内容物の点検確認であります。

 ふーん、メインのレギュレーターのみならず、前後のランチャンネルなど付属品が全部付いてくるのね。マセラティもずいぶんとオトナになったモンだと、まずは一安心しておったのですが・・・

20120530052012053006 この二枚の写真は前後のランチャンネルをそれぞれ跨いでスライドするキャスト製スライダーとウインドーガラスを締結する留め具です。

 色が替えてありますが、カタチは一見同じにしかみえません。どっちかが前用でどっちかが後ろ用なんていうオチがありそうな気がいたしますので、慎重に形状を比べて精査します。やっぱ、どう見ても同じだよなー。大体、意味不明な色分けなんてややこしいコトはしないで頂きたいモノですが、せめて「ペラ」一枚でいいから「取説」くらい入れて来いよな、イタリア人(笑泣)。

20120530072012053008_2 で、左写真が「前方スライダー」右が「後方スライダー」です。

 ランチャンネルを跨ぐ部分には、エンプラ製の摺動部材が嵌めこんであります。 あー、だからコレも新品が付いてくるんだな、きっと。樹脂部分は経年であっけなくイッてしまうモンですからね。実際にその後、数々の樹脂部材の欠損が、「今回の不具合」の根本的原因であることが分かりました。

20120530092012053010 今度の左写真は、レギュレータ本体のメイン昇降部材に、ウインドーガラスを直接締結するための留め具、通称「ハカマ」。

 それらの取付ボルトと前述上記スライダー部材の組付ボルトは新品がそれぞれ付属しています。

2012053011_22012053012 そしてランチャンネル2本。それぞれ写真の右側が上方です。上方をボディに取り付ける部分がナットになってる方が前方用、ボルトが生えてる方が後方用です。

 最初見た時は、なんで同じような部材をいちいち違う造りにするかなー、と訝しげに思っておりましたが、前と後ろを間違えない様にするための配慮なのかなと途中で得心いたしました。結構イタリア人も考える様になったわいな(笑)。

20120530132012053014 で、コレ。ウインドーレギュレータ本体ユニットです。

 このブログに今まで登場してきた「デ・トマソ」期用とも、クアトロポルテ用とも、その趣はまったく異なります。

 正調パンタグラフ式といった感じのものです。

20120530152012053016 こんなにガッチリしているモノが結構ぶっ壊れるので(コレはマセラティに限らず、すべての欧州車について云える)、本当に不思議でなりませんが、よくよく見ると、各部の要所にエンプラ樹脂が使われており、ソコをコワれどころにしてあるのがわかってしまいます。そして、それを再生するのをさらに阻むのが「カシメ」による締結です。昨今のクルマ作りは「計画的に」コワレどころを設けているフシがあり、この風潮はホントにコマったものです。

20120530182012053017 マセラティ3200GTの場合は、ボディの剛性感を出すためか、ドアインナーパネルの開口部がホントに必要最小限にしか設けられておりません。

 せまいせまいスキマですべてを勝負する必要が出てまいります。あちらを立てればこちらが立たずの体でありますよ。

20120530202012053019 ドアウインドーには下部に4か所の穴が開いており、それぞれの部材を貫通ボルトで締結させるようになっています。上二枚と下二枚の写真がそれぞれの締結部位を撮影したモノです。

 このレギュレータ取り外し作業工程では、電源を入れたままウインドーを動作させる必要がありますので、慎重さが薄れますと突如としてユニットが動き出し、思わぬケガをいたします。

20120530212012053022 新しい樹脂パーツも色分けされておりましたが、はずしてみたら古いのもそうなってた。しかも、また別の色で(笑)。

 ドアの中、カラフルにしてどうしようというのだろう、イタリア人。学ランの裏打ちの「登り竜」と一緒ってコト?見えないところのお洒落(笑)というヤツなのか、例によって高邁な(んなワケ無いよな、きっと)理由がまた別にあるのか。一段落したら一旦カプラーを抜いておき、ウインドーガラスをはずしてしまいます(が、ワタシの両腕がふさがっているので、一番派手な作業写真が撮れませんでした:泣)。

20120530232012053024 取り外した古い方のレギュレーターユニットに溶接されている「扇型ギア」はどういったわけかモーターのピニオンギアが配置されていない側にも「歯」が切ってあり、前々から「コレって意味が無いよなー、きっと使い回しの部品なんだろな」と思っておりましたが、ちゃんと片歯にしたみたいです。先も丸めてくれて、作業者の手指にも気を遣ってくれています。きっと、組み立て中にレギュレータが動作して大きなケガをした作業員が居たに違いありません(前述した取り外し行程以上に、この取り付け作業は電源を入れた状態で上げたり下げたりしながらあちらこちらの締結調整が必要なので、不意に動き始めてしまう場合が結構あるのです。気を抜いていると、本当にユビがトビます(コレだけはシロウトさんは絶対に手を出さない事をお願いします)。

20120530252012053026 新しいレギュレータ本体ユニットを取り付ける前に、前後のランチャンネルもドア内部に放り込んでおかなければなりません。

 ここで、新旧を見比べてみると驚愕の事実が(今さら)発見されました!なんと、後部ランチャンネルが右側(助手席側)ではないですか。まるで正反対のカタチです。ここで、先ほどの「国内ラスいち」が効いてきます。文句言って送り返そうにも、相手にゃ代品が無いんですから(笑泣)。おまけに、正しく入っていた方の前方ランチャンネルをボルト留めしようとしたら、ボディ側の取り付け孔と全然合わない。せっかく定位置までおずおずと差し入れていたのに・・・。もう一度、おずおず引きだして、新旧を比べてみると→右の写真のようになってました!ここも、「現物合わせ」なんですか。分かっちゃいるけどホトホトイタリア人は・・・。

 ・・・もう、寝よ(笑)。皆さん、また明日!

2012年5月29日 (火)

ダメ男なワタシ→ヘタのよこずき

 はい!今日の東京練馬は強風が吹き荒れて、夕方には雨がパラつく天候でした。昨夜半の地震にズドンと起こされ、その後はなんだか深く寝付けなかったのも加味されて、早起きして出勤し、パソコンに向かってはみたものの・・・ネタが思いつかない(アタマがぼー:笑)。

 午前中にはわざわざ北九州からの御来店客があり、ひとしきりクアトロポルテの御説明を聞いて頂きお帰りになられましたが、その後も風に吹かれながら作業をしつつ「なんかネタ無いか?」と思案し続けておりました。・・・やっぱ思いつかない(泣)。

 この上は、前から「見せてみろ」と云われていたような気もいたしますので、ワタシの毎回の「休暇中プラモ作りの成果」の一端を、この際ハジをしのんで開陳することにいたしました。

20120529012012052902 この連休休みにダメ男(だめお)の皆さんが我が家からお帰りになったあと、急にクルマが触りたくなってまいりまして、取り出したるは「6輪たいれる」でありました。

 30年ぶりくらいに御対面するキットです。コレはタミヤ1/20スケール、タイレルP34です。箱を開けたら「タミヤなのに、ムカシはこんなだっけ?」というくらいに、ボディは成型ビケが出てるし、パーツの精度も見るからに良くなさそう。まず手始めには、タイヤに文字でも入れとこ。リアタイヤ2個は、DVDを録り貯めしてあった「コメットさん(大場久美子の:笑)」を横目で見ながらどうにか完成。フロントタイヤは・・・ど-して小さいのが4つもあるんだよー。ヤリました、負けました。あまりの不出来に、ここではとてもお見せ出来ないので、これは次回休みの課題というコトで(泣)。

20120529032012052904 とにかく、ランナー袋を開けてしまったので、なんかヤラなきゃと、仕方なく(笑)エンジン&ミッションを作り始めてみました。

 天下のフォードコスワースDFVエンジンも、1/20スケールになりますと、斯くも小さくなっちゃいます。子供の頃は、1/20なんて「でかいプラモ」といったイメージを持って臨んでいたものですが、今見るとひとつひとつのパーツが「こんなにちっちゃいの?」と驚きます。目は見えないわ、指は動かないわでタコ足エキゾーストマニフォールドの組み付け(8本が全部バラバラなんだよー!タミヤのばか:笑)とかプラグコードの取り回し(デスビやヘッドの孔に全然入れられん:泣)など散々苦労してようやくなんとかカタチにだけはしてきました。「オトナプラモの世界」では、別売りのエッチングパーツやら、メタルパーツやらをさらに組込んでチューンナップするものなのですが、ワタシの場合はここでも原理主義者(笑)なので、あくまでキットに付属するパーツのみで素組みです(ホントはお金が勿体ないから、別売りパーツが買えないダケなんだけど:泣)。

20120529052012052906 ハセガワ1/48スケール、海軍局地戦闘機「紫電改」(しでんかい)です。

 ワタシにしては珍しく一応の完成品。数年前の正月休みに「紅白歌合戦」を横目で見ながら一生懸命に作りました。その時はヨメさんが風邪をひいて寝込んでいたので、ヨコからチャチャを入れられるコトもなく、コレ作るしかやることないから出来ちゃったというモノです。エアブラシを使わずに、油絵の如くの質感を追求(ワルく云えば、がさつな出来:笑泣)したとは「たこちゃん談」。→ハッキリ云って、へたくそです(泣)。

20120529072012052908 ハセガワ1/32スケール、陸軍三式戦闘機「飛燕」(ひえん)です。

 足かけ4年くらい、休みの度にちょっとずつ進めていますが、「三歩進んで五歩下がる」の体。休みに入って帰宅するたびにハコを開けては「前回、どこまでやってたんだっけ?」と三日間くらい悩むのがお約束(笑)。

 だいたいにおいて、「飛燕」の実機に存在したと云われる数あるマーキングの中でもっとも難しい「迷彩&ストライプ&ツートンカラー」のヤツにチャレンジしているのでキット付属のデカールを使わないで完成に持ち込むのは困難をキワめます。右と左の翼上面模様をシンメトリックに描きたいんですけどねー、エアブラシと面相筆でずっと格闘してまいりました。

20120529092012052910 タミヤ1/48スケール、一式陸上攻撃機(一式陸攻:いっしきりっこう)です。

 キットに付いてる組立説明書記載の塗装(マーキング)例の中からはあえて選ばずに、資料本に乗ってた一葉の実機飛行中写真のみを頼り「あくまで雰囲気勝負の素組み」で作ってみております。例によって、日の丸や機体番号その他すべてのマーキングにはデカールを使用せず、手書きにチャレンジしています。→バカです(笑)。

20120529112012052912 単座戦闘機じゃないから、1/48スケールでもデッカクて、とても迫力があります。

 それはいいんだけれど、コレは空に陸に攻撃しなくちゃいけない飛行機なので、機体の上といい、横といい、前後左右の各所に風防ガラス(キャノピー)と銃座が配置されており、細い細い窓枠をキッチリきれいに塗り入れないとイケませんので老眼にはキツいです。最近では、透明キャノピーパーツのみ塗装済みのものがプラモメーカー純正品として別売りされていたりするんですよ(しかも本体以上に結構高い:笑)。ワタシはモデラー歴45年の意地を発揮(その割に腕が上がってない:笑泣)し、ズルはしないで8つのキャノピーを全部塗りました。→やっぱ目がトレました(笑)。

 あー、今日はスッカリ恥かいちゃったな。それでは、また明日!

2012年5月28日 (月)

だったら、ホンモノを買おう(笑)!

 近頃、御新規の閲覧者の方が増えているようなので、とりあえず、久しぶりに書いておきましょう。このブログはマセラティ専門店のマイクロ・デポがお送りしている、「本当は新旧のマセラティやフェラーリのハナシをするハズだった(既に過去形:笑泣)」ブログでして、「マセラティでイッてみよう!Part2」と申します。

 ちなみに、「Part1」にあたる旧プロバイダを使用していた(ディオンのラブログ)時代に書かれた部分も、文章だけは当ブログにすべて移植した上でカテゴリ分類もしてあります(残念ながら、当時のワタシの技術では写真の移植までは出来ませんでした)。

 当「Part2」の方も、実際中身の九割くらいは「ワタシのムダ話(笑泣)」なんですが、残りの一割くらいに「ものスゴく有益な」情報も散りばめられておりますので、左側のカテゴリー一覧を有効に御利用になって、なんとか欲しい情報まで辿りついてみてくださいな。

 ・・・で、今日もマセラティやフェラーリからはハズしたネタから始まってしまうのでありました(クルマがネタになってるだけ、まだマシな方かも:笑泣)。

20120528012012052802 一昨日のコメント欄におきまして「上京FMt」さんからその存在のご指摘を賜りました、「トヨタMR-S」ベースで造られた「VM180(ザガートでデザイン)」の兄弟車がコレ。「カセルタ」です。

 どことなくというよりも、むしろ確信犯的。全体的には「1960年代から90年代までの跳ね馬(フェラーリ)」的モティーフ&フォルムに1960年代の「蛇」と「蠍」のエキスを「ちょっとずつ隠し味のように」チリバめて「結構上質な(そりゃそーだよね:笑)イタリアンクラシックテイスト」を一旦獲得した上で、コレといった芸の無い前後の樹脂バンパー造型と、なぜかバンパーの上に配置されてしまっているフロントグリルやリアグリルのヘンなガーニッシュにより「1970年代・80年代の悪しき(笑)和風&アメリカンテイスト」を付加。・・・で、今までドコにも無い個性を演出してみましたというデザイン。

 ボンゴレビアンコにボロネーゼソース掛けて醤油ヒト回し、アサツキ載っけて刻み海苔を撒き、ケチャップとタバスコで仕上げ。で、メンをかき分けて中を覗くとオクラを和えた納豆が入ってると(我ながらヒデェー例えバナシだなー:笑)。

2012052803 内装の方も革はとりあえず張ってありますが、イタリア物のそれを見慣れた目には、どうにも「ウソくさい」ものに見えてしまいます。少なくともコレを撮影した時のワタシには「本物の手ごたえ」がまったくといっていいほど伝わってこなかったのです。

 実は、このクルマが発表された頃、広告や宣材を見たワタシは迂闊にも「結構、いいじゃないか」と思っておりました。「ミッドシップのオープンスポーツ」というだけでワタシの大好物でもある上に、内外装ではイタリアンテイストがバッチリ味わえて、とどめにトヨタの信頼性までをも享受できると思ったからです。当時、このクルマはどういうわけか斜め後ろ上方からのカットばかりを強調して宣伝していたように思います。

 ・・・数年後に現物を目の当たりにして、その意味がわかりました。意外と腰が高く、顔は前述の如しであったからです。広告宣伝を造る目の肥えたクリエーター諸氏には、初めからデザインの志が「見抜かれてしまっていた」のですね。これだったらオリジナルの「MR-S」の方が志を感じられてよっぽど好ましいモン。

 ワタシも期待していただけに、「肩すかし」をくらったような気持ちで、思わず辛辣な感想になってしまいました。「トヨタ2000GT」や「トヨタスポーツ800」(特に後者)のような独創的デザイン(であって、誰が見ても可愛く美しいフォルム)で完成度の高いスポーツカーを企業の体力がある日本の一流メーカーこそが生みだしてほしいと願わずにはおられません。

 「若者のクルマ離れ」が云われて久しいです。メーカー自体も「免許を取ろう!」「モーターショーに行こう!」と、昨年あたりから「眠っているユーザーの掘り起こし」を模索しはじめました。しかしながら、10代・20代の彼らがコドモの頃より慣れ親しんできたのは「ミニバン」や「SUV」などの「かば車」ばかり。多感な時期のみずみずしい感性に訴えてこなかったのですから、この根っこは結構深い。

 家族構成など、色々なしがらみに束縛されない若者だからこそ、シンプルな所有欲の原点にかえって「カッチョいい」こそが根本的購入動機にならなければイカんと思うわけです。「カノジョ」の方にも、「カッチョいいクルマに乗っているカレ」を欲してほしいと思うわけです。

 最近、CSで「若大将シリーズ」の映画やってて、ソレらを続けざまに観てしまったのですが、まさに「東宝娯楽映画」の王道といった感じで「ひたすらに明るく爽やか、そしてカッチョいい」のであります。当時でも若者のほとんど98%以上はこんな学生生活は送れなかったコトでしょうけれども、高度成長の波もありましたから「少しでも、コレに近づけたい」とは思ったハズです。金持ちの「青大将」を中心に、登場人物が乗って出てくるクルマは判で押したように洋邦の「オープンカー」です。コドモの頃や若い頃にこんな映画を観てアコガレたはずの人々ですら、「大人の階段」を登ってしまうと「現実」だけを見てしまい、ほとんどのヒトがツマラナイ車を買ってきた。「ツマラナクナイ」車は高価で手が掛かるというのが常識だったからです。

 シンプルで美しく、そして可愛いクルマ。そしてなにより大切なのは、走って面白いということ。クルマを操作する楽しみや快感を手軽に味わえるということ。自分のガレージでエンジンルームを眺め、磨き込み、手入れをして楽しむ醍醐味があるということ。それが日本の狭小な道路事情や駐車場事情にマッチしたものであれば、さらに云うコトはありません。そういうクルマには愛着が湧く、そして長く付き合える。

 旧いマセラティやフェラーリ、そしてアルファロメオやフィアットたちの中古車にはソレがある(というか、ソコしか無い:笑)。その上「ホンモノクラシックイタリアンの手ごたえ」が間違いなく存在します。

 躊躇している方、無理に売りつけはいたしませんから、「86(新車)」と「マセラティ222&ギブリ(マイクロ・デポの中古車)」を比べてみませんか。きっと人生が何倍も楽しく見えてまいります。

 コレを読んでいる(ほとんどいないと思いますが:泣)20代のお若い方には、特に強くお奨め申しあげます。あなたの身の丈に過不足無くマッチしたクルマが旧いイタリア車の中には必ずあります。

 世知辛い世の中だからこそ、一生懸命に働いている方には「ホンモノの持つ楽しみの実感」くらい味あわせて差しあげたいと常々念願しております。そして、旧いイタリア車においてソレを享受していくには、いくばくかの「コツ」があるんです。それをご伝授して差し上げられるのが「専門店」という存在です。老若男女を問わず真面目なお客さんの御要望には幾らでもお応えいたします。御相談くださいね。

 それじゃ、また明日!

2012年5月26日 (土)

「リクエストにお応えして」のココロだぁー!

 ・・・。・・・。・・・、・・・、・・・。「うー(泣)」。さすがに怒濤の連休旅行記15連発のあとは、予想通り「真っ白に燃え尽きたぜ」状態ですね。ネタが思い浮かばないよぅー。

 ともあれ、本日も午前中よりたくさんのお客さんにお見え頂きました。皆さん有難うございます。ああ、「湯河原のタレ目」さん、「夜のお伴」を有難うございました。早速一杯ヤロうと思っております。「H先生」もお忙しい中わざわざの御来店と御差し入れ、いつもすみません。この上は「ええーシゴト(笑)」でお返し申しあげます、お楽しみに!

 昨日のコメント欄にある「上京FMt」さんの「宇佐美恵子さんネタ」には、あまりに懐かしくて文字見ただけで「はなぢ」が出た(笑)。スーパーカーブームの頃のクルマ雑誌の「表4」に広告がよく出てたモンだよなー、コスモAP。

 で、本日はやはりコメント欄頼りで、「一松」さんからのリクエストにお応えして、お送りいたしますのココロだぁー(って、ラジオの「小沢昭一的ココロ」って番組、まだヤッてるのな、としみじみ思った一昨日の実話:笑)!

20120526012012052602 「本当ならつれて来てみろという リクエストにお応えして」と云うのは、さだまさし先生の「雨やどり」の一節。

 で、「国産車にザガートボディを被せたヤツ」というリクエストにお応え出来る画像をちゃんと既に持ってるワタシもワレながら変態ではあります。「VM180」とかいうクルマです。中身はトヨタMR-Sであります。

20120526032012052604 テールのグリル脇には、「ZAGATO」のロゴエンブレムが燦然と輝きます。

 マセラティスパイダーザガートのフロントフェンダーに付いてるのと同じ意匠ですね。

 あぁ、こちらには「Z」の方もついていらっしゃいます。どうせならスパイダーザガートにもコレ付けて欲しかったな。

20120526052012052606 細かく見ていくと「お里が知れる(笑)」やはり、トヨタなんですね。「旭硝子」のマークもバッチリと入っております。

 コレ、やっぱり高井戸(東京都杉並区)で造ってるのかなあ、確か環状8号線と井の頭通りや五日市街道の交差陸橋あたりにあったよな、モデリスタ。パソコンで打ち出したようなシールが泣かせます。

20120526072012052608 内装を眺めるとダッシュボードからはほとんど「MR-S」臭がいたします。

 シートも一応革装だけど、なんか質感が「うー(笑)」な感じです。

 なんだか、クサしてばっかりだったけど、このクルマそもそもかなり希少なので、中古車流通台数は猛烈に少ないです。よって、結構いいお値段はいたします。

 宮坂サン(わかるヒトにはわかる:笑)は「スパイダーザガート買った方がいいぞ!!」・・・と、ココロの中でそっと思うのでありました。・・・続きはまた来週のココロだぁ!(ここでいつものエンディングBGMをどうぞ:笑)小沢昭一先生、すいません!

2012年5月25日 (金)

2012年、GWにフラっとドライブ(その15:浜松のスズキ本社歴史館探訪記⑦)

 あちょー!気が付けば今日はもう5月も25日、このブログもそろそろ「旅行篇」から「脱却」しないとね(笑)。でも、ここのところ「ネタ切れの恐怖」からは解放されているので、ワタシの気持ちは結構サワヤカなんですけどね。「スズキ篇(を含む旅行篇も)」、今日で完結させますから、もうちょっとガマンしてくださいな。初めにいっときますが、今日のはつまんないよぉー(笑泣)。・・・いわば、本レポートの「落ち穂拾い篇」というわけですからね。

 ちなみに、昨日のコメント欄「上京FMt」さんからの「アサヒビール仕様のキャリイ、いいですね。キリンやサッポロも同じようなことやってたんでしょうか。」という問いを、そのまま「ブックガレージ」高橋君にブツけましたところ「色々とこういう仕様のカタログは存在するよー」とのコトでした。ビールメーカーに限らず色んな業種にやっぱり自動車各社が絡んでいた模様です。

20120523012012052302 さて、今日の初めは「アルト 47万円」です。このモデルは、1970年代の終わり頃に一時期傾きかけていたスズキの軽四輪事業を一気に救った救世主として、スズキ的にはとても深い思い入れがあるらしく、この歴史館内では、以後のどの車種よりも大きな扱いでワンブース設けてありました。云わば「スズキ軽四輪の中興の祖」というわけであります。また、同業他社をも巻き込んで80年代を席捲した「軽ボンバンブーム」の火付け役でもあり、スズキが一気に窮地から脱し、現在の世界市場で重要なポストを担うメーカーに成長するキッカケになったという意味でも、世界自動車史的に重要な存在でありましょう。

20120523032012052304 ・・・改めて、現在の視点で見直しましても、すべての造形が潔いですね。「これでいいのだ」のココロと申しましょうか、良い意味での「居直り感」がこのクルマのキモです。当時の常識を遥かに超えて安い、「47万円」という挑戦的な価格を実現するために、とにかく「(コレ以上、コストを削るところがないん)だったら、エンジンも取れ!」くらいの勢いで開発したと、このブースでの開発ドキュメント映像内では語っておりました。まあ、エンジンは取っちゃイカんだろうと思いますが(笑)。その後30年経ったらインド市場でのスズキは「タタモーターズ」から同じこと(超格安大衆車販売戦略)ヤラれてますけど、今度はタイヤも取らないとイケないかもしれません(笑)。安物買いの銭失いという言葉もあります。「投げ売り」商品には節度をもって接しましょう、ね。

20120523052012052306 さてさて、アルトは安かったけど、シンプルで故障が少ない上、アフターサービスがしっかりとしていたところが良かったわけですが、同じ時代に他の商品がどんな価格であったかを示す現物展示ボードがコレです。

 あー、「ポパイ」誌¥230ですか。懐かしいですね。いまやテレビはまったくカタチが変ってしまいましたね。耐久消費財に「たましひ」が籠っていたアノ頃・・・。

20120523132012052314 アルトも初代は気骨を感じさせるモノでしたが、やはり2代目からは、ストライクゾーンの広さを任ずるワタシですら「なげやりな気持ち」になるような(笑)「商売っ気」ばかりが目立つクルマになり果ててしまいました。

 「雨音はショパンの調べ」が大ヒットして、この時代の「いいオンナ」の代名詞になっていた「小林麻美」さんをCMに起用していたしがらみで、こんな特別仕様を作ってしまいました。あーあ。

20120523072012052308 今度は「2代目ジムニー」であります。ワタシが昔持ってたのがこのモデルそのもの。

 もっとも、色は黄色いのだったんですけどね。幌を全部取っぱずして、フロントウインドーを前方に「ぱったん」すれば、救いようも無い(あ、いや、譬えようも無いか:笑)、爽快感が味わえたモノです。このカタチになっても最初のは2サイクルエンジンだったんですよー。雪道でもしっかりと大地を踏みしめて走ります。

20120523092012052310 はい、左のは「スズキのマー坊と呼んでくれ!」のCMで話題となりました「マイティーボーイ」ですね。すっかり魅力の乏しくなった(笑泣)2代目セルボの変形亜種といった感じのクルマ。強引に後半部をチョップしてピックアップにした上で、ヨコから見ると「ファストバッククーペ」に見せるようなガーニッシュが付いています。このあたりは「マセラティメラク」をデザインしたジウジアーロ先生からお知恵を拝借したという可能性もある様な・・・やっぱり無い様な(最近コレばっかし:笑)。右の写真は「3代目セルボ」なんですが、このあたりになるとワタシの興味からはかなりハズれていますので、解説も不可能となります(笑)。

20120523112012052312 「カプチーノ」。ワタシにとっては「カスって」通り過ぎたクルマ。

 フロンテクーペが一度目のエンジン焼損になった時、練馬のスズキ直営ディーラーにフルオーバーホールを頼んでおりまして、4カ月間通いつめたコトがあります。ちょうどそんな時、モーターショーに行ったらスズキブースに「RS-1(っていう名前だったと思う)」と称するミッドシップスポーツカーが展示されており、それを見たワタシは「これこそ現代の和製アバルトである」と結論し、市販されたら必ず買おうと思っておりました。搭載エンジンは確か「初代カルタス」用の1000CC三気筒をチューニングしたものであったと記憶しております。で、通ってたディーラーの工場長さんにしつこく聞いたら「もうすぐ発売するらしい」との事。指折り数えて待ってたら、結局出たのがこの軽自動車、カプチーノであったのです。ミッドシップはミッドシップでもこいつはフロントミッドシップ。無理に軽自動車の枠に入れてしまったのでデザイン的にも「チョロQ」っぽい。ヘッドライト周りやノーズの感じだけはショーで見たクルマのイメージがちょっとだけ残ってるんだけどな・・・。

20120523152012052316 えー、このへんになってまりますと、御存じの様にワタシの視界からは30億光年くらい離れてしまうタイプのクルマですので、老眼がヒドくなった現在ではいよいよ見えません。

 で、当然素通りだったのですが、あとから一瞥するとボンネットになにやらサインがあります。「エルトン・ジョン」モデル(ドイツでの限定車)ということで御本人直筆であるという。・・・ただそんだけなんですけどね(笑)。

20120523172012052318 「オレ・タチ・カルタス」だって!あー、こそばゆ(笑)!80年代のGM世界戦略車も日本ではこんな売られ方だもんな。

 あれ?ワタシ、なんかなげやりになってます?ああ、この80年代以降コーナーはツラいわ。一応カルタスはスズキが初めて「軽」を脱却し本格的に小型乗用車を量産した記念すべきモデルでありますからここに載せておきました。想えば先日御紹介したフロンテ800以来の「小型車」です。・・・ただそんだけなんですけどね(再び:笑)。

20120523192012052320 「コークボトルライン」時代のフロンテエンジンです。これはちょっと見ごたえがありますので、ワタシ的には本日の一押しです。

 なんか、ものすごく「レーシー」なモノを感じさせてくれるアルミの造形美です。三連キャブの吸気音が聞こえてきそうですね。フィンの寝かせ具合などもいい按配です。部屋に飾ってみたい、邪魔だけど(笑)。

20120523312012052332 「チョイノリ」がわざわざブースになってたのにはちょっと驚きました。「初代アルト」といい、スズキは超廉価モデルを作るとイバる傾向があります(笑)。

 そんなのがあるかと思うと、グランプリレーサーの本物があったりして、本当にここは間口が広いミュージアムですね。

20120523332012052334 それは、スズキというメーカーの持つ「独特の存在感」から来るものなのかも知れません。同じ時代にここまで違うテイストの製品を造り出すクリエイト能力は相当な実力です。

 なにか、四輪の世界でもフラッグシップモデルを造ってくれないかなー、いい仕事しそうなんだけど。二、三日前にニュースでやってたけど、「マツダ」は「フィアット」と業務提携して、広島の本社工場でアルファロメオのバッジが付いた「ロードスター」を造ることに決定したそうです。んじゃ、広島製の「アルファスパイダー」とかが売り出されるわけ?こうなりゃ「スズキ」さんも何か一発お願いしますよ、応援はしますから(ガンバレー、ガンバレーって呟くだけだけど)。

20120523352012052336 現代のスズキ二輪車を代表するフラッグシップモデル「隼(GSX1300R)」であります。コレに高速道路上で初めて追い越された時にはどギモを抜かれましたよ。そして一瞬にして「点」に。

 「パワーフリー」や「ダイヤモンドフリー」の時代から50年掛かってここまでやってきたというわけですね。スピードメータースケールは350Km/h!ストック状態で叩きだした実測312Km/hは当時ギネスに載ったそうです。300Km/hで巡航できるオートバイって、ちょっと「オー、モーレツ!(笑)」過ぎますよね。

20120523412012052342_2 三階フロアの端には静岡県内の産業振興を目的としたブースがありました。

まずは、静岡県の「偉人さん」コーナー。それぞれの画像を拡大してご覧になってみてください。

 スズキ創業者はもちろんのこと、ヤマハ創業者もホンダ創業者(宗一郎さん)もすべて漏らさず顕彰しているところが粋ですね。

20120523432012052344 並んでる順番の序列がちょっとダケ気になりましたが、生誕順なのかな。

 楽器にオートバイにテレビジョン、そしてクルマ。ホントはここに「プラスティックモデル」も混ぜて頂きたいと思います(笑)が、静岡県由来のメーカーは、本当に世界に通用する品物を多数輩出してきていますね。あらためて「遠州人万歳!」であります。

20120523452012052346 ここ浜松市高塚のごく近所には「航空自衛隊浜松基地」があります。ここはそこからの出展ブース。

 朝、ビジホを出てこの歴史館に来るまでの間にその脇を走ってまいりました。

 「お約束」のフライトシュミレーターに挑戦・・・あっけなく撃沈(というか、墜落:笑)。戦闘機の操作は難しい。

2012052347_22012052348 昂奮のるつぼと化した2時間の見学を終えて、歴史館のそとに出てまいりました。あいにくの雨です。しばらくはコペンもクローズトップでまいりましょう。

 スズキの総本山にダイハツ車で乗りつけるのも如何なモノかと思いましたが、記念館駐車場には守衛さんなどが居るわけでもありませんので、他社製品の方(クルマもオートバイも)は安心していいですよ(笑)。もっとも、ワタシ、バンディッド250(超初期型)とマメタン持ってるから、二輪の方では今じゃ立派なスズキユーザーですけど(キリリ!)。

・・・AM11:10、いざ千葉へと向かわん!

20120523492012052350 で、とにかく「した道」に拘って、ナビが命ずるままに国道一号線を東上いたします。

 特にコレといった渋滞も無いんですが、一向に静岡県を抜けられません。

 静岡市内のメイン市街地を抜けたあたりでようやく昼食(びっくりドンキー:笑)を採りましたが、時計を見ると時間は15:00。4時間走って100キロほどなの?さっきの「GSXハヤブサ」なら4時間走れば青森行けるぞ(笑)。

20120523512012052352 まだまだ道のりは長い。ナビは御殿場を目指せと云う。「246」ですか。いつもは箱根経由だけど、今日は気分を変えてそれでイッてみるか・・・。

 ・・・一抹の不安はあっけなく的中し、厚木の遥か手前からは、夕方の渋滞タイムの上にゲリラ豪雨も重なり、もはや、どーにも、こ-にも(泣笑)。ナビのばか。

20120523532012052354 ・・・で、結局ガマンも限界を超え、一気に息止めて夜の高速道路を走りまくりました。

 おー、はやい、はやい!

 なんか、いつもこんな感じですね、最後は(笑)。だったら、明るいうちに静岡県内を「ピュー」って走ればよさそうなモンなんですが、それが出来ないのが悲しいサダメなんですよねー。ともあれ、5月1日(火)PM20:13に千葉大網の我が家に無事到着いたしました。土曜日の夜に練馬を出て、この時間に家に着きましたので「まる三日と一時間」の旅であったというコトになります。ですからワタシの気分の中では「三泊三日」という感じですよね。皆さんもそのネタに15日間もお付き合いしてくださったコトになります。毎日お疲れのところ本当に有難うございました!

 それでは、また明日(書くネタは残ってるのか、オレ:笑)。

2012年5月24日 (木)

2012年、GWにフラっとドライブ(その14:浜松のスズキ本社歴史館探訪記⑥)

 はい、「ぐっど・いぶにんぐ(笑)」であります。今日も5月1日(火)AM10:50くらいのスズキ歴史館から「録画中継」でお送りいたしておりますよ。はじめの構想では、このGW旅行記シリーズもこんなに長くなる予定ぢゃなかったんですけどね。気が付けば本日で14回目・・・まあ、あと少しですから、なんとか付いてきてくださいな。今日はちょっと短めに・・・

20120523212012052322 ・・・この可愛らしい軽トラは「スズライトキャリィ」なんですが、アサヒビールのマーキングが体中に施された「お酒屋さん用」仕立てのものです。

 近頃では、街の中から小さな商店群が姿を消していってしまい、その一方で台頭してきた大店舗を構える専業店ではこういった「企業モノ」マーキングをキチンとヤラなくなってしまいました。コストの事ばかり考えて、商品に込める夢がありません。ムカシは特に街の電器屋さんなど、メーカーからの「チェーンストア」化要求の流れもあり、それぞれのメーカーが定めた独自のカラーリングで配達用車や作業用車をこうしてメーカー仕様にわざわざ仕立てていたものです。だから却って今よりも街の中がカラフルだったようにも思います。それにしても「お酒屋さん業界」には、このようなモデルがあったのですね。ツートンカラーが上品にキマっております。酒屋さんからこんな可愛いトラックで運ばれて来るとなると、ビールも一層ウマそうに見えるというモンです。

20120523232012052324

 で、このような専用のカタログまでちゃんと用意されていたのですから、スゴイですね。ビール屋さんと、自動車屋さんが、今様の言葉でいえば「コラボ」していたというわけです。20120523252012052326

 裏表紙には二社の名前が仲良く並んでいるので、それと知るコトができます。

 なんか、こういうの自分の家のガレージに置いてみたいなぁ(あほ?:笑)。正面を子細に見ると、なんだか最近の「ラパン」あたりに通底するデザインモチーフを感じます。あえてボンネットのある軽トラックを、これから造ってくれる酔狂なメーカーはもはやどこにも無いんだろうけれど、ワタシはこういうのも「アリ」だと思うんだけどな。

20120523272012052328 ・・・そして見てください、思わず「ニマー」っとした顔になってしまう、この緊張感皆無な消防車を(笑)。

 こんなの、ホントにどこか納入実績があるのかなぁ。実用的に考えれば路地ばかりの住宅密集地帯などでは、それなりに活躍出来そうな・・・やっぱり出来無さそうな(笑泣)。

 右の写真は「ジウジアーロキャリィ」の三方開トラックバージョン。ムカシ(今もあるのか?)、ベスパスクーターのメーカーとして有名な、イタリアの「ピアジオ社」からこれにフォルムが似ている「原付(50CC)3輪トラック」というのが出ていたようにも思います。どことなくコレを見るたびに「江戸むらさき 特級(懐かしいCM:音出ます注意)」のビンを思い出してしまうのは、ワタシだけだと思います(きっと、お分かり頂けないとは思いますが:泣笑)。

20120523292012052330 実は、本日ここまで御紹介したコーナーは「スズライトキャリィ劇場」と題したブースであります。

 前述「アサヒビールキャリィ実車」の背景にはパノラマ大画面が設置してあり、3D:SFXを駆使して再現された昭和中期の浜松市内の様子を、とあるビール配達中の酒屋さんの視点を通じて見ていくコトが出来るという、たいへん良く出来た施設です。「Always三丁目の夕日 浜松篇」といった趣きですね。地元の方には、簡単な今昔対照地図も用意してありましたので、現在の都市化した浜松の様子と比較してご覧になると、より一層面白かろうと思います。

20120523372012052338_3 ここスズキ歴史館では、商用車の展示にもぬかりはありません。

 このタイプが、さっき「消防車」になってたヤツかな、「キャリィ」の名を持つモデルとしては最初のヤツだと思います。ムカシの軽トラックは色もヨーロピアンしてて可愛らしいですよね。今ではもっぱら白か灰銀(泣)。なんといっても「善人ヅラ」なところがいいです。スズキは現行車でも、他に比較して目がキツくないクルマが多い様にも思います。

20120523392012052340_2 さっきの「アサヒビール仕様」が2代目だとすると・・・コレは3代目になるのかな、と思って、「国産旧車のブリタニカ大辞典」の異名を持つ我が師匠「ブックガレージ」高橋店長に電話で照会したところ、「それでいいんぢゃない(OKという意味)」だそうです。

 その時ついでに得た情報では、この三代目キャリィは一部マニア筋の間では「ドロンパ(オバQに出てくる、アメリカ帰りのオバケ)」と呼ばれているそうであります。んー、なんとなくわかるような・・・わからないような。さらに、昨日御紹介した四代目「ジウジアーロルック」はデザイン優先しすぎで、商用バンなのにシートが倒せないなどの致命的な弱点のためにその商品寿命が短命に終わったそうです。色々とベンキョーになるなあ(生きて行くのにはまったく役立たないケド:笑泣)。

 それでは、また明日!たぶん「スズキ篇の最終回」やります。

2012年5月23日 (水)

2012年、GWにフラっとドライブ(その13:浜松のスズキ本社歴史館探訪記⑤)

 ここのところの東京練馬は比較的過ごしやすい陽気に恵まれておりまして、「コレは有難いコトである」と思っておったのですが、昨日は雨だわ寒いわでスッカリ体調を崩された方もいらっしゃるのではと思います。皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。

 ところで、「マセラティに関する情報収集のため」に当ブログに辿りついたお客さんには大変申し訳ありませんが、左側にあります「ビトルボ関連ネタ」とか、「ガンディーニのクアトロポルテ」とか書いてあるスイッチを押して頂きますと、「そっち方面のハナシ」ばかりが出て(いや、ソレもそーでは無いような気がする:笑)まいりますのでぜひ御活用ください。ワタシの無駄バナシを読んでもイイよと云う方は、本日もこのままどうぞ。

 ・・・まだ、5月1日(火)の午前10:20ってところから(ホントこれ、いつまで続くんだろ:笑泣)。

20120522332012052234_3 はい!こちらの「どっちに走って行くか」皆目分からないという形状の商用バンは「キャリィ」でありますが、コレが先般のコメント欄で「Ryo」さんから示唆のあったモデルです。

 ジウジアーロのデザイン画から生まれたダケあって、直線基調で構成された独創的フォルムは単なる商用バンにしておくには勿体ないほどユニークで、やはりクルマ好きの心をくすぐります。この展示車は1970年の大阪万博(EXPO’70)会場内のコミューターとして使用された「電気自動車仕様」です。サイドのストライプとロゴマーキングを除けば通常のキャリィと見た目は変りません。

20120522352012052236_3 じゃーん!ついに出てまいりました。ワタシが20才で免許を取得して最初に手に入れたのがコレ。このブログでも頻繁に登場しますが(笑)。

 「スズキフロンテクーペ」であります。色もこの展示車とおんなじ「コンチネンタルマルーン」でありましたので、その懐かしさも、またひとしおです。

 コレがあまりにもヘンで、血沸き肉踊るマシンであったためにワタシのその後の人生は決定付けられてしまったといっても過言ではありません(で、なんでソレがマセラティになっちゃったのかという疑問もありますが:笑)。

2012052237_22012052238_2 なぜか軽自動車の展示コーナー内でも、ひとり「お立ち台」に載せられておりましたので、スズキ的にも自社の傑作製品と認めてくれているのですね、あー良かった。

 オドメーターを見るとたったの「21キロ!」本物の新車デッドストックなんですね。エンジンとか時々掛けてやってるのかなー。それにしてもココは総本山だから、ある意味あたりまえだけど、文化遺産級にオリジナル状態を保っております。イジられちゃってる個体しかいまや出回らないからなあー。

20120522392012052242 低いノーズの中はラゲッジスペース。グリルはダミーかと思うとちゃんとラジエターとサブラジエターが前方にあるんです。水冷リアエンジンの「アルピーヌ系ルノー」でも悩ましい、「冷却水路が長いために水路内のエアを完全に抜きにくい」というサービス上の欠点がこの水冷フロンテエンジンにも同じようにありました。ワタシも当時2回エンジン焼きましたから(大泣)。床下まで覗いてみると・・・結構バッチイ(笑)。あー、ここもキレイに磨いてやりたいな。

20120522472012052248_2 続いて、後ろ姿は「フロンテクーペ」になんだか似てるけど、顔を見るとやっぱり別人ですな、というこのクルマ、初代「セルボ」であります。

 その後も「セルボ」の名は、スズキのちょっと小洒落た軽自動車の名前として残っていきますが、やはり源流をフロンテクーペに持つ(ボディも、2ストエンジンも)だけあって、初代ダケはクセが強いです。

 ジウジアーロのデザインスケッチを基にスズキの社内デザイナーが、強く寝かせたフロントウインドー傾斜角という特徴以外はほとんど原型を留めないほどにモディファイした結果生まれた「フロンテクーペ」のボディを、当時拡大された新しい軽自動車規格に合わせて100mmワイドな全幅に改変したというのが、この「初代セルボ」の成り立ちです。

 どういうわけかコレ、女性ターゲットで発売したらしいので、仮に若い女の子が買ってたら、目をシロクロさせたコトでしょう。トレッドが広がったことにより、低く地を這うようなフォルムはさらに強調され、いよいよ抜群のコーナーリング性能を得ましたが、時代の趨勢で残念ながらもはや「カリカリチューニング」のマシンではなく、総排気量が360CCから550CCまでアップしたにも関わらず、最高出力は最強版フロンテから8馬力もダウンしたので、スペックだけ見るとちょっとガッカリです。でも実際にワタシのフロンテクーペに感化されたヤツが当時コレを買ったので、さっそく乗り比べてみると、低速トルクの太さで街乗りでは遥かに扱いやすく、あまつさえ純正オプションのクーラーをブンブン回していてもヘコたれないという、ある意味理想的なシティラナバウトになってました。

20120522432012052244_2 ・・・やってまいりました。世界最強のコストパフォーマンスと実性能を誇る「名オフローダー」であると折に触れてワタシが力説してまいりました「ジムニー」の最初期型です。

 仮面ライダーでも(また出たか!)、「おやっさん」こと立花藤兵衛がコレを悪路に於ける足にしておりましたね。黄色いジムニーの回りを取り囲む、多数のショッカー戦闘員たちの「黒塗りハスラー」というアクションシーンがたびたび出てきたように思います。モデルチェンジのライフスパンが長いクルマはどれもそうですけれど、他の諸々については最終型の方が性能面や品質面で優れたモノになっていったケースが多いものですが、ことデザイン面に関して云えば「原初の姿」に勝るモノは無いという場合がほとんどですね。

20120522452012052246 初代ジムニーも後期になると、ノーズスリットがヨコからタテに変ってしまいます。なんか、ウイリス系ジープのスケールダウン版に堕してますよね。

 まあそれでも、このスケール感は素晴らしい。荷台後部の補助椅子など、一度「ムリヤリ乗せられて」ヒドい目に逢ってみたい(笑)と思わずにはおれません。ジムニーも、いまやこういったオリジナル形態を保っている残存個体は極めて少ないので、コレもこの歴史館ならではの展示車と云えるでしょう。

20120522492012052250 これは、1970年代のスタンダードボディ「フロンテ71」です。俗に「スティングレイルック」と称します。

 やはり当時流行の直線基調デザインですが、昨日御紹介した「コークボトルライン」に比べますと、存在感が薄まってしまったように思えてなりません。1970年代を通して、軽自動車のデザイントレンドは全社おしなべて「本来より大きく立派なクルマのための造形をムリヤリ軽の枠内に押し込んだ」様なモノが多くて、ワタシも若い頃は、1970年代ってデザインの暗黒時代っぽい感じがするなと思ってました。

 でも、今になって思うと、ソレらに特有の「時代の仇花」っぽさがイイ味だしてたりするんだよなー。初代スバルレックスとか、三菱ミニカスキッパーとか、ダイハツフェローマックスとか。ああ、何もかも皆懐かしい(トシをとるとなんつーかこう、涙腺がユルむ:涙笑)。

20120522572012052258_2 そのようなデザイントレンドの変化をスズキ商用車の変遷の中に垣間見てまいりましょう。

 「スズライト」時代の1960年代中盤では、ただひたすらオフィスのスチール家具の如くに真面目で実直なデザインです。どこにも遊びはありませんが(とは云うものの、テールゲート周りのプレスによる造形などは見事としか云いようがありません)、その実直さが却って現代の目で見ると輝いているように思えてきますね。

20120522552012052256 で、1960年代後半から70年代初頭になってくると、「アヤシゲな」デザインテイストが入り込んできたりします。

 口では表現しにくいのですが、全体的なデザインテーマと各所個別の意匠がマッチしていないので、何がヤリたいのかがハッキリと見えなくなってしまい、とにかく「チグハグ」な印象です。ですから、当時の子供の目で見てもコノあたりは「カッチョ悪りぃー」と思ってましたもん(当時、近所の都営住宅に住むジーちゃんが乗ってたのを見ての率直な感想:笑)。しかしながら、この「東欧圏テイスト」とでも名付けたい独特のアンバランスな感じは、今見るとドキッとするほど魅力的に映ります。

20120522512012052252 で、このあたりが1970年代中期から遠くに80年代を見据えたという感じの造型。まだまだ細かいところを見ると装飾過多気味ではありますが、全体的な意匠はかなりスッキりと整頓されてきた印象を受けます。

 コレは「フロンテハッチ」と名付けられた、メインストリームの商用車からは若干ハズれたラインの製品。当時は商用車とも乗用車ともつかないビミョーな存在感が受け入れられなかったモノでしたが。

20120522532012052254 各部のロゴ意匠は、70年代しててイイ感じですね。

 一応、商用車登録ではありますが、後に「軽ボンバン(4ナンバー登録車)」を日常の奥様の足にするのが普通の出来事となる、そのきっかけをつくった「革命的」商品「スズキアルト」の精神的先祖(商用車を乗用車として常時使用するという意味で)にあたるのはこのあたりかと思います。

 続きはまた明日!

2012年5月22日 (火)

2012年、GWにフラっとドライブ(その12:浜松のスズキ本社歴史館探訪記④)

 あー、おばんです(笑)。今日の東京はとっても寒くて、一応長袖は二重に着ていったのですが、ぜんぜん太刀打ちできずに途中で一旦アパートに。「ヒートテックのズボン下、出してよー」と頼んだら、「もう仕舞っちゃった!」だって(そりゃ、そーだよねー:泣)。明日は28℃になるそうです。どーなってるの?この気候。

 はじめに云っときますけど、今日も「タイヤとエンジンが付いてるヨ」というところ以外はマセラティとはまったく関係ないハナシばかりでお送りする覚悟でございますが、一応、いよいよ「四輪」のハナシにはなってまいりますのでユルしてください。では、まいりましょう・・・

20120522012012052202 歴史館の3階フロアには随所に「懐かしのテレビコマーシャル映像」を流しているモニター画面があり、コレもヒト巡りするのにそれなり長尺なので、そのすべての観賞には結構時間が掛かります。

20120522032012052204 

 初めにご紹介する映像は、昨日もおハナシした「スズキワークスグランプリレーサー」の世界的な活躍を自ら誇示するといった趣向のCM。

 ゼッケン8番の「RM63」は、1963年のマン島TTレースで見事日本人初優勝に輝いた「伊藤光夫さん」の雄姿。画面にもあるように、このシーズンは125CC部門も、二輪世界選手権のコンストラクターズチャンピオンに輝いたのはスズキでありました。

20120522052012052206 そうかと思うと「軽自動車」の方も、一生懸命に宣伝せにゃならんので、スズキの場合にはあれこれと忙しい(笑)。

 そこで「スズライトフロンテ」の製造工程をたっぷりと見せる内容の当時の企業CMがコレ。 

 20120522072012052208

 この「スズキ歴史館」の目の前に位置する「本社高塚工場」と思しき工場の門からは、続々と待ち侘びる全国の顧客に向けて軽自動車と二輪が走り出てまいります。「VIVA!高度経済成長!!」という感じが、なんとも勢いのあるコノ画面の雰囲気からも伝わってまいりますね。

20120522092012052210 「どう考えても、やっぱりやらなきゃいかん!」というのは、スズキが自動織機メーカーから自動車メーカーへの脱皮をハカる時に社長が散々逡巡した挙句に発したコトバだそうです。

 ワタシなどの凡人には、まだまだ繊維産業も盛んで工業用自動織機メーカーとしては順風満帆であったハズの昭和20年代に、「どう考えると」技術的にはまだまだ未知の自動車に賭けてみようと思えるのか、という方がよっぽど不思議なのですが(どう考えても、やっぱりわからん:笑)。

20120522112012052212 果せるかな、その後の国内繊維業界は年々凋落の一途を辿るばかりで、平成の今ではほとんど壊滅状態を呈しております。大成功をおさめるようなヒトは60年も先が見通せるのですね。

 ともあれ、このブース、題して「スズライト物語」は、自動車メーカーの曙の様子を立体的な「動く実物ジオラマ」によりビビッドに再現するという、スグレ物の施設です。ヨメさんは「カジリつき」で見てましたが、ワタシは他の写真撮影に忙しくて(笑泣)、最初から終わりまでを通しでみるコトが出来ませんでした。今度行ったら、キチンと勉強してきますです、ハイ。「結構、面白かったヨ」とは「たこちゃんヨメ」の談。

20120522132012052214 スズキの場合は、昭和20年代当時に自社で四輪自動車を開発するにあたって、他の多くのメーカーがそうしたような「海外有名メーカー」との提携には走りませんでした。コレも気骨があると云うのか、自信があると云うのか、たいしたモノではあります。しかしながら、昭和も30年代半ばとなりますと、富士重工の名車「スバル360」がそれまでの「バブルカー」然とした軽自動車とはかけ離れた驚異的な品質感と高性能を引っ提げて出現し、ソレに対抗するにはより一層本格的な「軽自動車」を造り出す必要に迫られます。

20120522172012052218 で、誰が何と云おうとも「ミニ」を初めとする、アレック・イシゴニス設計のADO15系に似てしまった(笑)というところが御愛嬌のスズライト(フロンテ)であります。範としたクルマが優秀なデザインですから、このクルマも初代スズライトに比べますと数段完成度が高く見えますよね。特にマイナーチェンジを繰り返す度に、いよいよ「本家に似てきてしまう」といったデザインの変遷も面白いところです。

20120522192012052220 当時のコマーシャル映像。やっぱ、どう見てもコレは「ミニ」ではないですか(笑)。

 しかしながら、コレは紛れも無く2サイクル360CCのフロンテなのであります。考えようによっちゃ、ミニのカタチのまんまで、アレよりも一層小さくなってて、それが「ぷいーん!」とか云いながら白煙モクモクと走っているさまは想像するだけでも楽しくなりますね。こうなったら、走ってるところを一度見てみたいわあ。

20120522212012052222 室内の方はさすがにセンターメーターではありませんが、本家に輪を掛けて質素なものです。

 こういうクルマ見るといつも思うけど、なんとか少しでも立派に見せようという邪念が一切無いから、却って清潔感というか、ある種の潔さからくるカッチョ良さがあるというのが、ムカシの国産大衆車に共通する美点ですね。スッキリとしていてオシャレ。当時のカタログも天然色のものが多くて、オートバイのそれに比べるとやはりコストが掛かっているコトが伺い知れます。

20120522252012052226_3 昭和も40年代初頭には、スズキも一旦軽自動車からの脱却を目論んでいたようです。

 この時代には、国産では「三菱コルト800」とか「スバル450(360のデザインのままで排気量をアップしたモノ)」など、少数ながら2サイクルエンジンの「小型自動車」が存在しておりました。この「フロンテ800」は2サイクルエンジン搭載の小粋な2ドアクーペ。このお洒落なクーペが白煙を巻きながら走るというのも、ちょっとオツなものですね。

20120522232012052224 この愛らしいお顔のクルマは「スズライト」の冠が取れた初めての「フロンテ」です。このモデルから以後しばらくの間は、それまでの「フロントエンジン・フロントドライブ」から、「フロンテ」の名前に全くそぐわない(笑)「リアエンジン・リアドライブ」のレイアウトに宗旨替えしてしまっています。この初代「RR」モデルは、俗に「コークボトルライン(コカコーラのビンのシェイプ)」と呼ばれ、現在でも愛好家から珍重されています。

2012052227_22012052228_3 そんな可愛らしいフロンテも60年代後半に巻き起こった「軽自動車馬力競争」にはいやおう無く巻き込まれて行きます。

 すべての軽自動車製造メーカーは「カタログ上の最高性能」をただひたすらに競い合い、実用性には乏しい「ピーキーな」出力特性のハイチューニングエンジンを持つモデルをフラッグシップモデルとしてラインナップするようになって行きました。

2012052229_22012052230_2 このフロンテは、その高速巡航性能をプロモーションするために「ミラノ→ローマ→ナポリ」を「アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽の道)」というイタリアの速度無制限道路上で駆け抜け、その驚嘆すべき性能を誇示(音出ます、御注意を)いたしました。2台のフロンテを託されたドライバーは、マセラティ250Fを駆ってマセラティ社を悲願のF1コンストラクチャーズチャンピオンにつけた立役者の一人、かの「スターリング・モス」先生と、前述のマン島50CC王者である二輪の盟主「伊藤光夫」さんの豪華カップリング。

20120522322012052231_2 「モス」先生は、当時実際にこの「フロンテSS」を走らせてどのような感想をお持ちだったのでしょうね。

 ともあれ、ボンネットに残るサインとともに、いつまでも保存して頂きたい自動車界の歴史遺産でありましょう。

 フロンテの横でポーズを取る壮年期のモス先生、とてもダンディーです。

 あー、ワタシも一度は「太陽の道」というのをマセラティやフェラーリで思いっきり謳歌してみたいものではありますなぁー。

 それでは、また明日!

2012年5月21日 (月)

2012年、GWにフラっとドライブ(その11:浜松のスズキ本社歴史館探訪記③)

 はろー!だぁーりん(旧る!)。毎日読んでいる方のアタマをぐるぐるとさせるコーナーがまたまたヤッてまいりました。今朝は、実に170年ぶりの天体ショー「金環日蝕」で大騒ぎでしたね。ワタシの住む土支田のアパートは窓が東向きなので、朝の観察にはおあつらえ向き。一番佳境に入る午前7時半あたりでは、絶好の曇り空となり、フィルターを用いぬ肉眼でもハッキリ捉えるコトが出来ましたし、写真撮影にも成功しました。このネタはまた次の機会に。はっきり云って、今日のブログは「クソ長い(笑)」です。何日かに分けてユックリとお楽しみください。

20120521012012052102 ・・・というわけで、こちら「スズキ歴史館探訪」の方は、いまだ5月1日(火)AM9:30くらいのハナシをやっておりますが・・・

 「たこちゃんズ」は三階フロアで釘付け状態になっております。実は、この三階にあがったところから暫くの間は、戦前の「鈴木式自動織機」関連の実機がオニのように立ち並ぶ展示コーナーなのです。通常ですと、ここだけでも十二分に機械マニアの心を鷲掴みにさせるスポットであると力説できるのですが、しかるに、一旦その奥に進みますと「ワッパが付いてる工業製品」ばかりの展示になってまいりますので、当然そちらの魅力には負けてしまうのであります。ともあれ、ここも次回再訪時にはしっかり見直そうとは思っておりますよ。

20120521032012052104 ・・・で、ワッパ付きの続き(笑)。

 解説ボードのノッケから「世界一速い・・・」とはじまりますと、そのインパクトは絶大ですね。よくよく読むと250CC級でのハナシ、というコトがわかりますが。ともあれ、後述する「RG250γ(ガンマ)」の元祖がこのあたりというコトになるのでしょうか。一見して250CC級には見えない重厚さが見るヒトの心を捉えるコトでありましょうね。

20120521052012052106 「しぇまるぅーしょっかぁー。ぅじごくのぐぅぅんんーだぁぁん・・・(子門真人先生の声で)」初代仮面ライダー1号の乗車する一番最初のサイクロン号、その原型車がコレの姉妹車「T200」と云われております。それが「特撮ヲタク」の間で有名になったため、結構知っているヒトが多くなってしまいました。そちらの方は現在強プレミア品目です。ここ歴史館にすらありません。俳優の京本政樹さんがホントにソレをベースにしたサイクロンレプリカを本物そっくりに造らせてしまったのは有名なハナシです。

 ああ、肝心のこちら「T500」の方なんですが、流石は当時のトップモデルだけあって重量感炸裂、まさに「鉄の馬」といった肉感的フォルムのオトコらしいマシン。2サイクルオイルの白煙とその芳香が良く似合いそうなオートバイです。

20120521072012052108 そして、極めつけの超重量級2サイクルマシンがコレ。カワサキの750SS(マッハ)も強力な2サイクル三気筒エンジンが「ウリ」でしたが、こちらは「水冷」というところもアタックポイント。人呼んで「ウオーターバッファロー:GT750」です。

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 とにかくすべてが大魔王様という感じで立派。「仮面ライダーV3」では、主人公の風見志郎役を演ずる宮内洋先生が、劇中この装備重量230キロものマシン上において走行しながら手ばなしでの変身ポーズを(しかも、吹き替えなしというコトがはっきり分かるヒキのアングルで)キメてくださいました。70年代のライダーと云えば「協力:スズキ自動車」というタイトルテロップが子供心にも印象に残ります。

20120521112012052112 GTの名の通り、グランドツアラーを目指しておりますので、2サイクルエンジン独特の排気音を特殊な消音器で極力抑えてあり、「カワサキSSマッハ軍団」の野蛮極まる(ワタシは大好きだけど:笑)エキゾーストノートと比べると拍子抜けするほど静かなクグモった重低音であったのを記憶しております。ああ、ムカシのマイクロ・デポ所在地(春日町)近所の教習所でも、大型の教習車がコレだったので、「2サイクルで乗りにくい」と大不評であったのも懐かしい。今ではむしろ、そんな教習車で教習されたいくらいだけど。

20120521132012052114 1970年代前半期、スズキは重量級オートバイの世界に於いて、国内有力4銘柄の中では明らかに後塵を拝していました。

 すべては、4サイクル4気筒、ホンダドリームCB750Fourの出現が始まりです。20120521152012052116

 重量級専業であったカワサキは、2サイクルのマッハSSシリーズでやけくそな速さと当時流行のサイケムードをアピールして若者にウケる一方で、メグロに端を発する650RS(W3)では4サイクルバーチカルツインがコンベンショナルなおやじゴコロを掴み、とどめにZ2(ゼッツー:750RS→Z750)では、世界初ツインカムマルチシリンダーの魅力で、王者ホンダにすら差を付け主に北米市場を制覇(輸出仕様はZ1:900RS)。ヤマハも中型はグランプリレーサーの心臓をデチューンした2サイクルの350RX、大型車は650CCではありましたが、4サイクルバーチカルツインのXSシリーズで気を吐いておりました。またトヨタ2000GTやトヨタ7のエンジン開発にも深く関与していたため、オートバイ用の高性能4サイクルエンジン開発ノウハウはすでに充分秘めています。ホンダは云うまでも無く名実ともに小排気量4サイクルエンジンをすでに極めております。

 一方のスズキはこの段階まで原付から小型乗用車にいたるまで、4サイクルエンジンを一切持たずに2サイクルエンジンのみを磨いてきました。そのような中、一足飛びにヴァンケルロータリーエンジンに移行しようとしたのが、この「RE5」です。レシプロ2サイクルエンジンと原則理論的には同様の特質を持つロータリーエンジンでは、小排気量で大きなパワーを得ることが可能な上、さらに静粛性という美点さえもありましたが、いかんせん燃費が過大になってしまうという2サイクルエンジン同様の宿命的な短所がありましたので、第一次オイルショックの影響により、残念ながらこれ一代で潰えてしまいました。

20120521172012052118 些かハナシは前後いたしますが、1960年代には、現在で云うところのオフロード車を、「ストリートスクランブラー」と呼んでおりました。主にアメリカで人気のあった形態です。

 当時の有力オートバイメーカーは主に輸出用として、おおよそスクランブラータイプのマシンをカタログに載せておりました。ここにご紹介するマシンなどはまさにその「スズキ版」、典型的な一台です。

20120521192012052120 オフロード用とは云っても、現代のモノのように荒地走行専用風に特化したものではありません。

 ロード用モデルのマフラーをちょっとアップめに上げ、フロントフェンダーとタイヤのクリアランスを若干広げた上、ブロックタイヤと称する荒地用タイヤを履かせるくらいが外観上の特徴であり、極低速での粘りと踏ん張り感を得るためにドリブンスプロケットの丁数を増やしていました。

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 仔細に眺めますと、隅々まで美しいですね。悪路走行用なのに、汚れの目立つホワイトリボンタイヤをあえて履かせているのは、何か意味があるのかなぁ。でも、すこぶるオシャレ。

 キャンディートーンのボディにクロームメッキが映えてグッドデザインですね。あまり有名なマシンではありませんが、コレには感銘を受けました。

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 はい、先回のコメント欄で「上京FMt」さんからのリクエストもありました、「ウルフ」がコレです。国内では後の時代に「カフェレーサー」という言葉で括られることになるジャンルの嚆矢です。

 小排気量シリーズであるにも関わらず、ヘッドが進行方向にほとんど水平近くまで寝かされた2サイクル並列二気筒エンジンが一大特徴。クロームメッキも美しいアップマフラーはスクランブラー風ですが、ほとんど真一文字の低いハンドルを装備しているにも関わらず、さして後退していないごくごくノーマルなステップ配置により乗員に極端な前傾姿勢(屁っ放り腰:笑)を強いるという按配で、今一つ存在意義が見出せずに発売当時は人気を得るコトが出来ませんでしたが、そのノンジャンル&無国籍な持ち味が旧車マニアに再評価されるに至り、現在では「そのスジ」で高い人気を誇ります。小排気量2ストツインに独特の金属質なエキゾーストノートがとても魅力的です。ちなみに昨日の「コレダ」、そしてこの「ウルフ」、ともに平成の時代になって(もちろん姿かたちは異なりますが)スズキ二輪車のラインナップにそのネーミングが復活しています。

20120521252012052126 1950年代、60年代にスズキ二輪車は大小数々のオートバイ競技で華々しい活躍をいたしましたが、有名な「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース(50cc部門)」での優勝は、戦後では世界初の2サイクルエンジン搭載マシンによるTT勝利ということもあり、スズキの持つ小排気量2サイクルエンジン関連技術への国際的な名声を一気に高めました。

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 ここに展示された、エルンスト・デグナー仕様「RM62」グランプリレーサーはデグナーとともに同年このマン島より4連勝。最終戦アルゼンチンGPでも2位に入り、個人優勝、コンストラクチャーチャンプの両方を獲得したという名機中の名機です。

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 この実車は、非常に状態も良く保存されておりますが、このようなヒストリーの名車を目の前に展示してくれる当ミュージアムの太っ腹さには感謝せずにはおれません。

 この1962年に活躍した「RM62」、TTレース時には8.5PS以上を11,500rpmで発揮していたと云われ、最高速139Km/h・・・50年前の50CCでですヨ!しかるに、世界の強豪メーカーひしめく50CCクラスでの栄光を維持するためにはコレでも飽き足らず「RM単気筒50CCグランプリレーサーシリーズ」は、最終期(とは云っても、わずか2年後)には13.5PS/14000rpm、160Km/hの「RM64」へと究極的進化を遂げ、スズキは1963年、64年もグランプリを連覇、合計3連覇を達成いたしました。

2012052131201205213220120521352012052136_3 そんな国際グランプリレースでの華々しい活躍の一方で、実用車の利便性向上のための開発にも余念がありません。

 ここに立っている、昭和テイスト炸裂のキャラクターは「CCI坊や」と申します。そもそも「スズキCCI」とは何でありましょうか。

 ここに初めに掲げた写真、バイクのサイドカバーには「Suzuki CCI」とありますが、右方にある「○型」の覗き窓、ここがCCI(1970年代からはCCISと呼称:シリンダー・クランクシャフト・インジェクション・システム)オイルの残量確認窓なんです。未装備の旧いモデルにはそれがありません。前述した1965年の「T20」から搭載されはじめた、2サイクルエンジン潤滑のための分離給油システム、それがCCIです。

 当時旧来の2サイクルエンジンでは、あらかじめガソリンタンクに一定比率のエンジン内潤滑油を混ぜ、あとは走行中の振動に伴うタンク内での自然撹拌に期待するだけといった非常に不安定で原始的な方法に内部潤滑を依存していました。このために、しばしば突発的なエンジン内の焼付が発生するとともに、エンジン本体の総合的なライフサイクルも短いもので、高い頻度での実質的なオーバーホール作業が必要でした。また、メスシリンダーやビーカー状のオイル注入具を用いての計量作業を伴う面倒なガソリン注入作業にも、そこにヒトの手を介するので、どうしても計量間違いなどの危険性を伴います。また、白煙吐出(噴射)量も尋常ではありません。

 日本国内で主に2サイクルエンジン搭載製品を製造する二輪メーカー、軽四輪メーカーは、各社1960年代初頭よりこの2サイクルエンジンの根本に関わる問題への解答を次々と提示し、世に問います。ヤマハは「オートルーブ」、スズキは「セルミックス(これが後のCCI→CCIS)」、富士重工は「スバルマチック」、ダイハツは「アミックス」という名称で分離給油システムを開発、発表しています。この分離給油システムの開発競争において明確な回答を示すコトに興味を示さなかった欧州のメーカーは、ここで凋落、脱落していったのです。

 当時の前述した分離給油システムの中で、その嚆矢はヤマハ「オートルーブ」でありましたが、後発だけに最も進歩的で凝ったメカニズムであったのは、スズキCCISであると思います。最小限の潤滑油をシャフト駆動オイルポンプでクランクシャフトホルダーやコンロッドビッグエンドに直接圧送して潤滑、それが終わるとピストンリングやシリンダー内壁に飛び散りなんとなく潤滑(笑)、そして掃気。CCISオイル、ワタシも「ご愛用中(マメタンで)」です。

2012052137_22012052138_3 1960年代に「スクランブラー」と括られていたオフロードタイプの二輪は、1970年代に入ると、「トレール(ヤマハが造った言葉)」「トライアル」「モトクロッサー」などと細分化し、一般公道用と競技用の間に明確な一線が引かれていくようになります。

 スズキはこの時代に「ハスラーシリーズ」を大ヒットさせます。ほとんど競技用モトクロッサーに近い成り立ちを持つ、パワフルな2サイクル単気筒エンジンの公道用デチューンモデルは走破性能の高さと、若々しいデザインで世界中のヤング(死語)の心をつかみました。

 またまたの「ライダーばなし」で申しわけありませんが、このハスラー(特に250)は、再改造後の新1号ライダーと新2号ライダーが乗る「新サイクロン号」、ライダーV3が乗る「ハリケーン」、ライダーマンの「ライダーマンマシン」、Xライダーが乗る「クルーザー」、アマゾンライダーの「ジャングラー」、そしてストロンガーの「カブトロー」に至るまで、昭和のライダーとともに大活躍したものです。もちろん歴代の敵方組織戦闘員の皆さんも、コレでオフロード走行アクションを堪能させてくれました。

 中でも白眉は「V3の初期オープニング」におけるシークエンス。火薬が炸裂して派手にVの字型の噴煙をあげるその前で、ライダーV3がハリケーン(ハスラー)で大ジャンプをキメ、上死点に登りつめた瞬間のストップモーション→タイトルテロップ「仮面ライダーV3」がバーン!と出る、同時に宮内先生の「かめんらいだぁー、ぶいすりゃー!!!」タイトルコール。・・・コレをテレビで初めて見た小学校四年生のワタシは、あまりのカッチョ良さにちょっとチビった(笑)くらいです。

2012052139_22012052140_3 50CCモデルにも名作がたくさんあり、「ミニクロ50」、「マメタン50」など、ちょっとファニーな遊び心を持つマシンたちは70年代のスズキらしいラインナップです。原色を用いたカラフルな単色塗装もこの時代のスズキ小排気量二輪車の特徴ですね。

2012052141_22012052142 ワタシが現在マイクロ・デポ周辺での足として使用している「マメタン君」。この歴史館にも程度の良いモノが保存、展示されておりましたので嬉しい限り。

 1977年時点ではまだまだ「チョッパー」に端を発する「アメリカンモデル(アップハンドルを握り、シートに拠りかかる様に座り、両足を前方に投げだすようなライディングフォームを特徴とするオートバイ)」のメーカー市販車はヤマハXS650スペシャルくらいしか存在せず、小排気量車ではこのマメタンがそのジャンルの草分けだと思います。ですから、この70年代オフロードバイクばかりの列の端っこでは異彩を放ち、ミョーに目立つ存在でした。自分のマメタン君のレストア用資料として各部詳細を撮影しまくりました(笑)。

20120521432012052144_2 ・・・そして、スズキの「変化球」ファニーバイクとしては、超低圧極太タイヤで砂地もグイグイ走れるというのがウリの「バンバン」、コレも忘れ得ぬ存在です。各種排気量でシリーズ化され、比較的長い期間販売されておりましたので、御記憶の方も多いと思います。高校生の頃、「ど○ブ」のヤツは他に乗れるのが無いので、大概コレに乗ってたような気がします(笑)。

 そして、右の写真は「昌子のバイクよぉー!(By:森昌子さん)」のCMで御馴染みだった、スズキのソフトバイク「ユーディーミニ」。80年代初頭に一大ブームを巻き起こした「ソフトバイク」の嚆矢「ホンダロードパル(ラッタッター:Byソフィア・ローレンさん)」や足を揃えて乗れるお上品な「ヤマハパッソル(八千草薫さん)」に比べますと、非力で超低床シートとデカイかごだけが「ウリ」であったマシンではありますが、意外とフレームがシッカリとしており、実際の「お買いもの用バイク」としては、コレが一番すぐれていたのではないかと今にして思います。

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 そして「カタナ」は、この三階フロアにも展示してありました。右の写真は「上京FMt」さんのコメントにもありました「GS650G」です。ともにハンス・ムート作のオブジェ的デザインを特徴としていますが、「通」を自称するヤツは必ず650の方を推してましたね(ワタシの周囲でもすぐに買ったヤツがいて、こちらも当時乗せてもらえました)。

 当時、この二車が海外のショーで発表された記事をバイク雑誌で見た時には、まさかこのまんま発売されるコトは無かろうとみんな思っておりましたが、その推測は嬉しい方向にハズれて、海外デビューこそ先でしたが、遅れて国内発売が開始された時には大きなバイクショップにみんな連れ添って見に行ったモノです。・・・で、国内版カタナ750の「耕運機ハンドル(当時の日本国内では、超前傾姿勢になってしまう低い位置にグリップを配置するセパレート型ハンドルの型式認定が下りなかったのです。よって全体のフォルムを著しく損なうアップハンドルでの発売でした)」を見て、全員「何?コレー」と呻き、ヒックリかえったモノでした(笑)。なんだか、懐かしいなー。

20120521472012052148_2 これまたハナシは若干前後いたしますが、スズキはようやく80年代に入る頃になって、400CC以上の重量級モデルに4サイクルマルチシリンダーエンジンを搭載するようになっていきます。この分野では、かなり遅れての最後発となっておりましたので、ヨーロッパやアメリカの耐久レースには果敢に参戦し、「スズキは4サイクルもちゃんと作れる」という印象を与えるのに成功しました。左はGS750Eで、GSシリーズ原初の姿ではありませんが、定評あるカワサキ「Zシリーズ」の4気筒ツインカムエンジンに範と取ったと思われるコンベンショナルな気筒あたり2バルブエンジンのシリーズです。数年後には気筒あたり4バルブ(合計16バルブ)化したエンジンと、世界に先駆けて「アンチノーズダイブフォーク」を装備した「GSXシリーズ」へと一気に進化を遂げ、重量級の王者カワサキとホンダを慌てさせました。それにしても、ここの展示にすら、「GSXシリーズ各車」が悲しいことにほとんど見当たりません。耐久レーサーレプリカの「GSX-R」はあるんですけどね。「(初代)GSX400E(カブト虫若しくはアルマジロ→現在ではザリとかゴキというそうですが)」とか、初代GSX400Fインパルス(ヘンな段シートと集合管が標準装備→そのまま「族」になれる:笑)、二代目インパルス(ヘッドライトステーが「東京タワー」)など、ハチャメチャかつ個性的なヤツらにお目に掛かることは叶いませんでした。どっかにあったのかなぁー(何しろ時間が限られている上に、展示スペースは広大なモンで)。

20120521492012052150_2 ワタシの青春時代であった80年代って、今から思うとバイク界は百花繚乱という感じだったんですね。

 「ホンダモンキー&ゴリラ」「ヤマハポッケ&フォーゲル」、そしてカワサキ「KV75」への対抗車種がスズキではこの「エポ」というコトになります。当時でも、わざわざコレを買ったヤツは相当マレであったので、ここにある新車状態のモノは本当にレアです。1970年代にはファニーバイク界の雄「ダックスホンダ」の対抗馬として「スズキホッパー」というのがあった(当時モノのプラモを持ってる)ハズなんですが、こちらはもっともっとレアなので、ここで見るコトが出来ませんでした、残念。

20120521512012052152 このあたりの写真見て一発で車種を云いあてられる方々はそーとートシあるよ&当時それなりにバイクマニアだったヒト。

 左は「ジェンマ」。そのまんま「ジュリアーノ・ジェンマ」がCMしてました。いたってコンベンショナルな真面目さが身上の本格的スクーターでありました(ベスパにも、当時の国産じゃ一番似てた)ので、一定のファンが付きました。そして右は「ギャグ」。まず名前が「ギャグ」ですからねー。ここにある展示車は米国空軍の戦闘機を模したマーキングが施されてますが、コレがオリジナルの状態です。他にも必ず何か「元ネタ」があり、ソレのパロディーになっているというフザけたデザインを持ったバリエーションが複数存在してました。当時流行の「ポケバイ(公道走行不可)」を公道仕様にしたようなところがキモだったのでしょうね。

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 左のは難しいよぉー。「スージー」って云うんですけど憶えてますか。前述のユーディーミニのお姉さん車には既に「ユーディー」というのがあり、ソレですらもコレと云った特徴に乏しい相当地味な商品だったのですが、このスージーをわざわざ追加発売する意味は皆目分からず、当時においても存在価値を疑問視するようなモノでした。でも、ここに展示されてて良かったね。ああ、今思い出したけど「ランディー」ってのもあったな、もはや今となってはそれぞれの違いをワタシには説明できません。

 地味なスクーターですが、意外と知名度がありそうなのは右側写真の「ラブ」。大ヒットアルバム「スリラー」を出す直前の、いまだ日本では大ブレークするにいたっていなかった時期にマイケル・ジャクソンさんをCMに起用、見事なステップのブレイクダンスを披露してました。他にもスズキには、微妙な存在感のソフトバイクが多数ありましたね。「スワニー」とか、「蘭」とか、「Hi!」とかね(名前を書くだけでちょっと気恥ずかしい:笑)。「うぅーまれた時からチョーシいい、はーいーのはいのはいのハイのハイのはい!」と明石家さんまさんが歌う、80年代に勢いのあったスズキにピッタリだったCMソングもいまや懐かしいです。

20120521552012052156 初代RG250γ、通称「やっこ凧」。当時、コレを初めて見た時には、目が取れそうになるくらい「カッチョ悪りぃー」と思いましたが、ほとんど30年ぶりに実車を目のあたりにすると、「目の中に入れてもイタく無さそう(笑)」な気がしてまいりますので、人間とは、げに不思議なモノです。

 ・・・って云うか、ものすごく積極的にいいぞ、コレ。1980年代の中途半端な時代の空気感を見事に体現していると云った感じです。うんうん、カッチョいい。昨日の冒頭二枚目の写真がコレの後ろからのカットです。とにかく「とってつけた感」がこのデザインの身上ですね。

 この当時は大型二輪免許が最も難関で取りにくくなっていたご時世。中型でしかも車検の無い250CCクラスは中免取りたての我ら高校生に大人気でありました。こういった、のちに「レーサーレプリカ」と称される分野の火付け役は、水冷2ストツインの「ヤマハRZ250(350)」で、それぞれが35PS、45PSを誇りましたが、後発のスズキはここぞとばかりに伝統の2スト技術をフル投入して250CCから45PS(リッターあたり180PS!!!)もの高出力をヒネり出しましたから、その出力特性は当然「どピーキー」なもので、4000rpm以下ではまったくチカラが無く、ソレを越えた途端に暴力的なパワーが炸裂するという、恐ろしく街乗りに向かぬモノ。こんな「アホ(笑)」2サイクルマシンが各社ラインナップされていました(あの2サイ苦手のホンダすら、MVX250なんていうヘンな変則V型2スト3気筒モデル(真ん中のシリンダーがすぐにカブるのでクレームの雨アラレだったという、優等生ホンダには珍しい黒歴史を飾るマシン)のも思い出すといよいよ懐かしいぞ!

2012052157_3 本日の最後は、この写真。オートバイマニアの方にはあっという間に分かってしまう超初心者級問題(ヒネりは一切ありません)ですが、何でしょうね。

 何とか、今日一日の更新だけで一気に60年代後半から80年代までのスズキ二輪車の歴史を追っかけてしまいました(そうしないと、ぜんぜん四輪の部に進めませんので:笑泣)ので、読む方もお疲れになったコトと思います。どーも、すんずれいしました。どうか、数日に分けてあとからもう一度ゆっくりと御読みください。

 あー、足かけ4日掛かって、ようやくコノ項を書きあげましたよ。・・・続きはまた明日!

2012年5月19日 (土)

2012年、GWにフラっとドライブ(その10:浜松のスズキ本社歴史館探訪記②)

  はい、こんばんは。ここ数日は更新時間がすっかり夜遅くなってしまっていて、「まだかー、まだかー」と何度もこのページを開いてくださっている常連コメンテーター様方の様子が目に浮かびます。本当にいつも有難うございます。というわけで本日は「ハヤめに」イッてみよー!

20120519012012051902 三階フロアでは、戦前「鈴木式自動織機」の時代から始まり、戦後スグの動乱期に生を受けた文字通りの(現代においては狭義の)「原動機付自転車」が本格的スーパースポーツに進化してゆく過程、そして軽自動車発達の歴史等々が、すべて「現物展示」の上、その時代背景や当時のプロモーションイベント、コマーシャルフィルムや雑誌広告宣材、カタログなどの詳解(紹介)を通じて立体的に疑似体験出来てしまうと云う、オートバイやクルマが少しでもお好きな方々であれば「アタマがおかしくなりそう(現にワタシはおかしくなった:笑)」なくらいに楽しめてしまうスポットです。コレでは幾ら時間があっても足るコトはありませんね。

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20120519052012051906 第二次大戦後、庶民のプリミティヴな足は、当然の如くに自転車(いや、その当時はこれとても未だ贅沢品の範疇内であったに違いありませんが)でありましたが、昭和も20年代後半と相成りますと、国民全体にも些かの余裕が出てまいります。

 しかしながら、ホンの数年前に虎の子をハタいて購入した自転車をヤメてまで本格的な成り立ちのオートバイを購入できる財力のある御仁は、まあマレであったわけです。ホンダで云うところの「カブエンジン」に相当するのが、スズキに於いては、この「パワーフリー号」「ダイヤモンドフリー号」であったというところです。こういった製品の出現により、旧いモノを生かしつつ新しい時代に対応していくコトが出来たのは、これこそまさしく「エコロジー(なんてコトバは無かっただろうけど)」の発露であったと申せましょう。

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 並行して、本格派オートバイも徐々に出現してまいります。

 1950年代のスズキ製オートバイは原則的にすべて「コレダ」のブランドネームを名乗っていました。・・・「コレダ」、この珍妙な名前の由来は「オートバイの決定版はコレだ!」の「コレだ」なんだそうです。・・・「あんまりだあぁー!」安直ネーミングの極北と云えましょう(笑)。まっ、この頃ホンダも「ベンリィ(便利)号」だったしな、五十歩百歩ではあります。

20120519092012051910 しかしまあ、こんな貧窮の時代にあって、海外に行ってオートバイでの冒険旅行に成功したヒトが居るのですから驚きを禁じ得ませんね。

 そしてその現物がこうしてしっかりと保存されているのですから、こちらもまた驚きではあります。長途の旅で酷使されてきたスゴみのある荒れ具合は文化財級の風格に溢れています。

20120519112012051912 一方、ホンダが画期的な「スーパーカブ」を生み出す前の時代では、旧態依然の戦後臭濃厚な狭義の原付車部門もまだまだ活発です。

 この時代には、ありとあらゆる産業分野からの新規参入も少なからずあり、一地方の自転車店レベルの店から、その後一家をなすメーカーまで、まさに群雄割拠の様相を呈しておりました。このミニフリーなどは、フューエルタンクがとてもキュートでフェミニンな個性をもったモノになり、ようやくデザインも性能のうちであるといった理念に一歩近づきつつあった時代の過渡期的なムードを漂わせています。

20120519132012051914 ごく初期の「コレダ号シリーズ」にはそのタンクバッヂに「SJK」のロゴが入っていました。云うまでも無く「スズキ・自動車・工業」の略でありましょう。・・・こうしたムカシの「アルファベット略号」ってなんか強引だよなぁ。そういえば、最近めっきり見なくなりましたが、ムカシは「株式会社」のコトを「K.K」って書くことがよくありましたよね。あれって、何の略だったんだろう。

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20120519172012051918 「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれた昭和31年に出現の、期を画するモデル「コレダ250TT」であります。その最高級感を表現するのに、ロールスロイスではなくてキャデラックを持ってくるところが時代の雰囲気です。

 現在でも「○○界のロールスロイス」という物云いは微妙に生きておりますが、「○○界のキャデラック」って云われても、「えっ、なんかチャチいの?(笑)」なんて勘違いするヒトがいそうですのでホメ言葉になりませんね。キャデラックの名誉のために申しあげますと、90年代以降のものは、故障少なくなりましたよ。質感の方は、まあ相変わらずですが(ワタシは結構好きなんですけどね)。

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 このあたり昭和30年代前半のオートバイですと、どうしても今はなき「陸王」とか「メグロ」などの重量級がクローズアップされることが多いので、「コレダシリーズ」は旧車界でも長らく地味な存在であったように思います。

 それらを元々温存していたのか、世間から後天的に広く蒐集しレストアしたのかはわかりませんが、これだけ圧倒的な数の50年以上前のモデルをよくぞここまで揃えたモノです。製造メーカーとして、自社製品への愛情が強く感じられます。

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20120519252012051926_4 高校生くらいの頃にも思っておりましたが、スズキの二輪車って、オーソドックスな全体的イメージの中に「突飛な造型センス」をワンポイント入れて、それでヘンな事になってる(笑)という特徴があるような気がいたします。

 全体的には一見ありきたりのフォルムだったりするのですが、そこにヘンなモノを入れ込んでいく。こちらのメーターナセル&ウインカー一体型ヘッドライトケースなどもその一例。メーター針の美しい金メッキも実用性(反射して光っちゃうぢゃねーか:笑)度外視でとてもオトコ(おやぢ?)らしいですね。

20120519272012051928_2 この辺になってくると、ビジネスモデルにもデザインが入ってきます。フューエルタンク下部とサイドカバー下部が一直線に繋がり流線形イメージのモチーフを形成する「ジェットラインボディ」がその特徴。跨るとその一切が見えなくなってしまうところが、これまたスズキらしくて微笑ましいです。スターター(セル)モーター装備というのもこの時代にあっては大きな「ウリ」になりましたので車名にまで謳いこまれています。

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2012051931_22012051932_3 やはり色が付いてくると、ぐっと華やかなイメージになるモンです。黒いボディにメッキの装飾、そして黒いニーグリップパッドを張り付けたものがどういうわけか日本では流行っており、ビジネスモデルもスポーツモデルも変わり映えしないモノでありましたが、「スズキ二輪車」では昭和30年代後半になってまいりますとスポーツモデルを中心にようやく色気が出てまいります。余談ですが、この時代の少し前、30年代前半といった早い時期よりそのデザインと色彩感覚、そして製品のフィニッシュに気を配っていたのは、現存するメーカーでは「ヤマハ(当時日本楽器製造)」であったと思われます。やはり楽器屋さんだけあって、その品質感へのこだわりがそうさせたのでしょう。GKデザイン研究所などインダストリアルデザインの専門家に早くから設計を依頼していたのも頷けます。「ホンダ」は昭和20年代後半に前衛的な全天候型スクーター「ジュノオ」を発売(現在のピザ屋宅配バイク「ジャイロキャノピー」の御先祖にして元祖)いたしますが、商業的には屋台骨を揺るがすほどの大失敗作に終わってしまったため、アツモノに懲りたか、それ以来デザインは非常に保守的で冒険を一切しない二輪車メーカーとなってしまいました(もちろん、その後数々の亜流を生むほど優れたデザインの”スーパーカブ”のみは革新的大ヒット作であるわけですが)。「ホンダドリーム号シリーズ」では、その高性能とはうらはらに「黒い全体像にメッキタンク+ニーパッド」という旧態依然のデザインポリシーを実に昭和40年代半ばまで引きずってしまいます(ホンダドリームCB450最終型エクスポートと同CB750FourK0あたりで初めてカラードタンクを採用)。まあ、赤いタンクのCB72なんかには、ワタシ高校生の頃に憧れてましたけどね。

2012051933_22012051934_2 ・・・こんなの今あったら可愛いですよね。体の小さい女性でも扱いやすくするために低床フレームを採用しています。小径ホイール&タイヤというのは、この時代にはまだまだ不可能だったのでしょう。このエンジン出力で、小径ホイールでは最高速15キロみたいのになっちゃいますもんね(笑)。部屋のオブジェにもいいな・・・。現在の技術と性能でリメイク販売すると、きっと30万くらいの定価になっちゃうんだろなぁ。

2012051935_22012051936_2 ムカシのレーサーはこんな「おっさんモデル(失礼)」をあれこれと改造してレースに出場していたのですね。

 もっとも、この時代に我が国で行なわれていたレースは未舗装の公道で行なわれるのが基本。現在のクローズドサーキットでのレースとはまったく趣きの異なるモノです。当時の我が国で本格的なレース(二輪も四輪も)をするには鈴鹿と船橋のサーキット完成を待たねばなりませんでした。

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 コレダたちの後ろ、壁一面を飾るのは、往年のカタログやパンフレット類です。

 カラーグラビア印刷の技術がまだまだ高嶺の花だった時代、たとえ高額商品の宣材でもこのように質素なモノでした。「スズモペット日本縦断走破」なんて書いてあります。

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 このモペット状のバイクに搭載されているエンジンが「マン島TTレース優勝車」の心臓になっていたとは・・・贅沢なモノですね。

 麗々しく謳われた「世界初の4速ロータリーチェンジ」というのがまた泣かせどころであります。ロータリー型って便利な面もあるんだろうけど、トップの次にニュートラルがいきなり出てくるので、アタマの中で変速回数を数えながらでないと「ブアーン」って派手なカラ吹かしになってしまうんですよね。自動二輪小型限定免許を東京府中試験場に受けに行く時(当時試験車であったホンダCD125がロータリーシフト装備のため)には大工の親父がいる家の倅に頼み、「ヤマハメイト」借りて練習したものです。

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20120519472012051948_2 こうして昭和30年代後半のモデルを年代順に並べていきますと、ビジネスモデルや、日常の足になる通勤通学モデルは、最終的には結局「スーパーカブのカタチ」に収斂していく過程を読み取ることが出来ます。

 さすがに御本家「スーパーカブ」の方は現在の「世界のホンダ」のベースになっているくらいの名車ですから、その抜群の耐久性も功を奏してか、現在でもクラッシックカブの動態保存車は全世界に多数存在いたしますが、これだけの台数の「スズキセルペット達」、まあ、どこに行っても見ることは難しいでしょう。

 その後、スズキでこのジャンルのバイクと云えば、もっぱら「バーディー」というコトになるわけですが、前述の「ヤマハメイト」と比べましても、その一般的ネームバリューは、残念ながら相当低いと思われます(・・・って、ああいうお蕎麦屋さん出前仕様みたいなバイクって全部「カブ」ぢゃ無かったの?という声も聞こえてきそうですが:笑泣)。

 あー、一週間我ながら頑張った!続きをお楽しみに。

2012年5月18日 (金)

2012年、GWにフラっとドライブ(その9:浜松のスズキ本社歴史館探訪記①)

 はい!これから皆さんお待ちかねの「マセラティでイッてみよう:2」が始まりますよー!!・・・とたまには書いておかないと、このブログがマセラティ屋のやってる商用サイトのおまけであるという厳粛な事実が忘れられそうですので(笑)。

 今日は一点の曇りも無いといった予報から、一転、昼間に一瞬「大クズレ」するとの予報に変ったのを事前に察知いたしまして、なんとかうっちゃるコトが出来ました。最近は、真夏の夕立みたいなのが、フツーの昼間に突如としてやってまいりますので、油断も隙もあったもんぢゃありませんね。

20120518012012051802 ・・・といったところで、まだ5月1日の朝からですよ。今日でこのシリーズも9回目、いったいいつまで続けるコトやら(っていうか、マセラティのねたは無いのか:笑)。

 昨日(4月30日のコトですよ)は豪雨の中を走りに走り、ようやく到着しましたのが東名高速浜松西インター近くのビジホ。一夜明ければ、薄曇りの天気になっております。ゆっくり朝飯ヤッてたら、気が付きゃAM8:30。「あー、やばいよ。ハヤく行かなきゃ!」

20120518032012051804 AM8:50、ヤッて来たのは、「スズキ本社工場前」。世界的オートバイメーカーの発祥の地であります。

 もちろん云うまでも無く、いまや軽自動車と小型自動車製造の分野でも、その独創的な製品造りが国際的に高い評価を得ているブランドです。

 そんなスズキの歴史を辿る旅が、これから始まりますが、ワタシ達が実際この場所に滞在したのは、ほぼ2時間程度。しかるに当ブログでは、「これより、何日も何日も(笑)お付き合い頂くネタ」になってしまいそうです。

20120518052012051806 浜松市の中でも「高塚」というところに創業の地はあります。本社工場の向いにある瀟洒なビルが「スズキ歴史館」です。

 ここには、前々から一度訪れてみたかったのですが、「要事前予約」のミュージアムでして、たこちゃんズ独特の旅のセオリーである「いきあたりばったり」の趣向には合致してくれないのです。そこで今回は、高野山の宿坊予約ともども休みに入る一週間前に予約をバッチリと入れておきましたので、すべての行動計画がこの「5月1日のAM9:00の浜松高塚に間に合う様」にその場その場で瞬間的にプランニングしながらここまでやってきたというわけです。さらに5月3日に予定されていた「ダメ男の集い」の準備日として5月2日は丸一日欲しいというわけで、どうしてもこの5月1日いっぱいには千葉のわが家に帰還することも完遂必須のミッションなのでありました。しかも、平日のため高速の休日割引が適用されないので可能な限り「した道」で行かねばなりませぬ。なんか、時間が足りないような気がする(歴史館の推奨する標準的な見学時間は1時間30分と書いてあるのですけどね)。

20120518072012051808 AM8:55、歴史館入口前で、「トイレ、トイレ・・・」の状態になってましたが、それを察したか職員の方が出ていらして、カギを開け中に導いてくれました。

 用を足し終わったら、早速お約束の「スタンプ押し」。こういったモノはあとでキチンと保管したりはしないものですが、そこにあると参加してみたくなるといった類のモノですね。

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 入口横には、懐かしの「スズキGSX1100カタナ」が記念撮影モードで固定設置されております。もちろん、現在の時間はワタシ達しかおりませんので、恥も外聞も無く大はしゃぎしております。コレの国内販売版の750のヤツを高校時代の知人が持ってて、街の中を一回り操縦してみたコトがありましたが、見た目とはうらはらに非常に素直で乗りやすいマシンでありました。発売された時に、それはそれは大騒ぎであった前衛的デザインは、現在の目で見てもオブジェとしての魅力に溢れ、まったく色褪せておりません。ガンディーニのクアトロポルテとか、シャマルの出現時にも似た衝撃的デビューだったんですよ、その当時。

20120518112012051812 一階のフロアは、「カタナ」以外は現行車種の展示で、いわばディーラーショールームみたいなモノですので、ここは一瞥しただけであっさりと見学完了(笑)。ちなみに、現行車種の本カタログはさすがにすべて取りそろえられておりますので、その手が好きな方は存分に手にするコトが出来ます。時間の限られた「たこちゃんズ」は走って二階フロアにあがりました。

20120518132012051814 二階は「開発と製造の過程」について具に見れば完全に理解できると云う、出来ればお子様に見せておきたいスグレモノの展示が満載。

 バーチャル体験も写真でご覧のように「企画会議」への出席から、デザイン室での検討の在り方、そしてそれをクレイモデルに立体化して各部デザインを微調整していく過程などが、実感あるディスプレイの中で体験出来ます。まあ、ここで開発しているのは「スプラッシュ」という(日本では)マイナーな車種であるところも御愛嬌なんですけどね。

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20120518172012051818 デザインルームを模したディスプレイの壁には無数のデザイン原画が貼り付けてあり、しげしげと目を近づけてみますと、緻密に書き込まれたそれは、それぞれが額に飾りたくなるほどの素晴らしい出来栄えです。

 プレゼン用の資料だったりもするのでしょうから、チカラが入ってますよね。特に、「アルト・ラパン」関係のものは、デザイン命のクルマですからドレも念の入った凝りようで、思わず一枚失敬したくなるものです(良い子の皆さんは、決してそんなコトしてはイケませんヨ:笑)。

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20120518252012051826 クレイモデル造形のコーナーも、普通は見ることが出来ない「生」のクレイで出来ているモノがそのまんま展示されておりますので、これも見ごたえがあります。

 スズキの場合は、四輪自動車のみならず、二輪、そして船外機のような「外観が色々とオモテに出てきてしまう構造物」を持った製品を作っていますから、エンジンの外観デザイン検討用モデルなどというのもあって、「コレを粘土で造ったかぁー」と思うと匠の技としかやはり思えませんね。

 ・・・ここらで、またまた謝っておきましょう。この二階フロア、本当はこのあとに工場の製造ラインを再現したディスプレイまで延々と続いていたのですが、あまりにも「延々」なので、三階の様子を先に見てからあとで戻ってこようと思っていたのですけれど、後述するように三階が、ワタシにとっては「アキれる程に充実した展示」であったため、戻ってこれなくなっちゃったんです(笑)。このブログを見てこちらの歴史館に行こうと思い立った「普通の」方は、まずこの二階をちゃんと最後まで堪能してから上に登るのを、強くお奨めいたします。ああ、もう一度イカなきゃな、ワタシも。

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 その「三階」にエスカレーターで上がってまいりますと、目の前に「自動織機」の現物が展示してあります。

 スズキの前身は、トヨタと同じく「自動織機メーカー」であったのです。この織機コーナーだけでも目が回るホドすごいのですが・・・あー、時間が無い!

 続きは、また明日!!!

2012年5月17日 (木)

2012年、GWにフラっとドライブ(その8:奈良の大仏さんを目指す)

 はい、こんばんは!本日は地方への買取査定で午後は出掛けておりましたが、なんとか夕方までは現地の天気がフンばってくれていたので助かりました。

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 さあ、本日は高野山を降りて、奈良の大仏さんを参詣して、さらに次の目的地に出るところまでは一気にイキたいと思います。4月30日(月)のちょうどお昼あたりからのハナシです。

 昨夜の宿坊で供された精進料理の「デザート」であったバナナを齧りながら余裕のワインディング走行をしております。ワタシ、ほとんど「おサルさん」状態です。

20120516032012051604 高野山を降りると、一路奈良方面を目指します。確か東大寺大仏殿というのは奈良公園の中にあったハズ。

 このあたりの街道沿いには、このたい焼屋さんチェーンが時々あるので、ちょっと寄ってみたい気もいたしましたが、朝から糖分取り過ぎであるコトを勘案し、ここはグッとガマンいたしました。

20120516052012051606 そうこうしているうちに、斑鳩の郷といったあたりにようやくやってまいりました。「高野山1200年の歴史」から、今度は「大和朝廷時代の世界」にタイムスリップですね。

 ワタシ、歴史苦手なハズなのに、毎日ナニやってんだろ(笑)。

 などと要らぬ考えを巡らしながらもクルマは「法隆寺」の前を通過。ここは、以前の「たこちゃんズ旅」でも思いつきで立ち寄ったコトがありますので今回は道草せずに奈良市内を目指すコトにいたします。このあたりの街の中は、高野山内とは打ってかわって、何の変哲もない普通の現代地方都市の様相でしかありませんので意外と面白くはありませんね。

20120516072012051608 奈良公園周辺は、連休に出てきた観光客でごったがえしております。もっとも、ワタシたちもその中のヒト組ではありますが。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり駐車場を探して右往左往いたしましたが、ようやく大仏殿近くの市営駐車場に入ることが出来ました。

 なんだか、小雨がパラついてきそうな雲行きです。殿舎入口は結構すぐ近くに見えているのですが、結構距離がありそうです。カサが無いので先を急ぎましょう。・・・でも、とりあえず「看板記念撮影」と名物「シカ(笑)」はオサえておきました。

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 昨日高野山篇でお届けした大門がまたまた出てきたのではありませんよ。こちらは東大寺の門です。

 但し今度のは、とにかく笑うくらいに「巨大」。そのまたさらに先に聳え立つ大仏殿入り口はもっと巨大。このスケール感は結構スゴいです。

 ワタシがこのお寺を訪れるのは、中学の修学旅行以来ですから、実に33年ぶりというコトになりますが、オトナになってから見たほうがいいですね、こういうモノは。

2012051610_32012051611_4 こちらの仁王様もとにかく大きいので、怒るとハチャメチャなことにされそうです(笑)。

 物凄い威厳と風格は、ちょっと他では見るコトが出来ないくらいなんですが・・・ええい!ヒトが多いな。ゆっくりと観賞するヒマはありません。奥へと進んでいかないと肝心の大仏殿に入れなくなっちゃうカモ、と思い先を急ぎました。

2012051613_32012051614_4 まっ、しかし天下に名所と謳われるお寺ですから、さすがにお庭も美しく整備され、整然としています。

 ついつい、あっちの方向に歩いていきたい衝動を抑えつつ、大仏殿へと向かいます。

 なにしろ、33年ぶりの拝謁ですから。ちょっとドキドキしますね。

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 さあ、いよいよ大仏殿の入り口まで到着いたしました。

 なんていう歌かは忘れましたが「なぁらのだいぶつさぁあああん、てんぴぃーでやぁあけてなー、さんじゅうさんげんどぉおは、やけのぉこった・・・」というフレーズがアタマの中をリフレインでぐるぐると廻ります(ワタシの知ってるこの歌詞には異論もあるようですが)。確かに奈良東大寺が天日由来で火事になったとしても、延焼して京都の三十三間堂に燃え移るコトは相当考えにくいのではありますが。ともあれ、歌にもなるくらいですから、大昔にそういった火災事故があったのでしょうね。よくぞここまで立派に再建されたものです。

2012051617_22012051618_2 入堂口から列につき、入場券を購入いたします。

 いよいよ眼前には、本物の「大仏殿」が。

 そもそも、今回のたこちゃんズ旅のオプションにどうして奈良の大仏さんが付いてきたのかと云えば、たこちゃんヨメが「大仏さん、見たことない」と申しますので、「マジで?」と驚いたワタシは0.2秒で連れてくことに決定したというわけです。ちなみに、さっき通ってきたばかりの「法隆寺」も数年前のたこちゃんズ旅の折に、ヨメが「行ったコト無い」と申しますので連れて行った次第。いったいどういう中高校に通ってたんダロな、ヘンながっこ(笑)。小学校の時はタイの「パタヤビーチ」、中学校では十和田湖を始めとする「東北ツアー」、高校では「小豆島」と「高松・高知」のサンフラワー旅だったそうです。・・・やっぱ、「基本」は大事ですね(笑)。

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 チケットをもぎってもらい、参道(?)へと入りました。ここで、大仏殿をバックに一枚記念撮影をば。

 本当はものすごくヒトが居たのですが、奇跡的に「ヒト払い」が出来た瞬間にパチリでした。なんだか、すでに雨はパラ付き出しています。さあ、まいりましょう。

2012051621_22012051622_4 本殿前では、お香を焚くためのデッカイ釜(正式名称をどなたか教えて:笑泣)みたいのがあり、一生懸命に火を点けようとするのですが、風にいじわるされて一向に点火する気配が感じられません。

 周囲の皆さんもそれぞれに苦戦していたようですが、撮影しながら観察してると、火の付け方(火炎は上に上に立ち上るコト、火炎は周囲温度の方が高温だというコト)、知らないんですね、みんな。ワタシがやったらスグ点いた。火の中心部めがけておっかなビックリ突っこんでいるのでは点火しないものなんですよね。

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2012051627_22012051628_2 ようやく、大仏殿の中に入りました。隣の観光客のオヤヂが「ここに来てるヤツ、みんな参拝するんじゃ無くて、物見遊山で来てるのばっかだな」とかブツブツと申しておりましたが、ワタシに云わせれば「アンタもそう(苦笑)」。

 いいぢゃありませんか。そもそも、あの大ムカシにこの大仏像を造りあげた理由(ホントのところはこういった感じだそうです)の一つには、仏教というものは、ひたすらスゴイ事になってるとまずは思わせようというものだったに違いありませんから。

 「大仏様」では無くて、「大仏さん」と呼称される事が多いところが、「東大寺大仏」が、如何に庶民に親しまれてきたかの証拠ではありませんか。33年ぶりに御目に掛かって、なんだか少し懐かしさを覚えました。

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 ヨメがお土産物屋さんに行きたいというので、「東大寺純正お土産物屋」をひやかしてみました。こちらも観光客で混雑しておりますので、ワタシは遠巻きに眺めるばかりです。

 可愛い「小銭入れ」を手に入れて御満悦の様子です。

 「色違いでお友達にあげよーっと」となんだかモリ上がっております。ホントに何人かのお友達に差し上げたら好評ではあったそうですよ。

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 クルマに戻るころには、ついに雨も本格的に降ってまいりました。濡れた緑の風景も、それはそれでなかなかオツなものではありますが、どうも、じっくり見ている時間は無さそうなので、今日中に次の目的地に向かう旅をまだ続けます。だいぶん暗くなってきてますけど、今何時?

2012051633_22012051634 あー、16時を少々回ったところですね、意外とまだ早い。一路、東上することにいたしましょう。

 この調子ならどうにか到着できそうです。

・・・あー、トイレに行きたいんだけど「針テラス(という名の道の駅:針って地名があるんです)混雑」と表示板は無情にも告げてくれております。だいたい、現在絶賛どしゃぶり中。ずぶ濡れになるのもコマるので、ここはガマンして先を急ぎましょう。

 どこまで行けるコトやら、続きはまた(たぶん)明日!

2012年5月16日 (水)

2012年、GWにフラっとドライブ(その7:徒歩で廻る高野山⑤)

 本日の東京練馬は朝から爽やかな晴れ。開店一番より遠方からのお客さん(Fさんご夫妻、おいしいプリンをたくさん有難うございました!無事に御帰りになったでしょうか)がお越しになったり、午後も御試乗希望のお客さん(Mさん、有難うございました。また御夫婦での御来店をお待ちいたしております!)がみえたりと、絶好の御試乗日和となりました。

・・・あー、「黒シャマルのAさん」も久しぶりに御目に掛ったので、ゆっくりと歓談したかったのですが、御相手が出来なくて失礼いたしました。外装加修諸々の件は三男より承っておりますヨ。

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 ところで、当ブログの方ではまだ「GW休暇中継」をやっておりまして(いいかげんにせんかとは思うが:笑)今日は4月29日(日)、AM9:00あたりからのおハナシ。

 先日は通用門の側のみをご紹介した「高野山大学」のこちらは正門です。お寺ばかりの街からちょっと入ると、このいかにもモダンキャンパス然とした建物に出会います。しかしながら、この街では築100年以上級の建物が街中のいたるところに極々普通にあるといった景観を誇りますので、ごく普通の今様校舎がやけに未来的に感じられるものです。

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 メインストリートに戻る途中で「んっ?あちらにチラっと見えますのは」・・・

 ・・・「こうやくん」どぇーす!!石像になった3Dタイプのこうやくんも結構可愛らしいですね。なんだか「未来のお地蔵さん」みたいでもあります。半年前に来た時よりも高野山中の「こうやくん度」は急上昇しているような気がいたしました。とにかくどこを歩いていてもどこかしらにニコニコと立って愛嬌を振り撒いておりましたヨ。

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 只今、大規模改修工事中のここ「常喜院」さんは、昨年秋のヴェトロモンターニャに於いて、参加者の昼食会場になっていたお寺です。その折に頂いたお弁当も、これまた大層おいしかったのが思い出されました。

 その上で昼食後には全員参加の「勤行」があり(クラシックカーのイベントですよ:笑)、ここの本堂でお勤めにも参加いたしました。さらに記念植樹を行なったので、それはどうなってるかを確認しにお寺の奥まで入ってまいりました。ほうほう、立派に根着いているようですね。帰り際に参道を歩いているとイベントの実行委員長であらせられた当お寺の御住職を御見受けいたしましたので、軽く御挨拶をいたしました。

 境内を出て左方に向きますと「鐘つき堂」が目に入ります。ここも地味ながら独特の味わいがあるので、前回来た時にも気になっていたスポットです。ぜひ眺めに行ってみましょう。

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 近くに寄って、並びの部分を見ると、いよいよ趣きがあるなぁ。定時にはこの鐘楼からと思われる鐘の音がかなり遠くまで響き渡るというのもオツです。

 このあたりのメインストリートは国道480号線というのですね。やけにデカイ数字の「三ケタ国道」ですから、国道化したのは比較的最近なのかな、と思いました。

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 街全体がお寺というのは、やはりスゴイことですね。当然の様に植栽は常に美しく整えられ、御掃除も常に行き届き、もちろん観光客のマナーも良く、さらには、そのマナーを守り易くするための各所に配置された灰皿などの小道具もこころにくいばかりです。最近の東京都内などは、公園に行ってもゴミ箱、灰皿などが設置されていないことが多くなり、ホント困ったことです。捨てるところが無ければその辺においていっちゃう輩が当然の様に出てきてしまいますよね。高野山は人の煩悩や欠点に起因する「性悪説」的な行動様式を須らくチャンと踏まえていて、かえって寛大であるように思えました。どなたが行っても息苦しさは感じないと思いますよ。但し、カラダ中が抹香くさくはなりますけどね(でもアロマな感じでこれはコレでいいものですヨ:笑)。

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20120515632012051564 「徒歩の部」のラストは、前回来訪時にもイベントが始まる前の30分間で小走りに廻った「根本大塔」一帯です。

 それを持ってると「カネ回りが良くなる」という言い伝えのある、「先端が三本に分かれた松の葉っぱ」を今回も捜索にイキましたが・・・まー、今回は不作だわ。でも、大丈夫。昨日ご紹介した「ビルマ戦没者慰霊塔」に御持ち帰り用がたくさん用意してありましたので、ソレを「オサえに(笑)」頂いておりましたので。・・・って、だからこそココに無いのかもだったりして(大笑)。

 あらためて昨秋の写真を見ますと紅葉の季節ではありましたね。今回は新緑を楽しむの巻となりました。この風景を見ながらセミの声に耳を傾ける真夏にも、あえて再訪してみたいなぁ。夕暮れ時に「ひぐらし」が鳴いたりして・・・とか勝手に妄想しておりますが、セミの生息分布的に、このあたりには「ひぐらし」居るのかとかちょっと心配だったりして。「雪景色」もぜひ見てみたいですけど、ここまで登ってくるコト自体が文字通り「難行苦行」だよなー。その時は事前に「スズキジムニー(ワタシが考える中では、費用対効果も絶対的バランスもサイズも信頼性も世界最高、無双無敵のオフロード車がコレ:笑)」でも手に入れておきましょうかね。

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 こちらは、御土産用の和菓子を購入したお店の、そのまた隣にあった別の和菓子屋さんなんですが、ご覧の様に「ムカシの駄菓子屋さんモード」での店頭販売をしており、昨日通り掛かった時は長蛇の列をなしておりましたのでパスしておったのですが、今日は時間が早いとあって並ぶ事もなく買える模様。で、さっそくいかにも懐かしくウマそうなヤツをもとめて店内で頂きました。セルフサービスで飲み放題のほうじ茶も気が利いています。コレも予想以上に美味しくて大満足でした。

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 さぁ、朝から宿坊の食事を完食した上に、おいしい和菓子も頂きましたので、エネルギー充填200%となりました。まだまだ力漲るウチにそろそろと高野山を降りるコトにいたしましょう(いや、あのワインディングアタックは結構エネルギー要るのよ、今度はくだりばっかりだし:笑)。精進料理には欠かせない「ごまどうふ」の製造直売店を横目に見ながら、宿坊の駐車場へと赴きます。

 クルマに乗り込み、高野山の入口(この場合は出口か)に聳え立つ「大門」を目指しました。ようやくキチンと撮影出来た写真がコレ。

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 左右を堅固に守る仁王様。なんか、これくらい強くてコワそうだと安心感がありますね。

 そんな仁王様に睨まれながらも山門をくぐって山内側に入ります。

 そのムカシ、徒歩でここまで来た参拝者の方々は、いったいどういう想いでこの聳え立つ「大門」を見上げたコトでありましょうか。きっと涙が出てきたに違いありません。ここまで万難を排し、恋慕渇仰の想いで登ってきたわけですからね。

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 山門の先は急な坂道です。途歩の場合はここを(写真では手前側に)降りて行くと、高野山中の街並みが見えてまいります。

 眼下に映る景色もまた、当時は格別だったのかもしれません。このあたりだけは今様の物が目に入らないので、いよいよ時間が止まったように感じられます。

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 今さらながら、高野山を離れるにあたって、そこに掲げられた行程表を眺めてみました。昨日の午後と、今日の午前中の正味8時間ほどで山内を隅から隅まで巡ってまいりましたというわけです。

 クルマを停車させていた大門の表側(高野山中の外側)の向かいにはこのような石の銘板があるのを発見。昭和40年竣工といえば西暦1965年ですか。45年とちょっと前には、このあたり全面的に未舗装だったのでしょうね。すっかり舗装された現在でも各コーナーはアールがキツく、トリッキーな路面でスペクタブルを味わいやすい(笑)難所であるコトには変りありません。クルマで登られる方は充分注意して(助手席や後席の方々の体調変化にもね:笑)ドライブをお楽しみください。

 これで「高野山篇」はようやく完結です。明日からは新展開!お楽しみに!

2012年5月15日 (火)

2012年、GWにフラっとドライブ(その6:徒歩で廻る高野山④)

 今日は一日中雨に降られましたが、精力的に作業は進めております。なんとなくカラダ中がしっとりとしてくるので寒さを感じますね。皆さんも御風邪など召さぬ様、御自愛ください。

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 えー、いまだ4月29日(日)の16:00を過ぎたあたりなんですが・・・足が棒になるとは、まさにこのことなのだなと得心するくらいに「ぴょこたん・ぴょこたん」とヨレヨレ歩きつつ、ようやく本日の宿であります「宿坊・大円院」さんに戻ってまいりました。まずはチェックインの儀(笑)というのか、旅館で云うところの「番頭さん」格と思しき御僧侶より、宿泊に関する説明を縷々受けました。「今日は(高野山内を)どちらまで行かれましたか」とにこやかにお尋ねになるので、「まず女人堂まで行って、それから奥の院まで参詣してまいりました」「有難うございます(手を合わせる)。そりゃー、ずいぶんとお歩きになったんですね。さぞやお疲れの事と思います」、「いやー、(高野山では)桜がまだまだ満開でビックリしました」、と申しあげますと、「今日はたまたま暑かったですけれど、ほんの二週間前までは雪が3センチ以上積もってたんですよ。いつも高野山の春は寒いですからねぇー」。

 そんなやりとりの後、お若いお坊さんが部屋まで荷物を運んでくださり、早速部屋に通されましたが、「うーん、広い!」というのが第一印象。写真に写っているのは奥の半分だけで、このコタツセットの手前には広大な空間があります。そう云えば、昨年11月に高野山を訪れた時も宿坊の部屋にはコタツが装備されておりましたね。

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 足もイタいわけだよ、万歩計見たらさらにイタくなった(笑)。今日一日で、ほぼ12キロ歩いてるみたいです。

 まずは、ヨメを大浴場へと送り出し、ワタシはブログの更新準備をiモードで「ポチポチ」と。ヨメがあがってきたので、ワタシもお風呂に行きました。帰ってくると、さっそく配膳係のお坊さん方が料理満載の積み重ねた「銘々膳」を抱えては廊下を走り回っております。

 忙しいなー、宿坊。5時半くらいには、ワタシたちの部屋にもお坊さんが料理を次々と運び込んでくださいました。想えばコレって「ルームサービス」なんですよね、なんという贅沢でありましょうか。

20120515052012051506 本日のたこちゃんズが選んだ宿泊プランは夕食「二の膳」までの一番シンプルで安価なもの。もちろん「お精進」です。先のチェックイン時にお酒もオーダーしておきましたので、ビール一本と、お銚子もやってまいりました。

 酒もタバコも自由自在(笑)、いいなぁ、ここ。とかく周囲を気にしながら一服つけたりしている東京の息苦しさからの大開放。もっとも、肉は食えないですけどね。でも高野山精進料理は美味いから大満足。ちなみにこの段階で顔が「真っ赤っか」なのは、いまだ飲んでいないお酒のせいではありませんで、日焼け(!)なんですヨ。

 ここまで仕事明けに練馬を旅立ち、亀山→高野山と休みなのに休む間も無く(笑)やってきてしまいましたので、ようやく得た安息にワタシの顔はユルユルになってしまっております。まっ、ユルしてください。

・・・というわけで夕餉のひとときはあっという間に通り過ぎ・・・PM7:30には撃沈。

 一夜明け、気が付いたらAM5:55。「うぉー、寝坊したぁー、さぁ、起きて起きて!」とヨメを叩き起こし、超速で着替えるとドタドタ本堂に向かいます。6時から始まる「勤行」に5分遅刻でそろそろと戸を開けて中を見ますと、勤行への参加は任意であるにも関わらず、他の宿泊客の方々は皆さん真面目にお勤めしていらっしゃいます。たこちゃんズもこのあとは殊勝にお勤めをいたしました。続いて当院御住職の短めの御講話があり、これでようやくおしまい?と思っていたら、さにあらず。次は別の御僧侶から朝食の支度が整うまでのお話があるとのこと。あ、この方どこかでお会いしたと思ったら、昨日の「番頭さん(失礼)」役の御僧侶でした。袈裟を纏うと俄然風格が出ていらっしゃいます。「人間は、ひとことの言葉によって人生が変ってしまうくらいの影響を受ける。ヒトと接する時は、いつも”やさしい言葉”を投げかけるようにしていると、結局自分に還ってくる。いつも笑みを絶やさずにやさしい言葉でお話しするように心掛けてください」といった内容の御講話を威厳を感じさせつつ終始暖かい調子でお話くださいました。いいハナシだな、やっぱり早起きしてお勤めはするモンだ。

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20120515092012051510 部屋に戻ると、すっかり朝食の準備が出来あがっておりました。昨日の夕餉といい、この朝食といい、お寺から供される料理はいっけん質素ながらも、ひとつひとつに魂が籠っている感じで本当においしいものです。ワタシたちは普段の生活で白飯をおかわりすることはほとんどマレなのですが、ここ高野山ではお櫃がカラになるまで食べきってしまいます。

 ところで、写真のような「お茶を飲むための茶碗」が、夕食の時にはありませんでした。コレは高野山内での流儀だそうで、夕食後のお茶は「ご飯茶碗」に注いで飲むようにと食前に御説明があったのです。朝食後や、午後の一服の場合はこうして通常通り茶碗に注いで良いらしいです。面白いですね。

20120515112012051512 こちらのお寺では「特攻隊記念館」というべき、小さな展示スペースを設けています。だから、「ああ、同期の桜」の碑が門前に立っているのですね。

 写真の御僧侶が先代の御住職だそうで、第二次大戦時に特攻隊として戦地に赴き生還されたという経歴を御持ちです。ここ高野山には、戦没者の慰霊塔や慰霊施設がたくさん存在しております。昨日の「一の橋」横にあったモニュメントも、こちらに集う有志の方々により建立されたものであることがここにきてわかりました。二人してそっと手を合わせ、記念館をあとにいたしました。

20120515132012051514 せっかく早起きしたので、朝の清浄な空気を満喫しつつ、またまた散策へと出かけます。

 こちらの建物は「苅萱(かるかや)堂」です。昨日の散策時に「こうやくんグッズ」の下に埋もれるようにおいてあった謎の絵本のネタ元がココ。

 ワタシ、ここにきて初めて知ったのですが、「石童丸物語」 というのがあるそうで、その内容はリンク先を御参照頂くとして、その主人公親子が修行した道場こそがこの御堂であるそうです。昨年来た折も、ココは一体何なんだろうと思っておりましたので、その疑問はようやく解決をみました。

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 朝も8時ですから、いかな天下の観光地とあっても、まだまだ散策をしている酔狂な観光客はワタシたち以外にはいないようでして、人通りのほとんど無いメインストリートをゆったりと歩きます。

 今日は、ちょっと薄曇りですが、コレくらいの日あたりが旧い街並みには調和していて、とてもいい風情です。昨日はホントにいきなりの初夏の陽気で、半日オープンで走行していたら後で首筋の皮が剝けるほどに酷く日焼けをしてしまったのですが、一転して今日はジャケットを着るほどに肌寒いです。こちらがこの季節本来の高野山なのでしょう。

20120515172012051518 鳥居が立ち並んでいる美しい景観の横にある石碑状のものは、高野山の麓から、この山の中心部まで点在する一里塚のようなものだそうです。

 きっと、ムカシの人はコレをひとつひとつチェックポイントとしつつ、それこそ何日も掛けて登ってきたのでしょう。クルマでピューっと登ってきてしまった我々は、なにやら申し訳ない気持ちです。それでも、登りのワインディングのキツさは、高野山登りに於いて現在でも一定のハードルであるコトには変わりありません。「なんかいバス」でケーブルカー駅から上がってくるルートもヨメの知人によれば、大層クルマ酔いするらしいし。

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 ビルマ戦没者の慰霊塔です。中に入ると様々な展示が目を引くスポットです。

 ここには仏教の経典を口絵にしたものが多数掲示してあり、ホントはそれらの一々を撮影してお見せしたかったのですが、撮影していいのかどうか分からなかったので今回はパスしました。

 同塔敷地内にある「ぞうさん」の可愛い椅子(?)のオブジェがなんだかホッとさせてくれますね。

20120515212012051522 旧いテレビとオープンリール型テープレコーダーを展示した電気屋さんを発見。

 ビミョーにワタシがガラスに映り込んでしまい、いまいちの写真になってしまいました。

 それにしても、特にこのテレビなんぞは博物館級の旧さですね。いまだデザインという概念が製品から感じられない時代の「とりあえず、なんとか見られるヤツ造ってみましたぁー」な雰囲気が、時代の持つ一生懸命さを醸し出しております。このテレビで「シャボン玉ホリデー」見たいぞ(笑)。

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 さらに静かな街の中を歩き進めます。

 すると、昨日も気にはなっていた「金剛三昧院(こんごうさんまいいん)」の表示を見つけました。

 どうも、この路地をずーっと奥まで歩かない事には、このお寺には到達しないようです。みれば、またまた登りの坂道が延々と続いております。「さー、今日も元気よくハリきって歩きましょーぉ!!(カラ元気:笑)」・・・とは云うものの、結構キツいです、やっぱり。

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 一見、何の変哲もない住宅街の路地なんですが、この道もきっと熊野古道に続く道なのでしょう。そのムカシはこのあたりも鬱蒼とした森の中であったに違いありません。

 そのうち、いよいよフガフガのジジイになる直前にでも、歩いて熊野詣でにチャレンジするのもちょっといいかな、なんて一瞬思いましたが、とにかく若い頃に基礎体力を養ってこなかった報いか、今現在でも足腰バラバラだからなー。

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 ずいぶん、上の方まで登ってまいりました。看板にもアッチと書いてある。

 ほんとにコレで合ってるのかなーと、いよいよ心配になってくる頃、目的地はようやくおぼろげに見えてきたようです。

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20120515392012051540 さすがは「国宝」ですね。小さくても、そこには凛とした確かな風格と威厳を感じます。

 美しく手入れの行き届いたお庭も、世界遺産の名に相応しいものです。

 随分と苦労してここまで登ってまいりましたけど、やはりそれだけのものではありました。華美ではありませんが、どう考えても立派なのです。総天然色で見ているのに、我が目にはあたかも水墨画のように映ります。本当に歴史を経過してきた「本物」だけが持つ凄みと温かさには感銘を受けました。ここから先には余計なキャプションを入れませんので、ぜひ写真でご堪能ください。

 いよいよ明日で高野山篇が完結の予定です。続きをお楽しみに!

2012年5月14日 (月)

2012年、GWにフラっとドライブ(その5:徒歩で廻る高野山③)

 はい!こんばんは。残業してますよー!連休も終わって一週間も経つというのに、この旅行記はまだまだ終わる気配のカケラもありません。いまだ、旅を開始してから19時間くらいのところまでをご紹介するにとどまっております。

 まぁ、書いてる方もそれなりに結構たいへんなんですが、それに毎日付き合わされる皆さん方はもっとお気の毒(笑)です。お気の毒ついでに、本日はじめに云っておきますと、当ブログ、今日はいよいよ「お墓の画像しか出てきません(笑泣)」よ、ホントーに。でも、国際社会も認めた「世界遺産」にせっかく根性でイッてきたんですから、ソコはそれ。それなりにレポートさせてくださいな。

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 前回は、コロッケを食べ終わったところまででしたが、表のメインストリートに戻り、高野山の最東側方面に歩いてまいりました。途中、昨年秋に宿坊でお世話になった地蔵院さんを見つけたのでパチリ。

 そのあたりから1キロほども歩くと、ついに「彼岸の入口」に到着いたしました。二股に分かれた道の左側に入って行きます。期待は高まりますが、果たして・・・。

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 さあ、このあたりからが「世界遺産」の「奥の院」というところであります。聖山「高野山」の中でも秘中の秘、枢要の中の枢要、とにかくここの一番奥が信仰の中心であるそうです。

 まず初めに出てくるのが「一の橋」と呼ばれる小さな橋。「この世」と「あの世」を隔てる空間への一里塚です。

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 その最初の橋を渡るとすぐ左側に特徴のあるモニュメントが聳え立っております。この碑にも「ああ、同期の桜」とある。それにより、ワタシたちの宿泊するお寺とも何らかの関係が感じられます。周辺の旧い木々も年月を経過してきたツワモノですから非常に大きく立派です。よって、写真ではこの碑の大きさがいまひとつ伝わりにくいのですが、これはこれで相当背の高いものです。

20120514072012051408 さらに進み行くと、空挺部隊関係の物故者を祀った場所に本物の現役自衛官と思しき方々が花を手向けつつ手を合わせている光景に出くわしました。なにかこう、胸が締め付けられるような気持ちがいたしました。

 文学関係者の遺した石碑も多数見受けられます。時間が無さそうだったので、ひとつひとつをじっくりと読むにはいたりませんでしたけど。

20120514092012051410 そうこうしているうちに、「右も左も上も下も完膚無きまでにお墓ゾーン」になります。

 とにかく、20万基とも30万基とも云われる歴史的有名人と、有名企業関係者のお墓が立ち並びます。

 まず、ワタシの目に飛び込んできたのが「グリコのお墓」。おなじみのトレードマークも石に刻まれているし、企業ロゴ書体で字が彫ってあるし、いきなりあっけにとられました(が、そのあと次々ともっとスゴイのがあるので、これはまだ序の口であると知る:笑)。

20120514112012051412 はい、歴史マニアの皆様、お待たせいたしました。「武田信玄&勝頼」のお墓でぇーす。で、コレもこの段階では「フーン」と思ってとりあえず撮影していたに過ぎないのですが、そのあと奥の方ではドンドンすごいコトになってるのがあとからわかりましたんですけどね。

 なにせ、ワタシの場合はなーんにも事前情報というのを仕入れずに来てしまっていますので、周囲の観光客の動きや一喜一憂する様子を見ては「なんかスゴそうな墓所」を撮影して回るコトにキメました。

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 こちらは、弘法大師様が足を休めるために腰かけていたという石なんですが、フト見遣ると「ヨメがちゃっかり座って」ます(笑)。

 「なんつーコトをするかなー、このオンナは」と一瞬思いましたが、よくよく見ると座っているのは「石の防護柵」なんですね。柵の中にあるのが、その小さな「御石」でありました。霊験あらたかであるコト間違いなし。

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 ここを歩いていると、ごくごく普通の風景として伊達正宗公、石田三成公、明智光秀公と歴史モノには欠かせない錚々たる有名武将の墓所があちらこちらにあるわけです。「花の慶次(コレ知ってるヒトは、相当パチンコ好き:笑)」とか大好きなヒトにはたまらんモノがあるのでしょう。ワタシ自身はハッキリ云って日本史も東洋史も世界史も「超苦手領域」なので、スゴいんだろうけど、やっぱ「フーン」になっちゃうんだよな。

 で、それに混じって「関西の鉄道王」の異名を持つ南海電鉄創業者のお墓もあったりするわけですが、こういった「企業モノ」の方が心の琴線に触れて触れてしょうがなかったりするので、我ながら持って生まれたこの性癖ダケはコマったものです。

20120514192012051420 さあ、そろそろ「中の橋」あたりまでやってまいりました。三途の川も二つ目というコトになりますでしょうか。

 橋を渡りながらフト左側に顔を向けますと「市川団十郎」の墓とある。何代目の方なんでしょうかね、とにかく有名芸能人の墓所ということでとりあえず写真におさめました。

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 中の橋を渡り切ると、すぐ左にお地蔵さんを祀ってあり、そのまたすぐ隣には、この有名な「姿見の井戸」というのがありました。

 中を覗いて自分の姿が水面に映らなければ三年以内に寿命が尽きると云われているおそろしげなスポットであります。・・・でも速攻で「見ちゃった(笑)」。たこちゃんズは夫婦ともにバッチリと映りこんでおりましたので、最低あと3年は大丈夫らしいコトが判明いたしましたヨ。

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20120514252012051426 続いて中に進み出ますと、またまた有名企業モノ墓所が次々と・・・森下仁丹にパナソニック。

 こういうの見ちゃうと、松下電器産業のままであった方が威厳があってよかったのではないかと思わず感じるワタシです。

 「ナショナル」「パナソニック」「テクニクス」と同社は品目や仕向け地によってブランドを使い分けておりましたが、ワタシなどのオヤヂ世代からいたしますと、「パナソニック」からは安いラインのポータブルトランジスタラジオのイメージしか浮かび上がってこないモンで、「パナソニックプラズマテレビ」はまあ良いとしても、「パナソニック全自動洗濯機」とか、「パナソニック掃除機」とかの文言にはいまだに大いなる違和感を覚えます。昭和とともに、幸之助翁も遠くなりにけり、か。ああ、「パナカラー」の総天然色でサンダーバードが見てえー(笑)。

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 「武将墓所シリーズ」も超大物2基のご紹介と相成りました。

 太閤秀吉と、その師匠格(?)である信長公であります。ここは、先ほどまで歩いてきたメインストリートから一段も二段も上に登っていった、その先にありました。やはり超が付く有名大物武将たちは墓所も違うヨといった感じで扱いが別格です。墓石そのものはあっけないくらいに結構質素なんですけどね。

 ささ、いよいよ最後の橋を渡ると「アッチの世界」に入れる(笑)わけですが、その前にたくさんのお地蔵さんたちが並んで立っておられました。観光客が行列をなしておりますので、ワタシたちもその列のうしろに並んでみるコトにいたしました。

20120514312012051432 皆さんが、「ざっぱ、ざっぱ」と水を上に向かって掛け上げておりますので、ワタシもマネしてやってみましたが、なかなかに難しい。あちらこちらであらぬ方向にしぶきが飛び散るため、周囲から悲鳴とも怒号ともつかぬ声が時折上がります。

 ワタシたちは「我関せず」です。縁起物なんですから、こういった時は濡れるに甘んずるが良し。粋ぢゃ無いなあ、みんな。これから死ぬんですヨ(笑)、分かってる?

2012051433 ・・・かくて、この最後の橋を渡り行けばそこは彼岸の世界というコトになっております。ここから先は一切の写真撮影が固く禁止されておりましたので、画像がありません。御線香と蝋燭を捧げ、懇ろに御祈念申しあげました。

 1200年の歴史はさすがに限りなく深く、そして重厚です。

 「世界遺産」という言葉すら、もはや軽い文言に思えてきました。やはりここは紛う事無く「聖地」、やっぱ「アッチの世界」です(って、せっかく重くシメようと思ったのに:笑)。

 ともあれ、ワタシも昨年の秋に来ていなければ、ひょっとすると一生来るコトがなかったかもしれなかった高野山ですが、半年後にこうしてまた訪れてしまいました。風景がどうのとか、世界遺産だからとか、信仰がどうだからとかの諸々を一旦脇に置き、ただただ空気を吸いに行ってみてください。大震災や原発問題、世界同時不況等々と世俗は混迷を極めておりますが、そのような時代だからこそ、この空気感は人間の求めるものだと感じました。

20120514342012051435 橋を戻れば「コッチの世界」、世俗のアカを落として、もう一度「この世」に生まれ直した気持ちです。

 あー、間違いだらけであった、この半生(は過ぎちゃってるケド:笑泣)を悔いてばかりでは何にもなりませんね。

 「この世」では、まだまだやり残したコトがたくさんありますから、まずは雄々しく生きて行くコトにいたしましょう。手始めに、休憩所でイタい足を癒すとしますか。それにしても、この「押し出し」の建造物が「休憩所」扱いなのですから、撮影出来なかった橋の向こう側、その圧倒的な空気感がどれくらいスゴイものであるかを推し量ってみてくださいな。

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 浅野内匠頭の墓所を自力で発見しました。ここは、行きに通ったルートとは別の道なんです。あまり人通りが無いので、知らなければ見るコトが出来なかったかも知れません。

 この時間帯ではまだまだお日様が明るく照らしてくれますが、冬の夕方などでは、最近ちょっと前立腺の調子も悪いので、思わずチビりそう(笑)です。もっとも、真冬になれば雪景色になるでしょうから、それはそれは幻想的空間となるコトでありましょう。

20120514382012051439 この日はまだまだ桜が満開。ソメイヨシノではないですが、どこの仏閣もしだれ桜が美しく植栽され、その美観を競っておりました。

 で、またまた「企業モノ墓所」発見!「日産自動車」の慰霊碑です。中央のブロンズオブジェも夕方見ると「ナン」ですが、右手の真新しい石板に刻まれたCI書体ロゴがミョーに浮いていて、「Feel The Beet」とか書いてあったらどうしてくれようかといった感じでした。

20120514412012051442 「Lカゼイシロタ株」乳酸菌飲料でおなじみの「ヤクルト本社」さんのお墓。やはり創業者は「代田さん」というのですね。

 続いては、シロアリ駆除業者の業界団体さんが建立した「しろあり」さんたちを供養する石碑。まあ、商売とはいえ日々殺生を繰り返すんですから、仏教的にはちょっと生き方としてまずいところもあるわけで、こういったココロのケアは必要なんだろな。

20120514432012051444 はい、「企業お墓シリーズ」のトリをつとめて頂くのは、自衛隊の飛行艇などでおなじみ「新明和工業」さんの墓所です。

 宇宙事業版と航空産業版に分かれて立派な慰霊碑があるのですが、とにかくどちらも従来の概念を打ち崩すアヴァンギャルドなモノです。特にロケットのヤツは彩色までされており、ワタシもこういうお墓に入りたいモノだと(やっぱ、いや?:笑)感じ入りました。

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 ようやく「ゲゲゲの(笑)スポット」を全工程歩き終えて、足も腰もかなりガタガタになっております。一部、墓所巡りのためにかなりジグザグにも歩いてきましたから相当な距離を経てきたように思います。

 そこに立っている地図ボードを見ると・・・あー無情にも、ここからユルいとはいえ坂道を1キロ半も登って行かないと宿坊へは帰れない様子。這うようにして歩きます。途中で見つけたのは、昨年のヴェトロモンターニャの晩餐会場であったお寺「三宝院」さん。「その節は御世話になりました」とアタマを下げつつ、今夜の宿坊「大円院」さんにようやく帰り着きました。

 ・・・ようやく帰れるわ。この続きは、また明日(もヤルつもりだけど、いい?:笑)!

2012年5月12日 (土)

2012年、GWにフラっとドライブ(その4:徒歩で廻る高野山②)

 いやいやいや、今日はちょっとぢゃなくて「激寒(笑)」になってしまいました。初夏用の装束では、夕方などとてもとても。皆さんも御風邪など召さぬよう、お気を付けくださいね。

 本日も、本編ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方では、マセラティの在庫車情報をまたまた更新しておきました。前期型クアトロポルテと、珍しい内外装色のマセラティ430前期型です。どちらもビトルボフリーク垂涎の自信作となっております。後ほどご覧になってみてくださいね。

 さあ、昨日に続いて高野山を歩いて廻りましょうね。まだ4月29日(日)の午後13:30くらいからです(いったい、いつまで続くのやら:笑・・・皆さんもご興味ウスいようで、ここ数日はコメント欄もサビしいようですね:泣)。今度は寺街の真反対側を目指しつつ、頑張って歩くのであった。

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 ところで、高野山の街は左の写真でご覧になって頂けますように、端から端まで東西に4キロほど広がっているようです。

 というわけで、プラプラと道草しながら歩いていると、なかなか目的地には着かないものです。商店街には旧い建物が多くて、思わず目を留めて凝視してしまいます。この酒屋さんの店頭ディスプレイ用スペースに張られたガラス窓は表面がメラメラとしており、それが製造された時代の技術水準を示していて興味深いです。

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 どこもお土産物屋を兼ねているので、一見、何屋さんだか分からないお店も多いのですが、ここは本屋さんである様子。左の写真にある「古めかしい絵本」はあとでオチが出てきますのでなんとなく心に留めておいてください。

 中心部に入れば、広々とした交差点には観光協会や食堂などが立ち並びます。

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 路地を入ると渋い食堂の看板がいい味を出しておりました。さらに奥へと進みますと、なにやらスキっぱらにはコタえられない良い香りが漂ってまいりましたよ。思えば昼メシ喰ってなかったわ。

 ・・・お肉屋さんのようですねー。御惣菜が充実している模様です。

20120512072012051208 おぅー、コロッケか。口コミで評判なのね。いっちょ食べてみましょう。

 ・・・で、ヨメを派遣いたしましたが、次々とお客さんが吸い込まれていきますので、なかなかヨメは出てまいりません。ワタシは店頭のベンチに座りこんでタバコを一服、二服と。まぁ、待つのは楽し。

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 空きッパラには、揚げ物のいいにおいは堪りませんね。次々と揚がるフライの数々に思わずヨダレが出そう(笑)です。

 かくて、ようやくありつけました。評判のコロッケは、やはり大層ウマかったです。もうちょっと食べたかったところですが、宿坊の晩メシ「精進料理」のために、出来るだけハラは空かせておきましょう。ここではガマン、がまん。

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 お肉屋さんのすぐ隣には、唐突に「高野山大学」の通用門があります。お坊さんを養成する「パーパス・ビルド大学」。比較的新しい感じですが立派な校舎です。この大学の「学生お坊さん」も、後に全国の高野山真言宗寺の御僧侶になることでしょうから、そんな時代にはここのコロッケが懐かしの味になるコトでしょう。

 本日は、ここまでで力尽きました(笑)。おやすみなさーい

2012年5月11日 (金)

2012年、GWにフラっとドライブ(その3:徒歩で廻る高野山①)

 あー、こんばんは。今日はちょっとハダ寒いほどの冷たい風が吹く天候でした。ところで、本編ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」のマセラティ在庫車情報に、新入荷のマセラティクアトロポルテV6エボルツィオーネをアップしておきましたので、そちらも後ほど覗いてみてくださいね。とても洒脱で素敵な内装色のクルマです。

 といったところで、昨日の続きをば。4月29日(日)のお昼ちょっと前の時点からおハナシが続きます。

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 昨日最後のシーンの場所から、さらに登ること10分。立派な「大門」を左手に観ながら走れば、そこから先は高野山の中心街へと続いていきます。昨年もそうだったのですが、この立派な大門が最終コーナーリングの途中に忽然と姿を現すので、運転しながらアタフタしているウチに通り過ぎてしまいました。帰りにゆっくりと寄ってみよ。

 時刻はちょうど正午です。亀山からは道路が空いていたコトもあって、かなり順調に登ってこられたと思います。東京方面から高野山を目指す場合は、一旦高速で一気に大阪まで行くよりも、亀山から奈良県を突っ切り和歌山県にいたる「した道」を走った今回のルート選択が(コストの面でも)ベターであるように思えました。ちなみに、ナビ画面中にある「H」の文字は通常ホテルを示しますが、ここ高野では、お寺の宿坊の存在を表しています。

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 こちらが、本日お世話になる宿坊のお寺「大円院」様です。チェックイン(というのもヘンな感じですが)の時間帯よりもかなり早めに到着したので、とりあえず、中に入って荷物を預かって頂き(この時応対してくださったお若いお坊さんが超イケメンで、ヨメは舞い上がってヨロこんでました:笑)、そしてクルマも駐車場に。門前に建つ「ああ同期の桜」の碑が異彩を放っておりますが、ソレがここに屹立している理由は後にわかります。ワタシの瞼は、もはや全開を拒んでいるのが写真からもハッキリとわかりますね。

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 早速、寺町を散策することにいたしました。前回ゆっくりと参詣することが叶わなかった高野山真言宗の「総本山」である金剛峯寺(こんごうぶじ)を目指します。

 高野山一帯は、なんとこの日も(4月も終わろうというのに)いまだ桜が見ごろなので驚きました。美しく咲き誇る花々と古刹の凛とした佇まいは独特の空気感を醸し出しております。

20120511072012051108 空気感と云えば、前回訪れた折にも感じたのですが、ここ高野山は本当に空気が違います。しばらく滞在するだけで体の細胞ひとつひとつが丁寧に活性化していくような感じがいたします。

 参詣をした後は、敷地側面の出口からそとに出てみました。高野山寺街の一番はずれの地域まで徒歩で散策してまいりましょう。 旅行社のツアーなどでは、まずきっと行かないあたりだと思われます。

20120511092012051110 期待した通り、商売臭とは無縁の手付かずの街がそこにはありました。この廃業したガソリンスタンドなど、オブジェのようです。

 足はツカれて痛くもなりますが、やはり精密に街を廻るには徒歩でデレデレするのが一番しっくりとくるように思います。自転車の速度でも見落としてしまうモノがたくさんあるんですよね。

20120511112012051112 中心街からだいぶ離れてきましたが、この道は後述するように鉄路で高野山を目指すためには枢要な道路です。

 美しい生垣を纏った荘厳なお寺が軒を連ねています。このあたりは歩いて散策する観光客も少なく、穴場的な静寂スポットです。ただゆったりと流れていく時間に身を委ねつつプラプラするのは、お金こそ掛かりませんが、この上もない贅沢です。

20120511132012051114 ここ高野山までは、電車、ケーブルカー、バスと乗り継いで、大阪などから簡単に来るコトが出来ます。

 完全に「南海電鉄」が仕切っており、ケーブルカーの駅からこの高野山中心街までを往復するこの路線バスは、連休中だったこともあって臨時便が大増発、大げさでなく5分にひと便といった感じでえっちらおっちら轟音をたてながら坂道を登って行きます。

20120511152012051116 通り過ぎたバスを追う様にヒーヒーと傾斜のキツい上り坂を歩いてまいりますと、高野山の裏の出入り口に到着いたします。山門を出たところには「女人堂」という御堂がありました。

 大昔の高野山は女人禁制であったそうで、女性の参詣者は山門内に入る事を許されず、この御堂で本山を想いつつお参りをしていたコトでありましょう。

20120511172012051118 そのような謂われに関連したスポットがこの女人堂周辺には色々とあります。

 ここもその中の一つ。詳しくは写真を拡大してお読み頂くといたしましょう。

 このあたりより先に続く下界に降りる道は南海電鉄の路線バス専用道路となっているのが印象的でした。これにより、路線バスは正確な時間で運航できるというわけです。プリミティブな大量移送手段としてはこういう手があったか。アッタマいい!

20120511192012051120 帰り道で、もう一度木々の花々が周辺を囲む「塔」に、今度はより一層近づいて見てみるコトにいたしました。

 新緑も美しく歴史のある塔を飾ります。「金輪塔」というのですか、小さいながらも、しっかりと時間の経過を感じさせる、とても威厳のある建造物でしたよ。

20120511212012051122 さらに中心街に戻る途中には、どうしても寄りたい店があるとヨメが云う。

 路地を入って行くとそこにありました。なんと「麩」の専門店だそうです。様々な麩の周辺加工食品が並ぶ中で、お目当てのお菓子があるそうで・・・。

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 これが、ヨメの騒いでいた「あんぷ(たぶん”餡麩”の字をアテるのでしょう)」という、まっ、いわゆる麩まんじゅうです。

 いやー、さすがにコレは製造元の直売でしたから鮮度は最高で涼やかなウマさは抜群でした。あとで、中心街に戻るとあちらこちらのお土産物屋さんで同様の製品が売られておりましたが、このお店のモノが人気もあるようでした。

 あー、まだまだ続いちゃうな、コレ(実際、どうしよー:笑泣)。

 それでは、また明日。

2012年5月10日 (木)

2012年、GWにフラっとドライブ(その2:高野山へ、いざ!)

 はい、こんばんは!今日は「ひょう」が降るだのといった物騒なハナシがあったのですけれど、サイワイにも練馬はなんとか雨だけで済みました。実際に降ってしまったところは大変だったようですね。「Wさま」さんとか、東海道本線の影響は大丈夫だったですか?

 とはいえ、今日も昨日の続きをお送りいたしましょうね。更新時間が遅くなってすみません。

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 朝早く、亀山のビジホを出発いたします。昨日はクローズ状態で走行してまいりましたが、今日は天気も良いコトですし、思いっきり屋根を開けてオープンエアを満喫したいところであります。

 コペンの場合、屋根をトランク内に収納いたしますと、綺麗に折りたたんだスーツ一着分程度のうすっぺらいラゲッジしか得られなくなります。リーザスパイダーの時には問題にならなかった、荷物の収納場所の確保がこのクルマでは必要です。御覧のように、荷物はキャリアに括りつけて行きます。100円ショップで手に入れたゴムひもがこんな時には大活躍いたします。お洒落と夜逃げは紙一重(笑)といった見た目になってしまっていますけど。

2012051003_22012051004_2 さあ、走ろう!とにかく行こう!!

 ・・・とはいえ、ここからは全線下の道ですから、なかなか三重県横断は完遂出来ないものです。

 途中「京奈和道」といういささか強引な名前(気持ちは分かるけどな:笑)の専用道の表示をたびたび見かけましたが、その「使用法」が今ひとつわからないので、パスしました。

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 ようやく、あこがれの和歌山県に突入いたしました。高野を目指すには、まずとにかくこの「橋本」という町に行かねばなりません。橋を渡ると「高野」の文字が見えてまいりました。だーけど、ここからがまた長いんだコレが。待ちうけているのは狭小なワインディングロード。気を引き締めてイコ。

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 あー、この看板の左折方向に曲がって、前回はエライ目にあったんでしたね「りゅたろう」先生。今日は間違えずにイキましょう。ここは、とにかく直進で。

 段々と「イイ感じ」の風景になってまいりました。写真で山深い雰囲気が伝わっていればいいのですが。

2012051009_22012051010_3 ところどころに出てくる鉄橋の数々が、とても良いムードでしょ?

 でも、ご覧のように、時にとっても狭い道幅になったりするので一時も気は抜けません。

 しかも、各コーナーはどれも「?(ハテナ型)」のカタチになっており、コーナーの中盤あたりでいきなり路面が出張っていたり(逆ヘアピン:笑)もして、昨年の「マセラティシャマル」での走行が難しかったコトを思い出しました。思わず「たこちゃんバシリ」になってしまう臆病者のワタシ。

2012051011_22012051012_2 行く手をロードレーサーに跨る人々(時に並列走行しつつ、なにやらダベりながら走っているのでなかなか安全を確保して追い抜くコトができないの)や、半端にハヤいオートバイが阻んでくれます(泣)。

 でも、しょうがないですね。ワタシは無理な追い越しをしない主義ですから、安全な道幅が出てくるまでゆったりと待つコトといたします。

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 いよいよ、目的地は目前なんですが、きついワインディングの登りは運転していてもクルマ酔いしそうです。

 さあ、このブログのヘビーな読者の方々はこの写真の場所がどこかわかりますか。

 ヒントは右の写真の「たこちゃんヨメ」のポーズにあります。

 ・・・答えはコチラです。 (18枚目と20枚目の写真のところ)

 それでは、また明日!







2012年5月 9日 (水)

2012年、GWにフラっとドライブ(その1:まずは前線野営地へ)

 今日から暫くの間は、ゴールデンウイークの「たこちゃん旅行記」をお届けしようと思っております。すでに連休中の当ブログにおいて一部「ネタばれ」させておりますが、そこはそれ、ビジュアル(写真)が付きますと、より一層旅の「ライブ感」も出ようかと云うもの。旅行中に撮影した写真は1000枚以上もあり(オレ、アホ?)その中から厳選してストーリーを構成しなきゃイケませんので、色々考えると一体いつになったら完結するのかしら。とはいえ、とりあえず、はじめてみましょうね。まずは出発のシーンからどうぞ。

20120509012012050902 はい、こちらは4月28日(土)PM7:00の撮影です。

 練馬は土支田の我が仮住まいの横にて、愛車コペンとともに。ホントはこの段階では当日までのツカれもたまりまくって結構「ヘロヘロ」だったのではありますが、むりやり元気を奮い起しております。なにせ、コレから深夜まで走ろうというのですからね。

 クルマに乗り込むとナビの時計は19:03と表示しておりますね。これがスタートタイムであります。環状8号線で用賀へ行き、東名高速に乗ります。

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 ひたすら、突っ走っておりますと、御殿場で「新東名高速」に行けるジャンクションが出てまいりました。新しい高速はいかなものかと早速ワクワクと吸い込まれてみました。

 我らが「たこちゃん旅」の場合、時間的な制約により走ってばかりでちっともメシにありつけなくなるケースが多くありますが、今回は真新しいサービスエリアなので興味本位もあるので早々に入ってみました。清水S.Aです。

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 このサービスエリアでいきなり異彩を放っておりましたのがこちらのお店。ライダー用品(特にツナギやブーツなどの皮革モノ)でつとに有名な「クシタニ」のショップです。

 ワタシも大学生の頃に、まだまだ出始めで非常に高価であったシンサレート素材「ゴアテックス」を封入したグローブを当時板橋の川越街道沿いにあった「クシタニ直営店」で手に入れました(当時の金銭感覚からすると、そりゃもう、モンのすごく高かった:笑泣)。その装着感といい、厳冬期の防寒性能といい、それまでのものとは異次元の機能性で、まったくもって素晴らしい逸品でしたが、本社が浜松の会社だったのですね。あらためてこの分野も、オートバイ王国静岡県の地場産業であることを認識いたしました。ここのSAには、この他にもたくさんのアンテナショップが入っております。近所の方は一度のぞいてみてはいかがでしょう。

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 さあ、ハラごしらえとイキますか。色々と目移りするホドにお店が立ち並んでおります。

 そんな中でも一風変わった「韓流食堂」を発見。豆腐チゲラーメンとも云うべき「ズンドゥブ(純豆腐)ラーメン」というのをオーダー。あつあつの状態で供されたソレは、かなーりカラいのではありますが、舌に沁みるコクのある絶妙の風味。豆腐もトロトロで大満足でした。

 その後、新東名は三ケ日で旧東名に合流。さらに歩を進めて豊田JCTからは、伊勢湾岸道へ。すぐに出てくる大観覧車でおなじみの「刈谷ハイウェイオアシス」でヨメと運転を交替するコトにいたします。当日のブログ更新作業と、今夜の宿の予約のために「じゃらん検索」をするのがワタシに課せられたミッション。ホントは事前に「桑名あたりで一泊できたらなぁ」と思っておったのですが、アテにしていた宿はすでに御売約済(笑)。そうすると、四日市か、亀山、もしくは鈴鹿あたりで探さなければなりません。「うー」、まだハシるの?

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 で、なんとか亀山に野営地を確保。ミッションを終えたワタシは、またまたステアリングを握り直し、ひたすらに走り続けて、左の写真のように23:18にはビジホに到着。

 早速、酒も用意したヨ(右の写真)。明日はなにがなんでも高野山入りをしなければなりません。一杯カッくらって「ドロのように」眠るコトといたしましょう。オヤスミなさーい!

 

 続きは、また明日(の予定だけど、果たして書けるのか?:笑)。

 

2012年5月 8日 (火)

今日から全開営業を開始しております!

 はい、こんばんは!連休がひとまず終わりまして、マイクロ・デポは本日より全開で営業いたしております。とりあえず、本編ホームページ「マセラティに乗りませんか・・・」の方を更新するのが精いっぱいで、こちらのブログ用写真の「加工作業(笑)」までは本日中に達成するのが難しいと判断し、「たこちゃん旅行記」はちょっとおあずけです(そんなの、やらんでもいいというハナシもありますが:泣笑)。

 昨日もお休みの最終日だというのに、しばらくは自分のクルマに乗れなくなるので、往生際も悪く午後のひと時を房総ドライブに宛ててみました。ひとまず九十九里の浜に出て、外海を満喫。浜沿いに勝浦方面に向けて走ってみましたが、信号がまったく無い浜辺の道を50キロくらいでデレデレとオープンエアで走るのは最高の気分でした。かなりしばらくの間、前にも後ろにもクルマはまったくいなかったので、その解放感はひとしお。続いては内陸に入っていき、前々から気になっていた「笠森寺観音堂」という古刹に行ってまいりました。それはそれは素晴らしいところでした。いっけんの価値大いにあり。午後の1時過ぎから5時半くらいまでの4時間少々の小さな旅でしたが、まだまだ千葉県内にも人知れず良いところがあるものだと感じ入りました。

 まだまだ、「ネタ切れ」になるのは早いですね。また頑張って「面白がって頂ける内容」を心がけつつ書き続けていきますので、引き続き当ブログを可愛がってやってくださいね。

 それでは、また明日!

2012年5月 7日 (月)

練馬がワタシを呼んでいる(笑)

 皆さんのおかげで、ゆっくりゴールデンウィークを堪能させて頂きました。普段住むことのない千葉の我が家にて、休みの後半はプラモ三昧で過ごすコトが出来ました。
 さあ、明日からはマイクロ・デポ、通常全開営業です。高速バスは東京駅八重洲口を目指しています。
 練馬が呼んでいる・・・、明日からも楽しくイキましょう!どなた様もお忙しいところとは存じ上げますが、引き続きコメントをよろしくお願いしまーす!
 それでは、また明日。

2012年5月 5日 (土)

プラモ作りの効用

 えー、「モナコ仕様」なの?、「Hでございます」さん。いささかならず酔っぱらっていたので、ワタシの脳内では「モナコ→富士」と勝手に変換されてしまっていたようです。大変失礼いたしました。
 ところで、オトナのプラモデル作りは、えてして深く、深ーく(笑)ディテールや考証に凝るあまり、子供の頃の「歯でバリを喰い千切って」つくる、あの原初の楽しさをついつい忘れてしまうのですね。・・・とは云うものの、ワタシ自身も「目にモノ見せてくれようぞ」と製作中に湧いて出てくる邪念を振り払いつつ、出来るだけ「デパートのおもちゃ売り場(ワタシの子供時代の場合は、池袋西武の6階・笑)」でショーケースに輝く、あの完成見本の感じをまずは目指し、そこに「プラスアルファ」の魅力を付加出来るようになにか「ヒトねた」入れるコトが出来れば(いや、ソコがすでにして邪念だったりして・笑)と思いつつ頑張っております。自分のイメージ通りにキマった時には、誰にホメられるコトなくても、爽快な達成感にひたれるモノです(ワタシの場合は日常が挫折感一杯ですからね、より一層・泣笑)。
 連休もたけなわですが、皆さんそれぞれに楽しんでおられる様子が日々のコメント欄から伝わってまいりますのも、ワタシにとりましては大事な楽しみでありますよ。ゆったりした時間が流れております。さあ、カレー喰ったら、また「たいれる」作ろ(笑)。

2012年5月 4日 (金)

「たいれる」P34をつくる

 と、云っても、当然ブラモデルのハナシ。昨日の「ダメ男」に於いて、「Hでございます」さんが披露されたスウェーデン製戦車の完成作品は、そのあまりのレベルの高さに参加者一同呆気にとられ、ワタシ自身もしばしの間はアゴがはずれておりましたが、当のご本人はいたって飄々と「次はタイレルP34(6輪タイレル)、やろうと思ってますんで」と仰いますので、「タミヤの1/20のヤツ?」と伺ったら「あぁ、そうです、そうです。」と。「(ジョディー)シェクターと、(パトリック)デパイエのどっち作ります?」「シェクターを日本グランプリ仕様でイキます」「じゃ、ワタシはデパイエで」
 ・・・。というわけで、今日は朝からタイレルP34と格闘しております。いかな天下のタミヤと云えども、35年も前の金型で作られた製品なもので、「こんなに合いがピリッとしないものか」と難事業に着手してしまったコトにあらためて先ほど気付きました。
 この休み中に、どこまで進められるコトやら(笑泣)。
 ワタシにとっては「タイレル」は「たいれる」であって、断じて「ティレル」などではありません(笑)。同様に、「ディパイユ」では雰囲気が出ない。あくまでも「デパイエ」が昭和51年現在の気分なのです。

2012年5月 3日 (木)

ダメ男たちの饗宴

 いやー、やっております「ダメ男」の皆さん(笑)。今日はよりによって超低気圧の襲来で屋外はヒドい雨と風が終日吹き荒れる天候でしたが、それだけにいつもは「名ばかりのプラモ作り」に堕してしまうところが・・・あー、真面目、真面目。初参加の方々も懸命に高度な作業に没入しております。
 こうして、童心に還ってくーだらない労働(笑)に勤しむ姿を拝見しているのは、本当に心が和みます。「このヨロコビよ、いつまでも」といった感じです。ご参加の皆さん、有難うございました。
 今回、参加出来なかった方々も、今後機会がありましたらぜひお越しになって頂きたいと念じております。
 ・・・、皆さんがお帰りになって、かなり寂しい気持ちです。また、お集まりくださいね(願)。

2012年5月 2日 (水)

ひたすらゴロゴロ

 連休中にもかかわらず、皆さんより連日たくさんのコメントを賜わりまして、心から感謝いたしております。
 怒涛の三連投(笑)から一晩経って、今日はサスガにほうけております。
 とはいえ、「ダメ男の集い」の準備はヨメが中心になり、着々と進めておりますよ。
 気になるのは、明日の天気。雨が降るのは仕方がないとしても、せめて柔らかな春の雨となってほしいものです。ご参加の皆さん、くれぐれも安全運転で。
 この連休中も、お仕事の方、ご旅行される方と様々なご予定があろうかと思いますけれど、決して急ぐこと無く、ゆったりした優しい気持ちでお過ごしください。ワタシもそうします。
 それでは、また明日!

2012年5月 1日 (火)

とりあえず、無事帰還。

 あー、もう一時はどーなるコトかと思っておりましたが、先ほど8時過ぎに千葉の我が家に到着いたしました。土曜日に店をハネてより出掛けたところから、丸三日と一時間の旅となりました。総走行距離は1300キロ弱って感じですね。
 しかし、今日の最後の320キロの長いコトと云ったら・・・。やっぱ、「した道」は寄る歳波にはキツい感じになってまいりました。
 我慢できずに、東名横浜からズル(笑)したら、たったの○○分でワープした如くに着いた。110キロあったハズなのに。
 さぁ、明日は「ダメ男」の準備を頑張ってまいりましょう!
おやすみなさーい!

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