2012年、GWにフラっとドライブ(その15:浜松のスズキ本社歴史館探訪記⑦)
あちょー!気が付けば今日はもう5月も25日、このブログもそろそろ「旅行篇」から「脱却」しないとね(笑)。でも、ここのところ「ネタ切れの恐怖」からは解放されているので、ワタシの気持ちは結構サワヤカなんですけどね。「スズキ篇(を含む旅行篇も)」、今日で完結させますから、もうちょっとガマンしてくださいな。初めにいっときますが、今日のはつまんないよぉー(笑泣)。・・・いわば、本レポートの「落ち穂拾い篇」というわけですからね。
ちなみに、昨日のコメント欄「上京FMt」さんからの「アサヒビール仕様のキャリイ、いいですね。キリンやサッポロも同じようなことやってたんでしょうか。」という問いを、そのまま「ブックガレージ」高橋君にブツけましたところ「色々とこういう仕様のカタログは存在するよー」とのコトでした。ビールメーカーに限らず色んな業種にやっぱり自動車各社が絡んでいた模様です。
さて、今日の初めは「アルト 47万円」です。このモデルは、1970年代の終わり頃に一時期傾きかけていたスズキの軽四輪事業を一気に救った救世主として、スズキ的にはとても深い思い入れがあるらしく、この歴史館内では、以後のどの車種よりも大きな扱いでワンブース設けてありました。云わば「スズキ軽四輪の中興の祖」というわけであります。また、同業他社をも巻き込んで80年代を席捲した「軽ボンバンブーム」の火付け役でもあり、スズキが一気に窮地から脱し、現在の世界市場で重要なポストを担うメーカーに成長するキッカケになったという意味でも、世界自動車史的に重要な存在でありましょう。
・・・改めて、現在の視点で見直しましても、すべての造形が潔いですね。「これでいいのだ」のココロと申しましょうか、良い意味での「居直り感」がこのクルマのキモです。当時の常識を遥かに超えて安い、「47万円」という挑戦的な価格を実現するために、とにかく「(コレ以上、コストを削るところがないん)だったら、エンジンも取れ!」くらいの勢いで開発したと、このブースでの開発ドキュメント映像内では語っておりました。まあ、エンジンは取っちゃイカんだろうと思いますが(笑)。その後30年経ったらインド市場でのスズキは「タタモーターズ」から同じこと(超格安大衆車販売戦略)ヤラれてますけど、今度はタイヤも取らないとイケないかもしれません(笑)。安物買いの銭失いという言葉もあります。「投げ売り」商品には節度をもって接しましょう、ね。
さてさて、アルトは安かったけど、シンプルで故障が少ない上、アフターサービスがしっかりとしていたところが良かったわけですが、同じ時代に他の商品がどんな価格であったかを示す現物展示ボードがコレです。
あー、「ポパイ」誌¥230ですか。懐かしいですね。いまやテレビはまったくカタチが変ってしまいましたね。耐久消費財に「たましひ」が籠っていたアノ頃・・・。
アルトも初代は気骨を感じさせるモノでしたが、やはり2代目からは、ストライクゾーンの広さを任ずるワタシですら「なげやりな気持ち」になるような(笑)「商売っ気」ばかりが目立つクルマになり果ててしまいました。
「雨音はショパンの調べ」が大ヒットして、この時代の「いいオンナ」の代名詞になっていた「小林麻美」さんをCMに起用していたしがらみで、こんな特別仕様を作ってしまいました。あーあ。
今度は「2代目ジムニー」であります。ワタシが昔持ってたのがこのモデルそのもの。
もっとも、色は黄色いのだったんですけどね。幌を全部取っぱずして、フロントウインドーを前方に「ぱったん」すれば、救いようも無い(あ、いや、譬えようも無いか:笑)、爽快感が味わえたモノです。このカタチになっても最初のは2サイクルエンジンだったんですよー。雪道でもしっかりと大地を踏みしめて走ります。
はい、左のは「スズキのマー坊と呼んでくれ!」のCMで話題となりました「マイティーボーイ」ですね。すっかり魅力の乏しくなった(笑泣)2代目セルボの変形亜種といった感じのクルマ。強引に後半部をチョップしてピックアップにした上で、ヨコから見ると「ファストバッククーペ」に見せるようなガーニッシュが付いています。このあたりは「マセラティメラク」をデザインしたジウジアーロ先生からお知恵を拝借したという可能性もある様な・・・やっぱり無い様な(最近コレばっかし:笑)。右の写真は「3代目セルボ」なんですが、このあたりになるとワタシの興味からはかなりハズれていますので、解説も不可能となります(笑)。
「カプチーノ」。ワタシにとっては「カスって」通り過ぎたクルマ。
フロンテクーペが一度目のエンジン焼損になった時、練馬のスズキ直営ディーラーにフルオーバーホールを頼んでおりまして、4カ月間通いつめたコトがあります。ちょうどそんな時、モーターショーに行ったらスズキブースに「RS-1(っていう名前だったと思う)」と称するミッドシップスポーツカーが展示されており、それを見たワタシは「これこそ現代の和製アバルトである」と結論し、市販されたら必ず買おうと思っておりました。搭載エンジンは確か「初代カルタス」用の1000CC三気筒をチューニングしたものであったと記憶しております。で、通ってたディーラーの工場長さんにしつこく聞いたら「もうすぐ発売するらしい」との事。指折り数えて待ってたら、結局出たのがこの軽自動車、カプチーノであったのです。ミッドシップはミッドシップでもこいつはフロントミッドシップ。無理に軽自動車の枠に入れてしまったのでデザイン的にも「チョロQ」っぽい。ヘッドライト周りやノーズの感じだけはショーで見たクルマのイメージがちょっとだけ残ってるんだけどな・・・。
えー、このへんになってまりますと、御存じの様にワタシの視界からは30億光年くらい離れてしまうタイプのクルマですので、老眼がヒドくなった現在ではいよいよ見えません。
で、当然素通りだったのですが、あとから一瞥するとボンネットになにやらサインがあります。「エルトン・ジョン」モデル(ドイツでの限定車)ということで御本人直筆であるという。・・・ただそんだけなんですけどね(笑)。
「オレ・タチ・カルタス」だって!あー、こそばゆ(笑)!80年代のGM世界戦略車も日本ではこんな売られ方だもんな。
あれ?ワタシ、なんかなげやりになってます?ああ、この80年代以降コーナーはツラいわ。一応カルタスはスズキが初めて「軽」を脱却し本格的に小型乗用車を量産した記念すべきモデルでありますからここに載せておきました。想えば先日御紹介したフロンテ800以来の「小型車」です。・・・ただそんだけなんですけどね(再び:笑)。
「コークボトルライン」時代のフロンテエンジンです。これはちょっと見ごたえがありますので、ワタシ的には本日の一押しです。
なんか、ものすごく「レーシー」なモノを感じさせてくれるアルミの造形美です。三連キャブの吸気音が聞こえてきそうですね。フィンの寝かせ具合などもいい按配です。部屋に飾ってみたい、邪魔だけど(笑)。
「チョイノリ」がわざわざブースになってたのにはちょっと驚きました。「初代アルト」といい、スズキは超廉価モデルを作るとイバる傾向があります(笑)。
そんなのがあるかと思うと、グランプリレーサーの本物があったりして、本当にここは間口が広いミュージアムですね。
それは、スズキというメーカーの持つ「独特の存在感」から来るものなのかも知れません。同じ時代にここまで違うテイストの製品を造り出すクリエイト能力は相当な実力です。
なにか、四輪の世界でもフラッグシップモデルを造ってくれないかなー、いい仕事しそうなんだけど。二、三日前にニュースでやってたけど、「マツダ」は「フィアット」と業務提携して、広島の本社工場でアルファロメオのバッジが付いた「ロードスター」を造ることに決定したそうです。んじゃ、広島製の「アルファスパイダー」とかが売り出されるわけ?こうなりゃ「スズキ」さんも何か一発お願いしますよ、応援はしますから(ガンバレー、ガンバレーって呟くだけだけど)。
現代のスズキ二輪車を代表するフラッグシップモデル「隼(GSX1300R)」であります。コレに高速道路上で初めて追い越された時にはどギモを抜かれましたよ。そして一瞬にして「点」に。
「パワーフリー」や「ダイヤモンドフリー」の時代から50年掛かってここまでやってきたというわけですね。スピードメータースケールは350Km/h!ストック状態で叩きだした実測312Km/hは当時ギネスに載ったそうです。300Km/hで巡航できるオートバイって、ちょっと「オー、モーレツ!(笑)」過ぎますよね。
三階フロアの端には静岡県内の産業振興を目的としたブースがありました。
まずは、静岡県の「偉人さん」コーナー。それぞれの画像を拡大してご覧になってみてください。
スズキ創業者はもちろんのこと、ヤマハ創業者もホンダ創業者(宗一郎さん)もすべて漏らさず顕彰しているところが粋ですね。
並んでる順番の序列がちょっとダケ気になりましたが、生誕順なのかな。
楽器にオートバイにテレビジョン、そしてクルマ。ホントはここに「プラスティックモデル」も混ぜて頂きたいと思います(笑)が、静岡県由来のメーカーは、本当に世界に通用する品物を多数輩出してきていますね。あらためて「遠州人万歳!」であります。
ここ浜松市高塚のごく近所には「航空自衛隊浜松基地」があります。ここはそこからの出展ブース。
朝、ビジホを出てこの歴史館に来るまでの間にその脇を走ってまいりました。
「お約束」のフライトシュミレーターに挑戦・・・あっけなく撃沈(というか、墜落:笑)。戦闘機の操作は難しい。
昂奮のるつぼと化した2時間の見学を終えて、歴史館のそとに出てまいりました。あいにくの雨です。しばらくはコペンもクローズトップでまいりましょう。
スズキの総本山にダイハツ車で乗りつけるのも如何なモノかと思いましたが、記念館駐車場には守衛さんなどが居るわけでもありませんので、他社製品の方(クルマもオートバイも)は安心していいですよ(笑)。もっとも、ワタシ、バンディッド250(超初期型)とマメタン持ってるから、二輪の方では今じゃ立派なスズキユーザーですけど(キリリ!)。
・・・AM11:10、いざ千葉へと向かわん!
で、とにかく「した道」に拘って、ナビが命ずるままに国道一号線を東上いたします。
特にコレといった渋滞も無いんですが、一向に静岡県を抜けられません。
静岡市内のメイン市街地を抜けたあたりでようやく昼食(びっくりドンキー:笑)を採りましたが、時計を見ると時間は15:00。4時間走って100キロほどなの?さっきの「GSXハヤブサ」なら4時間走れば青森行けるぞ(笑)。
まだまだ道のりは長い。ナビは御殿場を目指せと云う。「246」ですか。いつもは箱根経由だけど、今日は気分を変えてそれでイッてみるか・・・。
・・・一抹の不安はあっけなく的中し、厚木の遥か手前からは、夕方の渋滞タイムの上にゲリラ豪雨も重なり、もはや、どーにも、こ-にも(泣笑)。ナビのばか。
・・・で、結局ガマンも限界を超え、一気に息止めて夜の高速道路を走りまくりました。
おー、はやい、はやい!
なんか、いつもこんな感じですね、最後は(笑)。だったら、明るいうちに静岡県内を「ピュー」って走ればよさそうなモンなんですが、それが出来ないのが悲しいサダメなんですよねー。ともあれ、5月1日(火)PM20:13に千葉大網の我が家に無事到着いたしました。土曜日の夜に練馬を出て、この時間に家に着きましたので「まる三日と一時間」の旅であったというコトになります。ですからワタシの気分の中では「三泊三日」という感じですよね。皆さんもそのネタに15日間もお付き合いしてくださったコトになります。毎日お疲れのところ本当に有難うございました!
それでは、また明日(書くネタは残ってるのか、オレ:笑)。
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コメント
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長らくの旅日記、お疲れさまでした。今日の分も「つまんない」ことはなく堪能致しました。
個人的には「オレ、タチ、カルタス」の写真に片目だけ写っていた新しい方のカルタスが懐かしかったです。1.3リッタークラスではFFのスターレットと二台目シティと共に走っておりました。
あと重箱の隅みたいで申し訳ありませんが、ブログの文章の始まり、本日分をみて普段はどんなんだったかなあとつい半年分見直してしまいました。
多かったのは「はい、こんばんは」と「あー、こんばんは」。あとは「あー」、「いや(いやいやいや、いやー)」などがあり、「あちょー」は珍しいようです。
投稿: おぐ | 2012年5月26日 (土) 00時09分
↑あちょー!「おぐ」さん、お疲れのところ、ホントに有難うございます。「今日のはつまんないよぉー」は、ちょっと斬新だったでしょ(笑)。
投稿: たこちゃん | 2012年5月26日 (土) 01時35分
やぁ、シュワンツのガンマだ。カッコいいなぁ
投稿: nearco | 2012年5月26日 (土) 01時38分
私的にはここらの時代が分かりやすいです。2サイクルジムニーはローギアードと「ぴょこぴょこ」な動きに非常に疲れた記憶があります。
エスクード(ビターラ)は良いデザインだなーと思っています、朱色みたいな赤が似合っていました、これをザガートがリデザイン(というほどじゃないけど)したものがありましたね。
スズキのCMは今も昔もアカ抜けないと思うのですが、大衆的なモノを狙ってそれが大衆をバカにしている感じがあり「浜松でやってる会社だもんでね」ってわざとやってるのかなー?。
近所の中古屋さんにMR-Sをザガートがデザインしたクルマがありました、日本車ベースのこういうキワモノ紹介をリクエストのココロだー。
投稿: 一松 | 2012年5月26日 (土) 08時05分
小林麻美さん、懐かしいです。ちょっと物憂い細身のお姉さん、という感じでした。どうしておられるかウィキで検索したら、来年がご還暦! ワタシも年を取った、ということですね。ちなみに広島在住だったワタシの好みは「瞬間、コスモの匂い」の宇佐美恵子さんでした。
投稿: 上京FMt | 2012年5月26日 (土) 09時50分
長編シリーズの執筆、お疲れ様でした。
読みごたえがありました。面白かった。
しかし、静岡県人てのは同郷の私にとっても未だに良くわからない・・・。
遠州人は起業家精神が旺盛なのでしょう。このブログで挙げられた通り遠州には世界的な企業が何社もあります。
でも、駿河の国にも田宮模型があるじゃないか。
投稿: Ryo | 2012年5月26日 (土) 15時52分