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2012年5月19日 (土)

2012年、GWにフラっとドライブ(その10:浜松のスズキ本社歴史館探訪記②)

  はい、こんばんは。ここ数日は更新時間がすっかり夜遅くなってしまっていて、「まだかー、まだかー」と何度もこのページを開いてくださっている常連コメンテーター様方の様子が目に浮かびます。本当にいつも有難うございます。というわけで本日は「ハヤめに」イッてみよー!

20120519012012051902 三階フロアでは、戦前「鈴木式自動織機」の時代から始まり、戦後スグの動乱期に生を受けた文字通りの(現代においては狭義の)「原動機付自転車」が本格的スーパースポーツに進化してゆく過程、そして軽自動車発達の歴史等々が、すべて「現物展示」の上、その時代背景や当時のプロモーションイベント、コマーシャルフィルムや雑誌広告宣材、カタログなどの詳解(紹介)を通じて立体的に疑似体験出来てしまうと云う、オートバイやクルマが少しでもお好きな方々であれば「アタマがおかしくなりそう(現にワタシはおかしくなった:笑)」なくらいに楽しめてしまうスポットです。コレでは幾ら時間があっても足るコトはありませんね。

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20120519052012051906 第二次大戦後、庶民のプリミティヴな足は、当然の如くに自転車(いや、その当時はこれとても未だ贅沢品の範疇内であったに違いありませんが)でありましたが、昭和も20年代後半と相成りますと、国民全体にも些かの余裕が出てまいります。

 しかしながら、ホンの数年前に虎の子をハタいて購入した自転車をヤメてまで本格的な成り立ちのオートバイを購入できる財力のある御仁は、まあマレであったわけです。ホンダで云うところの「カブエンジン」に相当するのが、スズキに於いては、この「パワーフリー号」「ダイヤモンドフリー号」であったというところです。こういった製品の出現により、旧いモノを生かしつつ新しい時代に対応していくコトが出来たのは、これこそまさしく「エコロジー(なんてコトバは無かっただろうけど)」の発露であったと申せましょう。

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 並行して、本格派オートバイも徐々に出現してまいります。

 1950年代のスズキ製オートバイは原則的にすべて「コレダ」のブランドネームを名乗っていました。・・・「コレダ」、この珍妙な名前の由来は「オートバイの決定版はコレだ!」の「コレだ」なんだそうです。・・・「あんまりだあぁー!」安直ネーミングの極北と云えましょう(笑)。まっ、この頃ホンダも「ベンリィ(便利)号」だったしな、五十歩百歩ではあります。

20120519092012051910 しかしまあ、こんな貧窮の時代にあって、海外に行ってオートバイでの冒険旅行に成功したヒトが居るのですから驚きを禁じ得ませんね。

 そしてその現物がこうしてしっかりと保存されているのですから、こちらもまた驚きではあります。長途の旅で酷使されてきたスゴみのある荒れ具合は文化財級の風格に溢れています。

20120519112012051912 一方、ホンダが画期的な「スーパーカブ」を生み出す前の時代では、旧態依然の戦後臭濃厚な狭義の原付車部門もまだまだ活発です。

 この時代には、ありとあらゆる産業分野からの新規参入も少なからずあり、一地方の自転車店レベルの店から、その後一家をなすメーカーまで、まさに群雄割拠の様相を呈しておりました。このミニフリーなどは、フューエルタンクがとてもキュートでフェミニンな個性をもったモノになり、ようやくデザインも性能のうちであるといった理念に一歩近づきつつあった時代の過渡期的なムードを漂わせています。

20120519132012051914 ごく初期の「コレダ号シリーズ」にはそのタンクバッヂに「SJK」のロゴが入っていました。云うまでも無く「スズキ・自動車・工業」の略でありましょう。・・・こうしたムカシの「アルファベット略号」ってなんか強引だよなぁ。そういえば、最近めっきり見なくなりましたが、ムカシは「株式会社」のコトを「K.K」って書くことがよくありましたよね。あれって、何の略だったんだろう。

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20120519172012051918 「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれた昭和31年に出現の、期を画するモデル「コレダ250TT」であります。その最高級感を表現するのに、ロールスロイスではなくてキャデラックを持ってくるところが時代の雰囲気です。

 現在でも「○○界のロールスロイス」という物云いは微妙に生きておりますが、「○○界のキャデラック」って云われても、「えっ、なんかチャチいの?(笑)」なんて勘違いするヒトがいそうですのでホメ言葉になりませんね。キャデラックの名誉のために申しあげますと、90年代以降のものは、故障少なくなりましたよ。質感の方は、まあ相変わらずですが(ワタシは結構好きなんですけどね)。

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 このあたり昭和30年代前半のオートバイですと、どうしても今はなき「陸王」とか「メグロ」などの重量級がクローズアップされることが多いので、「コレダシリーズ」は旧車界でも長らく地味な存在であったように思います。

 それらを元々温存していたのか、世間から後天的に広く蒐集しレストアしたのかはわかりませんが、これだけ圧倒的な数の50年以上前のモデルをよくぞここまで揃えたモノです。製造メーカーとして、自社製品への愛情が強く感じられます。

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20120519252012051926_4 高校生くらいの頃にも思っておりましたが、スズキの二輪車って、オーソドックスな全体的イメージの中に「突飛な造型センス」をワンポイント入れて、それでヘンな事になってる(笑)という特徴があるような気がいたします。

 全体的には一見ありきたりのフォルムだったりするのですが、そこにヘンなモノを入れ込んでいく。こちらのメーターナセル&ウインカー一体型ヘッドライトケースなどもその一例。メーター針の美しい金メッキも実用性(反射して光っちゃうぢゃねーか:笑)度外視でとてもオトコ(おやぢ?)らしいですね。

20120519272012051928_2 この辺になってくると、ビジネスモデルにもデザインが入ってきます。フューエルタンク下部とサイドカバー下部が一直線に繋がり流線形イメージのモチーフを形成する「ジェットラインボディ」がその特徴。跨るとその一切が見えなくなってしまうところが、これまたスズキらしくて微笑ましいです。スターター(セル)モーター装備というのもこの時代にあっては大きな「ウリ」になりましたので車名にまで謳いこまれています。

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2012051931_22012051932_3 やはり色が付いてくると、ぐっと華やかなイメージになるモンです。黒いボディにメッキの装飾、そして黒いニーグリップパッドを張り付けたものがどういうわけか日本では流行っており、ビジネスモデルもスポーツモデルも変わり映えしないモノでありましたが、「スズキ二輪車」では昭和30年代後半になってまいりますとスポーツモデルを中心にようやく色気が出てまいります。余談ですが、この時代の少し前、30年代前半といった早い時期よりそのデザインと色彩感覚、そして製品のフィニッシュに気を配っていたのは、現存するメーカーでは「ヤマハ(当時日本楽器製造)」であったと思われます。やはり楽器屋さんだけあって、その品質感へのこだわりがそうさせたのでしょう。GKデザイン研究所などインダストリアルデザインの専門家に早くから設計を依頼していたのも頷けます。「ホンダ」は昭和20年代後半に前衛的な全天候型スクーター「ジュノオ」を発売(現在のピザ屋宅配バイク「ジャイロキャノピー」の御先祖にして元祖)いたしますが、商業的には屋台骨を揺るがすほどの大失敗作に終わってしまったため、アツモノに懲りたか、それ以来デザインは非常に保守的で冒険を一切しない二輪車メーカーとなってしまいました(もちろん、その後数々の亜流を生むほど優れたデザインの”スーパーカブ”のみは革新的大ヒット作であるわけですが)。「ホンダドリーム号シリーズ」では、その高性能とはうらはらに「黒い全体像にメッキタンク+ニーパッド」という旧態依然のデザインポリシーを実に昭和40年代半ばまで引きずってしまいます(ホンダドリームCB450最終型エクスポートと同CB750FourK0あたりで初めてカラードタンクを採用)。まあ、赤いタンクのCB72なんかには、ワタシ高校生の頃に憧れてましたけどね。

2012051933_22012051934_2 ・・・こんなの今あったら可愛いですよね。体の小さい女性でも扱いやすくするために低床フレームを採用しています。小径ホイール&タイヤというのは、この時代にはまだまだ不可能だったのでしょう。このエンジン出力で、小径ホイールでは最高速15キロみたいのになっちゃいますもんね(笑)。部屋のオブジェにもいいな・・・。現在の技術と性能でリメイク販売すると、きっと30万くらいの定価になっちゃうんだろなぁ。

2012051935_22012051936_2 ムカシのレーサーはこんな「おっさんモデル(失礼)」をあれこれと改造してレースに出場していたのですね。

 もっとも、この時代に我が国で行なわれていたレースは未舗装の公道で行なわれるのが基本。現在のクローズドサーキットでのレースとはまったく趣きの異なるモノです。当時の我が国で本格的なレース(二輪も四輪も)をするには鈴鹿と船橋のサーキット完成を待たねばなりませんでした。

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 コレダたちの後ろ、壁一面を飾るのは、往年のカタログやパンフレット類です。

 カラーグラビア印刷の技術がまだまだ高嶺の花だった時代、たとえ高額商品の宣材でもこのように質素なモノでした。「スズモペット日本縦断走破」なんて書いてあります。

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 このモペット状のバイクに搭載されているエンジンが「マン島TTレース優勝車」の心臓になっていたとは・・・贅沢なモノですね。

 麗々しく謳われた「世界初の4速ロータリーチェンジ」というのがまた泣かせどころであります。ロータリー型って便利な面もあるんだろうけど、トップの次にニュートラルがいきなり出てくるので、アタマの中で変速回数を数えながらでないと「ブアーン」って派手なカラ吹かしになってしまうんですよね。自動二輪小型限定免許を東京府中試験場に受けに行く時(当時試験車であったホンダCD125がロータリーシフト装備のため)には大工の親父がいる家の倅に頼み、「ヤマハメイト」借りて練習したものです。

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20120519472012051948_2 こうして昭和30年代後半のモデルを年代順に並べていきますと、ビジネスモデルや、日常の足になる通勤通学モデルは、最終的には結局「スーパーカブのカタチ」に収斂していく過程を読み取ることが出来ます。

 さすがに御本家「スーパーカブ」の方は現在の「世界のホンダ」のベースになっているくらいの名車ですから、その抜群の耐久性も功を奏してか、現在でもクラッシックカブの動態保存車は全世界に多数存在いたしますが、これだけの台数の「スズキセルペット達」、まあ、どこに行っても見ることは難しいでしょう。

 その後、スズキでこのジャンルのバイクと云えば、もっぱら「バーディー」というコトになるわけですが、前述の「ヤマハメイト」と比べましても、その一般的ネームバリューは、残念ながら相当低いと思われます(・・・って、ああいうお蕎麦屋さん出前仕様みたいなバイクって全部「カブ」ぢゃ無かったの?という声も聞こえてきそうですが:笑泣)。

 あー、一週間我ながら頑張った!続きをお楽しみに。

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コメント

お寺巡りの後にバイクが来るとは思いませんでした。
バイクも車以上に日本の産業を世界に知らしめただけあって、
振り返ってみると数え切れない名車の数々ですね。
今はバイクにとって最高の季節ですね。乗りたくなります。

コレダシリーズ。
全く無知につき最初「ギャグみたいな名前」と思いましたが、こんなに
シリーズ化されているとは。
すごく勉強になりました。

この三階フロア、乗り物好きであれば熱中してしまうのがよく解ります。

コレダシリーズ、元々日本語なのに「COLLEDA」とはこれ如何に。
すみません、寺社建築は自分の縄張りにかなり近いところですが、バイクは目に一丁字もございません。Γはわかります。

まことに充実した展示ですね。このあたりのバイクは、わたしにとって懐かしさを感じるというより見分けがつかないというのが正直なところです。ウルフあたりは次回でしょうか。

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