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« 「高速道路」考 | トップページ | たこちゃんズGT”2012夏”(その5:長崎市内探訪②・・・市電に乗って、出島へ行こう!) »

2012年8月25日 (土)

たこちゃんズGT”2012夏”(その4:長崎市内探訪①・・・爆心地にて)

 今朝パソコンを開いたら、このブログのアクセスカウンターが「40万ヒット」を越えてました(喜)。そもそも「番外地サイトのおまけ」であるこのようなブログに毎日たくさんのお客さんがみえてくださっているというのは、皆さんのご多忙を想えば、本当に有難いコトであると感謝しております。

 ・・・さて、おとといまでの続き。高速で長崎市内まで到達いたしました。高速の最後の方で、「平和公園にする?グラバー邸にする?」とJCT案内看板が問うておりましたので、走りながら5秒くらい悩みましたが、平和公園へと舵を切りました。一旦、雨は上がりましたが、あたかも雲の中に居るようにムシムシとしています。コレはワタシがこの夏に体感した中で一番不快。もはや不快指数30000%です。

20120823012012082302 ホントは、この平和公園の地下にある市営駐車場にクルマを停めてきたので、これからしばらくの写真の順番には「ウソ」がありますが、ご覧になっている方々の利便のために、メインエントランスから順に奥へと御案内いたしましょう。

 この地を訪れるのは、実に「高校の修学旅行」以来ですから31年ぶりというコトになりますか。とは申しましてもムカシの記憶は、もはや完全に消去されており、どこを見ても新鮮な気持ちです。美しく植栽が整備された階段の右隣には、ごく最近装備されたと思しきエスカレーターと動く歩道が手を繋いだような経路もあり、足腰の弱い方でも登り易くなっておりました。その入り口の横にある、「平和公園」看板石碑も、新調されているようです。

20120823032012082304 左の写真はその階段をエントランス方向に見降ろしたところです。四季折々、季節の花々が咲き乱れるコトでしょう。

 階段を登り切ったところで真っすぐ正面を見ると、目の前に「平和の泉」が噴出しており、その噴水の中央の奥には、有名な「平和祈念像」が鎮座しております。あいにくと雨が降ったりやんだりの天候ですが、この公園にとってはこんな天候の方がむしろ相応しいと思いました。真夏の炎天下の方が、”1945年8月9日”をより一層身近に生々しく感じられましょうが・・・。

20120823052012082306 こんな天気の方が当地に眠る方々にとりましては「鎮魂」となり得るかと。

 ここでは、あまり多くを語りたくはありませんが、右写真の石碑に刻まれた有名な作文は、何度読んでも胸を締め付けられるような思いがいたします。今はただひたすらに合掌するばかりです。キレイごとばかりでは済まされませんけれど・・・。

20120823072012082308 長崎市という自治体には、「史上第二の被爆地」としての矜持と申しましょうかある種のプライドを感じます。

 こういった、原爆関係の施設に掲げられた案内板のそれぞれを見ますと、それを伺い知ることが出来るように思います。とにかく、「現実にそのような状態であった」という事実をオブラートに包まずに叩きつけています。キレイな言葉で糊塗していないところが重要なんですよね。周囲の雑音や圧力に屈することなく、今後もこの姿勢を貫いていってほしいと願います。

20120823092012082310 ワタシたちが訪れる直前に、祈念式典が催されたことと思います。

 後年造られた「長崎の鐘(音出ます、注意。お若い方、せめてワンコーラスだけでもお聞きください。このモニュメントと直接の関係はありませんが、心に沁みる名曲です。♪なぐぅーさーめぇー、はげまし、なぁがーさぁきのー♪というサビ、”藤山一郎@スジャータ(音出ます、注意)”先生の絶唱が秀逸)」にもたくさんの美しい千羽鶴が飾られておりました。

 この日も多くの人々が、この公園にはいらっしゃいましたが、突然「ゲリラ豪雨」が降り出しまして、全員が屋根のあるスポットに退避してしまいました。豪雨にメゲずに撮影したのが右の写真です。ここでヒトが一人も写りこまない写真を撮る機会はなかなか無いものと思われます。

20120823112012082312 31年ぶりに対面した「平和祈念像」前で記念写真を。

 この像は、テレビでもよく紹介されてきたものですが、実物を真近で拝見いたしますと、曇天に映えて荘厳な彫像です。

 折角ですから、ワタシもむりやり笑顔をつくって記念写真を撮影してもらいましたが、やはり些かひきつっておりますね。

20120823132012082314 ここは、1945年8月9日まで長崎刑務所の支所が建つ場所であったらしいです。

 今もこのようにかろうじて残った基礎の部分をモニュメントとしてあります。

 美しい芝生が「67年前の夏」を覆い隠してはいますが、やはり雷に打たれた様に厳粛な気持ちになってまいります。個々の説明ボードを熟読するのもツラくなってきたりしますが、日本人として歴史的現実を受け止める義務を感じますので頑張りました。

20120823152012082316 ふと公園の脇に目を遣ると、「文明堂のカステラ」の大看板がありました。ちょっと現在に引き戻されて正直ホッとするものです。

 周辺案内図を見ると、この公園の隣が本当の「爆心地」である模様なので、その通称「爆心地公園」に行ってみることにいたしました。一度この平和公園のメインエントランスまで降りて、すぐ隣にあります。

20120823172012082318 こちらは平和公園以上に心にせまるものがあるエリアです。

 入口に埋め込まれたプレートにある長崎市長銘のメッセージ。

 事実を淡々と伝えるだけですが、これが一番重く感じられるのです。67年前の8月9日の午前11時2分、もしもこの地に自分が居たら、我が身は跡かたも無く瞬時に消え去っていたのだと思うと文句なく戦慄が走ります。

20120823192012082320 公園内には慰霊塔がありました。懇ろに手を合わせてとにかく御祈りしました。何を御祈りするというのでもなく、ただひたすらに合掌するという気持ちになります。

 「原子爆弾投下中心地」。ここ長崎と云い、広島と云い、出来ることならば世界中の「先進国」を名乗る国々の国民が機会あらば一度は訪ね、掌を合わせてみて欲しいところです。

20120823212012082322

20120823232012082324 浦上天主堂(再建されたものには、後ほどまいります)の遺構が移築されている他、原爆炸裂の時間を示したプレートが土台に嵌めこまれた像などが、爆心を示すモニュメントとともに点在しています。

 当日は天候が不順であったにも関わらず、外国人の方々も多数御見受けいたしました。所属するお国によって、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下について、後に様々な「意味付け」がなされているようですが、この場所では、いかなる屁理屈も通じません。他国の方々も爆心碑を見上げ、ニコリとも微動だにもせず、ただただ茫然、しばし固まっておられました。それらのお姿を見ては、人間として(はたまた日本人として)少し嬉しく思いました。

20120823252012082326 爆心地公園に入ってすぐのところに「被爆当時の地層」という看板を発見いたしましたので、導かれるままに行ってみました。

 どうも、公園内を流れる川沿いに降りていく様子です。初めのうちは意味が分かりかねましたが、階段を降りて行く途中で「そういうコトか・・・」と得心いたしました。

20120823272012082328 ・・・ここは爆心の地。当時の詳しいことはワタシ如きには計りかねますが、戦後の復興時に焼けただれ、放射線に汚染された大地を半ば埋め立てるようにしてこの公園が出来ているのだということを理解いたしました。右の写真で階段の向こうに見える窓の中が、その「地層」です。

 この川も、辛うじてギリギリ生き長らえていた人々が、結果的に「末期の水」になってしまったであろう癒しの水を求めて彷徨った場所だそうです。

20120823292012082330 その「地層」をアップで撮影いたしました。

 日常の生活品がそのまま埋もれています。

 ・・・この「そのまま」というところが胸に迫ってくるのです。戦時下ではあっても、それなりに普通で平和であった真夏のある日の日常が一瞬にして四散埋没する。そして非戦闘員であるはずの一市井のシチズンがその直接の被害をもはや立ち直れないほどに被る。伝統的な”武士道”や”騎士道”においてはありえない、極めて老獪な「戦争のあり方」です。一方で、このような仕打ちまでされないと、戦争を終結させることが出来なかったという当時の政府高官たちの無策ぶり(そして当時の政治システムの欠陥)には言葉もありません。

20120823312012082332 ・・・ワタシ、政治的には右でも左でもありませんし、歴史にも疎いですけれど、とにかく「いいものはいい」し、「ダメなもんはダメ」という考え方なので、今の日本の現状を鑑みますと、一層悲しみと怒りが相半ばしたような気持ちを持ちました。先人達の経験や痛みを踏まえた国造りや政治システムの再構築は出来ないものなのでしょうか、と思い悩みます。

 一度公園のそとに出ますと、美しい景観の市民公園にしか見えないものですが、この爆心地の持つ歴史的事実を踏まえてから見ているせいで、何やら複雑な心境ですね。

20120823332012082334 今度は「長崎原爆資料館」を訪ねました。ここも過去に二回(小学校6年の時と、高校の修学旅行で)訪れたスポットです。

 小学校の時に来た折には、いまだこのように立派な建物では無かったように記憶しております。なにか「田舎の中学校の木造校舎」みたいなところで、真夏と云えども冷房も無いような、それだけに往時を偲び易い場所であったように懐かしく思いだします。

20120823352012082336 しかしながら、ひとたび場内に入りますと、ホグれかけた心はまたもや一瞬にして凍りつきます。

 こちら長崎の資料館は、数年前に訪れた「広島の資料館(外国人客や、若年層を意識してか、あまり良くない意味で洗練されすぎてしまった)」に比べますと、一層展示内容が生々しく感じられました。ここにもたくさんの訪問客(外国人も多数)の方々がいらっしゃいましたが、もちろん笑顔は無く、そこここでカタまっておられました。

20120823372012082338 フラッシュを焚かなければ写真撮影自由というコトになっておりますが、「博物館系の撮影大好き」で御馴染のワタシがここではほとんど撮ってませんね。

 なんと申しましょうか、正視に堪えられないのです。なんでこうなっちゃったのかと悔むばかり(もちろん、ワタシなどが悔やんでみても仕方が無いコトなのですが)です。

20120823392012082340 「ヒロシマ」と「ナガサキ」の原爆関連施設の数々。いまだ未見の方には、これから先に足を運んで頂きたいと思いますとともに、幼い頃やお若い頃に一度行ったことがあるという方々も、「大人の修学旅行」の一環として、”大人の目”で再度見て欲しいと願います。

 ハッキリ云って、決していい気持ちになれるところではありませんが、自分の心の中にある「どこか忘れたり、欠けたり」している部分を再発見出来るかも知れません。少なからずワタシが感じたのは「健康で毎日普通に働ける」という現実への感謝の気持ちです。

20120823412012082342 些かワタシなど軽い人間にはヘビー過ぎた資料館をあとにいたしまして、観光案内図を見ますと、この近くの途歩圏にこれまた有名な「浦上天主堂」が屹立しているとのこと。

 さっそく雨の中を歩いてまいりますと、市街地の中の小高い丘の上にソレは聳えておりました。木々の緑に赤いレンガ造りが映えて、やはり美しい景観です。

20120823432012082344 時節柄、「平和祈願祭」の看板がメインゲートに掲げられておりました。

 急勾配のスロープをゆっくりと上がって行きますが、夕方になっても「超ムシムシ状態」が続いておりますゆえ、結構息切れします。

 上にあがってくるに従って、徐々に周囲の街並みを見渡すコトが出来るようになってきます。聖地だけに清々しい場所です。

20120823452012082346 坂の途中には「教会見学のマナー」を訴える看板がありました。きっと傍若無人な中高校生の修学旅行客がアホな行動に至るコトがあるのでしょうね。

 そうこうしているうちに、ようやく丘の頂上が見えてまいりました。長崎のシンボルのひとつとも云える有名建造物ですから、やはり独特の存在感を放ちます。

20120823472012082348 例によって「歴史」にヨワいワタシたちは、説明ボードを拝見して御勉強です。

 キリシタンの弾圧や、原爆など長い歴史の中で数奇な運命に晒されてきた事が理解出来ました。

 カトリックキリスト教会としての「格」も高く(入り口門柱には”カトリック浦上教会”とプレートが埋め込まれてありましたので、これが正式な名称であるのでしょう)、ローマ教皇もいらしたことがあるそうです。

20120823492012082350 観光客の皆さんが、天主堂の内部を伺っている様子のなので、ワタシもマネしてみますと、イエス像と美しいステンドグラスを垣間見ることが出来ました。

 旧浦上天主堂の被爆した残骸は長崎市内の数か所に移築されておりますが、この敷地内にも一部を残してあります。今となっては美しい植栽で飾られておりますが、色々と想いをめぐらせると複雑な心境になり、こんなワタシたちでも考えさせられますね。

20120823512012082352 天主堂の階段を降りて、市街地に出ますと、一瞬にして現代長崎の日常に戻ります。 「平和町商店街」の看板にも、思わずホッといたします。

 「平らかで和やか」な状態というのは、人類の歴史上、なかなか長期に亘って維持するのが難しいものであったのだなぁというコトがこの歳になってようやくわかります。そもそも人間そのものが持つ「業」と云いましょうか、内在する矛盾と云いましょうか、とにかくそういった「こんがらがった」事柄を、哲学とか宗教学とか心理学とか比較文化論とかそういったものを勉強して解きほぐしていく努力をする必要があるように、今さらながらに思いました。まだまだ人間修行が足りません。まぁ、そういう気持ちを思い出すというのも「旅」で自分を見つめ直すという効用の一つではありましょう。

 ・・・さぁ、ちょっとシメっぽいハナシばかりが続きました(当地に来たら、コレばっかりは仕方が無いんですけどね)。電停が見えてまいりましたので、アレに乗って長崎市内観光へとイッてみましょうね。

 続きをお楽しみに!

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コメント

大作だ。感服いたしました。

ところで、ぷっちょのCMで板野友美が可愛かった。なんだかんだいっても、友ちんは可愛い。

長崎は訪れたことがありませんが、今回のブログアップがなければ
一生知らずにいたかもしれません。
とてもいい記事だと思います。ありがとうございます。

↑↑「りゅたろう」先生、なんだかんだいっても・・・だよねー(友ちんってアンタ、やんぐ・あっと・はーとだよな:笑)。
↑「Wさま」、長崎もいざ行こうと思わないとなかなか機会が無いところですよね。何時の日か「チャンス」が訪れるコトでしょう。

ああ本当に久方ぶりのコメントでございます。
毎度毎度、読むだけで訪れた気になれるタコちゃん旅行記は、楽しいの一言につきまする。
長崎といえば、私の亡父が戦時中に被爆した地でもあり、
行って楽しく、また感慨深い地であります。
なぜかこの日本では、戦中の正しい日本史を義務教育中の学校で学べないという
変なしがらみがあるのが事実と私は捉えており、
現地の石碑に真実を得る事が多いと常々思っているので、実際に目にした脚色ない話を
とても貴重な情報だと考えております。
いつかは、タコちゃん旅行記ルートをトレースしてみたいなあ~!
出来れば時間の読めるバイクで。

だんだん戦争のことは忘れてしまうんですよね。とくに最近のご事情からして。2年程前に初めて広島に行き、昨年は沖縄のひめゆりの塔に行きました。まだ長崎は行っていません。アンネの家や、ポツダム宣言の地には行ったことがあるんです。行かねばと思っているのが、アウシュビッツと長崎です。でもまだ行っておかなくては行けないところあると思います。
りゅたろうさまは、マイペースでいい味出してます。

長崎・・・懐かしいですね。

私らも新婚早々の頃、私の地元が小倉という絡みも有り、伺った事があります。

私らはその時はグラバー邸の方にいきました(笑)

卓袱料理なんぞも食べちゃったりして・・・。

何だか20年前の懐かしい思い出が蘇って参りましたよ。
また機会があれば行ってみたいものであります。

明日からちょいと1週間ばかり日本を離れますが、それまでにどこまで
この旅行記が進んでいるのか、思いを巡らせながら仕事にいそしみたいと思います。

戻ってきましたら、今度こそ、総火演みやげと共にお伺い致します。

あ、アジアみやげもあるかも(笑)

ううむ。ワタシもパソコンの前でカタまってしまいました。小学5年から10年間、広島に住みましたし、長崎は10年ほど前に訪ねましたので、原爆の被害についても知ってるつもりになっていましたが、あらためてこういうかたちで触れると、記憶の風化が自分の中においても著しい、と認識させられます。
昨今の領土問題に関しては、威勢のよいコトバも飛び交っていますが、やはりこういう地を訪れて、このような不幸がなぜ起きたのか、想像を巡らせることが必要でしょうね。
ありがとうございました。

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