たこちゃんズGT”2012夏”(その3:柳川→大川→諫早・・・そして長崎へ)
ワープ!・・・今晩はなぜか三男とともに「名古屋」に来ております。明日は朝からコーンズ名古屋SCさんに行ってミッション遂行を期します。「名古屋のKさま」、もチョットのお待ちを・・・。
当ブログの方は、通常通りに昨日の続きをイッてみようと思います。
・・・とは云っても、本日は昨日分に入れる予定だった部分のみをお送りいたしますゆえ、ワタシたちの移動ばかりでちょっと地味なネタとなっております。すみませんね。
「水郷」柳川らしい風景も、ご覧の様に通りから垣間見るコトが出来ました。船頭さん付の川下りなども風流でいいですね。一度はどこかで体験してみたいものですが、ドコの観光地に行っても、「川下り系」は「ツー・エクスペンシヴ」な観光地価格設定であるモンで、簡単にひょいと乗るにはかなりの勇気が必要なんですよね。
いまやドコの地方都市に行っても同じようなお店や風景に平準化されてきているような気がいたしますが、それでも、ここ柳川に限らず九州では、色々とムカシ懐かしいモノに出会うことがあります。
なにげなく、家にメリ込むよう設置された(というよりもコレをどかさずに家を建てたようにも見えたりして:笑)「ムカシの護美箱(この当て字が気分でしょ:笑)」を発見したので思わずパチリ・・・ヨメからは「ナニ撮ってんの?」と訝しがられてしまいました。
フト見ますと大きなタテ看板が。「古賀政男記念館」とあります。
同じような題名の建物が、東京にもあるよなぁー。環状7号線から井の頭通りに入って原宿表参道方面に5分ほど走ったあたり、日本音楽著作権協会建屋の隣に確かある。
往年の歌謡界の大作曲家「古賀政男」先生は、ここ大川のご出身でいらっしゃったのですね。この記念館って大川市営みたいです。「郷土の誇り」ということなんでしょうが、一個人を顕彰する施設を自治体が運営しているのですから、もはや歴史上の偉人扱いです。
ワタシの世代ですと、先生の晩年にギリギリといった感じですね。民放の「シロウト歌合戦」系番組では、必ず審査委員長が古賀先生だったような気がします。出場者がどんなにヘタなパフォーマンスをしようとも、「惜しい、ヒジョーに惜しかった」と、至らぬ点をホジくることなく、ハンカチで額の汗をぬぐいつつ総評するので優しいお人柄を感じる先生でした。
プロ歌手相手だと、意外と厳しかったのかな?お弟子さんに「アントニオ・古賀」さんという方がいて、ホントは真面目な本格派のギタリスト歌手であったハズなのですが、ある時「クスリ・ルンバ(音出ます、注意)」なんてヘンな曲(名曲コーヒールンバの替え歌)を歌っていたのを聞いて子供の頃ひっくりかえって驚いたモンです。あぁ、「その名はフジヤマ(音出ます、注意)」という「富士山讃え歌(笑)」みたいなのもありましたね。サラリーマン時代にカラオケで練習したけど、とても難しい歌でした(スペイン語と日本語がチャンポンしてるからな)。・・・なんでハナシが脱線しているのかと云うと、ここ定休日で入れなかったんです(あー、残念:笑)。リベンジで、今度「代々木上原(JASRACの隣)」の方に行き、「古賀政男」先生についてベンキョーしてまいりますヨ。
「大川」と云えば、家具の街。そして芸名もそれに由来する「大川栄策」さんという演歌歌手の方がいらっしゃいますが、彼の「タンスかつぎ芸」というのも驚くべきモノでしたよね(前に「Wさま」がコメントでご指摘されていたと思いますけれど)。
橋を渡れば、そこからはすぐに佐賀県です。ここからしばらく川沿いの道を走ります。
たぶん、ドラマ「のだめカンタービレ」の終盤、「愛の告白シーン」のロケ地がこの大川橋界隈なのではと思いますが、真偽の程は如何に。
ここはまだ、結構市街地なのですが、大きな広い川に美しい緑の土手が映える、美しい景観です。赤い水門(?)もこのあたりのアチコチにあり、より一層味のある「昭和」な演出になっておりますね。東京でもムカシの荒川辺りなんかはこんな雰囲気だったのかも知れません。
さぁ、いよいよ長崎県地名が看板に出てくるようになってまいりました。ハラも減ってきたので、今朝買った”どんぐりパン”を食しながら走行します。どんぐりパン、ウマいです。食べたことが無いのに懐かしいと感じる味。ホントは一緒に牛乳が欲しいな。
「すべての道は諫早に通ず」・・・長崎県はそういうところ。鉄路も道路も何かと云うと「諫早」を目指すコトになります。コレは地勢的特性なのでしょう。そのくせ諫早自体からは、歴史的有名人も思い浮かびませんし、「干拓事業」は有名ですが、観光地というわけでもありません。
諫早駅のすぐ近くまでやってまいりましたが・・・ねっ?なんてコトないでしょ(諫早のヒト、すみません!)。
ごく子供の頃に、隣の雲仙の親戚のところに来た時も、「オモチャでもこーちゃる(買ってやる)ばい」と、伯父や従兄弟に連れられて、やっぱりとりあえず諫早の玩具店を目指すのですが、当時はテレビ番組などもネット局の関係で東京のようにはやっておらず、キャラクター物玩具などは一昔前の品ぞろえといった感じでコマったものでした。一方、現在では・・・なんかフツーに埼玉とか千葉みたいだよねぇ(笑)。
続きは・・・明日は出来るかなぁ。とりあえず、おやすみなさーい!(名古屋市金山にて)
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コメント
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その昔のブルートレインも諫早で佐世保行きと長崎行きに別れたんじゃなかったっけ?記憶があいまいでスミマセン。SLが健在で、渥美清、フランキー堺主演の映画「駅前シリーズ」全盛の頃です。
投稿: テツヲタ | 2012年8月23日 (木) 21時49分
はい、「タンスかつぎ芸」のコメントはワタシがしてました。
子供の頃、ザ・ベストテンで見たかつぎ芸は未だに目に焼きついています。
「大川栄策」さん、街の名前が芸名由来とは知らなかったなぁ。
ところで練馬から離れて名古屋出張。
お気楽とは行かないと思いますが、たまには出張も新鮮でいいですよね。
投稿: Wさま | 2012年8月23日 (木) 22時30分
長崎も市内にちょっととハウステンボスに15年前に行って以来ですね。大川栄策さん、古賀政男先生といろいろな雑学がちりばめられていますね。どちらも疎かったです。面白雑学紀行文の続きが楽しみです。ってか、完全に旅行中に紀行文のための写真撮影がなされていて、凄いです。
投稿: 練馬のH | 2012年8月24日 (金) 01時06分