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2012年9月12日 (水)

怪鳥”チャパラル”

 はい、こんばんは!今日も午前中から「世田谷のYさん」がマセラティギブリカップの継続車検のためにお見えになり、符節を合わせるかの如くに御盟友「練馬のHさん」も乱入(笑)。お忙しいお二方をついついお引きとめして、例によっての「デポ二階・雑談ワールド」はとっても楽しいひとときではありました。

 そんな中で、昨日の当ブログで御紹介した「ニッサンR-381」は、実に日産製エンジン搭載では無く、シボレーV8を積んでいたんですヨといったハナシから、”エンツォ憎し(笑)”で御馴染の「フォードGT40(レプリカ)」をお知り合いが購入しようとしているというハナシになり、ついには”アメ車エンジン繋がり”で、ワタシがアツく語りはじめてしまったのが「ちゃぱらる」のハナシ。

 御両人ともに「?」といったお顔をされておりましたが、「”ちゃぱらる”ってすんごいんですよー、リアサスとウイング支柱が繋がってるんですよー、”R-381”のリアウイングもそれのマネだったんですよー、タミヤのプラモもそうなってたし」とか、「しまいにゃ、デカイ”ダクテッドファン”を水平に2基つけて、強引にダウンフォースを得ようとしたりしてたんですよー」・・・あとから考えて「あっ、”ちゃぱらる2J”のファンは最後部に垂直方向に2基だったよなー」と思いだし、お二方には、ここで訂正(泣)しておきます。でもとにかくデカイファンを背負ってた。コドモ心にプロペラの推力で走るモンだと思ってたもんな。

 昨日は、アタマの回転がヒジヨーに悪くて、あまりハナシを広げられませんでしたが、例えばムカシの「カーグラ」誌で”表3(裏表紙の内側面広告スペース)”にモノクロで掲載されていた、「三和自動車(1960年代後半当時、ポルシェ・ランボルギーニのメインインポーター)」の広告では、ポルシェ912、911T、911S・・・等々ときて、”904応談”とか、”910・・・1800万円”とかごくごくフツーのポルシェを売る様に新車価格が書いてあったモノです。価格の方は、全然フツーではありませんが(笑)。

 なんか、1960年代終盤の”グループ6”や”グループ7”のマシンって、とにかくエンジニアリング面で実験的なものが多い上に、そのデザインもそれぞれに優れたものばかりで、それらをひとつひとつ思いだしていくと、本当についつい”アツく”なってしまうのです。日本では、そういった流れのスケールダウン版で「グラチャン(ワタシは”グランチャン”と云います)・レーサー」というカテゴリーが後に生まれましたが、そのハナシになると、またまた長くなりそうなので・・・。

 ところで、昨日の続きっぽくなってしまうのですが、こういった感性に訴える”カッチョ良さ”を備えたマシン群を”プラモメーカー”が見逃すハズも無く、当時一瞬だけ大流行したという伝説の「スロットレーシングカーブーム」においてはたくさんのキットがエントリーしたモノでした。

 ブームはすぐに去り、プラモ各社はあわててシャーシの金型を改変、通常のモーターライズ仕様や、ゼンマイ動力仕様、果ては動力抜きの「コロ走行(泣)」仕様にして劣化再発売。こういった「スロットレーサー崩れ」由来のプラモ群が1970年代後半まで細々と売られていました。ワタシはスロットカー世代のちょっと下の世代ですし、上に兄貴もいないので、スロットカーブームそのものの狂騒については、後に”物の本”を読んで知るに留まります。

 ソレら「スロットレーサー崩れ」の中には、「ポルシェ」なら”904”、”906”、”910”などメジャーどころが並びますし、「フェラーリ(当時は大概”フェラリー”と表記されていたモノですが)」でしたら”330 P3”、”P4”あたりが各メーカーから出てました。「ロータス」は、やっぱ車高ベッタンコで、その低重心がスロットレーサー向きであった”23”でしょう。一方、我らが「マセラティ」となると、当時の子供にとっては、ほとんど”謎のコンストラクター”扱いだったコトでしょう。実際、箱の表記にきちんと”モデル名”が謳われていることすらもマレで、中身を見ても”出来がスゴイ(泣)”ので、車種の特定はほとんど不可能です。「マセラッティー」とか書いてあるし(笑)。

 他にも、コドモにとっての”謎のコンストラクター”扱い銘柄としては、「スカラブ」とか「ヴァンウォール」とか・・・まっ、このあたりはオトナにとっても(現在でも)ほぼ”謎”ではありましたので、プラモ屋の店先でホコリを被りつつ、何年も長期在庫になってたコトでありましょう。

 国産車では、「ニッサンのR-380R-381R-382」、「トヨタ7ニュー7」あたりが主要銘柄。変化球では、「ヒノ・サムライ」「ダイハツ P-5」といったメンバーですか。当然”国産変化球”たちも、その後の長期在庫組(泣)。

 で、ようやくハナシを元に戻しますと、「チャパラル」であります。ここ20年くらい前から、日本語では「シャパラル」と表記されるようになりました。けど、ワタシにとって「マスタング」が永遠に「ムスタング」であるように、「シャパラル」もまた「チャパラル」のままなのです。自動車図鑑に口絵があれば、キャプションの「チャパラル(アメリカ)」には「ちゃぱらる(あめりか)」とルビがふってありましたもんね。

 シャパラル車、その生みの親たる「ジム・ホール」御大につきましては、さらにご興味のある方、情報の精度を上げたい方はネット上で色々と御調べ頂くコトといたしまして、ここには”ウィキ”だけを示しておきますが、1960年代中期の段階で、「セミオートマ」「可動式リアウイング」、ボディ内部に負圧を溜めてダウンフォースを得ようとする「車体内部・下部の空力デザイン」等々、実に先進的・尖鋭的な理念の数々は、その後のレーシングカーの歴史において画期を為すものであったと思います。が、しかし、そのような難しいハナシは置いといて(笑)、あとはワタシの”ちゃぱらる原体験”のみを述懐してみたいと思います。

 だいたい、こんな日本にありもしない”羽根の生えた”クルマは、当時の子供にとっては絵空事でしかありません。しかしながらプラモ屋の店先で、やはり「ホコリを被って長期在庫化」している「チャパラル群(チャパラル2E2F2H、2J2J)」を見ていると、「なんだかよくわからないけど、カッチョいい!」という気持ちにさせる見た目なので、毎度、箱を手に取っては眺めまわすというワケです。まず、チャパラルレーシングカーの一大特徴は、そのボディがいつも純白であるコト。これは当然(そうか?:笑)、かの”マッハ号”を想起させるワケです。で、おまけに成型色もちゃんと”白”(コレは塗装という概念がいまだ無い、当時のコドモにとってはリアリティ追求のために不可欠な要素だったのです)。リアウイングの「長ーーーぁい支柱」がゼンマイ動力で勢いよく走らせているうちに、「壁に激突→こなごな→で、泣く(笑)」となってしまうのも懐かしいです。なにしろ完成後30分以内に五体満足ではなくなりますからね。

 他に、ロードカーの製造を行なっていないレーシングカーコンストラクターのプラモ銘柄としては、英国の「ローラ」「マクラーレン(今でこそ、ロードカーやってますが)」等もありましたが、それぞれの有名マシンのマーキングがなかなかに凝ったモノでして、「マクラーレンM8A」なんてカンナムマシンは大滝製作所製やタミヤ製ので何度もチャレンジしましたが、成型色”中途半端なオレンジ色”の上からクリヤーオレンジを塗れ、との御無体な指示書。当然、筆で塗る→俄然、投げつけたくなる(笑泣)。

 その点「チャパラル」はいい。白い成型色に簡単なゼッケンデカールさえ貼れば、気分はもう「ラグナ・セカ」。モントレーの抜ける様な青い空と白い雲が良く似合う素晴らしいマシン(小学校二年生の感想、というか妄想:笑)となり得ます。

 このあたりのプラモデルキット、1990年代前半に、なぜか一瞬「プチブーム」が起こりまして、箱絵のデザインを今様に変えた”再販物”がたくさん出ました。確か、チャパラルも持ってた様な気がするケドなぁー。今度千葉の家に帰ったら、いそいそと(笑)ほじくり返してみようと思っております。

 それじゃー、また明日!

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コメント

ちゃぱらる?、あーやっぱシャパラルでいいんですよね。こういう外国モンの呼び方は時々変わるので困ります。例えばジウジアーロ、これは人の名前だからやっぱ「ジュジャーロ」の方が失礼じゃない気がします、ただなんか気取ってるみたいでためらいもありますが。

高級時計のバセロンコンスタンチンもやっぱバシュロンコンスタンタンになってました、今コレクターの方は何と呼んでるのか気になります、私は「バセロン」の方が舶来っぽくて好きです。

ギブリ、ジブリにならなくてよかったです、宮崎監督はローマ字読みしたみたいですね。

↑「一松」さん、コメントを有難うございます。アメリカぢゃ、”あばると”は”えいばーす(はい、末尾の「th」の発音には気を付けてねー、歯と歯の間に舌の先をハサんで・・・「す」とは中学校の英語の先生談:笑)”ですね。初めて聞いた時ゃ驚いた。やっぱ、アバルトだよなぁー気分的に(笑)。

チャパラル(シャパラル)、”ウィキ”を拝見しましたが、物干し竿が前後2本
のマシンは強烈ですね。
こういう昔のマシンのプラモデル、地方の昭和の時代からやっている
おもちゃ屋さんに埃かぶって眠っていそうです。
地方の街並みを訪れる、ひとつの楽しみかと思います。

↑「Wさま」さん、いつもホントに有難うございます!いいでしょ、物干し竿ウイング。チャパラルの良さは一目で「バカでー(笑)」なところを追求しているところでしょう。でも、結構理には叶ってたりして、実は自動車史に残る名車であったりします。本国に一度見に行ってみたいものですね。

私もシャパラルで覚えたくちです。でも確かにアメリカのコンストラクターなのだし、チャパラル、たしかにチャパラルですね。

昨日は午前中にお仕事忙しい中乱入いたしましてすいませんでした。やはりこのチャパラルは知りませんでしたね。Wikiの写真をみると、確かにハイマウントウイングは、目立ちますし、子供受けしそうですね。う~ん、でも一歩間違えて、国産グロリアとか、ローレルとかに、これつけちゃうと完全ヤン車になりますね。レーシングカーだからこそなんでしょう、このスタイルは。ちょっと実験車両みたいだもんな。

シャパラルの創始者、ジムホールには、実はお会いしたことがあります。
アメリカにいる遠い親戚のおばさんの旦那さんがトラック会社をやってまして、12歳の時にアナハイムにお邪魔したことがあり、そこに遊びにいらっしゃいました。
変なレーシングカーを作っているお金持ちのボンボンと言われていました。
当時より車キチガイだった私は、すぐにシャパラルに反応しましたが、いかんせん写真(カーグラ)でしか見たことがなかったので、リアルじゃなくて…
あの時文通でもしてればよかった。

かすかに記憶に残っている小さい頃に作ったプラモデル、今思えばあれはたぶんシャパラルだったよなーなんて思い返すことがあります。ゼンマイで動くものでしたけど、私もすぐにぶつけて壊しちゃう子でした(笑)
それにしてもあの「ファンカー」のアイデアは凄いですよね。後ろにいると危ないでしょうけど。あれが後に78年(でしたっけ?)のブラバムF1に受け継がれるんですね。すぐ禁止されちゃいましたけど・・・。
レーシングカーの世界は空力理論の追及が進めば進むほどみんな似たような形になっちゃって、まだ手探りだった昔の方が面白かったですよねぇ。

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