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2013年2月20日 (水)

人生は紙一重だったり、綱渡りだったりする

 さすがに昨日のお題はショッキングな画像に大変なインパクトがありましたので、皆さんのコメントからも驚かれたり、衝撃を受けたりといった雰囲気が存分に伝わってまいりました。なんにいたしましても”命あっての物種”と申します。今日一日すらも、たまたま”僥倖”で生き長らえた命なのかも知れなかったものと、様々に感謝しつつ、(ワタシも含めた)皆さんも、本日これより一層気を引き締めて、さらに生き長らえてまいりましょう。しかも元気にね(笑)。

 何しろ、昨今ニュースになるハナシは、海外でのテロや、観光地で無差別に襲ってくる者の犠牲になったと云うような理不尽極まりないものばかりで、皆さんの心が痛んでいる真っ只中でもありましたから。ワタシ自身も”命”の不思議さや、”運”などというコトも色々と考えさせられてしまうのであります。

 但し、運やツキをこちらに味方させる生き様と云うモノは、確率論的にはやはりあると思うのです。危険や停滞を招きそうな事柄はなるべく遠くにおいておきたいモノです。蛮勇を奮い起こして(若しくは一時的な快楽を求めて?:笑)、無理や無茶はしちゃイケませんね。だけども、「分かっちゃいるけどやめられない」のが人間と云う不条理な存在なのでしょうけれど(ワタシもこの口でしょう、きっと:笑)。

 我々は事故や事件に”巻き込まれる”という言い方をしばしばいたしますが、従来、諸外国と比べて治安が優れていると云われてきた国に住む日本人は、やはり全般的に危機意識そのものが低く、危険を察知する能力(第六感と云う、ある種オカルト的なモノも含め)も極めて低下している様に思えてなりません。国内に限定しても、巻き込まれているのではなく、被害者自らが巻き込まれにイッてる様にしか思えない凶悪犯罪事件の事例は、幾らでも日々伝えられるニュースの中に見出すコトが出来ます(”出会い系”で知り合った見ず知らずのオトコに会いに行ったりとかね)。

 たまたま軽装で行ったハイキングでの遭難、天候をアマく読み誤ったために起こる山中での事故、こういったモノも「こんなハズじゃ無かった」と本人は云うでしょうけれど、危機管理意識のアマさの所産でありましょう。

 自転車を走らせる高校生たちや若いサラリーマン、目は携帯の画面に釘付けです。練馬では、雨の日にも傘を差して自転車を走らせる習慣があり、そのような場合でも、器用に傘の柄と携帯を片手で握って走ります。もちろん雪が降っても同様です。

 たしかに高校生の頃、「長靴なんてだせーよな」と、革靴や陸上競技用のスニーカー、そしてバッシュなどで雪の日の自転車登校をしていた者が大半でした。ワタシはゴム長靴でした。そりゃもーカッチョ悪いのですが、我が命と健康には代えられません。

 大昔のハナシになりますが、ファッション界において、日本におけるアイビールックの生みの親、ヴァンヂャケットの創業者として、主に1960年代において時代の寵児であった石津謙介さんは、「TPO(Time・Place・Occasion)」という造語を提唱し、その言葉は一般名詞化するほど広く伝播いたしました。恥ずかしながら、ワタシなどかなり長じる迄の間、純然たる英語だと思ってたくらいです。「アイビー」の響きは懐かしいですね。ワタシが大学生になる頃には「第二次アイビーブーム」真っ盛りで、その弟分の「プレッピー」なんてのも流行りました。メンズクラブやチェックメイト、ポパイにホットドッグプレス・・・当時は読み倒しましたモン。そして「ねばならない」「・・・べからず」を学びました。約束事(ある特定のルールと云うか、シバり)の範疇で如何に洒脱に着こなすか、というのがアイビーファッションの基本だったんです。オシャレさのかけらも無い現在のワタシからは想像出来ない(でしょうねぇー:泣)かも知れませんが、サラリーマンやってた20代の頃は三つボタン段返りの三つ揃え着て仕事してた様なヤツだったんですから。

 TPO・・・今風に翻訳すれば、「何事も時と場所にあわせて、その空気を読め」と云う感じでしょうかね。本来は、戦後10年経過したあたりで、ただ単に「着てりゃいいんダロ」的な男性ファッションのあまりにもヒドい有様を見て、「決まり(must)のある着こなし」を提唱するのですが、その根本原理として編み出されたのがこのTPOと云うヤツでした。その後、この直裁的で分かりやすい概念はファッションの世界に留まらず、広く便利に使われる様になったというワケです。時と場所と場合、それぞれの組み合わせの相違に応じて、着ていく服(身なり)はキチンと正しく変えて行こうと云うのが本来のモノでした。そのうち「ちみぃー、てぃー・ぴぃー・おぉーを考えて行動せんか、TPOを!」みたいな使われ方に変化して、今では須らく「空気に合わせていこう」といった語感になりました。すっかり死語ですけど。

 公道には、公道に合わせた走り方を。速いクルマもいつも全開走行ではぶっ壊れます。なぜなら、彼らはストラダーレ、あくまで公道で順法に走るコトを前提に作られたクルマだから。出せば出ますよきっと、200でも250でも。で、実際に出せるんだけどもソレを見せびらかす様に走るこたぁない。その上、日本の道路規格はヒドいので、市井でぶっ飛ばしているヒトを見かけると「自らが巻き込まれにイッてる様にしか思えない」ヒトにしか見えません。

 斯く云うワタシ自身、本当はアンダーパワーを目いっぱい使って走る様な小さいクルマが好きでした。で、トシを重ねるごとに「もうちょっと余裕が欲しい」気持ちになり、日本の狭い道路事情を勘案いたしますと、ビトルボマセラティがベストであると結論付けたのです。コンパクトなボディに充分すぎるほどのハイパワー。太いトルクで余裕の高速走行。そしてなによりオシャレで冠婚葬祭、TPOに合わせてどのようにでも着こなせる。

 ワタシも久しぶりに思い出したTPO・・・Time・Place・Occasionと唱えつつ、その時その時の空気を読んで適切な行動が出来ます様、これから頑張ってみたいと思っております。「紙一重」の違いが天地雲泥の結果差となる物事は多いけど、朝起きてから夜寝るまでの間に(無意識下であっても)選択と決断をしながら行動しているのが、ヒトの生活と云うものなのかも知れませんね。綱渡り・・・願わくば渡る綱は出来るだけ太くした方がいいヨ(笑)。

 それじゃー、また明日!

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コメント

痛ましい事件が起こるたびに「運」の不思議さを考えてしまいます。
しんごくん「ウンウン」て宝くじ売ってる場合じゃない!(笑)

低い危機意識の結果、自分に起こったことを「管理責任」のもとに誰かに責任を取らせようとする風潮もどうなんでしょう。

TPOで思いますのは、そこらへんに買い物行くのに巨大ミニバンで行くのも・・・ねぇ
でもお弔いに黄色いパンダで行くワタシもどうかと思いますが・・・

↑テツヲタさま、宜しいんじゃないでしょうか。
(上から目線に見えるようで、スミマセン)
人生イロイロ、生き様は個性であり、センスの発揮どころかと思います。
しかも元気にね(笑)。←コレ気に入りました。

TPOですね。確かに重要です。。。国内にいると危機管理能力下がりますね。それでも最近はクレーマーも多いので、そういう危機管理は研ぎすまされているかなあ。
 それより、昨日のコメントNo.16が新たにりゅたろうさまより追加されていますよ。。。次の足車ですと。。。皆様にご意見を。。。
 そうですね。運転手付きのロールスか、装甲車か、もしくはパトカー先導付きで、好きな車?
 焼けくそだから、こうなったらいっそのこと、自宅から仕事場まで、300キロは出せるりゅたろうさま専用道路建設(北朝鮮の○書記みたく)! そして、車は、4点シートベルト、消火器搭載、ロールバー、運転席カーボンモノコック構造、600馬力、強化カーボンディスクブレーキ、足回りも強化し、スタビライザーも極太、デフも強化モデルの特製シャマル改で、思う存分踏んで頂く!ただしプロドライバーの講習1000時間受けて下さいね。。と妄想はこの辺で。
 現実的には、足車なら飛ばして面白くないアクアとかプリウスだな。それか安全性で、古いボルボ240とか。
 とにかく、どこまで守られているかなんて、試そうとしないで、御体大切にして下さい。

昨日のブログにコメントする事は難しかったので悩んだ末に簡素なコメントとさせていただきました。
りゅたろう先生、とにかく御無事でなによりです。

本日のブログテーマも深いですね。今日一日を無事過ごせた事に感謝しつつ、精一杯努力して充実した人生を送ろうと思う気持ちとは裏腹に、歳をとればとるほど時間の密度が薄まってきたような感じがします。とにかく古い考えにとらわれて新しい物事を受け入れる事が億劫になってきました。
若い頃は体験する全てが新鮮でしたが、40歳を過ぎて鈍感になったせいか、何事にも新鮮味を感じる事が少なくなりました。
一方、マセラティ等に関しては非常に興味をそそられ、感性をくすぐられ、常に新たな発見があり・・・歳をとった事でピンポイントで感性が鋭くなった分野もあるのでした。
人生って、奥が深いですね。

練馬のHさんのコメントに触発されて、りゅたろう先生にオススメのクルマなんてお題はいかがでしょう?
高スタビリティのアウディ・クワトロをジェントルに操るのはカッコいい。でも直線はメッチャ速いから危険かも。
ツインターボを外しちゃったシャマル(狼の皮を被った羊)。
無限軌道。旧ドイツのハーフトラック。
以前、練馬のHさんに紹介していただいた2本足スクリューのZILナントカ。これなら転倒の心配無し。
ピンクのクラウンにドラえもんのキグルミ着て乗車。
シャア専用のオーリスにシャアのコスプレ着て乗車。
・・・大先輩、いじってスミマセン。
近いウチに伊藤先生を囲む会を開催しなければなりませんね。

デポに集う方々と比べると、私もどちらかというと暴走系かなという自覚はありますもので(そうでもないかな)、ともあれたこちゃんさんの文章、いちいち心に深く沁みました。
そもそも人生とは綱渡りのような奇跡であること、だからといってわざわざその綱を細からしめることの愚かさ、TPOに適した運転の大切さ、確かにその通りと思います。

運転という、クルマと道と人の濃密な関わり合いにおいて、ビトゥルボという車も紙飛行機にロケット花火を括り付けたような代物ですが乗りたいからには乗りたい、と思いますし、道の滑りやすさや凹凸・曲率等は変えられない、とすると、両者に必然的にあるリスクは運転手が何とかするしかないわけです。

クルマの性能と路面状況と自らの技量を的確に把握し、綱を細らせず、且つギブリに相応しい走り(これ大事)とは何か、考えながら走っていきたいと思います。

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