大震災発生から、二週間が経ちました。皆さんも、まだまだ「落ちつく」と云った感じからは程遠い生活を日々送られていることと拝察申し上げます。くれぐれもお体は御自愛ください。
この14日間で、非常にプリミティブな、すでに世の中から消え失せようとしかかってたものが、見直されました。「非充電式乾電池」「プロパンガス」「公衆電話」「非ファンヒーターの石油ストーブ」・・・そして「上水道の飲料水」と「井戸水」。一方、もはや誰も「エコ」と云わなくなってる。今こそ本当に「本物のエコ」を目指すべき時なのに・・・。
ココ数年、各電力会社は「オール電化」などと云って、なんでもかんでも電気に頼る生活を奨励し、その機器の販売を推進してきました。で、原発が動かなくなると「計画停電」。こんな時、オール電化住宅では、非常に暮しにくいものになりますよね。
水道が仮に断水した場合、若しくは汚染が進んだ場合も、井戸水は汲めそうな気がしますが、電気モーターポンプでの汲み上げが普通になっちゃってますから、停電すると汲めないわけですよね。アナクロ式「手漕ぎポンプ」であれば大丈夫なのに。
この期に及んで、「充電式乾電池」も大量に売れてるらしいです。「だから、停電になると、充電出来ないのよ?今は緊急用に買ってるんぢゃないのか、乾電池」と云いたい気もしますが、それでエコ考えてマスと云うならば「噴飯もの」です。もう、ボケ切ってますね、日本人。
被災地域は都市ガス化が進んでなかったのが幸いして、プロパンガスは使えてるみたいですね。電気が無いと結局使えない石油ファンヒーターよりも、ムカシの「ブルーフレーム」式ストーブが即戦力になってるわけですが、その残存数は極めて少ないと思われます。
色々な「選択肢」を残しておくというコトが「リスクマネージメント」には必要だと考えます。なんでも、云われるまま時流に流されて、「一つの方向にしか」向いていかない国民性は、日本人の特徴で武器でもありますが、根本的な欠点のひとつでもありますね。
デジタル化や省力化は、人間の「少しでも楽をしたい」との欲求から生れ出てきたものですから、当然「雇用の機会」も減少させていきます。一方、少子高齢化も進みますから、「現在の勤労者」人口が相対的に少なくなっていくことを勘案すれば、一見合理的にも見えます。しかしながら、「現在の勤労者」がムカシより「稼げる(平たく云えば、会社や組織が合理化の結果として稼いだ分のひとりあたりの分け前がムカシより増える)」という大前提が、いつの間にかホッタラカシにされ、一部の稼ぎ頭のヒトビト以外は、みんなで貧しくなってるように思います。
今後は、放射線被災地域が大きくクローズアップされていくでしょう。そもそも第一次産業の比率が大きい地域ですから、今回の被災により、さらに収縮してしまうでしょうね。しかしながら、我が国の懸案であった、異常に低い食糧自給率を大きく上げていくキッカケにも、やりようによっては出来ると思います。「100年の計」を考えることが出来る偉大な政治家が必要ですけど(嗚呼!)。
今後東北や北関東地域から移住する人々も増加し、全国の人口移動が激しくなるかもしれませんし、エネルギー問題もホントに根底から考えていく必要性がありますよね。
今まで、目を背けていた事、捨て置いていた事に真正面からブツかって行く気概を全国民が持って欲しいと思います。ワタシが常日頃半ば冗談ごかしに云っている「アニメや特撮物によるジャパンクール、観光立国化」も真剣に論ずるべきだと思います。
旧いもの、「ゆっくり、ゆったりとしたもの」には、やはり癒しの効果はあると信じます。隙のない合理化は、人間を追い詰めていきます。少なくともワタシは、「不要不急品」と世間から目される「マセラティ」を一人でも多くの方々にご紹介することによって(それらが持つホスピタリティーにより)、人間が魂を込めたモノに触れ合う喜びと誇りを、日々のモチベーションアップの源泉にして頂きたい、ひいては、そのパワーが大きく結実し、国の行く末がよりよいものになって欲しいと願っています。
「心を忘れた科学には、しあわせ求める夢が無い」と今は亡き作詞家の阿久悠さんが、40年近くも前のアニメ「ミクロイドS(手塚治虫原作)」主題歌において、示唆しておられます。今現在がまさにそれ。皆が携帯電話やパソコンを持つようになって、一見豊かに見えますが、40年前と比べて本当にシアワセの度合い(まあ、測りようがないですけど)が良い方向に進んでいるのかと、もうずいぶん前から自問しています。
柄にも無く、真面目なカタいハナシで肩がコリましたね。すみません。明日も頑張ろう!