昨日は、当方からの一方的な「問いかけ」に対し、様々に有意義なご意見を賜りまして、感謝の極みです。雨の土曜日ということもあってか(笑)たいへん多くの方々から極めて長文のご意見を頂戴いたしました。初コメの方もいらっしゃるようですね、本当に有難うございます。皆さんのコメントを拝見していると、ひとつひとつ「同感」ですね。って云うか、コメント欄を見れば見る程、ホントに自動車雑誌はこのままで大丈夫なのか?との危惧を抱かずにはおれません。って云うか、皆さんのコメントの方が深いぜ(笑)!
特に「一松」さんの「スーパーカークラシックスは21号まで」、というのと、「おぐ」さんの「カーマガジンの255号あたりから299号まで」が良かったというお話(「りゅたろうチルドレン」さんの⑤への回答にその答えが・・・)は、まさに今回のお題の正鵠を突くもので、ワタシも「激しく同意(笑)」です。主要読者層(オヤヂたちですヨ、ハイ:笑)がこんなにも敏感に「分かっている」方々なんですから、作り手はよほどの研鑽を積む必要性を感じます。
「NAVI」、意外にも人気があったんですね。このあたりは「お医者さんの待合室にあったら手に取る(しかも隣にカーグラやカーマガが並んでたらソッチにする:笑)」というくらいの位置づけかと思っておりました。ここはワタシの認識不足。
「ENGINE」は、正直名前が出てくるだろうなーと思っていました。ワタシもここ最近目を通してませんけど、創刊からしばらくは「このテイストが一番しっくり来るな」と感じておりました。
・・・といったわけで、そろそろ昨日の①~⑦へのワタシ自身の回答を(後出しジャンケンで申しわけありませんが)提示しておこうと思います。
①:あなたは、現在自動車雑誌を購入(ヒト月に一冊以上)していますか?→自動車雑誌は「貰うモノ」と化しております。ちなみにその中から家に持ち帰ってまで読みたいと思った本はほとんどありません。
②:それは、どの自動車雑誌ですか(複数回答もあり、洋モノも可)?→カーマガ、オートカーを頂くことが多いです。背表紙見て値段にビックリしましたけど(笑)。
③:あなたがそれらの自動車雑誌を選ぶ理由をお聞かせください(惰性というのでも可だけどその場合はそれでも買わせるモチベーションで何?:笑)。→持ってきてくれる広告屋さんの気分による(笑)。但し、ワタシが機嫌をソコねそうな(笑)本はあまり持ってこない。
④:それらの自動車雑誌はあなたをどう満足させていますか(若しくはどのような点が不満足ですか?)?→良くも悪くも「現代という時代」の趨勢といったものは示唆してくれるので商売の参考にはなり得ると思っています。
⑤:過去に遡って、自動車雑誌の傑作と思われるものはありますか(複数回答可)?→大御大、小林彰太郎先生が取り仕切っていた頃のカーグラ本誌全部とスーパーCGの20号ぐらいまで(しか読んでない。だって高いんだモン:泣)。「すくらん」であった時代のものから100号(表紙はBow氏描くところのマセラティ250Fだったと思う)チョイ過ぎくらいまでのカーマガ。スーパーカーブームの頃のモーターマガジンとその姉妹誌ホリデーオート(なぜか笑)。特にこの時代のホリデーオート(毎号その時代のB級アイドルが表紙写真のヤツ)は古本屋に出てくる可能性が限りなくウスい(ネット検索でも引っかかったコトがない・・・ってそんなの調べてるオレって大丈夫か?)ので、そう思うと、尚一層いとおしい。ダレか持ってませんかー、ワタシの青春。
⑥:あなたが今考える「理想の自動車雑誌(モノマガジン的なコンピレーションものでも可)」って、具体的にどんなモノですか。→(あったら嬉しいなと思うという意味で)全国の真面目な零細外車ショップの叡智を結集した「90年代までの欧州車、アメ車のバイヤーズガイド」。かつて(今もあるのか?:笑)カーマガ別冊に「スペシャルショップ」という年鑑本がありましたが、ああいった「タイアップ臭プンプン」のモノではない、手造りの味が残るモノだと面白いなと思います。
⑦:ズバリ、幾らくらいの価格帯なら買い続けますか。→月刊誌なら580円。季刊なら980円。付録にDVDでも付けてくれるなら月刊780円でも可だけど。・・・でも、無責任に書くのは簡単ですが、結局ペイさせるには、大量販売を実現するか、大量のクライアントによる広告収入をコンスタントに集めるかの必要がありそうです。
・・・なんと、ここからが今日の「本題(相変わらず前フリが長い:笑)」。
前にも、ホンのさわりだけ書きましたが、戦後しばらくして発売され、現在でも発売時とほとんど同じテイストで発行されている雑誌に「暮しの手帖」というのがあります。 この本はいにしえの名編集者として名高い「花森安治」氏が心血を注いで造られていたもので、地味ながら、昭和中期までの間は多大なる社会的影響をもっていた雑誌でした。
一方、ワタシが上の⑤に挙げました「カーグラ」誌の方は、もちろん皆さんが御存じだと思いますが、小林編集長時代のものは、それ以後のものとは相当テイストが違います。
暮しの手帖の出自は服飾雑誌、今様の言葉で云いかえればファッション誌でした。皆でモンペ履いて「竹ヤリ」担いでた「戦中」が終りを告げ、喰うのがやっとの「戦後」もようやく終焉に差しかかろうと云う時期に、「美しい暮しの手帖」として生まれました。着飾った美しさを競うといった、地に足の付かぬモノではない「本当に美しい(豊かな)暮らしとは何ぞや」というテーマを問いかけ続けた雑誌でした。
同誌、初期の有名な企画に、「洗濯の仕方を工夫する」というのがありました。その骨子は、洗濯盥(タライ)に足と排水ホースを付け、作業者(もちろん多くは家庭の主婦)の腰の高さに据え、それで洗濯板での作業における体への負担を少しでも軽減しようよ、と啓蒙するもの。たったコレだけのことです。・・・お若い方のために少々説明をば加えますと、童話「桃太郎」の絵本にある、有名な冒頭のシーンをまずは思い出してください。「おぢいさんは、やまへしばかりに、おばーさんはかわへせんたくにいきました・・・ソコにおおきなモモがどんぶらこー、どんぶらこー・・・」そう、おばーさん(家庭の主婦)は、川のほとりに座りこんで洗濯作業をしておりました。驚くべきことに、その桃太郎の時代とほとんど同じヤリ方(川の流れがタライにはなりましたが)を、昭和30年代の前半までは、ほとんどの家庭で実践せざるをえないというのがこの日本での現実でした。
今では、「なーんだソンナこと」くらいで済まされてしまいそうですが、当時はコレ一発で社会的大反響の記事だったそうです。当時、家庭の主婦の家事労働はまさに「無償の重労働」というべきもので、特に長時間の洗濯作業は、真冬にはツメたく、寒く、キツい労働であったことは想像に難くありません(一日中屋外でウ○コ座りの作業が多いワタシにはイタいほど良くわかる:笑)。その後、電気撹拌式洗濯機を経て、電気噴流式洗濯機が出現。それに二槽式の遠心力脱水機能が付加(それまでは、付属のゴムローラー装置で洗濯物を廼してシボるものでした。当然ブっつぶされた洗濯物にはアイロン掛けをする必要も出てきちゃいます)され、しまいには洗濯槽が一槽になった全自動洗濯機となりました。かくて現在では、スイッチ一つで「除菌乾燥」までやってくれるように・・・。桃太郎の時代のハナシは、もはやまったく理解不能のモノになってます。
次に大きな波紋を呼んだのが、「新製品への批評」や「比較テスト」という企画で、これも当時としては(いや、ひょっとすると現在よりも遥かに科学的、統計学的かも)群を抜いたものでした。ワタシが読んだモノの中にも、次のようなものがありました。ムカシはケチャップ、マヨネーズなどは、ビン入りが基本。まだプラスチック容器の出現以前のハナシです。ある読者の主婦からの投稿を取り上げ、「ビンが細くちになっているので、M社のケチャップは最後までつかい切れない。このあたりメーカーはどう考えているのか」というテーマを投げかけていました。すると2カ月後くらいに、M社はこのケチャップ瓶の口の広さをスプーンが入るようにすぐさま改良し、市場に送りだしました。ところが、この瓶、一度キャップを開けるとフタが出来ないと云うものでした。「努力は買うが、さらにもう一考あってもいいのでは・・・」と手帖誌はさらに追撃します。M社はそれにも応え、広口の瓶にスクリューキャップを付けるようまたまた改良しました。短期間のうちに同じ商品の流通パッケージを(しかも2度も)変更すると云うのには莫大なコストと労力を要します。一主婦のつぶやき(現在のツイッターですかね:笑)を拾い上げ、それを記事にする雑誌があり、その指摘に誠実極まる態度で臨むメーカー。生産者と消費者の理想的な関係がここにはあります。いつもは辛口批評でならした「手帖誌」でも、のちに大きく紙面を割いて、このM社の企業姿勢を大絶賛したのは云うまでもありません。ちなみにM社とはエンゼルマークの大手製菓会社です。
商品比較テストというのもまた、驚異的なもので、「暮しの手帖研究所」と称する、港区内の瀟洒な洋館内では、6カ月に亘って主要銘柄各社の洗濯機をそれぞれ3台づつ「自前で」購入し「どの洗濯機を買うべきか?」なんていう企画のための「商品テスト」をやったりします。なぜ、3台づつなのか?「同一製品の個体差」まで見るためなんですよ!これには、各メーカーの開発担当者もマイったことでしょう。おそらく、メーカー内でもここまで徹底した比較テストはやっていなかったコトでしょうから。
翻って、「カーグラ」誌伝統の「ロードインプレッション」と「フルテスト」、どことなく、前述の「商品テスト」に似てませんか?小林氏はかつての「カーグラ」本誌内で、これは、暮しの手帖のクルマ版にして、本誌の目玉としたい旨を率直に記述されていたのを記憶しております。「若干、上から目線(笑)」で、山の手的「スノッブな」テイストまでそっくりです。
「暮しの手帖」では、現在まで一切の他社広告掲載がありません。広告を載せれば、広告主の意向が働き、正当な比較、まっとうな評論が出来なくなるからだそうです。至極まともな社是ですが、現在においても貫き通せるのは、まさに驚異の世界です。
「カーグラ」は、創刊時より、もちろん広告主を持っていました。けれども、特に「国産車」に対する批評は、つねに歯に衣着せぬ物言いで、時には辛辣なモノさえありました。しかしながら、小林編集長の「格調高い文章のオブラート」に包むと「だからこそ、改善していこう!」という気を自動車メーカー各社に起させたのではないか、という感想を持ちます。
反面、「欧州車礼賛、偏重」「取り上げるのは高級車ばかり、スノビッシュでハナにつく」との誹りも当時からありまして、特に1970年代中期くらいのバックナンバーには、同誌の読者投稿欄でたびたび叩かれてはいました。そういった背景が、1980年代半ば頃のベストセラー本「金魂巻」において「エンスー君」と揶揄され、かえって自動車趣味の求道者たちへの「茶化し言葉」として、「エンスージアスト」という美しい言葉の略語「エンスー」が貶めて使われるようになってしまったのは寂しい限りです。現在でも、この言葉の出自を御存じない編集者が「エンスー」を誌上や表紙表記において濫用しているようですが、ワタシなどは、決していい気持ちはしない言葉ですね。カーマニア、クルマオタク、カーキチ(死語:笑)、どれも釈然としません。「エンスージアスト」、適度にスノッブな感じでいいじゃないですか。
小林編集長時代の「カーグラ」誌でひとつだけ(然れども、大きく)残念なのは、「スーパーカーブーム」の時に「意識的に」スーパーカーを避けた紙面造りにシフトしてしまっていたというコトです。この件も、同誌紙上においてハッキリと明言されていました。
これも、小林氏の持つ独特のダンディズムと云いましょうか、時代や商業主義に迎合しない「反骨精神(花森イズム)の発露」であったことは、ワタシも充分に理解していますが、現在世界的にも人気があり、珍重もされている1970年代末頃のエキゾチックカーについての「フルテスト」や「インプレ」は、「カーグラ」として残しておくべきだったよなーと、今にして強く思います。ランボルギーニカウンタックLP400なんかは、キッチリ調整したヤツの最高速やゼロヨン計測をぜひやっておいて欲しかった。そして小林氏の筆致でカウンタックを評しておいてもらいたかったと思います。望んでもいまや詮ないコトですが。
「カーグラ」誌上で取り上げられたマセラティに関しては、1960年代後半の同誌に掲載された「初代ギブリ」ポールフレール先生のロードテスト(翻訳版)が印象に残っています。ここでの最高速はアウトストラーダ・デル・ソル上でのストップウォッチ計測により、257Km/hだったかと思います。当時マセラティの名物テストドライバーであったグェリーノ・ベルトッキ氏とのエスプリ溢れる会話の応酬も楽しめる、第一級の記事でした。
また、山口京一さんの海外レポートにもココロ躍りました。記憶しているのは、ブリックス・カニンガム卿のカーコレクションを探訪した折の外伝的コラム。カニンガムさんの奥様(確かローラさんといった)の愛車、ランボルギーニミウラP400でドライブをするというモノでしたが、その純白のミウラは、デリバリー内外装のフィニッシュがアマかったので、新車時にいきなりフルレストアしたというくだりや、ミウラの8トラックカセットステレオ(笑)から流れる「ペリー・コモ」の甘い歌声を掻き消すようなエキゾーストノート・・・などの文章に中学生のワタシは古本屋でこのような珠玉の記事を読みながら、アタマの中が「トロトロと(笑)」していました。このあたりのハナシは前にもどこかに書いたかもしれませんが、それくらいに印象深く素晴らしかった。小林編集長のインプレやフルテストも、躍動感に溢れるとともに格調高い筆致で、そのクルマの魅力を何倍にも増幅させてくれたものです。
あの2色刷りのセピア色ページからのぼりたつ、ワクワクする感じ、もう一度味あわせては頂けないものでしょうか。お願いしますよ、自動車雑誌の皆さん。今の時代、読者が離れちゃた雑誌への広告掲載はありえませんから。
「本当のエコを考えるなら、部品供給体制をしっかりとやっている欧州車を中古で買って長く乗ろう!イケイケでゴーゴー、フィーバーフィーバー(あくまで仮題:笑)」とかね。すべての自動車メーカーはソッポを向くと思いますが、中古車屋さんとか社外パーツ屋さんは広告主として、心あるオヤヂたちは読者として、それぞれ付いて来るんじゃ・・・やっぱ、ダメ(笑泣)?