確実に季節の移ろいを感じます。今日の東京練馬は長袖を着ないと肌寒く感じる程、ひんやりと清冽な気候でした。急な寒暖差で体調を崩しがちです。皆様、御自愛ください。
と、いったところで、昨日の続きを・・・もう一度、「自動車趣味」と、”趣味”のアタマに”自動車”を付けた方に戻して考え直してみましょう。
”自動車趣味”という言葉の意味合いも、時系列的に色々と変化してきているのでは無かろうかと、その一例を挙げてみましょう。例えば、「戦前の自動車マニア」さんたちにとっては、街道筋をランダムに走ってくる「円タク(当時の市街地タクシー)」を拾う時、その車種選定にあれこれとコダわって乗車するコトが、すでに「ホビー」であったらしいです。五十嵐平達先生や小林彰太郎先生など、戦前に少年時代を送られた”重鎮自動車趣味人”の昔話には必ずこういったエピソードが出てまいります。今現在でも同じコトをやっているヒトはひょっとするといらっしゃるかもしれません。しかしながら、コレを現在やってたら「タクシーおたく(笑)」と、より細分化されて呼ばれるコトはあるかも知れませんが、「自動車が趣味でして・・・」とは、いくらなんでも云えません。
今度は時系列は現在のままに固定して、趣味の対象を自動車から「鉄道」にいたします。”鉄道の世界”で車種を選んで乗車するような事を意識して恒常的にやっているようなヒトは間違いなく「鉄男」か「鉄子」であり、自身も「鉄道を趣味とする人間」であると自負しているコトと思いますし、傍から見てワタシもそう思います。
このあたり、自分で”趣味の対象物”を所有、若しくは操縦(運転)するコトに対する”リアリティの差”と申しましょうか、日常生活に於ける”対象物”全般に対する距離感の差と申しましょうか、表現力が不足しているので説明するのが難しいのですが、分かってもらえませんでしょうか(泣笑)?
さらに対象を「履歴書にも書ける(笑)」”スポーツ”に変えて考えてみましょう。”スポーツ趣味”は、現に競技(あるいはその練習やそのための鍛錬)に参加するあり方と、観戦(実戦や練習試合に限らず)を主にするあり方があり、もちろんそのどちらにも属する方々がいらっしゃいます。また、同じようにテレビ観戦をする方の中でも、たまたま帰宅してひとっ風呂浴び、ビールの栓をあけてテレビを見たら、たまたま巨人戦をやってるので日々それを見ているだけというヒトと、CS放送なども駆使してペナントレースの全試合を録画した上で、自分なりに検証を加えて”採点表”と付けていってるようなマニアの方では、おそらくは意識がぜんぜん違うと思うワケです。また、テレビ観戦オンリーのヒトがいる一方で、基本が野球場(競技場・スタジアム・プール・コート)現地観戦という人々(毎日ドンチャン騒ぎをするのが楽しみな私設応援団員の方々なども含め)もいらっしゃいます。
・・・ああっ、また脱線してる(笑)。自動車趣味のハナシに戻します。
またもや、時間経過によって意味付けが変化するハナシ。例えば、今すぐ何も”趣味的な要素”を考えずに、「ト○タ ア○ア」でも買うとします。ものすごくたくさんある選択肢の中から選びぬいた方もいらっしゃれば、”なんとなく”のヒトもいることでしょう。ここでは購入動機は特に問わなくてもいいんです。
で、そのまま30年後。購入する時に、ものすごくたくさんある選択肢の中から結構コダわって「○クア」を選んだヒトはとっくに他車(しかも未来のあたりさわりのない新車)に乗り換えているかもしれません。まっ、だいたいがそうなるでしょう。その一方で、さしてコダワリも無く買ってたヒトが淡々と継続車検をこなし、さして買い換える理由も無いからとそのまま”動態保存車”になってる「アク○」に乗り続けている、という未来も可能性としてはある(し、実際そのようなクルマが時に”奇跡のコンディション”とか云って中古車市場に出てくる:笑)。
この「ア○アに乗って30年」という未来の例え話は、スタティックに焦点を絞っても、時間の経過に従っていくだけで”趣味性”がいやおうなく湧いてきてしまうといったところがキモでしたが、今度はグッとハナシを拡げて、ダイナミックな社会全般のうねりとともに経過してきた近過去の時間軸の中で、全体的に変容を遂げてきた”自動車趣味”という言葉の「記号性」にも、しかるべき検証が必要です。
戦前の日本においては、ただ乗用車を所有しているだけで、「大金持ち(しかも天上界)の自動車趣味人」と自他ともに認めたことでしょう。もっとも、一般の庶民には”自動車趣味”という概念そのものがほとんど無かったに違いありません。
戦後も自家用車を庶民が手にするまでには、30年という歳月が必要でした。西暦で云うと1975年くらいでしょうかね、昭和50年あたり。ですから、ここまでの期間においては、自宅に乗用車(いや軽トラックでも)を持っているだけでもたいしたものであったというコトでしょうね。この期間の外国車は、外国車であると云うだけで日本国内ではまだまだ「天上界」ですから、”ワーゲンかぶと虫”でも”BMCミニ”でも”シトロエン2CV”でもみな天上界の乗り物で、それに乗る人々は天上界の自動車趣味人であったと申せましょう。ロールス、マセラティ、ジャガー、フェラーリ、ポルシェ、アルファロメオ、ベンツ、BMW・・・このあたりは”宇宙船”(笑)。乗ってるヒトはアストロノーツ。
ちょっとハナシを戻して戦後風俗史的に申しますと、昭和30年代中盤から後半に掛けてレジャーブームというのがまずはありまして、最終的には”バカンス”という当時の流行り言葉に象徴されるように余暇を単なる”ヒマつぶし”と捉えるのではなく、積極的に楽しもうという機運が庶民のあいだにも浸透してまいります。そこまでの期間は、”趣味性云々”などという高尚な次元には、いまだ到達していなかったのがフツーの状態であったということです。
やがて、衣食住が足りて、余暇に”娯楽”や”趣味”を楽しめる程度には国民生活が向上しつつあった頃、昭和40年代前半に「ホンダN360」あたりが登場して、軽とは云え、ようやく安価で本格的な乗用車を若者が手にするチャンスが生まれました。割賦販売(現在のカークレジット)方式の普及も、もちろんこれに一役買っております。
このあたりの時代に「不幸にして(笑)」欧州車の自動車趣味道を”あえて”指向してしまった者は、「竪川町の解体屋」に日参して、日夜パーツを工面するハメになりましたが、ソレも”趣味”の一環として楽しかったコトでしょう。やってるコトは、油とサビにまみれた解体屋廻りなワケですが、根源的な気分の中に「オレはヒトとは違う(キリッ!:笑)」という些かならぬスノビッシュな想いもありますから、「解体屋のオヤヂと丁々発止のやりとりが出来る自分」なんていうのにも酔いしれるコトが充分に可能であったコトでしょう。この時代にあっては、例えば本格的オープンスポーツカーを望めば、国産車でも新車や高年式中古車で、ホンダのSシリーズやヨタ8、フェアレディSP/SRなど、よりどりあったワケですが、そこで「10年落ちのMGA」とか「オースチンヒーレー」にイッてしまいたくなるヒトというのは、現代風に翻訳すれば、「現行ハチロク」を買わずに「マセラティ3200GT」にイッてしまうヒトのコトですから、皆さんで胸に手を当ててよーく考えてみましょう(爆笑)。
とはいえ、こういった”自動車趣味人のあり方”というのは今も昔も大差無いもので、感覚的(相対的)には、趣味人口が減った様にも見えますが、分母も分子もケタはずれに大きくなってるので、トシをとりすぎて引退したヒト(笑)の数を差し引いてもこの手の”自動車趣味のあり方”を指向する人々の絶対人口は、実はあまり大きく変って(減って)はいないのかも。
日本における“自動車趣味の世界”というのは、案外こんなコトの積み重ねなのかも知れません。然して、戦後の時間経過の中で日本国全体が間違い無く裕福になってきたコトは疑いなく、それは中古車市場にメルセデスベンツやBMW、アルファロメオなど溢れる様に存在するのを日々見ているだけでも分かります(上記のハナシで云えば分母が”ドでかい”)。それらは現在の日本において、当面は普遍的な存在になり果てておりますので、その中で”さらなる差別化”というのも必要(少ない”分子様”にお選び頂けます様:笑)になってくる。うー、アタマがイタい(笑)。
ところで、一昨日のコメント欄に「練馬のH」さんがお寄せくださった、とある(当店ではない:笑)”マセラティの専門店のシャチョーさんは、「マセラティとか外車乗る人は見栄だからね」って言ってました”という話を拝見して、ワタシなどは「?」と思うワケです。寅さんじゃ無いけど、「ソレを云っちゃぁー、オシマイよっ(笑)」って。
現在の日本において、「外車=高級」とか「外車乗り=金持ち」という図式は、ここ20年続いた低成長時代の中で、実質的には完全に崩壊しております。この感覚は、せいぜいバブル景気に突入する直前、1980年代後半までの時代相の中でのみ通用したハナシです。
但しこれはあくまで主体である購入者側での感覚であり、周囲(であるとかマスコミの論調など)では、「外車=高級」とか「外車乗り=金持ち」という「時代遅れの風評」が相も変わらず垂れ流され続けているので、現実の近くにいない人々(周囲に”中古外車乗り”がいない人々)にとっては「またまた、無理して見栄張っちゃって・・・」的なやっかみはあろうかと思いますし、現実にそういった側面はいまだ存在すると思います。ワタシ自身がそういった「周囲の必ずしも良からぬ雰囲気」というモノと闘いつつ今日までまいりましたので、それもあってか、”見栄”でクルマを買おうとするお客さんは当店にはいらっしゃいません。世の中の動きを逆手にとって、実用足り得る”趣味”の車(趣味性の高いクルマ)を様々な分野から御紹介しつつ、適正・妥当な価格とサービスで楽しんで頂こうと頑張ってるワケです。
マイクロ・デポでは、ムカシから、三兄弟がそろってこんな風にお話ししています。「この日本に於いて、ト○タの新車以外を買うという行為は、とりあえず本人がどのように弁解(笑)しようとも、”趣味”である!」と。国産の実用車を選ぶ場合でも、やはり多くのヒトはスタイルとか、装備とか、性能とか色々なファクターを勘案して買うワケですが、リセールバリューやサービス体制などの諸々を考えれば、実用車において、通常ト○タ以外の選択肢はあり得ないとワタシは思うのです。スタイルがちょっと・・・、エンジンのフィールがね・・・などといった”雑念(笑)”がチラリとでも脳裏をカスめたら、それはもう”趣味”の始まりなのです。
で、やはりおそらくは”趣味の世界”というモノは、個人の内面へと向かっていく極私的な事象だと思うので、同じ趣味なら極限まで研ぎ澄ませていきたいというのが究極的な指向となってしまうのではないでしょうか。ある意味でキリが無い。それで、先日皆さんに「ジジイになって選ぶ趣味のクルマ」と振ると、(現段階での情勢のみで評価した場合ですが)結構現実味のウスい車名も失礼ながらたくさん登場してくるというワケでした。やはり心の深いところでは”理想形”を指向しているんですよね。いや、もちろん皆さんを中傷しているのでは、決してありません。”自動車趣味人”たるもの、これからもこのままでいてください。さっきのシャチョーさんも、マイクロ・デポのシャチョーさんも、いまやすっかり”クルマ屋”になり果ててしまい、”自動車趣味人”としての目が塞がれてしまった様です。コレはコレで悲しむべきコトでしょうね。
ところで、四六時中楽しめる”趣味のクルマ”を嗜む”自動車趣味”というのが、かつてのワタシの場合には大切でした。ですから”趣味用”、”実用”とあえて分けて考えてはいませんでした。で、クルマをたくさん所有するハメになりました(そして只今もビンボーです:泣笑)。サーキットにも行きませんし、イベントにも参加しませんでした。もちろんクラブ的なお集まりにも入会したことはありません。持っているクルマがホメられたことはありませんが珍しがられたことは数多くあります。”自動車趣味人”にとっては、ホメられるよりも珍しがられる事の方が、よほど”勲章”なのです。で、「コレで良し!」と。
現在の社会情勢下においては、そのあたり(”趣味用”、”実用”)が”自由自在”のサジ加減で調整出来ます。この10年でイタリア車もずいぶんと信頼性を向上させました。一方で国産車にもデザインの魅力や”趣味性”で勝負出来る車種がずいぶんと増えてまいりました。用途に応じて複数台を組み合わせるも良し、万能の一台を造り上げるも良しなのです。
日本における”自動車趣味”の世界は、今ようやくスタートラインにたったばかりなのかも知れません。虚栄心を排して、自己の感覚を磨いていく(昨日の”U2”:「それを観賞しうる能力」というヤツを発現させるのです:笑)のも楽しい「ホビー」足り得ますヨ。ムカシから趣味や道楽に突っ込んで行くと「病膏肓に入る」って云うじゃないですか、やっぱコレ、ビョーキなんだよ、びょーき(笑)。
続きは、また明日。
「ガリガリ君梨味」を食べているなんて、まだまだ若い証拠です(笑)。
クルマはそこそこの程度であれば「乗りっぱなし」で乗れちゃうので、
一般の方は”リセット作業”の意義を知らずに乗っている方が大半かと思います。
きちんと(立場含め)理解されている「マイクロ・デポ」社は、ワタシみたいな
メカオンチでもマセラティ車を所有することが出来る、全国でも貴重な存在だと思います。
「あすとん」と云えば、高○純次氏が所有の「DB9」はガンメタ色の色合い含めて
カッコいいと思ってました。
今でも所有しているのかな?